第24話 蜘蛛の領域

迷宮は、変化し続けている。

自然の洞窟を模しているのなら、水の流れ、気温の変化による侵食や、人工の宮殿などを模した部分なら、老朽化や経年劣化による破損もあるだろう。

だが、「生きている」迷宮ならば、誰かが、そっと、悪戯でもするように、その相を変え続けているものなのだ。


最短距離を。

という、ぼくの依頼に、サリアは、危険地帯を突破することにきめたらしい。

あまり、使われていない通路を1時間ほど歩いたところで、蜘蛛の魔物に襲われた。


一体が、大型犬ほどもあるでかい蜘蛛だった。

それが、五匹。


ティーンは魔法を唱えた。

彼女の手の中に、弓が現れた。

「光の矢よ!」

短縮された詠唱と同時に、矢が放たれた。


矢は、蜘蛛の一匹を貫き、さらにその後ろ蜘蛛の複眼を粉砕した。


たいした威力だった。

「光の矢」を唱える術者が「矢」として認識している以上、弓を使えば、威力は数倍、精度も上がる。気が付きそうで気づかなかった発想だ。

ティーンは、どうもその才能も非凡なものを持っている。


だが、そこまでだった。

残りの三匹には、距離を詰められた。


ぼくは、ティーンを庇って前に出た。

ぼくの奮ったのは、鞭だ。

真っ赤に燃える先端が、蜘蛛を撃ち、奴らをしり込みさせた。


飛びかかるタイミングを待って、後退しかけた蜘蛛の一匹を、ティーンの弓が貫いた。


突進してくる二匹のうち、一匹に、ぼくの鞭が絡みついて動きをとめた。

鞭はそのまま、もえ出して、蜘蛛を黒焦げにした。最後の一匹が、天井を走り、背後からティーンを襲おうとしたところを、ぼくが飛びかかって、短刀を複眼の間にしっかりと差し込んだ。


「けっこう、泥臭い戦い方をするのね。」

ティーンが言った。

「転生者なんだから、すごいチートでも持っているかと、期待してたんだけど。」


「転生者なのか?」

サリアが、興味深かそうに尋ねた。

彼女は、蜘蛛が登場すると同時に、退いて、

ぼくらの戦いには、手を出さなかった。


「そうだよ。他ならぬ神さまの媒介で、転生したんだから、勇者ってことになるかな。」


「はあ? わたしは勇者様に守られてたんだ! それは光栄至極……」

「だが、本当に転生させただけで、なんの能力も貰っていないが、な。」

「だれよ、そのマヌケな神様は。」

「大邪神ヴァルゴール。」

「台無しだよ!」


神殿をもたぬ神、ヴァルゴールは、恐らくは信徒の数だけなら、西域一番であろう。

ちょっとした約束ごとのときに、かの神の名を口にするのは、誰でも行うし、ちょっとした願掛けには、祠は辻辻に存在する。


もっとも、神が間接的にでも、地上に干渉していたのは、もうはるか昔。

もっとも重大で悪質な干渉があったのは、もう五十年前だし、それだって、「魔王復活を目論む邪悪な教団が、擬似的に魔王を作り出して、世界征服を目論んだが、他ならぬ、魔王バズス=リウの怒りに触れるところとなり、一切が瓦解した。」というほぼ合っているが、肝心なところが違う解釈が、一般的となっている。


