ナディシア王国記〜勇者はどうして魔物の国で将軍となったのか〜

広瀬妟子

プロローグ

 かつて、俺は勇者だった。


 見知らぬ世界に呼ばれ、王様から『どうか魔王を倒し、世界に平和を取り戻してほしい』と頼まれた俺は、勇者として魔王軍との争いに臨んだ。


 多くの仲間を率い、その中で襲い掛かってきた幾つもの危機を乗り越えて、俺は何人もの魔王軍の将軍を倒し、ついに魔王城へと辿り着いた。魔王は自ら軍勢を率いて戦いに臨み、7日間続いた戦いの果てに俺は魔王を倒した。


 王都へ凱旋した後、俺は無事に日本へ帰った。高校を卒業した後、俺は人を守る仕事を目指し、その夢を叶えた。俺の成したことを誰も覚えていなくても、せめて自身の経験を活かせる様にと。


 だからこそ、俺は信じられなかった。本来ならばもう会うことのないはずの人が。それも―。


「お久しぶりです、シンジ様」


 ―わざわざ日本にやってきて、俺に会いに来たことが。


・・・


 俺、三雲真二みくも しんじが異世界のトスカニア王国に召喚されたのは、高校生になって最初のクリスマスを迎えようとしていた時だった。学校からの帰り道、俺は宮殿の部屋の一つに立っていた。


「突然ですまないが、君は勇者に選ばれた。どうかこの世界を、邪悪なる魔王から守ってほしい」


 煌びやかな衣装をまとった、いや、脆弱な身体を煌びやかな衣装で隠した国王はそう言い、俺に一振りの剣を差し出した。『召喚魔法』というものを使った魔法使いによると、聖光教ルクストリックの秘儀にて勇敢なる者をこの地に呼び出せという啓示が下り、宮殿に築き上げた魔法陣と膨大な供物を用いて、俺を連れてきたのだという。それがトスカニアのあるエルピア大陸を救うと信じて。


 俺は確かに中学1年から剣道部に入っていたし、高校でも剣道を続けていたが、あくまでもスポーツとしての剣道であり、人を殺せる様な技術も、覚悟も持っていなかった。だがそんな青年をわざわざ拉致してくる辺り、この国は危機に陥っていた。


 もしもこの世界に神様がいるのなら、召喚の直前に説明の一つぐらいしておいてほしいと内心で呪ったものだが、俺にはこの世界で生き抜くための『加護』が与えられていた。それはこの世界で一般的な『魔法』を使う能力で、魔法使いが戦場に立つ必要最低限の魔法を身に着けていた。


 俺は早速、トスカニアの将軍や高名な魔法使いから色々と指南を受けることとした。2か月にも及ぶ修行の日々を支えてくれたのは、王様の親族と俺を召喚した魔法使いだった。その中でも王様の妹である王女クラウディアは、この世界のことを教えてくれた。彼女は身体が弱く、一日の大半をベッドで過ごしていたが、調子がいい時は図書館で俺に様々な事を教えてくれたものだ。


 そして召喚されて2か月が経ったある時、俺は最初の戦いに臨んだ。2000人程度の兵士を率いて、領内に出没する魔物を退治するのが俺の初陣だった。魔物の数は3000体と多く、しかも知恵の働く上位個体が率いる集団だった。それに対して俺も知恵を働かせた。


 魔法使いは特殊な加工を施した水晶球で遠距離通信を行うことができる。その水晶球を持った魔法使いを20人、さらにわずかながら魔力を持つ兵士80人に水晶球を持たせて、20人規模の小隊100個へ分けた。さらにこちらには大白鷲アルゲンタビスという航空戦力があり、王様は10騎ほど貸し出してくれた。


 あとは森の中でばらけて待ち構え、包囲するだけだった。先ずは魔法使いと弓兵が遠距離攻撃を仕掛け、小さい魔物のほとんどを仕留めた。魔物の集団はとにかく本能に忠実であり、ひとたび混乱が起きれば統率は瞬く間に崩れ落ちた。


 そうして初勝利を収めた後、俺はトスカニアの人々や、俺と同様に賢者として召喚された人達と協力して様々な武器や戦術を作った。例えば魔法で様々な効果を付与した刀剣や弓矢。そして水晶球からより運びやすく、そして誰でも使える様に改良した魔法通信機。さらに北のエルフの国から輸入したワイバーンからなる飛竜騎兵団。この世界に来て半年もの月日が経った頃、俺の下には強大な軍団が揃っていた。


 魔法で切れ味の増した剣や槍で武装した歩兵が5000。雷魔法を封じた弓矢を飛ばすクロスボウと、複数の魔石と黒色火薬を詰め込み、魔法で点火して爆発する手榴弾で武装した擲弾兵が3000。強力な弓矢で遠くの敵を射抜く弓兵が1500。そして魔法で支援を行う武装魔道士が500。合計1万の軍団と20騎の飛竜騎兵で以て俺は魔王軍との戦争に参加した。


