隣国の王子ではないけれど
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第1話
学園の中庭には温室がある。
ガラスでできた建物の中に、いつも美しい花が咲いている。
その建物自体が花瓶のように見えるからか、中に入ってくる生徒はあまりいない。
その奥の方、育ちすぎて生垣のようになっているポインセチアの間を抜けると小さな空間があって、忘れられたようにガーデンテーブルとチェアがあることに気が付く人はもっといない。
魔法の効果なのか、いつも過ごしやすい温度で、居心地もいい。
マリアンヌがこの場所を見つけた時は、まるでおとぎ話に出てくる精霊の住処のようだと思ったものだ。精霊が、私にこっそり授けてくれた秘密の持ち物。それ以来、時間があればこの場所に来て、一人で教科書を広げている。誰にも邪魔されないこの場所では、堂々と勉強ができる。
エルドリア=ロイヤル=アカデミーは、エルドリア王国唯一の王立学校だ。将来この国を支える人材を育てる場所として、身分や性別を問わず入学することができる。
優秀な国民に平等に機会を与えるという理念があるのだが、残念ながら実際の生徒はほとんどが貴族で平民はほんの一部。しかも家の期待を背負って通う生徒は、勉強より将来のためのコネ作りに夢中なものも多い。特に女生徒は、平等の建前のもとに素顔で活動できるので、社交場では得られない出会いを求めて容姿や愛らしさを競っている。そのため、授業を真面目に受けているだけで、後ろ指をさされる始末だ。
そのような中、伝統あるフローレンティア伯爵家の御令嬢、マリアンヌ・フローレンティアはめげずに真面目に授業を受けている。それどころか成績優秀者上位10位に入っている、大変優秀な学生なのである。そのためこの学園、いや、社交界でもちょっとした有名人だ。
しかし、残念なことに有名な理由はこの優秀な成績ではない。
以前、成績優秀者として発表されたと聞いたとき、母はため息をついた。
「マリアンヌ、大変真面目に授業を受けているようですけれど、あまりそのような目立つことはしないように。殿方を立てるのが淑女でしょう。それより、良いお友達はできた?」
母の言う良いお友達は、金持ちのご子息という意味だ。
今日も授業の終わりに、教師に少しつっこんだ質問をしたら、困った顔をされてしまった。
「フローレンティア嬢、あなたは由緒正しき伯爵家のご令嬢でしょう。あなたはそのようなことを考えなくてもよろしいのですよ、お家の方からもそのように伺っております」
もしかすると、今日質問したことも家に伝われば怒られてしまうかも。マリアンヌは憂鬱だ。先生、どうか我が家には伝えないでくださいますように。
「真面目に授業を受けてはいけない学校生活……」
悲しくなってつぶやいてしまう。
フローレンティア伯爵家は、歴史ある由緒正しき伯爵家なのだが、先々代の浪費がたたり、経済状態が最悪なのだ。マリアンヌの父である現伯爵は一生懸命立て直そうとしているのだが、なかなかうまくいかず借金が膨れ上がっている。
そんなわけで、マリアンヌが家から期待されている事は、資産家と結婚して家を助けることなのだ。
この学園も、金持ちとの出会いを期待して入学となった。マリアンヌは幼いころから勉強が好きだったので内心うれしく思っているが、スポンサーである父の目的は婚活。そのため、「私は勉強するために学校へ通っているのですわ」と正論を言ったところで、誰も取り合ってはくれない。
マリアンヌが有名なのはこの婚活のせいだ。家同士のつながりで結婚が決まることが多い貴族は、幼いころから婚約者がいることも多い。
しかし伯爵は、美しいわが娘をいいところに嫁がせようと厳選に厳選を重ねていたため、気がついたらめぼしい貴族の御子息はみんな婚約済みになってしまっていた。伯爵は家の価値を高く考えすぎていて、どんなに困窮していても、伝統あるフローレンティア家が声をかければ王様公爵様でも夢ではないと本気で思っていたらしい。
そして、娘の価値を高めようとあまり外に出すこともなかった。マリアンヌ自身も一人で本を読んだり勉強したりする方が好きだった。なので同性の友達と呼べる人すらいない。
