第11話 潁水(えいすい)の戦い(紀元前599年 鄭)

 紀元前599年。

 若敖(じゃくごう)氏の乱から、六年が過ぎました。


 その間荘王(そうおう)は、北の大国しんの側につくていを攻めたり、鄭を攻めてちんと講和したり、鄭を攻めて和議を結ばせたり、離反した近隣の小国を滅ぼしたり、晋についた陳を攻めて和議を結ばせたり、晋と和議を結んだ鄭を攻めたりしておりました。


 講和やら和議やら当たり障りのない言い方をしていますが、実際の所は服属させたと思っていただければ。

 もっとも、全てにおいて荘王自ら出陣したわけではないようですが。


 さて、この年の夏。前年に楚が鄭を攻めて和議を結んだため、晋・そうえいそう四ヶ国の連合軍が鄭を攻め、和議を結ばせました。


 晋についたり楚についたり。鄭も大変ですね。もっとも、鄭は鄭で公子(第一位ではないが、君主の継承権を持つ人)が

「晋も楚も、徳をもって従わせるのではなく、武力で争っている。こういう連中には、攻めてくるたびに服従していればいい。どうせあいつらには信義なんてないんだから、こっちも馬鹿正直に信義を守る必要なんかない」

 なんて言っちゃうくらいですから(正確には翌年の発言ですが)、いい感じに開き直っていたのでしょう。


 鄭がまた晋についたと聞いた荘王は、冬、もう何度目かわかりませんが鄭を攻めました。天丼ギャグ並に同じことを繰り返していますね。


 鄭の現在の親分である晋も、もちろん黙ってはいません。当時の君主である晋景公(しんのけいこう)は、荘王が動いたと鄭から聞くや、士会(し・かい)という歴戦の名将に三軍のうち一軍を率いさせて救援に向かわせました。


 この士会しかいという将軍。

 個人的武勇・卓越した指揮力・離れて何年にもなる晋軍の内情を昨日見てきたかのように量る情報収集&精査能力を兼ね備え、後に中軍の将(ちゅうぐんのしょう。晋軍のトップ)・正卿(せいけい。宰相)に任ぜられたときには国じゅうの盗賊がビビって国外逃亡し、周王室の内紛を調停した後は祖父と同じく晋国内の法整備を行ったというとんでもない完璧パーフェクト超人でした。


 士会の現時点での地位は、上軍の佐(じょうぐんのさ。佐は軍の副官)、晋軍の第四位です。

 にもかかわらず、将(しょう。軍の指揮官)をさしおいて彼が上軍を率いたという事実が、荘王の脅威と士会の実力を如実に表していると言えるでしょう。



 鄭へ向けて進軍中、晋から援軍が出たとの報告を受けた荘王は、率いているのが士会だと聞いて笑いました。

「士会といえば、長らく晋最強をうたわれている将軍だな。面白い。ここはひとつ、余とどちらが上かはっきりさせてやろう」


 そして両軍は、鄭の都から南、潁水(えいすい)という川の北方にある平原で対峙しました。

 晋軍は先に到着し、陣を構えて待ち受けています。そこで荘王は、司令官である士会に使者を送りました。持たせた手紙には


「俺たち北上hokujyou、今日鄭に参上sannjyou、着いたばかりで必要なの休養kyuuyou、陣築いて体休めてテンションAGEアゲ☆ていこうZE明後日あさってここ戦場sennjyou


 と書いてあります。


 当時の戦争というのは、「敵はどこだー」「見つけたぞー」「よしかかれー」というものだけではありませんでした。

 互いに陣を張り、「それじゃあ明日戦いましょうね」とやりとりを交わしてから行われるものもありました。儀礼ではあるのですが、のどかと言えばのどかな時代ですね。語り手は春秋時代のこういう牧歌的なところが大好きです。


