動き出す
(一)
一夜明け、翌日・
見上げた曇天は今にも泣き出しそうだった。
集めた郷人たちが金槌など大工道具を振るい、互いに呼びかけあう声を聞きながら。焼け焦げた狛犬に凭れかかり、伊織はあくびを噛み殺す。
秋の遅い夜明けを待ち、外が白み始めた頃合いを見て、伊織は昨夜訪れたばかりの廃神社へ郷人を伴い、再び足を運んだ。昨夜捕縛した連中は否定していたが、必ずやこの廃神社に騙し取った金品を隠していると、彼の勘が騒いでならない。
「伊織様。拝殿、左右の翼殿の床下には何も見当たりませんでした」
「そうかあ……、残るは本殿、じゃな」
「はっ。引き続き調べまする」
頼む、と言い終わらぬうちに、あくびがまたひとつ。
社へ向かいかけた、奉行所で働く郷人が、だらしないと言いたげに眉を寄せかける。
「……随分とお疲れのようで。本日は氷室御前もご不在みたいですし」
「昨夜ひと仕事した上で互いに一睡もしておらんからの。あれも疲れて寝ておるわ」
「…………」
今度こそ郷人は呆れ顔を隠しもせず伊織を二度見し、社へ向かう。伊織は彼に広い背を向け、舌を出す。
氷室が聞いたなら足を踏まれるだけでは済まない発言、しかも思いきり嘘をついたのだが、このくらい言っておいた方が
「本殿の床下にもないのか?!」
「ああ!床板を外し、隅々までくまなく調べたが見つからん!」
「床下が駄目ならば、天井裏は……」
「あんな高い場所にわざわざ隠す奴がいるかよ!」
「儂もそう思うのう」
いつの間にか、しれっと本殿の中に入ってきた伊織に驚き、言い合っていた郷人や奉行所の者たちはその場から半歩ずつ下がった。床板があちこちめくられた本殿の床を、伊織はぐるり、見渡したあと、最奥のご神体──、伊織の腰ほどの大きさをした、垂れ髪の女神を象る神像をじっと見つめる。
「伊織様?」
「このご神体、
「そうですか?特に気になりませんが」
「気になるのう。めーちゃくちゃ気になるのおおぉぉーーう」
伊織はじりじり、ご神体ににじり寄り、手を伸ばす。
「伊織様っ!何をなさる?!」
「ご神体の下にないか」
「ご神体がある辺りの床下も調べましたがっ?!」
「違う。床下じゃない」
「伊織様!おやめください!罰が当たりますよ!」
「罰?神罰など」
止め立てようと伸びてくる複数の手を避け、伊織はご神体を持ち上げる。
「
「…………」
持ち上げたご神体を傍らへ置く。
周囲が呆然と見守る中、ご神体の下の敷物を持ち上げ……、ようとして、手を止める。
「重い。あと、感触が固い」
敷物を裏返してみると、明らかに切り裂かれ、雑に縫い合わせてある。その縫い目の隙間から鈍い輝きが。感触から察するに──、敷物を片手で掴んだまま、もう片方の手で懐から女物の短剣を取り出し、思い切って切り裂く。
ジャラジャラジャラ、チャリン、ジャラジャラ──
切り裂かれた箇所から、金・銀・銅、様々な貨幣が次々零れ落ちてきた。
「どうやら、儂より罰当たりな者がいたようだ。昨夜捕えた者たちを改めて尋問せよ。吐かせた内容次第では御館様に直接報告せねばならぬ」
(二)
時同じ頃。
通称・お救いの小屋と呼ばれる古い屋敷(というには、あちこち痛みが目立ち、あばら家に近いのだけれど)に一人の女が運び込まれていた。
「今朝方、ここの垣根の前で行き倒れてたんだ」
「うわ、こりゃあ、ひでぇなぁ。
袖や裾から伸びる痩せた女の手足には独特の斑点が浮いている。破れの目立つゆったりと身丈のある小袖、組み紐の帯という出で立ちは遊び女の類いだろう。
頭皮は脂ぎっているのに、毛先がばさばさに痛んだ髪で顔が隠されているのは、斑点が顔にまで拡がっているためか。
お救いの小屋に運び込まれた者は老若男女関係なく、まずは適当な部屋へ次々と雑魚寝させられるが、この女に限っては別室にただ一人だけ隔離されることになった。
元は寝具でも置いてあったのだろう、狭い物置部屋に寝茣蓙を敷き、女は横たえられ。薄い
去り際に、「多分、口にする余力などないだろうが」と芋と雑穀の粥を枕元に置いていく。
人の気配が部屋の前から完全に消えると、瀕死だった筈の女、もとい、氷室は音もなく機敏に起き上がった。傍らには小さな碗に入った芋と雑穀の粥。作ってまだ時はそう経っておらず、湯気と共に漂う匂いに食欲がそそられる。
飯粒一つ、芋の欠片一つ残らず食べてしまいたい気持ちをぐっと我慢し、碗から顔を逸らす。今日明日をも知れぬ身の者が飯を平らげるどころか、口をつけるなど有り得ない。
碗に口をつけてしまったら、襤褸をまとい、髪を汚し、顔にも身体にも特殊な化粧を施してまで潜入した意味がなくなってしまう。
今はまだ運び込まれた直後で日も明るい。行動を起こすなら、夜。
氷室は、自分をここまで運び込んだ者たちの様子を思い返してみる。
特に不審に思う点はなかったが、あえて気になるとすれば、彼らの言葉に南条の土地訛りを感じたことか。
氷室が南条訛りを聞き違えるなんてことは絶対有り得ない。
なぜなら、氷室は幼き頃に乱取りの果て、南条直属の忍びの家へ売られ──、八年前まで南条家に仕える忍びの末端だったから。
だが、当時の尾形との交戦中、紫月の右腕左腕となる家臣を一人でも討ち取るため御陣女郎に紛し、陣屋に潜入。伊織の暗殺を謀ったものの、失敗──、なのに、殺されるどころかなぜか気に入られ、表向きは彼の愛妾、その実、無二の腹心じみた立場として今に至っている。
忍びになるための地獄の修練(ついてこれなければ粛清される)、なったらなったで死と隣り合わせの任務を課せられ。南条での日々は常に気が休まらず、生き抜くだけで精一杯。すべての感情を凍らせ、ひたすら無機質でいようとしていた。
対して、伊織の下、尾形領で過ごす日々の穏やかさときたら!
