【🎉カクコン10参加用編集版🎉】アルカーナ王国物語〜赤毛の剣士と夜明けの狼〜

第一部 赤毛の剣士と夜明けの狼

第1話 森の中の出会い①

　前がぼやけて見えにくい。

　しかし落ちてくる雫（しずく）も黒狼（こくろう）の姿では拭（ぬぐ）うこともできぬ。

　何人かの兵士（へいし）とすれ違（ちが）ったけれど、黒狼姿（こくろうすがた）のイルを気に留（と）める者は誰（だれ）もいなかった。

　本当は、敵（てき）の兵士（へいし）に噛（か）み付いてやりたかったけれど、反撃（はんげき）されればイルではすぐに負けてしまう。それでは父との約束を果たせない。

　今出来ることは、一刻（いっこく）も早く里を抜けることだ。

　イルは混乱（こんらん）した頭で一心不乱（いっしんふらん）に里を駆（か）け抜けた。

　今まで里の周りは自由に動き回っていたが、森の外には出たことは無い。

　どこに向かって走ればいいのか皆目（かいもく）見当もつかない。

(逃（に）げなくちゃ……でもどこへ？)

　目立たぬ様に首にかけられた細身の銀（ぎん）の鎖（くさり）。

　変化（へんげ）の力を封（ふう）じるための魔法（まほう）がかかったこの鎖（くさり）を故意（こい）に外さなければ人語（ひとご）も話せぬただの黒狼（こくろう）。

　黒狼（こくろう）としてなら、この森の中でも暮（く）らしてゆけるだろう。

　でも。

　疾走（しっそう）していたイルの走りはどんどん失速し、とうとうその歩みを止めて森の中で立ち尽（つ）くした。

　……でも。

　私は黒狼（こくろう）じゃない。

　黒狼（こくろう）に変化（へんげ）できるだけのただの人間。

　野生での生き方なんて知らない。

　家があって、布団で眠って。

　何にもまだ知らない、たった十四の女の子。

　ポツポツと雨粒（あまつぶ）が落ちてきて毛並を濡（ぬ）らす。

　強くなる雨音はイルの心そのものであった。

　森の闇（やみ）がどんどん深くなり、飲み込まれてしまいそうな錯覚（さっかく）に陥（おちい）る。

(このまま飲み込まれて消えてしまえればいいのに)

　さっきまで生きなければと思ったのに、真逆の思考が頭の中を支配する。

　イルはか細くクルルと喉（のど）を鳴らした。

「ヒッ……」

　微（かす）かに、暗闇（くらやみ）の中から声が聞こえた。

　雨足（あまあし）は段々と強くなり、時折雷鳴（らいめい）が響（ひび）く中、イルは慎重（しんちょう）に声がした方へ近づいた。

　ゆっくりとした足取りで闇（やみ）の中を探ると、大きな木のうろに隠（かく）れるように五〜六才の男の子が震（ふる）えている。

　男の子はこんな森の中に不釣（ふつ）り合いな、派手（はで）ではないが品のいい服装（ふくそう）をしており、この辺りの村の子どもでないのは一目瞭然（いちもくりょうぜん）であった。

　明らかに貴族然（きぞくぜん）とした子どもであるのに、こんな雨の降りしきる森の奥で唯一人（ただひとり）震（ふる）えている事は不自然極（ふしぜんきわ）まりない。

　男の子は突然現れた黒狼（こくろう）に恐怖（きょうふ）で顔を引き攣（つ）らせながら、寒さか恐怖（きょうふ）か、どちらもか、ガタガタと震（ふる）えてイルを見つめていた。

　その姿に胸が詰（つ）まる。

　雨の中に二人きり。

　取り残された子ども。

　誰（だれ）なのか、全く解（わか）らないけれど。

　まるで自分を見ているようで、イルはゆっくりと近づいた。

「……こないで……！！　食べないで……！」

　子どもの顔が恐怖（きょうふ）で歪（ゆが）む。

(……怖（こわ）がらないで……大丈夫だよ)

　震（ふる）えながら縮（ちぢ）こまった子どもの頬（ほほ）を、怖（こわ）がらないように慎重（しんちょう）に近づき舐（な）めた。

　ペロペロと頬（ほほ）を舐（な）める温かい感触（かんしょく）に、男の子はびっくりしてイルの顔を凝視（ぎょうし）した。

「……食べないの？」

(食べないよ)