ヴァルゴールもふくめて、神々の名を人が口にするときは、単なる慣用句となってしまっている。

ヴァルゴールならば、それは、裏切るなの、とか約束を守れよ、どいう意味合いで、言葉の語尾におかれることが多い。


「腕はいいな。」

と、サリアは、ぼくらを褒めてくれた。

「経験を積めば、すぐに銀級になれるだろう。」


「先を急ごう。第一層なんかで、もたもとしているつもりはない。」

「あせるなよ、お嬢さん。ここで、少し腕ならしをしていったほうが、いい。

坊やはともかく、お嬢ちゃんは、実戦経験はほとんどないんだろ?」


ティーンは、悔しそうに唇をかんだ。


ぼくは、生成した水で、短刀にへばりついた蜘蛛の体液を流しながら言った。

「いや、いい提案だとは思うけど、さきをいそいでくれ。」

「へえ? 理由をきいてもいい? ティーンは、確かに素晴らしい天賦の才能がある。

あなたたちが、なにもので、古竜になにを相談したいのか、追求はしないけど、いまのティーンは伸び盛りだ。

少しの鍛錬で、驚くくらいに、伸びる。

第一層は、絶好の鍛錬場所だと思う。」


「確かに、それは否定しないし、その重要度は理解してるつもりだ。」

ぼくは、口早に言った。

「だが、ここは、よくない。もっと、奥まで連れて行ってくれ。ここでは、入口からまだ、近すぎるんだ。」


「へえ? 誰かにおわれてるの?」


「一応、YESと答えておくよ。どのくらいの時間を稼いだか、わからないけど、いつかは追いついてくるだろう。

それまでに、ぼくらは、出来るだけ迷宮深くに潜っておきたいんだ。」


「はいはい。依頼主さんのご意向通りに。」

サリアは、答え、白いコートの前を開いた。

体にピッタリした黒いタイツは、なかなか煽情的ではあった。


「ちょっ! あんまりじろじろ見るもんじゃないよ、ヒスイ。」

ティーンが、ぼくの腕を引っばったが、ぼくの視線は、サリアに釘付けになっていた。


全体に細身で、腰周りもしまっているが、優美な曲線を、タイツはまったく隠していない。むしろ強調しているようだったが、ぼくが見ているのは、胸の膨らみでも、腰周りでも、締まったお腹でもない。


コートの内側には、数十のポケットがあり。


そこに、様々な色の液体が入った、細いガラスの瓶が、収められていたのだ。


「その赤いのと、緑と、紫を混ぜると、呼吸器を侵すガスが発生するな。」

ぼくが、指摘すると、サリアは楽しそうに笑った。


「いやねえ。頭痛薬と喘息のお薬よ。混ぜたら、キケンなだけで。」


「何アレ、ヤバいの?」

ティーンが尋ねたので、ぼくは頷いた。


「ぼくの知識が及ぶ限りでも、すでに相当危険だ。しかも半分以上が、ぼくの知らない薬品だ。」

「半分近く、知ってるだけで、大したものよ。ひょっとして、あなたも転生者なの?」

「あなた『も』? あんたも転生者なのか?」

「正確には、生まれ変わってこの世界に誕生したわけじゃないから、異世界人ね。」


サリアは、ぼくの知らない薬品の入った試験管を何本か、取り出して指に挟んだ。


「依頼主のご要望に答えて、最短距離を行くわ。ちょっと、そこをどいて。それから、鼻と口を、布で覆って、下がっててね。」


ぼくらの正面は、黒い石で作られた壁だった。

漆喰と石膏で固められた周りの壁とは異なり、そのだけは、黒い石を押し固めたような一枚板になったいた。

なんとも奇怪なのは。

その一面に、蜘蛛の浮き彫りが施されていることだった。

それは、たったいま、蜘蛛と対決したぼくらにとっても、あまりにも精巧で。まるで、今にも動き出しそうに感じられたのだ。


ここ“魔王宮”第一層を支配するのが巨大な蜘蛛の神獣ギムリウスであることを、考えれば、そんなモチーフの壁があってもおかしくはない。ないのだが。


「では、諸君。」

芝居がかった仕草で、サリアは、ふわりと長いコートの裾を翻した。

「わたしが合図をしたら、息を止めて、目をつぶり、前の壁に突進するんだ。

これから、わたしの作りだす煙は、吸い込んだら、甚だしい呼吸困難を引き起こす。

目に入ったら、たぶん、恒久的な失明は免れるだろう。」


「一体何を」


返答せずに、サリアは、壁のしたに埋め込んだ数本の試験管に、別の試験管を投げつけた。


爆発。

小さな炎があがり、衝撃は、埋め込んだ試験管を破裂され、中の液体がまじりあい、黒紫の煙が吹き出した!


「壁にむかって!走れ!」


そう言いながら、はしりだしたサリアは、ちゃっかりと、自分だけ、ゴーグルとマスクを身につけてきた。


ぼくとティーンは、呆然と立ち尽くしていた。


…岩にみえたその壁は、いまや毒煙のなか、苦痛に蠢く無数の蜘蛛の集合体と化していた!

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