第9話 薔薇の庭園②



 それから、イルはそれこそ本当のい犬の様にガヴィの側でごした。

 六日目の夜には、こわがって近寄ちかよらなかった部屋付きの侍女じじょがやっと「どうぞ」とふるえた声ではあったが対面で食事の皿を差し出してくれた。


 そして七日目の朝、


「よし! 散歩に行くか!」


 ガヴィは無駄むだにわざとらしい大声で周りに聞こえる様に言うと、イルの手綱つなを持って歩きだした。


 執務室しつむしつを出るとしろに来た時の回廊かいろうではなく、執務室しつむしつおく通路つうろけてステンドグラスが美しい階段かいだんりる。

 しばら廊下ろうかを行くと外の通路つうろに出るとびらがあり、外に出ると朝の気持ち良い光がイル達をさした。

 アルカーナの王城おうじょうは本当に美しくて、どこにいても花や木がえられており気持ちが良い。

 外の回廊かいろうは庭園に面しており、もうしばらく行くと生けがきかこまれた薔薇園ばらえんき当たった。薔薇ばらの中からは何やらにぎやかな声が聞こえる。


(この声――!)


 ハッとして声の方に耳を向けるとガヴィが殊更ことさら大きな声で言った。


「よし! アカツキ! この辺で散歩でもすっか!」

「――え?! アカツキ?!」


 バタバタと足音が聞こえたかと思うと、薔薇ばら垣根かきねにあるとびらが開き、小さなかげが飛び出してくる。

 後ろからはあわてた様子でお待ち下さい殿下でんか! と叫ぶ侍女じじょの声がする。

 薔薇ばらの庭園から飛び出してきたのは、

 アルカーナ王国第一王子、シュトラエル・リュオン・アルカーナ。その人であった。


「アカツキ!!」


 シュトラエル王子はイルの首筋くびすじに飛びついて来た。

 その全身からあふれ出るよろこびを感じて、イルもうれしくなって鼻を鳴らす。

 ぎゅうぎゅうとイルを抱擁ほうようする王子に侍女じじょはオロオロとガヴィに助けを求める視線しせん寄越よこした。


「問題ない。危険きけんはねえよ」


 つなも持ってるしな、とガヴィは首輪からつながっているくさりを持ち上げてみせた。


「アカツキ! おしろに来られたんだね! うれしいよ!

 ……ガヴィ! 有難ありがとう!」


 はじけるような笑顔でガヴィに礼を言う。

 そんな王子の笑顔を見て、ガヴィも満更まんざらではなさそうな顔で「よろこんでいただけて恐悦至極きょうえつしごく」とわざと芝居しばいがかった礼をした。


「……シュトラエル?」


 薔薇ばらの庭園からもう一人の人物が顔を出した。


「あら、レイ侯爵こうしゃく

「アグノーラ様、おはよう御座ございます」


 流石さすがのガヴィもこうべれて挨拶あいさつしたその人は、シュトラエル王子の母にしてアルカーナ王国の母、アグノーラ王妃おうひであった。



「母上! アカツキです! ガヴィがアカツキを連れてきてくれました!」


 ほほ紅潮こうちょうさせて王妃おうひる。

 アグノーラ王妃おうひやさしくシュトラエル王子を受け止めた。


「森で貴方あなたを助けてくれたあのおおかみですね?