そのような状況が積み重なって、美しき名門伯爵家の御令嬢だというのに、婚約者どころか恋人候補もいない。16歳となった今、伯爵はようやく現実を見始めて見合い話を進めるのに必死だし、娘自身にも学園で良い人を探すように言いつけている。
そんな姿は「没落貧乏貴族、フローレンティア伯爵の美しき御令嬢の婚活状況」として、社交界で大変楽しい見世物、話題の種となっているのだ。
学園でもそれは同じで、婚活中であるから無下にできないことがわかっているのだろう、マリアンヌを見かけるとからかってくる男子生徒も多い。いやらしい目で見られたり、侮られたりするのはとても嫌なことだ。
そして後ろからひそひそと聞こえる女子生徒の声。男子も女子もマリアンヌに言う内容は同じ。
「いくら美しくても、やはり女はかわいげがないと」
言われなくてもわかっている。
ちなみにマリアンヌは、家を助けてくれるなら、結婚相手はだれでもいいと思っている。貴族にとっての恋と結婚は別物だし、恋もしたことがないのでよくわからない。なのでどのように接してこられても、伯爵令嬢として骨身にしみ込んだ教養の高さと美しさであいまいにほほ笑みながら、相手の資産状況を考えている。
しかし、どうやって自分からアプローチしてよいのかはわからない。
どうしてほかの御令嬢は、意中の方に平気で近づいたりできるのかしら。そのようなことははしたないと、物心ついた時から厳しくしつけられているはずなのに。
今日も、マリアンヌは心のよりどころである温室にむかう。
勉強のためには図書館にも行きたいのだけれど、先日見合いを打診した貴族の御子息が、「マリアンヌ様はとても優秀でいらっしゃる。私もよく図書館でお会いしますが、お気づきになられないのですよ」などと言ったらしく、父から図書館禁止令が出されてしまった。
仕方がないわ。
マリアンヌは思う。教科書だけでも、そこから学べることはたくさんある。何度も読み返して、自分なりに考えて、知識を深めるのだ。
木々の葉に隠れるようにある温室の入り口を開けると、足元には青いベルのような形のカンパニュラの花がとてもかわいらしく広がっていた。
小さいころ、このお花は妖精のドレスなのだと思っていた。あの頃はいろいろ考えて発言しても、マリアンヌは利発だとほめてもらえたのに。どこからが「
温室の小道を進み、広場に出る。小ぶりのガーデンテーブルとそれに合わせたガーデンチェアが二脚、ぽつんと置かれている。
早速教科書とノートを取り出す。今日はどうしても授業でわからないところがあった。一番苦手な経済学だ。そして質問して苦い顔をされたのも経済学だ。
先生が教えてくれなくても、何回も教科書を読めばきっと理解できる。マリアンヌはそう思って勉強に取り組む。
わからないところをノートに書き出し、まとめ、しばらく教科書に没頭する。何度読んでもわからず顔を上げる。困ったわ、やっぱりわからない。この内容を理解するには知っていて当たり前の知識があって、それを知らないのだと思う。
教えてもらいたいけど、だれにどう聞けばいいかしら。途方に暮れていると、突然、ポインセチアの茂みから人影が現れた。
「きゃ!?」
「ああ、驚かせてしまったみたいですみません。先客がいるとは思わず」
そこには、緑の髪を無造作に後ろになでつけた、とび色の目をした青年がいた。
マリアンヌは今までこの場所で人に会ったことはなかったし、考え事をしていたので、本当に驚いた。伯爵令嬢としていつも冷静にいるよう心掛けているので、人前でこんな驚き方をしたのは初めかもしれない。恥ずかしくなって、顔が赤くなった。
「いえ……わたくしこそ驚いてしまいまして失礼でしたわ。ここは学び舎の一角ですもの、ご自由にお過ごしくださいませ。」
慌てて取り繕って、優雅にお辞儀をして見せた。
青年も驚いたのか、きょとんとした顔でこちらをじっと見て動かない。
さて、困ったわ。このように二人きりになるなんて。この方はどう対応したらよいのかしら。マリアンヌは思案する。
「良いお友達」候補なのかしら、違うかしら。制服だと服装で判断できないから、こういう時に困るわ。
