第1話
燃え盛る炎が空を凪ぎ、黒煙が夜を覆う。裂けた大地は街を呑み込み、7人の天使がラッパを奏でるように、終焉を告げるサイレンが絶え間なく鳴り響く。
砕けた舗道には命尽きた者の残骸が無数に横たわり、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。赤子を抱いた母親へ容赦なく建造物は倒壊し、慟哭は不意に途絶える。顔を押さえた男が血に染まる指先を見下ろし、虚空に向かう叫びを上げる。誰の声も、誰の耳にも届かない地獄の業火の中で皆、命を燃やしていた。
戦場を切り裂く轟音と共に、戦車部隊が進撃し、航空爆撃の閃光が空を染める。しかし、それらの抵抗も無意味。圧倒的な存在感を放つたった一人の異能者。
神話から現世に降り立ったかのような男の前では、いかなる武力も児戯となる。
震える指先を空に掲げ、瞼を閉じる。掌から放たれた光が戦車隊を貫き、鋼鉄は脆い紙のようにあえなく散る。だが、戦火に包まれる彼の姿は、勝利者のそれではない。頭を抱え、苦渋に満ちた表情を浮かべながら、自らの行為に葛藤しながら敵を薙ぎ払う。
背後に控える異能者たちの顔にも、歓喜の色はない。破壊し、殺害し、蹂躙する。各国の総力を挙げた反撃をも一蹴し、人類史上初の世界統一はわずか半月で成し遂げられた。だが、その代償は余りに大きかった。
奪われた命の数を、破壊された街の惨状を、彼らが知らぬはずはない。
炎が揺らぐ街の中、一人の若い女が黒髪を灰に汚しながら、瓦礫の街に佇んでいた。彼女の視線は転がる死体に留まり、唇を震わせながらも声を押し殺している。
「私は!私達のやってきたことは……正しかったのかな……」
呟きは炎に呑まれ、答える者は誰もいない。血で染まる大地は、ただ沈黙をもって罪人共を見下ろす。世界は冷酷であり、問いに応じる慈悲を持ち合わせていなかった。
背後から男が一人歩み寄る。同じく灰に塗れた彼の顔にも、深い苦悩の痕跡が刻まれていた。
「正しさなんてものは、いつだってあとから作られる。俺たちは未来を繋いだだけ……その未来をどう語るかは……俺たちの役目じゃ無い」
震えていた。声も、肩も。だが、恐怖によるものではない。背負わされた命の重さに、彼自身が押し潰されそうになりながら吐き出した精一杯の現実逃避。正しいか、正しく無いかは分からない。だが、この戦いに正義など存在しない事は理解していた。
女は男の言葉を聞き、目を伏せる。指先に残る光の残滓が、奪った命の痛みとして胸に深く刻み込まれる。血塗られた足元に目をやると、静かに手を合わせた。
涙はとうに枯れ果て、頬には乾いた跡が刻まれている。弔いか、それとも贖罪か───それは誰にも分からない。ただ震える手を強く握り締め、悶える。
煙の隙間から輝く星々が顔を覗かせ、その小さな光に祈るように、心の中で誓う。
こんな世界を繰り返してはならない。この血塗られた悲劇を……
もう二度と───
「……ト…リヒト!まだ寝ぼけてるの?もう、授業終わったけど?」
「ふわぁ……おはよティナ……フィンも」
背後から投げかけられた声とともに肩を軽く叩かれた銀髪の少年は、ゆっくりと顔を上げた。目を擦りながら伸びをする仕草は、陽だまりで惰眠を貪る猫に等しい。
「お前って本当マイペースだよなあ。初対面のやつがこんな姿見たら、主席だなんて信じてもらえないぞ?」
「今日は実技多かったから疲れたんだよ。それに、そんな称号なんの意味もねぇよ。単純な魔法力じゃ、お前にも劣るんだからな」
「だな。でも、仮に魔法の撃ち合いが可能な世界なら、お前に勝てる奴は誰もいない。それくらい詠唱短縮はすげぇんだよ」
「さいですか。じゃ、俺はもう少し寝るから……おやすみ」
再び机に突っ伏す自由人に呆れながらも、残された友二人はどこか微笑ましげに顔を見合わせた。
「あーあ、また寝ちゃった…っといけない!私、先生からいろいろ頼まれてたんだった。後で合流するから、先行ってて!」
「おう!また後でな!」
話し相手がいなくなり手持ち無沙汰になったフィンは窓を開け、校庭を眺める。笑顔や言葉を交わしながら、さまざまな目的地へ散っていく生徒たち。部活動に勤しむ者、親友と肩を並べ校門を抜ける者。誰もがこの平穏を享受していた。