時折は戦も起きるし、此度のような任務も課せられることもあるけれど。今は、
南条領へ売られるまでの、本当の自分の国、自分の家、自分の名はすべて失ってしまったが、伊織の(形だけの)愛妾・氷室御前として尾形領で暮らすのも存外悪くない。
悪くないからこそ、この国を守っていきたい、と思うし、暮らしを奪わんとする者には容赦する気はなかった。
(三)
雨こそ持ち堪えているが、空は相も変わらず一面濃灰に染まったまま。少しずつ、夕刻に近づきつつあった。
伊織は稲刈り後のわびしい田園拡がる畦道を、扇子をばちばち、やたらと開閉させながらひとり行く。その先にある、祭りや集会などを行うための開けた土地へ、そこにいるであろう
木枯らしが強く吹き、風に怯え、逃げ惑うように枯葉がゆらゆら、流されていく。
今日も郷の男衆を集め、戦を想定した樹による戦闘訓練(彼が領内を回り続けるのは、紫月の命で半農半兵の者への剣術及び実戦訓練を行うためなのだ)があるため、畑仕事は女子供だけで行っている。
彼ら彼女らは、伊織の姿を認めると軽く頭を下げたり、手を振ってくれる。やや照れくささを覚えながらも、伊織も手を振り返す。
そうして、目的地に近づくにつれ、野太い叫び声や悲鳴、剣戟が秋風に乗って伊織の耳へと届きだす。
田畑と畦道が切れ、目的地の開かれた土地に辿り着く。
剥き出しの地面には、郷の男衆が大勢倒れ込み、刀や槍など武器もあちこちに転がっていた。
死屍累々(死んではいないが)の中心で、木刀片手に樹は息ひとつ乱さず、手拭いで汗を拭いていた。初冬だと言うのに小袖を上半身だけ脱ぎ、逞しい体つきが露になっている。
「あれ、伊織」
「みぃ殿」
自分の背丈と変わらない大きさの杖を手にした
「お前ら、少し待ってろ」
樹に言われるがまま、しばらく待っていると、着物を整えた樹が伊織とみぃのそばまでへ駆け寄ってきた。
「みぃ。ちょっとそこらへんで突きの練習してこい。俺の目が届く場所でな」
「ん。わかった」
反発するかと思いきや、大人二人のただならぬ空気を察したらしい。
みぃは素直に頷き、二人の声が聞こえない程度に離れた場所まで移動した。
「で、わざわざこんな場所まで来たってこたぁ、南条の残党の話か?」
「昨夜の連中が賭博で騙し取った金品が、やはりあの廃神社で見つかってのう。証拠を突きつけてやって初めて、連中は認めたわ。地元の郷人からも金品を奪ったが、一夜の寝床代わりに廃神社に立ち寄った旅人や行商人などからも奪ったとも。この郷の近くには二つ、城下町へ続く大きな街道があるじゃろう?旅人が宿場町に宿に泊まれないこともざら。いかに襤褸でも、最低限の雨風凌げて野犬からも身を護るにはあの廃神社はうってつけの場所じゃろ?」
「ケチなやり口だな。しょうもねぇ。……で、お救い小屋の方は?」
「あちらはまだ調べている最中じゃ」
伊織にしてはそっけない物言いに、樹は首を傾げた。
しかし、いつもは伊織のそばに控えている氷室の不在に、ああ、と納得の声を上げる。
「ひでえ
「儂もそう思う」
「で、俺は何を協力すりゃいい?」
「察しがいいのう」
「けどよ、ただ働きだけは勘弁しろや。こっちにもよく食うガキがいるんでな」
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