千番目の図面

解体業

千番目の図面

 タツルは世界で一番美しい城をつくろうと心に決めていた。それは単なる夢物語ではなく、彼の全てであり、彼の人生をかけた大義だった。彼が初めて建築に興味を抱いたのは幼少期、父親が何気なく見せた古い建築図面を見たときだ。その時には何とも思わずにいたが、その後の彼の学生時代を経て、美しさと完璧を追求することに人生を捧げようと心に誓った。

 彼にとって、自身と美しい城は一体一対応であり、片方無くしてもう一方は存在し得なかった。完璧でなければ意味がない。その理想は大木のように彼の心に力強く根を張っていた。

「これは、完璧じゃない。」


 タツルがそう呟くのは彼の日課となっていた。設計図が机の上に広げられ職人たちが彼の周囲に集まっている。誰も声を発さない。彼の鉛筆が図面をなぞり、新しい修正が加えられるたび、職人たちは肩を落とし、作業を中断せざるを得なかった。

 最初の頃、職人たちは建築への彼の情熱的な向き合い方に心を動かされていた。彼の理想は壮大で、誰もがその完成を一目見たいと思っていた。しかし、設計図は何度も書き直され、実際の工事はほとんど進まない。積み上げた壁が崩され、組み立てた塔が取り壊されるごとに、彼らの熱意は薄れていった。

「これで完成したら、どれほど素晴らしいものになるだろうな」


 職人の一人がそう言ったのは、工事が始まって半年が経った頃だった。

「完成なんてしないさ」


 もう一人がつぶやいた。達の終わりなき修正を目の当たりにしていた彼らには、完成を信じる気力は少しも残っていなかった。

 それでも、誰もタツルにそのことを言うことはできなかった。彼の眼差しはいつも真剣で、彼の語る理想はあまりにも輝いていたからだ。

 彼の設計図は、まるで生きているかのように形を変え続けた。それが、どれほど無駄な作業であろうとも、タツルにとっては理想を追い求めることが唯一絶対の正義だった。彼が言うには、城の美しさとは「時間や場所を超越した永遠の輝き」であり、そのためには一切の妥協が許されないらしい。

 彼は寡黙な男で、建築以外についてはほとんど喋らなかった。それゆえに、彼の言葉には重みがあった。

「もっと高く、もっと優美に。」


 彼の指示は止まることがなかった。しかし、いつしか職人たちはその声をただ受け流すようになっていた。

 ある日、一人の若い職人が思い切って口を開いた。


「タツルさん、これ以上の修正は必要ですか?僕たちの力では、これ以上は無理です」

 タツルは目を細めてその職人を見つめた。しばし沈黙が続いた後、彼は静かに言った。


「美しさを追求するのに、限界なんてない。僕たちが諦めたとき、それはただの敗北だ。」

 若い職人はそれ以上何も言えなかった。その場にいた他の職人たちも目を伏せ、作業に戻った。その日以降、その職人の姿は工事現場から消えた。

 タツルは毎晩、図面と向き合い続けた。どれだけ修正を重ねた図面でも、彼は常に新たな欠点を見つけることができた。

 やがて、彼の体は無理がたたり、徐々に衰弱していった。それでも彼は鉛筆を手放さなかった。彼にとって、理想を追い求めることこそが生きる意味であり、城の完成を見るまでは死ぬわけにはいかないと思っていた。


 しかし、現実は無情だった。

 タツルは理想を抱えたまま死んだ。

 達が亡くなったとき、城の建設は半ばで止まっていた。石垣がいくつか積まれ、塔の骨組みが空に向かって伸びていた。設計図には、さらに修正を加えた痕跡が無数に残されていた。

 彼の死後、彼の墓石には家族からのせめてもの言葉として、「未完成でも美しいものはある」という文言が刻まれた。

 そして、タツルの死を受けて、家族や後継者たちは、彼の遺産が尽きるまでは彼の建築を進めるが、未完成の設計図も含め彼の遺産全てを引き継ぐことなく放置するという決断を下した。しかし、遺産はすぐに底を突き、城の工事は途中で終わり、そのまま放棄されることとなった。荒れ果てた土地に、よく分からない巨大な構造物だけが無機質に残された。


 だが、一週間ほどたった頃、その城の姿が人々の興味を引いた。彼の城は観光地として脚光を浴びるようになった。訪れる人々は、そのつくりかけの塔や崩れかけた壁を眺めながら、さまざまな感想を口にした。

「城は完成したものが一番だと思っていたけど、この壊れかけの城も結構いいね」


 ある観光客が言った。

「壊れる前の城は、どれほど美しかっただろう」


 別の観光客はため息をついた。

 また、城の各所から、過去の栄光や時代の移り変わり、「朽ちる美」のような侘び寂びを見出す者もいた。

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