心地良い春風に揺られてほんの数分、景色を眺め黄昏ていると、静寂を破るように扉が開かれた。目を向けた先には、対照的な雰囲気を持つ金髪碧眼の美少女が二人。
その内の1人が悪戯な笑みを浮かべ、静かに教室に足を踏み入れた。人差し指を唇に当て、少しずつ、少しずつ歩を進め、すやすやと眠るターゲットに距離を詰める。気づかれる事なく背後へと忍び寄り、耳元に顔を近づけニヤついた。
戸惑いもなしにこれでもかと息を吸い込んた後、規則的な寝息を消し去るかのように、空気を裂くような爆音が教室中に鳴り響く。
「リ〜ヒ〜ト〜!!起きろぉぉぉぉ!!!」
「うわぁっ!?」
鼓膜を突き破らんとする大声に思わず飛び起きて辺りを見渡す。混乱の最中、そばに佇む犯人の嗤笑が目に入り頭を抱えた。
「ぐっ………エイルてめぇ……」
「あんたも学習しないわねー!何回同じこと繰り返してんのよ!」
悪びれる様子もなくケラケラと笑い、彼の額を軽く小突く。離れて見守っていた穏やかで気品あふれる少女も仲裁せんと間に入った……かと思えば少年の顔を胸元へ抱き寄せ、慈母のように頭を優しく撫でる。
「姉様、あまり意地悪してはいけませんよ?」
「エルナは優しいなぁ……どこかのガサツ女とは大違──」
「なんか言ったかしらぁ??」
口元の歪んだ笑みとともに振り上げられた拳は、いつ振り落とされてもおかしくない程の怒気を孕んでいた。
「いやぁ、この世界の未来は暗いなーと思って。あーあーエルナが第一継承者だったら良かったのになー」
「それには同意するわ!エルナは自慢の妹だもの!」
「そんな…姉様に比べたら私などまだまだ未熟者で……」
赤らめて謙遜する様子が微笑ましく、不思議と事態は収束した。
「まあいいわ。でも次に不敬な発言したらその銀髪丸刈りの刑だから、覚悟しておきなさいよ?」
「そういう時だけ権力振りかざしやがって……わかったよ。俺が悪かった。許してくれよ王女殿下」
両手を挙げ降参の意を示すと、呼応するように胸を張った。
「姉様……もう少し素直にならないと、いずれ愛想尽かされてしまいますよ?」
「……それがどうしたっていうのよ」
「だって、姉様はリヒト様のこひょを──」
「だぁー!なに余計なこと言ってんのよ!!」
耳の先まで広がる赤面を携え、妹の両肩を掴み前後に激しく揺さぶる様子は、もはや照れ隠しという次元を超えている。
「なんだよ、隠し事か?言いたいことがあるなら遠慮せず言えよ」
「……べ、別に何もないわよ!あんたみたいな……げ、下民に言うことなんてこれっぽっちも……」
「では、冷たい姉様に代わり私が甘やかしてさしあげますね」
「あ〜やっぱエルナ最高だわ〜」
「エルナぁっ!」
「いはいです、ねぇしゃま……」
すぐさま2人を引き剥がし、妹の両頬を軽くつねる姉。その騒ぎに窓際に佇み見守っていた傍観者もたまらず茶々を入れた。
「相変わらず仲良いよなぁお前ら。でも、そろそろ約束の時間だぜ?」
「あぁそうか……って、あれ?ティナのやつ、どっか行ったのか?」
「先生から頼み事引き受けたみたいでな、後から合流するって言ってたぞ」
「なるほどな、じゃあさっさと行こうぜ!」
「はい。そうですね。では──」
「じゃあ、お先!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
リヒトは窓から身を投げ出しながら飛翔魔法を発動させ飛び立った。それを追うように階段を駆け降りるエイルとゆっくり歩いて校庭へ向かうエルナとフィン。
校庭に着くなり各々詠唱を初め、飛翔魔法を発動させた。風の膜が彼らを包み、一陣の風のごとく飛び立つ。
学生たちの喧騒が耳に残るが、それもすぐに風音に溶け夕陽へと消えていった。だだっ広い草原を越え、眼下に古い街並みが広がっている。赤茶けた屋根瓦が続く迷路のような街路、夕闇に脈打つ灯火。だが、その旅もほんの僅か。景色を楽しむ暇もなく目的地へと降り立った。
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