Scene8 巻子は夫の死に涙して、愛憎の煩雑さを表す

 たなもとまきさんは、私が伝聞でんぶんから想像した人物像と、大きく異なる印象の女性だった。


演算えんざんさん……。夫の死を調べてくれているんですね」

 まきさんはロゴス様の獅之しのづか機関公認演算えんざん証を見て、沈痛ちんつうおもちで言った。


 以前、しんさんに見せてもらった写真と比べて、今のまきさんの顔はせいがない。

 夫に向かって、殺してやると宣言した人だとはとても思えなかった。


しんちゅう、お察しします」

 ロゴス様がおごそかに告げる。


 すると、まきさんは無理をするように、ちょうめいた笑みを浮かべた。

「あら、気をつかってくれなくっていいんですよ。貴方も知っているんでしょう? あたしが夫に、殺してやるって怒鳴ったこと」


 ロゴス様は慎重に頷く。

「ええ。存じ上げています」


「あたし、言い訳なんてするつもりはないんです。本当にあの人を殺してしまいたかった。他の女にあの人を奪われるくらいなら、あの人がまだあたしを見ている内に、この手で終わらせてしまいたかった。あの日、あたしの手にナイフがあったら、夫の命を奪った犯人は、きっとあたしでした」

 まきさんはがしらを押さえ、あふれ出るしずくを隠そうとする。

「でも、そうはならなかった。あの人は、あたしの知らないところで殺されて、あたしの手が届かないところに逝ってしまったんです。あたしはずっと……、愛していたのに」


「えっとぉ……、でも、まきさんも不倫してたんですよね? ふでさかさんと」

 私はつい、空気を読まずに言ってしまう。ロゴス様が責めるような視線を、ちらりと向けてきた。


 まきさんはわずかに、むっとした表情を浮かべる。

ふでさかなんて、遊びの相手と思ったこともありません。関係を持ったのも、あの日が最初で最後です。あたしはただ夫の……!」

 と、早口でまくし立てたところで、まきさんは自分が感情的になりすぎたと気づいたのか、はっとして言葉に詰まる。


「……夫の、気を引きたかっただけなんです」

 ひときゅう置いてから、彼女はそう言った。


「旦那さんとかみさんの関係は、以前から?」

 ロゴス様が尋ねる。


「ええ。二人は子供の頃から付き合いがあったらしくて、かみしおりからすれば、あたしが泥棒猫どろぼうねこなんでしょうね。あたしは二人の関係にずっと気づいていましたけれど、何も言いませんでした。だって、あの人が本当に愛しているのは、あたし一人だけだって信じていたんですもの……」

 まきさんは悲しげに言った。


 しばらくの沈黙のあと、ロゴス様はさらに訊く。

「貴方は事件の犯人について、誰が疑わしいと考えていますか? これは警察からも尋ねられたでしょうが」


「さあ……。夫は路地裏で殺されたそうですから、きっとどこぞの変質者か、酔っ払いにでも襲われたんじゃないでしょうか。あたしには分かりませんけれど……」


「例えば、?」

 ロゴス様は鋭い語気で問い掛ける。


 一瞬、まきさんはかっと目を見開いた。しかし、すぐに表情が戻り、静かに答える。

「……いいえ。夫が彼女との間にもトラブルを抱えていたら、どんなにマシだったでしょうね。でも、夫はあの女のために、私と別れるとまで言いました。そんな彼が、かみしおりに殺されたとは思えません」

 まきさんはそこでふと、壁掛け時計に目を向ける。


「このあと、何かご予定が?」

 ロゴス様は彼女の様子をざとく観察して尋ねた。


「ええ。大切な用事が」

 まきさんはそう答えると、私たちの退室をうながすように立ち上がる。

「今日は、あたしたちの結婚記念日なんです。だから、お祝いの準備をしに行かなくちゃ」


 そう言って、彼女は儚げな微笑みをぎこちなく浮かべた。

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