目覚めと疑心

 コトコト、コトコト。


 鍋から漂う匂いにつられ、は囲炉裏の傍へそろそろ寄っていく。

 鍋の前には母と四つ上の姉の背中が並び、鍋を覗き込んでいる。母の膝には二つ下の弟も。二つ上の兄の姿は見えない。薪割りをしているかもしれない。


『おっかあ!おねえ!!』


 二人の間に飛び込むように割り入り、右手で姉、左手で母の腕を取る。


『ねぇねぇ、今晩の夕めしはなに、なに?匂いで当てよっかぁ!いもだろっ?!』


 わくわくしながら二人の腕を軽く揺すり、みぃは答えを待つ。けれど、母も姉も黙ったままだ。


『ちがうの?うーん、じゃあ豆かなぁ?』


 二人は一言も発しない。


『おっかあもおねえもなんで全然口利かないのさ。変だよぉ?ごろう弟の名前もなんにも言わないし!』

『み、みぃ』


 ようやく声を発した姉がみぃを、ちらと見下ろす。その顔は酷く怯え、しきりに母の顔色を窺っていた。不審に思った矢先、母はみぃの手を思いきり振り払った。


『おめぇ……、なあにめしの用意さぼってやがんだぁ?』


 振り払われた弾みで床に転がったみぃを、母は容赦なく足蹴にする。

 この辺りでようやく母は母でも亡き実母ではなく、二年前に嫁いできた継母の方だと気づかされた。


 おとなしく優しかった実母と違い、継母は気性の激しい女だった。

 その癖、要領が良く周囲への立ち回りが上手いため、周囲の者は皆、実父すらも継母の言いなり。男手の兄と弟への当たりはきつくなかったものの、その分、姉とみぃに対しては下僕同然の扱い。

 実母に似て従順な姉よりも、はっきりした性格のみぃと継母との相性は特に最悪であった。


 黒目がちな瞳、品のある顔立ち、日に当たっても焼けない白い肌など、みぃは赤貧農家の子とは思えぬ整った容姿を持つ。

 継母はみぃの容姿に対する妬みも強く、『色白なのは仕事をサボってるからだ』と何度詰られたことか。継母のこの言い分を他の郷人で信じてしまった者も多々いる。


 冗談じゃない。


 朝は家族の誰より早く起きて井戸端で水汲みを、夜は未明近くまで内職して誰よりも遅く寝ていたのに。


 姉が家に居た頃はまだよかった。一緒に辛さを分かち合えていたから。

 その姉も半年前、継母によって強引に隣

 の郷の家へ嫁がされた。そして、数日前、みぃはあの女衒に売られてしまった。


 これは確実に悪い夢の中。


 義母の蹴り足を床で這って避けていると、芋の匂いが米の匂いへと変わっていた。米に混じって青臭い臭いも漂ってくる。


 おなか、すいたなぁ。

 起きて食べなきゃ。早く起きないと──







「おはよう。やっと目が覚めたね。君は二日も意識を失くしてたんだよ」

「……だれ」


 視界に飛び込んできたのは、無造作に肩までの黒髪を下ろす、糸のような目をした……男?女?

 男にしては細いような、女にしてはごついような……、判別し難い。


「起きられるかな?というか、起きて。寝たまま食べさせたはいいけど、変なところにつまらせたら嫌だし」


 みぃが謎の人物をさりげなく観察する隙に、手伝うよ、とそっと背中から抱き起こされる。

 身体はともかくまだ熱を持つ顔の左側に響く。


「はい、よくできました」


 声音と背中を支える掌の大きさに、あ、男かと悟る。

 見知らぬ人間なのに警戒心が湧かないのは、どことなく中性的な雰囲気のせいか。単純に身体が弱っているせいか。


 枕元には湯気が立つ碗が一つ。白と緑が混ざり合う粥に思わず唾を飲み込む。


 そのまま少しずつ、ゆっくり運ばれる粥を口に含む。美味しそうな匂いに反し、やけに青臭さと苦みの強い味にうっとなる。


「絶対吐かないでね。貴重な薬草使ってるし。吐いたら即叩きだすから覚悟してね」


 見えているのかすら謎な細目が楽しそうに見える。実は嫌な奴かも。

 でも、今は絶対叩き出されるわけにはいかないので、苦みの強い粥を無理やり飲み込む。


「そうそう、良い子!美味しくはないけど滋養があるし、体力を早く回復させなきゃ」

「……ぜ、全部食わなきゃだめ?」

「全部っていっても碗の半分もないよね?」


 糸目の男の笑顔は穏やかだが、残すのは許さないという圧も強く感じる。

 ほとんどやけっぱち気分で差し出された匙を咥え込む。


「今更だけどおにいさんは誰なの。あの、ぼさぼさの格好の、やたら強い髭のおっちゃんは」


 吐きだしたいのを何度も堪え、時間をかけて頑張って粥を平らげると、碗を片付けようとしていた糸目の男へ問う。


「おにいさんとは嬉しいなぁ。でも俺、こう見えて来年四十しじゅうでねぇ」

「しっ……?!おっとうより年上……」

「ちなみに君を連れてきた奴は俺より若いよ?」

「うっそ……!」

「ああ見えて三十五……、三十六だったかな?人は見かけによらないよねぇ」


 肯定の意で、ぶんぶん頭を縦に振れば、火傷痕に響き、呻く。


「あぁ、まだ名乗ってなかったね。俺は周。連れてきた男は樹」

「あまね、たつき」


 口の中で二人の男の名を何度か繰り返しつぶやく。


「君の名前は」

「…………」


 本当の名前か、適当な偽名を名乗るか。

 周の微笑みを不信感を込めて無言で睨む。

 我ながら分かりやすいくらい、警戒心丸出しなみぃの返事を周は静かに待っている。


「みぃ。あたいの名前は、みぃ」

「みぃちゃん、ね。かわいらしい名前だねぇ」

「別に。三番目に生まれたからこの名前になっただけだし」


 ぷくっと片頬をふくらませ、みぃは周から徐にそっぽを向く。が、すぐに真面目な顔で向き直る。


「ねぇ、周」

「え、いきなり呼び捨て??まぁいいけど」

「周と樹はあたいをどうする気なの。火傷が治ったら女郎屋に売り飛ばすの」

「それだけは絶対にないから安心して」

「顔に火傷の痕が残るから?不細工な火傷痕あったら売り物にならないもんね」


 それを承知で自ら顔を焼いたのだ。

 辛くないと言えば嘘になるが後悔はない。


「うーん、そうだけどそうじゃないよ」

「じゃ、どうする気なの。このまま周のうちにいさせてくれるの」

「ずっとは無理だよ。でも必ずこの郷で暮らせるようにはするから」

「どうやって?あたいなんかと暮らしてくれる人なんているの?」

「いるさ。この郷はそういうところだから」


 警戒と共に周の目と口元を何度も見比べる。

 顔色を窺うのは得意だ。継母で慣れてる。

 ただ、この人は本心が掴みづらい。

 悪い人じゃなさそうだし、言葉に嘘はないと信じたいが、ちょっと胡散臭い気もする。


「まぁ、その辺は追々考えていけばいいことであって……、みぃちゃんは火傷をしっかり治すことに専念すべき。あぁ、そうそう。もう少し火傷が回復したら、外へちょっと散歩に出ようか。みぃちゃんに見せたいものがあるし」

「なにそれ」


 あからさまに訝しむみぃへ、周の唇がにぃっと弧を描く。


「樹の秘密。といっても、郷の人たち……、否、ここ尾形領の貧しき領民なら大体知ってることだけどね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る