緑の髪はこの国では平民に多いが、貴族にもいないわけではない。最近は貴族の間でもいろいろな髪色が流行っているので、あえて魔法で緑にしている者もいる。
見覚えのない顔なので、知り合いでないことは確かだ。しかし、フローレンティア家と接点がない貴族の可能性もある。フローレンティア伯爵は伝統を重んじるので、最近台頭してきた家や、活動が派手な家とはあまりつながりがない。それも今、マリアンヌが苦労している一因なのだが。
もしも……この方が貴族で、お父様がまたお見合いを組もうとしたときに「マリアンヌ様とは温室でお会いしましたが、お勉強の邪魔をしてしまったようでそそくさと帰られました」とでも言われてしまったら。ここにも来られなくなってしまう。そうしたら唯一の楽しみもなくなってしまうわ。逆に、お見合い相手にならないような方だったら良いかしら。いいえ……男性と二人きりで温室にいたことが噂になってしまったら、それはそれでおしまいだわ。
マリアンヌは、何とか外見から判断しようと観察する。
装飾品の類はつけていない。でも、制服は清潔そうできちんと手入れをされているように見える。立ち振る舞いは自然で堂々としたものだけれど、紳士となるべく教育を受けた貴族のようには見えない。騎士たちのような鍛えた体ではないけれど、バランスの良い自然な立ち姿。痩せてもないし、太ってもいない。顔立ちは気品がある、とまでは言えないけど、青年らしいすっきりしたお顔立ち。
……どっちだろう……? 我が家としては範囲内なのか範囲外なのか。
内心そんなことを考えながら、優雅に淑女を気取る。失礼にならないようにというのももちろんだが、由緒正しき伯爵令嬢の隙のなさは、身分が低ければ手を出せないだろう。
気合を入れて優美にほほ笑むマリアンヌを見て、青年はちょっと目を丸くすると、スッと居住まいをただし、優雅にほほ笑んだ。
「おお、このような聖なる場所で、かくも麗しきお方に出会えるとは! 運命の女神が微笑み給うたこの奇跡に、我が幸運のすべてをここで使い果たしてしまったかもしれません」
雰囲気がガラッと変わって、貴族、という雰囲気を醸し出す。……となると、お見合い相手になる可能性が高くなってきた。マリアンヌは内心気合を入れ直す。
……この方、資産はどのくらいあって、爵位はどうなのかしら。もう決まったお相手はいるのかしら。ああ、お金持ちで貴族で婚約者がいない、こんな条件の「良いお友達」って、見ただけでどう判断したらよいのですかお母様!
「お許しを頂けますならば、お尋ね申し上げます。あなた様こそ、フローレンティア伯爵家の高貴なる令嬢にあらせられますか?」
名乗りもせずに突然聞くのは失礼な気もするが、今話題の、
「ええ……マリアンヌ・フローレンティアと申しますわ」
優雅にお辞儀をする。どう思われていようと、マリアンヌは美しくふるまうと決めている。
「おお、かの才媛と名高いフローレンティア伯爵の御令嬢に、かくも麗しき場で偶然にもお目にかかれるとは、何たる僥倖。いやはや、この花園の主役たるにふさわしいお美しさ」
青年は大げさに一礼して見せる。
……何だろう、なんかこの人、大げさなのよね。わざとらしいというか。ちょっと小バカにされている気がしてきたわ。
馬鹿にされているのは慣れている。最近はそういう人が多すぎて、貴族の殿方はみんなこんな感じ、と思うようになっていた。……馬鹿にされても、貴族は貴族。とにかく名前を確かめなければ……
「私のことばかりでなく、あなたのこともお話しくださいな」
「おお、我が如き者にまでご関心を賜るとは、まるで花の女神のごときお優しさ。私は取るに足らぬ存在にございます。しかし、もしもご記憶にとどめていただける栄誉にあずかるならば、……ただの、ヒューイと」
まるで演劇のように大げさに跪いて深々と頭を下げる。
あまりの仰々しさに、もしかしたらこの方、貴族ではないのかしら?? と、マリアンヌは疑い始めた。ここまで行くと、貴族そのものというよりは貴族慣れした使用人というか商人というかそういう感じがする。あと、言葉のチョイスが古くておかしくてオーバーリアクションが目にうるさい。