 ともあれ、ここで荘王は戦うのを明日ではなく明後日にすることで、士会に対して自軍の休養と同時に晋軍の緊張が弛緩する可能性=リスクを要求したのです。この勝手な言い分を士会が拒否して翌日の戦闘を主張するのであれば、器が小さいとして周囲の諸国に喧伝けんでんするつもりでした。


 しかし、士会は二つ返事で承諾します。拍子抜けした使者からの報告を受けた荘王は、獰猛な虎のような笑みを浮かべました。

「小細工で頭に血が上って自滅してくれるような相手ではないか。そうでなくては面白みもないというものよ」


 そして二日後の朝。朝食を摂り、戦の吉凶を占い、神に生贄を捧げ、戦闘開始時刻を待ち、ついに戦の始まりを知らせる銅鑼どらが鳴らされました。


 当時の国際情勢としては、晋が国力第一位、楚が第二位でした。しかし、兵の勇猛さでは楚の右に出る国はありません。

 その楚軍が、荘王の指揮のもと、飢えた山犬のごとく晋軍に襲いかかります。


 強烈な突撃でしたが、晋軍はそれをも受け止め、跳ね返します。がっぷり四つで一進一退の攻防が続く中、徐々に荘王率いる楚軍中央が士会率いる晋軍中央を押し始めました。


 ――よし。このまま中央に穴を空け、そこから左右に引き裂いてやるわ。

 荘王はほくそ笑み、鼓(こ。戦場用の大太鼓?)を打ち鳴らさせました。兵士たちがわあっと鬨の声を上げ、いっそう晋軍中央を押し込んでいきます。


 じりじりと、しかし確実に下がっていた晋軍中央から、不意に銅鑼どらを打ち鳴らす音が聞こえました。

 音に合わせ、中央は全速力で撤退し、左右の両翼も逃げ散っていきます。


「なんだヨ!? 口ほどにもねーじゃネーかヨ、士会! ま、所詮は軟弱な中原の軍だもんナ!」

 獲物を狩る獣の笑顔になった荘王は、いっそう激しくを打ち鳴らさせました。逃げる中央を、こちらも全速力で追いかけます。左右両翼も合流し、長い一本の錐となって晋軍を貫こうと迫りました。


 少しずつ距離を詰めていき、あとわずかで追いつく、というそのとき、再び晋軍からを打ち鳴らす音が聞こえました。なんと、晋軍が撤退を止め、その場にとどまったのです。

「ヘッ、逃げ切れなくて正面からの討ち死にを選んだか!? 好きだゼ、りゃあそういう奴はヨ!」


 間もなく、錐の先端が晋軍にぶつかります。次の瞬間、荘王は己の目を疑いました。

 これまで貫けないものなどなかった自慢の「錐」が、完全に受け止められています。それどころか、先端が潰されてすらいました。


 呆然とした荘王の耳に、どこからかの音が聞こえてきます。振り返ると、逃げ散ったはずの晋軍両翼が戻ってきており、伸びきった楚軍を左右から喰い破ろうとするところでした。

 我々を誘い込むための偽退ぎたいだった、と悟った荘王の全身に、冷たい汗が流れます。

「クッ、俺がこうもキレーに嵌められるとはナ! ……全軍退け! このままじゃ袋のネズミだ!」


 荘王は銅鑼どらを打ち鳴らさせ、大急ぎで撤退の態勢に入りました。しかし、黙って見逃してくれるような相手ではありません。楚軍は結局さんざんに打ち破られ、荘王も命からがら潁水えいすいの南まで逃げ帰るはめになったのです。


 春秋時代でも屈指の戦上手である荘王が、唯一、ぐうの音も出ないほどフルボッコにされた戦い。それがこの「潁水えいすいの戦い」でした。


 楚に戻った荘王は、士会へのリベンジを誓い、軍の再編と人材発掘に力をいれました。

 そして二年後、黄河の南にある「邲(ひつ)」という土地で、今度は楚全軍と晋全軍で対決することになります。

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