 魔王軍は少数精鋭の将軍達と、ゴブリンやオーク、オーガといった亜人の大群からなる侵略者で、今から500年以上前に東から侵攻。当時世界の大半を支配していた大国ラタニアを崩壊させたという。トスカニア王国はそのラタニア崩壊後に生まれた国の一つで、俺を勇者として召喚する前は国境を維持するだけでも苦労していたという。


 そこへ俺が勇者として召喚され、状況は一変した。新たな武器に戦術の誕生、そして魔王軍の繁栄を快く思わない国々の支援が、物量による力押しに拘る魔王軍を圧したのだ。また魔王軍が占領していた地域も、魔王とその配下の魔人が自分達のやり方で支配する場所と、ヒト族のやり方と宗教を受け入れ、あくまでも共存の道を目指す場所の二つに分かれ、事実上の内戦に陥っていたのも大きかった。


 その中でも、魔人でありながら聖光教に入信し、領内のヒト族に対して自治権を与えるなど穏健な立場を見せていた『大帝』ガラルの子孫は、俺達トスカニア王国軍に味方した。聖光教教会もガラル一族に対しては寛容な姿勢を見せており、ついでに言えばトスカニア王国自体がガラル大帝の教皇に対する土地の寄進で産まれた国であるため、元々深いつながりがあった。


 戦争を始めて3か月。俺は七つの大きな戦いを勝ち、14万にも上る敵将兵を倒した。その中には魔王軍でも上位の地位にある幹部も含まれており、戦局はトスカニア側の優勢に働いた。王様はひ弱な身体ながら時には戦場に設けられたキャンプを訪れ、俺達を見舞ってくれた。俺を妬む者に対して釘を刺し、戦争の妨げになる様な事態を阻止してくれたのもこの人だった。


 それからさらに3か月。夏日が穀倉地帯に茂る麦畑の緑を輝かせる頃、俺は大攻勢に打って出た。3万の将兵と150騎の飛竜騎兵で魔王軍の拠点へ攻め入り、短期決戦で勝負を決めることとしたのだ。この頃には賢者達によって魔石を燃料として走る機関車が発明され、多くの人員と物資を遠くへ素早く運ぶ手段も確立していた。


 魔王直轄の軍団はオーガと魔人を主体とした4万の将兵と20頭のドラゴンで、彼らは『無敵軍団』だと称していたが、雷魔法によって純銀の矢じりを嵌めた鋼鉄の矢を飛ばす魔導レールガンや、原始的な鉄砲で武装した擲弾兵連隊の相手ではなかった。わずか三日で無敵軍団を蹂躙した俺達は魔王城を取り囲み、包囲戦を始めた。


 戦いは七日間続き、俺はついに魔王城にて魔王と対面した。一振りの剣とシングルショット式のピストル、そして手榴弾と閃光弾を携えて現れた俺に対し、魔王は言った。


「貴様は、一方的にこの世界へ引き入れた者達を憎んでいないのか」


「だとしても、それを困っている人を見捨てる理由にしたくない」


 魔王軍はヒト族とヒト族が築き上げた文明をとことんまで見下し、時にはヒト族を『ごちそう』として食していた。魔人や亜人にとってヒト族は個体としての能力が貧弱で、奴隷や食材としての価値しかないと侮蔑していたのだ。


 しかし、そういった前時代的かつ野蛮な価値観と行動は、一つの大きな過ちを生み出すこととなった。魔王はあるヒト族の奴隷を弄び、やがて一人の子供が生まれた。その子供は西エルピアを攻めていたある幹部に売られ、しかし病がちな上に後継者に恵まれなかった幹部は子供を養子とした。その子供こそが大帝ガラルその人だった。


 強大な魔法と身体能力で以て暴れる魔王に対し、俺は閃光弾と手榴弾で相手した。この二つの手投げ武器にはガラル一族が生み出した『呪い』が含まれており、魔法に対して高い耐性を持っていた魔王にダメージを与えられた。俺も防具として身に纏う魔法具で機動戦を仕掛け、一振りの剣で傷を負わせていった。


 その剣は召喚されたときに王様から与えられたものではなかった。魔王とヒト族のハーフであるガラル大帝は150歳まで生きたが、その長い人生の中で魔人に伝わる魔術を極め、そして死ぬ間際に自らの片腕を用いて一振りの剣を鍛え上げた。その剣は魔人に対して高い殺傷性を誇り、一族は『王剣ヨエユーズ』と呼んで長らく保存していた。開祖ガラルが待ち焦がれていた、魔王がこの剣で倒される日を迎えるために。


 そして、魔王は倒された。首を切り落とされる直前、魔王はその剣に宿っている魔力とその源に気付き、初めて愕然の表情を浮かべた。そして俺は王剣を天高く突き上げ、勝利を宣言した。


 凱旋の時、俺は王剣ヨエユーズではなく王様の剣を手にトスカニア首都で歓迎を受けた。あの剣はあくまでもガラル一族が貸してくれたものであったし、剣が作られた経緯を鑑みても、その事実は伏せておくのが望ましかった。