そうだとすると……。うまく切り抜けないと、ここでの対応が噂になってしまう可能性が高い。
「後がない貧乏伯爵家フローレンティア家のご令嬢にお目にかかりましたが、いやはやはお家のことを棚に上げて、大変高潔ではありますがいささか傲慢とも言えましょうな……」
そんなイメージだ。なんだかイラっとする。
「ねえ、ヒューイさん、今日私に会ったことはどうか秘密にしてくださらないかしら」
どうかな、と思いながら、お願いしてみる。弱みを見せれば、哀れに思って味方してくれるのではないか。
「秘密……でございますか、お嬢様と、私の?」
「ええ、わたくし、この場所が気に入っているの。……ええと、ほら、この薔薇の蕾、これが開くのが今とても楽しみで……誰かにこの場所を知られたくないのよ」
咄嗟に絞り出した言い訳が薔薇の蕾とは、何か引っ張られている気がする。
「それはそれは、まことに甘美なるお話しでございますね」
ヒューイと目が合う。跪いたまま見上げるとび色の瞳がマリアンヌをとらえた。男の人の視線を感じる時は、いつも馬鹿にされているようで苦手なのだが、ヒューイのまっすぐな目は、立ち振る舞いに反して侮りの色がなく、いつもと違い嫌な感じがしない。
「では一つだけ条件を……お嬢様がここで何をされていたのか、私にも教えていただけますか?」
勉強していた……と素直に言ったら、ここではうわべだけのおべっかを並べるかもしれない。でも、ここで会った事は言わなくても、社交界でフローレンティア嬢が隠れるように勉強をしていると噂になるのだろう。「おいたわしや、家は火の車なのに、娘は賢しらで可愛げのないフローレンティア伯爵家!」
「……ええと……」
どう答えてよいか戸惑っていると、ヒューイはマリアンヌににっこりと微笑みかけ立ち上がり、ガーデンテーブルに広げたノートを手に取る。
「フローレンティア嬢は経済学を学習中でございましたか」
弱みを握ったからか、先ほどよりも少し態度が大きい気がする。
ああ、これでまた社交界で「女の身にありながら経済学とは、紳士からのプレゼントも経済の一環としてお受け取りになりたいのでしょうな」とか、面白おかしく取り上げられるのだわ。それはもういいのだけど、経済学禁止令も出されそうだわ
あわあわと、マリアンヌの頭は真っ白になっていく。
「おや、合理的期待理論ですか。さすが才媛と名高いフローレンティア嬢。このような分野にまでご興味を持たれているとは。……しかし、確かにこれは、ご令嬢にはなじみのない世界でしょう。少々わかりづらいかもしれませんね」
真っ白になっていた頭の中に、『ご令嬢には』という言葉がそこだけ大きく聞こえた気がして、カッ、と、顔が熱くなる。
「……学び舎の中で、令嬢は関係ないわ」
声が震える。怒りなのか虚しさなのか。そういうことは、噂されるのは仕方がないにしても、この温室の中では言われたくはなかったのだ。
「……失礼。そんなつもりで言ったわけでは。……では、令嬢が関係ないのであれば……身分も、関係ないですかね?」
「あたりまえよ。ここはそのような学び舎のはずよ。私が勉強するのは当たり前のことのはずよ」
マリアンヌは涙目でヒューイをにらむ。
「……そうか」
ヒューイはマリアンヌから目をそらし、向かい側のガーデンチェアを引く。テーブルからから少し距離をとるように、チェアに身を投げるように腰掛け、長い足を窮屈そうに組んだ。
胸ポケットから出した眼鏡をかける。ヒューイの雰囲気がまた変わった。真剣なまなざしでノートに目を通し、「ふうん」とつぶやき、ノートを私の前に戻した。
「俺、この科目得意なんだよね。よかったら教えようか」
突然調子が変わった声に、きょとんとしてしまう。
眼鏡越しの鳶色の瞳が真っすぐにマリアンヌを見る。そして、貴族感ゼロの自然な態度でにやっと笑って見せた。
「ほら、すわって。ここまでわかってるなら後は少しだ。」
そして、教師のように、それはそれは丁寧にわかりやすく、教えてくれたのだ。
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