復讐心とコーヒーと
日暮
復讐心とコーヒーと
男の目つきは野犬のようだった。そして実際、男は世間に見捨てられた野良犬同然だった。
男は喫茶店で冷たいコーヒーを啜っていた。窓の外を睨みながら。
その視線は男が自らを捨てた世間への復讐に燃える獣である事を示していた。
視線の先には市役所があった。まずはここにしよう、とずっとそう決めていた。以前、生活保護の受給願いを断られた事があった。
生活保護に頼ろうとするだけあって、男にはもう何も無かった。家族も友人も恋人もおらず、数少ない貯金も尽き、雀の涙ほどの賃金しかもらえないアルバイトで細々と生活していた。そんな日々を送るうち、男から崇高な人間性は少しずつ削れていった。
残ったのは、社会への憎悪だけだった。
男は足元のバッグをちらりと見やる。その中には斧が入っていた。華々しい復讐のため、わざわざホームセンターで購入したばかりの新品だ。
よし、と男は自分に言い聞かせる。このコーヒーを飲み終わったら行こう。自分の怨みを世間に刻み込むのだ。
そう覚悟し、コーヒーを飲み干そうとカップを大きく傾けた瞬間———。
「えーそれマジ!?」
「マジマジ!びっくりだったわー」
耳障りな黄色い声が隣から飛んできた。
男がそちらを見ると、学生グループがかしましく話しながら広いテーブル席に座ろうとしていた。
男は舌打ちでもしたい気分だった。こんな騒がしい集団、それも若者の集団は男が特に忌避する存在だった。
市役所の奴らよりも隣のこいつらにターゲットを変えてしまおうか、などと男が考えていると、相変わらず騒がしい会話の中に男も気を惹きつけられる一言があった。
「えーミーサ裏切ったの!?」
え、と思わず振り向いてしまう。
ミーサとは男が昔好きだったマンガのキャラクターと同じ名前だ。強く優しく、辛い過去を払拭するために闘っていて、男はそのマンガの中でも特にミーサが好きだった。中盤で主人公達のチームを裏切りファンの間に激震が走ったものの、最終的に思いもよらない理由が明かされた上で悲しくも美しい最期を遂げ、当時の男はみっともないと思いつつも大泣きしたものだ。
耳をそば立てると、話の内容は本当にそのマンガについてのようだった。
どうやら、男が知らないうちに、そのマンガはアニメ化されていたらしい。美麗な作画で、元々のストーリーも相まって世間でヒットしているのだとか。
知らなかった。
軽い驚きと共に検索すると、男が登録している動画配信サービスにて配信されている事を知った。
手元のスマホで、ひとまず観てみる。かつてのファンとして、アニメ版の構成や作画に、必要ならば厳しい意見を物申す必要があると思ったのだ。
しかし、その目論見は外れる事となる。
結果として、男がふと気付いた時にはすでに喫茶店の窓からは夕陽が差し込んでいた。当然あのかしましい集団ももういない。今は別の、落ち着いた二人組が腰掛けていた。
「………………」
アニメは、素晴らしい出来だった。
しかし、このままこの喫茶店で延々と観続ける訳にはいかないだろう。
迷っているうちに、男はふと自分が今日しようと思っていた事が馬鹿馬鹿しくも思えてきて、帰宅する事にした。
無事アパートに着き、せんべい布団に寝っ転がる。
そして、惰性で眠りに落ちる前に思った。
………今日は不意の出来事のせいでしくじられた。次こそは決行しよう………。
男には、今日駄目でも次こそは、という意志があった。一世一代の決心を棒に振ったにも関わらず。
それもそのはず。
男がこうして社会への復讐を企み、それが何かで挫けて、また次を決意するのは、これで百二十六回目だった。
復讐心とコーヒーと 日暮 @higure_012
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