 そして3か月後、俺は賢者として召喚された人達と共に、魔法使いによって元いた世界へ戻る事となった。その際王様だけでなく王女クラウディアも見送りに来てくれて、改めて感謝の言葉を述べてくれた。王様曰く『今後語り継がれる物語には色々と脚色が入るだろう』とのことだが、それは魔王軍の残党が復讐のために俺の元居た世界へ攻め込むのを阻止するためであった。


 そうして日本へ無事に戻った時、向こうの時間はわずか三日しか経っていなかった。それでも高校生一人が行方不明になったというニュースは地元を俄かに騒がせ、両親は僅かに背丈が高く、身体つきも見違える程に逞しくなって戻ってきた子供に驚きを隠せなかった。


 高校卒業後、俺は防衛大学校の門戸を叩いた。『向こう側』で経験したことは俺の意識を大きく変化させており、かつて勇者の下で祖国を守るために戦ったトスカニアの人達の様にありたいと願ったがための決断だった。


 防衛大での4年間の薫陶と幹部候補生学校での1年間を経て三等陸尉になった俺は、再び戦いに身を投じることとなった。その頃、地球世界には異世界からの侵略者が現れ、東南アジアや西ヨーロッパへ軍事侵攻を仕掛けてきていたためだ。


 侵略者は狡猾かつ残忍だった。先ずアメリカでは人種対立を利用して内戦を引き起こし、国外へ手出しする余裕を失わせた。ロシアと中国では首都に大量のゾンビが現れ、国家としての機能を喪っていた。そうして面倒な国々を沈黙させた上で、フィリピンとアイルランドへ兵を進めたのである。


 俺は水陸機動団の一員として、沖縄本島の奪還作戦に参加した。幸いにも召喚されたときに与えられた魔法は使えたため、他人に怪しまれない程度で使い、仲間を守った。戦後、俺は英雄を欲した防衛省の意向もあって、勲章と一等陸尉の二階級特進という『ご褒美』を受け取った。もちろん増えた給料は両親の生活のために使ったし、同時に戦争で被災した人達を救済するための基金を設立したりもした。一部のメディアが幽霊に襲われながらも『人殺しの偽善だ』と非難したが、一人でも困っている人を助けられるのなら十分に耐えられた。


 そして1年が経ち、一人暮らしを満喫していたその時。二度と会うことはないはずの王女様は俺のところに現れた。それも、まるで魔人みたいな姿となって。


・・・


「…クラウディア殿下、お久しぶりです。しかし、その姿…一体何があったのですか?」


 俺の務める駐屯地の近く、同僚数人を招いてパーティーを開ける程度には広いマンションのリビングで、俺はテーブルの向かい席に座るクラウディア王女に尋ねる。


 俺の記憶の中では、彼女は腰まで伸ばした明るい茶色の髪に緑色の瞳、そして白いドレスの似合う容貌だった。肌も真珠の様な乳白色で、病気がちだったとしても血の色はそれなりにあった様に見える。


 しかし今、目前にいるのは記憶とは全く異なる姿だった。黄金色に輝いていた髪は銀色に染まり、髪型もショートボブにまとめている。肌の色は白磁の様な白色で、瞳も右目は緑色だが左目は赤色になっている。何より左のこめかみの部分からは黒く鋭い角が生えており、異形の容姿をその場に表していた。しかも服装は日本で一般的なレディスのリクルートスーツであった。


「…長いお話となりますが、よろしいでしょうか?」


「…はい」


「…話は、シンジ様が元の世界へお戻りになられた2年後にまで遡ります」


 そう言って王女は、俺が去った後の事を語り始めた。


 俺が地球へ帰還したその2年後、あの王様は若くして亡くなり、親戚に当たる者が王位を継いだ。だが即位式の際、事件は起きた。


 魔王城での戦いの後、行方不明になっていた筈だった魔王の息子が単身王宮へ襲撃し、その場にいた者達を皆殺しにしようとしたのだ。


 クラウディアはその際、立つのもやっとの状態な程に弱っていたのだが、新国王を守るために身を呈し、そして魔法攻撃で半身を焼かれた。直後に即位式に臨席していたガラル一族の当主が、王剣ヨエユーズで魔王の息子を突き刺したが、ここからが問題だった。


「そこの小娘、その死にかけの身体でよくぞ立ちはだかった!この私が自ら、お前に永遠の呪いを賜ってやろう…!」


 直後、大量の血がクラウディアに降り掛かり、魔王の息子は死んだ。そして翌日、クラウディアは表向きには新国王を庇って魔王軍残党に殺されたと発表された。


 だが、クラウディアは生きていた。いや、魔王の息子に生かされた。魔人と同等の能力を刻み込まれた彼女は、トスカニアから離れた地で隠遁の日々を過ごした。その長さは実に1000年近く。まさに『永遠の呪い』であった。


「そうだったんですか…ですが、どうして私の下を訪れたのですか?一体どういう理由で…」


 俺がそう訝しむ様に聞くと、クラウディアは一瞬目線を下に落とす。しかし直ぐに意を決したかの様に上に向け、言った。


「では、単刀直入に申し上げます。シンジ・ミクモ様…貴方に、再び勇者になって欲しいのです」

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