魔法剣士の在り方
朽木 堕葉
二人の魔法剣士
埃にまみれた通路はやたらカビ臭い。遺跡の地下ともなれば、当然であろう。造られた年数など到底、人間で推し量れるものではない。
(誰かが踏み入った痕跡があるな……)
青年――ファーム=バスタードソードは、周囲を念入りに
大きさと歩幅からして、女性――もしくは、少年か。
いずれにしても、単独とは無謀な奴だとファームは断ずる。
それから少しだけ、無意識的に唇を曲げていた。どこか皮肉げなかたちに。
彼は冒険者だった。
片手に冒険者名でもあるバスタードソードを握っている。防具の類いは革鎧、それと同素材の肘当てと膝当てくらいで――右肩だけ肩当てをしているのは個人のセンスによるものだ。
軽装の隙間から覗く逞しい筋骨は彼が鍛え抜いたものであり、もっとも信頼するものだ。
突如として、世界を二つに隔ていた結界が消失して数十年余り。
“聖職者たちは神の守護が失われた”と、当時は大騒ぎしたらしいが、半分それは正しいのだと思う。
岐路に差し掛かり――不意にファームの凛々しい碧眼が射抜くように細くなった。考えるより先に、片手でバスタードソードを斬り上げていた。
花瓶でも落っことして砕けたような音が響く。だが、今しがたファームが砕いたのは骸骨の化け物スケルトンだ。
結界の内側であった三国に、このようなモンスターはいなかった。
三国の国境が破られていなければ、今もそのはずだ。
結界が消失して直後、未知であり奇怪の領域に軍を派遣するか否かで三国で協議が繰り返された。ファームにとっては幸いというべきか、当時の国王たちは揃って及び腰だったのだ。国力をむざむざ浪費させることはない、と。
話し合いの末、三国は協力して未知の領域を探査するために共同で冒険者
技術を磨き上げることで、さまざまな冒険者の
「賢明なことで……!」
嘲笑いつつ、ファームは真後ろの二体目のスケルトンに空手のほうで裏拳をお見舞いした。一体目より粉々になったのは、単純に剛力の成せる業。今度は違う力に頼り、その手を振った。
「猛き咲け、
ファームの左の手のひらから放たれた魔法の火球が、散り散りになったスケルトンの残骸を包んだ。振り返り、もう一体の残骸に手をかざす。手足の一部がすでにかたちづくられ始めていたそれを、同様の魔法で焼いていった。
出くわした敵性を倒し終えて、ファームは一息ついた。そして、
「魔法なんて、これくらいできれば十分なんだよ」
嫌味に笑う少女の顔が脳裏をよぎったせいだ。
最後にアイツの笑い声を聞いたのは、いつだったか。
腰に提げた
ただ、今もどこかで高笑いを上げているに違いない。あの高飛車は――そう、確信を抱きファームは歩を進めた。
両開きの扉があった。幾何学模様らしきものが描かれ、芸術的と呼べなくもない。
それに細い手が伸びてゆき、触れた。瞬間、幾何学模様が――緻密な魔法が施された扉が赤く輝きを帯びた。
剣呑な光を前に彼女――プライアント=フランベルジュは顔色を変えることはなかった。
「あまねく鎖よ――我が意に従え。
彼女の手が触れていた部分から、青い光が流れ込んでゆく。魔法陣を辿り、通り過ぎた場所から順次、色を失っていった。
やがて扉は模様を無くした。もはや飾りっ気のないただの
甲高い声が響いた。片手でお腹を押さえ、プライアントが辛抱たまらない様子で高笑いを上げる。美貌に幾分か下卑た笑みを湛え、しばらくそうしていた。
眼前にあるのが遺跡の最奥への扉である。それも未開探索地域の高位指定されたダンジョンだ。
(笑うなってほうがおかしいでしょ)
とびっきりの
プライアントは念のため、周辺を一瞥した。天井近くに放ったままの魔法の光球は維持されており、室内を明るく照らし込む。
