駆けていく ビニール傘をくれた君 ときめきなんて 信じないから


「大野さん!」


 ぱらぱらと、降り注ぐ雨の中に数歩踏み出した時、後ろから声が掛かった。

 

 あれ、紀本君、どうしたの?


 聞く間も無かった。


「あのっ、これ使ってください。お疲れさまでしたっ!」


 彼は、私にビニール傘を押し付けると、瞬足で雑踏に消えていった。


 ありがとう……すら言えなかったよ。

 

 見た目はよくあるビニール傘。

 でも、手にしてみると分かる。

 少し大きめで、丈夫な骨組みの、強風にも負けなそうなしっかりした傘。

 それが今、私を守っている。


 雨は、ザーザー降りに変わった。

 紀本君、びしょ濡れになっているんじゃないだろうか。


 ドキン……


 胸が痛んだ。……んだよね。

 今のは、ときめいた訳ではない。


 紀本君は入社3年目の24歳。

 最初は営業部に配属されたが提案力が買われて、今年の春に我がマーケティング部に異動してきた。

 情報学部で統計学を専攻してきた紀本君はデキる子だ。

 職場では眼鏡越しの厳しい表情が多いけれど、今日はどこか違ったな。

 

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