 毎日アカツキのお話をしてくれていたものね」


 キラキラと目をかがやかせるが子に目を細めると、王妃おうひはガヴィとイルの方を向いて「そちらに近づいてもよろしいかしら」と聞いた。

 ガヴィは改めて「この黒狼こくろう危険きけんはなく、安全はこのガヴィ・レイとアヴェローグ公爵こうしゃく保証致ほしょういたします」と王妃おうひちかった。

 王妃おうひうなずくと優雅ゆうがな足取りでイルの側までやってきた。


「アカツキ、シュトラエルの母、アグノーラと言います。先日はシュトラエルを助けてもらい、本当に感謝かんしゃしています」


 そう言って微笑ほほえみ、こわがらずにイルの首筋くびすじでてくれた。

 イルのむねはドキンドキンと音を立て、喜びに打ちふるえた。

 そしてこの王子にやさしい王妃様おうひさまをあっという間に好きになった。


「……シュトラエル、薔薇ばらの庭の外で長居していてはみな困ってしまいます。そろそろ戻りましょう」


 ね? と王子をうながすが、王子は顔をくもららせた。


「で、でも……今やっと会えたのに……」


 王妃おうひは王子の小さな手をにぎるとガヴィの顔を見て、


「レイ侯爵こうしゃく、お時間がありましたらご一緒いっしょにこちらでお茶でもいかが?」


 と言って王子をよろこばせた。




 薔薇ばらの庭園は、王妃おうひ個人こじん庭園で国王一家の居住区である宮殿きゅうでんから続きになっており、ぐるりと庭を薔薇ばらいばらが囲んでいる。

 その内側には基本的に王家の者しか入れないのだが、個人的こじんてきに客人を招くこともあった。

 国王の親戚しんせきであるゼファー・アヴェローグ公爵こうしゃくや国王や王子と親交の深いガヴィはりと頻繁ひんぱんに王家の庭園にお邪魔じゃましている。

 今ほども、薔薇ばらの庭園内にある東屋あずまや王妃おうひと王子は遅めの朝食をとっていたらしい。


侯爵こうしゃくも知っていると思いますが、陛下へいかとアヴェローグ公は本日すでに公務があり不在なのです。

 こちらの紅茶こうちゃはこの庭園の薔薇ばらで作ったものなのですよ。お口に合えばよろしいのですが」


 そう言って微笑ほほえんだ王妃おうひは、さながら朝日を浴びて開いた薔薇ばらの女王の様であった。

 北の避暑地ひしょちでも王妃おうひには一度会っているのだが、あの時は自分も泥々どろどろ王妃おうひとも距離きょりを取らされていたため、きちんと対面したのは初めてだ。


「……レイ侯爵こうしゃく、アカツキ。改めてお礼を言います。避暑地ひしょちでシュトラエルを救って下さった事、本当に感謝かんしゃしています。

 侯爵こうしゃくがおられなかったら……今ごろシュトラエルはここにはいなかったでしょう」


 そう言って二人に頭を下げる。

 これには流石さすがのガヴィも恐縮きょうしゅくしてしまった。


「とんでもありません。自分は当然の事をしただけですから。

 ……そうですね、功績こうせきが大きいのはどちらかといえばコイツでしょう。

 夜の森の中、アカツキが王子を温めていてくれなかったらと思うとゾッとします。雨も降ってましたし低体温で力きる可能性かのうせいもありましたし」


 イルはビックリした。

 ガヴィが敬語けいごしゃべれることにもおどろいたが、イルに対してそんな事を思っていたとはゆめにも思わなかったのだ。


「ふふ……シュトラエルが貴方あなた護衛ごえいにと駄々だだをこねた時はどうしたものかと思いましたが……が子ながら人を見る目があったのですね。結果、自分の命を守ることとなった。

 ……アカツキ、貴女あなたも本当に有難ありがとう」


 イルはタシタシと尻尾しっぽを地面に打ち付けた。


「王子とは一緒いっしょに虫をる約束をしていたんでね。遊びの趣味しゅみが同じなんです」


 ガヴィはそう言って少年の様に笑った。

 ガヴィはそうやって笑うと一気に目が無くなって顔がおさなくなる。

 王妃おうひもそんなガヴィに目を細めて笑った。




 ここでの会話で王子誘拐事件ゆうかいじけんのあの日、ガヴィは元々護衛役ごえいやくでなかった事を知った。

 避暑地ひしょちに行った王子が虫取りの約束を思い出し、ガヴィを呼びたいとめずらしく駄々だだをこねたのだ。たまたま手の空いていたガヴィは魔法使まほうつかいからの魔法まほうでの連絡れんらくを受け、王子らから数日おくれて護衛兼ごえいけん遊び相手として避暑地ひしょち入りしたらしい。

 王子は自分の判断はんだんもお気に入りの剣士もアカツキもめられて、とてもほこらしい気持ちになった。


「……母上、あのね?

 ……アカツキのくさり……外してもいい?」


 上目遣うわめづかいで母にお願いする。

 王妃おうひが子の可愛かわいいお願いの仕方にき出した。


貴方あなたは、本当にお願いが上手なのね?

 ……確かにくさりつながれたお友達なんておかしいものね」


 そう言ってにっこり笑った。

 シュトラエル王子は王妃おうひの言葉に飛びねて喜び、アカツキのくさりを外してもらうと、ひとしきり二人で庭を走り回った。


 その後、遊びたおした王子はおねむになり、アカツキとお昼寝ひるねするとごねたが、流石さすがに王家の居住きょじゅうする宮殿きゅうでんに上がるのは国王陛下こくおうへいかゆるしを得てからにしようと執務室しつむしつに帰った。

 王子は「明日も遊ぼうね!」と言うのはわすれなかったが。




 その日、イルは上機嫌じょうきげんだった。


 シュトラエル王子には再会さいかいできたし、アグノーラ王妃おうひにもやさしい言葉をもらえた。

 しかも明日からは会おうと思えば王子に会えるのだ。

 あの悪夢あくむの様な出来事できごとのあった日から、初めて笑えたような気がした。

 人の姿すがただったなら、鼻歌でも歌いたいところだ。

 浮足立うきあしだつイルの様子を見て、ガヴィは苦笑した。


「……お前、本当に王子が好きなんだな」


 イルはご機嫌きげんで小さくえて答えた。


「ハハ……素直なヤツ」


 いつものようにちょっと小馬鹿こばかにしたように笑われたけれど、その直後「良かったな」と小さく言われたのでイルの機嫌きげんはそのままだった。


(……ガヴィが色々考えてくれなかったら、王子に会えるのはもっと先になっていたよね。

 ……ガヴィに、いつかなにかお礼がしたいなぁ……)


 少し先を行くガヴィの背中に、イルは素直にそう思った。


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