怪物たちが様々な態勢で一様に氷像となっている有り様に、またぞろ、プライアントはクスッとなった。
(私の
魔法を行使した右手をしばし見つめた。そして、左手を無造作に動かした。すると手近にあった怪物の氷像が崩壊した。
細く長く波打つ剣であるフランベルジュの一振りで。単に腹いせの行為だった。生意気な少年の顔が、なぜか頭をもたげたせいで。
「剣なんて魔術のオマケって証明してあげるんだから」
今一度、かつての宣告をすると、プライアントは扉を開いた。
※
冒険者の出自は、貧困に喘ぐ者が大半であった。
冒険者組合の成り立ちを鑑みれば当然で、騎士や一兵卒の身分であるものが志願するわけがない。
(どちらがマシだったか)
地下遺跡を油断なく進みながら、ファームは思案していた。
逃亡を謀らず奴隷のまま生活していれば、少なくとも命が危険に晒されることは、冒険者よりも少ないだろう。
が、いくら考えてみてもそれは明白だった。
奴隷生活なんて退屈すぎる。だから脱走して冒険者になると決めた。実際、冒険者が性に合っているとファームは思う。
ただ一つ、重大な欠点を除いて。
(馴れ合うのは嫌いだ)
一人の時間が許されなかった奴隷時代の影響だろうか。ファームは一人であることを望みがちだった。パーティを組むなんて堅苦しい、と信じて疑わないでいた。
“仲間と結束せよ”
冒険者組合の揺るがない方針に背き、単独行動を認めさせるため、ファームは剣士であり魔法士になった。
語弊のない言い方をすれば、剣術のついでに魔法を
(それに難癖つけてきたのが、あの女だ――)
組合の鍛錬所。蜂蜜色の髪を後ろで結わった少女が、詰問気味で口を開いた。
『あなた馬鹿じゃないの?』
『なにがだよ?』なんだこいつ? となりファームは応じた。
『剣術と魔法の両方を習得しようとする着眼点は褒めてあげるわ。けど、どうして剣術を優先しているの?』
不思議でたまらないといった眼差しを注いでくる少女に、ファームは真顔で言ってやった。
『魔法なんて、剣のオマケだろ……?』
『はぁ⁉ なんですって‼』
ファームは別段、
『剣の方こそ魔法のオマケじゃない!』
これにはファームもカチンときた。
『剣があればだいたい片が付くんだよ! 魔法なんて取りこぼしを処理するためだろ!』
『魔法があれば、いともたやすくケリがつくでしょうが! それも一纏めによ! 剣なんて詠唱中の時間稼ぎをこなせれば十分なのっ』
『俺は一人で冒険したいんだよ!』
『あなたも……?』
『……も、ってなんだよ?』
『私はあなたとは違うわ。……ほかの
去り際にみせた彼女の表情は、
彼女の言葉の意味と名前をファームが知るまで、それほど時間は要しなかった。
プライアントはいつも一人だった。
鍛錬所の模擬戦で、相手を打ち負かす都度、彼女は勝ち誇った高笑いを上げるのが常だった。それが別格だ、と誇示するためというのは、ファームでもわかる。
関わり合いになるのを避けようと誓ったが、模擬戦で否応なしに顔を合わせる。
認めたくなかったが、実際に彼女の実力はたしかだった。数えてはいないが、模擬戦での戦績は五分というところだろう。
そのくせ、勝ったときだけ強烈な高笑いをするのだから、ファームは
数年が経ち、やがて、十七歳を迎えたファームは冒険者資格を得た。
偶然にも同日に冒険者資格を取得した彼女と出くわした。
登録書類を提出する間際、同時に口を開いていた。相手の腰にある得物を目に留めて。
『刃こぼれフランベルジュ』
『なまくらバスタードソード』
皮肉たっぷりの笑みをファームとプライアントはぶつけあった。
鼻で笑うとすれ違い、それぞれ違う組合の受付カウンターに登録書類を提出した。
ファームが首に掛けている
(それ以外の理由なんて、あるもんか)
プライアントは
(これはいったい、なんという裏切りなの?)
