第47話 偽りの道

 静けさを取り戻した闘技場内は、魔物たちの残した金塊によって眩い光を放っていた。


「そんな……私の可愛い子たちが……全滅……」


 目も眩むほどの大量の金塊を前に、イリスは力なく項垂れて呆然と呟く。



「イリスさん……」


 応急手当をした姿が痛々しいロイが、悲しげな表情でイリスの前に立つ。


「約束です。侯爵という立場にあるあなたが、この国に仇なす理由を話してもらえますか?」


 ロイからの質問にイリスは力無く頷くと、ぽつぽつと話し出す。


「…………私は、イリス・ブルローネなんかじゃない。本当の名前は、ヴィオーラ・ゼルトザーム。この国の公爵だったゼルトザーム家の嫡子よ」

「ゼルトザームってどこかで……」


 記憶の片隅に引っ掛かった名前に、ロイは小首を傾げる。


「前に私たちがこの国を訪れた時に、アークデモンに化けていた人の名前でしょう」


 すると、すかさずエーデルからフォローが入る。


「あの事件の後、残った家族は国外追放になったと聞いたからそれが本当なら……」

「ええ、私はそのゼルトザーム家の生き残り、というわけよ」



 ※


 イリスこと、ヴィオーラ・ゼルトザームの人生は、くだらない権力争いによって全てを台無しにされた。


 全ての始まりは当時、まだ伯爵だったブルローネ卿が、魔物を操る薬を開発している時に、人間を魔物に変える薬を発明したことだった。


 この頃の魔物闘技場は、冒険者たちが外で捕まえてきた野生の魔物たちを薬で服従させて戦わせていた。

 それ故、最初から手負いの魔物がいたり、捕まえる冒険者たちが度々命を落としたりと、イマイチな集客の割にはリスクが高く、実りの少ない興行だった。


 しかし、薬の発明により、犯罪者を魔物に変えることでわざわざ街の外に出て危険を冒す必要もなくなり、リスクは一気に軽減された。

 薬に入れる魔物の血を変える事で、変身させる魔物もある程度自由に変えられることもわかった。


 お陰で闘技場に登場する魔物のバリエーションが格段に増え、それまで空席が目立った闘技場は徐々に客が増え、遂には連日満席になるようになった。


 闘技場の興行が上手くいくようになって収入が増え、それまで見向きもされなかった王族からも声がかかるようになり、全てが順風満帆のブルローネ卿だったが、そんな彼には目の上のたんこぶと呼ぶべき存在がいた。


 それは、当時の公爵家頭首、ゼルトザーム卿だった。


 ゼルトザーム卿は、長年フィナンシェ王国を支えてきた由緒正しい一族だった。

 ノブレス・オブリージュを信条に、民からの信望も厚く、王から絶対的信頼を得ていた。


 他にも不義を憎み、貴族にあるまじき行いをする不埒な輩を許さない事でも有名だった。


 そんなゼルトザーム卿が、闘技場では攫った人を魔物にして戦わせているという事実を知ったら、どうするかなんて火を見るよりも明らかだった。



 追及を恐れたブルローネ卿は、同じくゼルトザーム卿を目の敵にしていた当時侯爵のフロッシュ卿や、それと志を同じくする多数の貴族と共謀し、侯爵に一服盛る計画を立てた。


 ゼルトザーム家の使用人を金で雇い、魔物になる薬と、魔物を服従させる薬をゼルトザーム卿の食事に少量ずつ盛るように指示した。


 やがて、自身でも気付かないうちに身も心も壊されたゼルトザーム卿は、王に呪いをかける魔物へと変貌し、ロイに討伐される事となった。



 勇者としてこの国を訪れたロイの冒険はそこで終わったが、残されたゼルトザーム家の者に訪れた地獄は筆舌に尽くしがたかった。


「ゼルトザーム家の人間は、表向きには国外追放処分となったと言われているけど、実際は闘技場地下へ連れて行かれたわ」


 その目的は、ブルローネ卿が主導で行っている新薬開発のモルモットだった。


 どのような投薬をすれば、どんな魔物に変化するか。


 同じ種族でも、より強い魔物にする為にはどのような薬を与えればよいか。


 イリスたちは人でありながら、魔物同然の扱いを受ける事となった。


「家族が様々な投薬をされて自我を失い、人としての尊厳を失い、魔物となっていく様子を私は見ているだけしかできなかった」


 イリス自身も日々、投薬の副作用による激痛に苛まされ、いつか自分も家族と同じ運命を辿るのだろう……そう思っていたが、


「私はブルローネ卿のお眼鏡にかなったみたいで、人格を失う前に地下を出され、イリスという新たな名前を与えられたわ」


 目の前で家族が苦しんで死ぬ様を嫌というほど見て、又、ゼルトザーム卿の死の真相を知らなかったイリスにとって、ブルローネ卿の誘いは地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸だった。


 自分だけが助かったという後ろめたさもあったが、それ以上に地獄のような日々から抜け出せたことの喜びの方が大きかった。


 イリスはブルローネ卿に最大の感謝の意を伝えるとともに、彼からの求婚を受けて新たに侯爵となった彼の妻となった。



「ちょ、ちょっと待って!」


 話の腰を折るのは悪いと思いつつも、エーデルが慌てた様子で割って入る。


「話を疑うわけじゃないけど、それっておかしくないかしら? イリスさんぐらいの年齢ならとっくに社交界デビューしているはずだわ。名前を変えたところで、容姿がよっぽど変わらない限り、誰かに追放されたはずのゼルトザーム家の人間だと見抜かれるはずだわ」

「そうね。エーデルちゃんの言う通りね」


 イリスは小さく頷くと、ロイに向き直って質問する。


「ねえ、ロイ君。私って何歳だと思う?」

「え? 二十九歳ぐらいですか?」

「フフッ、女性の年齢をそこまで躊躇わずに言えるなんて、相変わらずロイ君はデリカシーに欠けるわね」


 諦観したように笑ったイリスは、かぶりを振ってロイの言葉を否定する。


「残念ながらハズレ、私は今年で十二になるわ」

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