　返事の代わりに頬（ほほ）をもうひと舐（な）めする。顔を男の子に擦（す）り寄（よ）せると男の子は体の強張（こわば）りをやっと解（と）いて、おずおずとイルの身体を撫（な）でてきた。

「「………」」

　二人とも無言だったけれど、雷鳴の轟（とどろ）く中で、お互（たが）いの温もりがもう一人でない事を知らせていた。

　ぎゅっとお互（たが）いを抱（だ）きしめる。

　まるで自分を抱（だ）きしめるみたいに。

　また、雷鳴（らいめい）が轟（とどろ）いたけれど、イルはさっきよりも怖（こわ）くはなかった。

　＊＊＊＊＊　　＊＊＊＊＊

　嵐（あらし）が去り、木の葉の隙間（すきま）から朝の光が零（こぼ）れる頃、

　ガサリと草を踏（ふ）む気配がしてイルは低く唸（うな）った。

「……オーカミさん？」

　イルの身体（からだ）で暖（だん）を取り、すっかり温まっていた男の子は目を擦（す）りながら体を起こす。

(誰（だれ）か来る！)

　段々（だんだん）と近づいてくる足音に、いつでも飛びかかれるように更に態勢を整えグルルと唸（うな）る。

　低木（ていぼく）をかき分けて、剣（けん）を持った赤毛の男が現れた。男は黒狼姿（こくろうすがた）のイルを視界（しかい）に入れるとすぐさま剣（けん）を構（かま）える。

　イルは深く唸（うな）ると男に飛びかかろうと、より態勢を低くした。

「！　オーカミさん！　ダメッ！」

　飛びかかる瞬間（しゅんかん）、男の子がイルの首にしがみつきイルを止める。

　イルはびっくりして男の子を振り返った。

「王子！　無事か？！」

　赤毛の男はイルの背後に男の子を認（みと）めると、剣（けん）を下げて殺気（さっき）を消した。

(王子？！)

　イルが驚（おどろ）いている間に、男の子は抱（だ）きついていたイルの首から手を離（はな）し男に駆（か）け寄（よ）る。

「ガヴィ！！」

　王子と呼（よ）ばれた男の子はぱっと表情を明るくすると、なんの恐（おそ）れもなく剣士の胸（むね）に飛び込んだ。

「わりぃ……王子、遅（おそ）くなっちまったな。

　よく頑張（がんば）ってくれた」

「大丈夫、きっと来てくれるって信じてたから！」

　それに……

　と男の子はイルを振（ふ）り返る。

「オーカミさんが居（い）てくれたから大丈夫だったよ！」

　そこで初めて剣士と目があった。

　ガヴィと呼（よ）ばれた剣士は年の頃（ころ）は二十代前半だろうか、剣士としては少々細身な気もしたが、すらりと背が高く、派手（はで）では無（な）いが精悍（せいかん）な顔立ちをしていた。

　それよりも目がいったのは、彼の頭髪（とうはつ）が見事な赤毛で、森の深い緑の中でそこだけが燃えているように目立った。

　先程（さきほど）まで一触即発（いっしょくそくはつ）の空気であったのに、王子に向ける笑顔は人好きのする顔で、王子に軽口を叩（たた）く様は家臣とは思えぬ気軽さだ。

　イルはポカンと口を開けたような気になった。

「……でね！　オーカミさんがずっと側にいくれたんだよ！」

　経緯（けいい）を一生懸命（いっしょうけんめい）剣士に話す声にハッとして、再び剣士に視線（しせん）を向けるとカチリと剣士と視線（しせん）が重なる。

「ふーん……、ただの狼（おおかみ）が王子を喰（く）わずに助けるはずがねぇ。

　黒狼（こくろう）の中には精霊（せいれい）のたぐいもいると言うから、この黒狼（こくろう）もそうかもしれねえな」

　剣（けん）を鞘（さや）に納（おさ）め、すっとイルの前で屈（かが）む。

「……ありがとな。正直な所、助かったわ！」

　先程（さきほど）までの殺気（さっき）が嘘（うそ）のように目を細めてニッと剣士が笑う。

(……おひさまみたいに笑うんだな……)

　イルは赤毛の剣士――ガヴィをそう印象（いんしょう）付けた。

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