右手の握り拳に力が入る。ただ、憤りのあまり力んだだけであったが――魔力を込め、口早に詠唱してその手を突き出した。
本来は尾であるはずの場所にさらに首を持つ、
プライアントの顔が青ざめた。これで、四度目だった。
魔法が通じない。
左右から蛇の
左手が勝手に波打つ剣を突き出した。切っ先を蛇の
(いいえ)
私は決して無様にヒステリーを起こさない。そんなことをしたら、そこらの冒険者と一緒だ。
私は違う。
組合の鍛錬所の少年少女は、皆がみすぼらしかったし、小汚く見えた。それに加えて要領も悪い。
だから距離を置いて過ごした。だれも寄せ付けないでいた。
私は違うのだから。
(もう、あんな惨めな孤児なんかじゃないの……)
いま身に纏う衣類だって、薄手だが加護を付与された優れものだ。腕輪も首飾りも、魔力を高める
「それなのに私は……」
プライアントはその場にへたり込んだ。敗北感が重くのしかかっていた。初めての経験だった。それを味わうときが、最期のときと理解はしていた。
最期くらい――強く想いが胸で爆ぜた。途端に涙が目から溢れた。
「私は絶対に――」
けたたましい音が響き、プライアントの濡れたような声が尻すぼみに消えた。
「違うな」
聞き覚えのある声がした。さほど低くはない声を、ぶっきらぼうな調子で飾った声。
顔を上げるとプライアントは目を疑った。
横手の壁に打ち付けられた様子でもがく双頭の蛇の姿と。
ファーム=バスタードソードという名の冒険者の姿に。
どちらも鮮明に見ることができた。広間に入るなり宙に放った魔法の光球は、未だに持続してくれている。
「ファーム……。どうして、ここに」
「そこらの冒険者なら、とっくに諦めているだろうからな」
両手に握るバスタードソードを構え直し、ファームは告げた。
「えっ……」
プライアントは胸が高鳴った。しばし呆然となっていたが、持ち前の冷静さと負けず嫌いを発揮して、立ち上がる。
片腕でごしごしと涙を拭い去るなり、叫んだ。
「え、ええ! そうよ! 私のなかに“諦め”なんて文字は存在しないの!」
胸を張って手にするフランベルジュを掲げてみせる。
「相変わらず調子のいい奴」
呆れ混じりにファームは笑った。その視線の先には、二つの首をファームとプライアントにそれぞれ向ける双頭の蛇がいる。
「“二兎追うものは一兎も得ず”」ぼそりとファーム。
「なによ、急に」
プライアントは困惑で眉をひそめる。
「教官に言って聞かせられたんだが、お前は言われなかったのか?」
「さあ? 聞くに値しないことは耳から抜け出ていくのよ」
冗談めかした物言いに、ファームもプライアント自身も口の端に笑みを刻む。
「今日くらいは、二人で一兎を追うとしようぜ。……アイツの首は二つあるけど」
「私とあなたが共闘?」
シュウゥ。
プライアントが返答するまで、双頭の蛇が威嚇しつづけた。その顔を睨み返しても、もう怖くはなかった。不思議なことに。
「いいわ。例外を認めてあげる。……寛大でしょう?」
「
吐き捨てるように言いざま、ファームは床を蹴った。双頭の蛇はそれに機敏に反応した。巨体が信じられない速さで床を這いずり、ファームを締め上げようと輪を象る。
プライアントは目を見開いた。双頭の蛇がくの字に形を変じていた。ファームの渾身の剣撃が腹部に叩き込まれたせいだ。
「やっぱり、硬い鱗だな。まるで効いちゃいない」
ファームがぼやいた。斬りつけた箇所に損傷らしき跡は微塵もなかった。
だが大いに怒りは買ったらしかった。
双頭の蛇が奇妙な行動に出た。激しくグルグルと回り始めたのだ。まるで互いの顔を追いかけるように。
ファームもいっそう警戒を表して身構えたが――その狙いに気づくのにはわずかに遅かった。
内側にいたファームの足が浮いた。渦巻く旋風が形成され、何度も何度も旋回を繰り返す。
ファームには成す術がないのはプライアントもわかっていた。ゆえに、精神を集中して事にあたった。
「重ねて今此処に願う――氷の精霊よ、我が声に応え給え」
プライアントは詠唱を声高につづけていた。先ほどとは異なり、今は極大魔法を唱える隙があった。ファームを見捨てたわけではない。むしろここで詠唱を中断し、助けに入ることこそが、ファームの一切を台無しにしてしまう。
「冷酷無慈悲な汝の青き血の
詠唱はつづき、次第に双頭の蛇が動きを止めた。旋風が霧散し、落っこちて来たファームが、中途半端な受け身をとった。
「いてて……」ファームが咄嗟に起き上がろうとした。
が、そこへ広間中にプライアントの声が反響した。
「伏せなさい‼」
その有無を言わさぬ語調に、ファームが床に全身を押し付ける。
「
プライアントは左手を勢いよく突き出した。
扇状になにかが広がっていった。さながら
双頭の蛇の変化が、その正体を明かした。
まるでなにかを吹きかけられたように、その巨大な体が白々と染まりゆく。
凍てついた。表面的に留まらず、内部に至るまで。
「もういいわよ」
「これはまた、見事なもんだ」
プライアントの声を受けてファームが顔を上げると、氷像となった双頭の蛇に啞然となる。バスタードソードを回収しがてら近づいて、触れようとしたが、
「よしなさいっ。触れたらひっついたままになるわよ。まあ、片腕を捨てる覚悟があるならべつだけれど」
プライアントは鋭く制止した。
「両腕が使えないと魔法剣士は引退だな……」
おっかなさそうにバスタードソードを鞘に仕舞い、ファームは言った。そして、その目が広間の奥へと向いた。
そこに二人の目当ての品が鎮座している。神秘的な造りの宝箱だ。外観からして、
どちらかともなく歩み出し、眼前で立ち止まった。
「さて、どうしたものかしら」
プライアントは横目でファームの顔を見る。ファームは仕方がなさそうに肩をすくめた。
「それはお前のだよ。トドメを刺したのはお前だろ」
プライアントは意外な顔になる。こんな物分かりが良かったかしら。
「まあ、ごちゃごちゃ入ってたら、分け前は欲しいところだが」
「いいわ。ほんのちょっとだけならね」
ファームがため息をついた。ぼそぼそと呟く。
「本当にむかしっから……可愛いけど、可愛げのないやつ」
プライアントは宝箱に罠らしきものがないことをたしかめている最中で、よく聞き取れなかった。
「なにグチグチ言ってるのよ。やっぱり不満なの?」
「いーや、異常がないなら、どうぞ開けてくれ」
やや決まりが悪そうにファームは促した。プライアントが怪訝そうに眉を寄せたのは一瞬で、
「本当に変な人よね。まっ、いいわ。開けるわよ」
宝箱に触れたときには、その琥珀色の瞳が期待に輝いた。
ギィィ、と軋んだ音を立て、宝箱が開く。
優美な剣が一振り。剣身は銀色であるが鏡のようにプライアントの姿を映し出すことから、ミスリル製かもしれない。柄元では赤い宝玉が眩く輝きをみせ、そこに秘めた魔力を薄々ながら感じ取れる。
「古代の魔法剣よ、これは!」
プライアントははしゃぎ、手に執り軽く振るってみた。驚くほどに軽い。これまで使いづづけたフランベルジュも軽量の剣であるが、比較にならない。まるで羽のようだ。
「おめでとさん。まさしくお前向きの剣だ。……さて、それじゃ俺は行くぜ」
浮かれるプライアントをよそに、ファームが踵を返して歩き出す。我知らず、プライアントは呼び止める。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「な、なんだよ。お宝は手に入っただろ。分け前になるようなもんもないし。……なにかまだ用があんのか?」
ファームの言う通りだ。もう用はないはずである。しかし、呼び止めてしまったからには、なにか理由が必要――否、あるはずだ。
間が持たなくなって、こんなことを口走ってしまった。
「少しのあいだ、同行してあげるわ」
「同行って……パーティを組むってことか?」
「ええ」
ファームはまじまじとプライアントを見つめた。正気か? とでも言いたげだ。本当にプライアントか? という疑いの眼差しを向けたのち、
「俺は一人で冒険したいって昔に言ったんだが」
苦笑して告げた。
「私もそうよ」
「じゃあ、なんで――」
「借りをつくりたくないの」
ファームの
「借りって?」
「認めたくないけれど、この魔法剣の入手は私一人では無理だったわ。だから、今回のあなたの助力分、私もあなたを手伝うことにするの」
「べつに、謝礼金でも構わんのだが」
「あなたってそういう俗っぽいタイプだったの?」
プライアントが険しい目で言うと、
「あー、わかったわかった。気が済むまでそうしてくれ」
ファームは頭をがしがし弄り、先んじて歩み出した。
「ええ、もちろん。気が済んだらそれまでよ」
含み笑いを浮かべて、プライアントはあとにつづいた。
数年後――
数多のダンジョンを次々と攻略する冒険者パーティの噂が広まる。これが一風変わったものだった。
男女二人組で、どちらも剣の名を有し、互いに魔法剣士であるという。
魔法剣士の在り方 朽木 堕葉 @koedanohappa
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