第41話
鉄扉を静かに閉めたつもりだが、驚くほど大きな音が出た。小走りで未来の姿を探す。すぐに寝ている未来の姿を発見した。背を丸くして寝ている。時折、体が痙攣していた。夢でも見ているのだろうか。
「未来っ! いつまで寝てんだよ。そろそろ起きな」
「……」
近づいていく。
「もうすぐ、雨が降るよ。早く起きないとびしょ濡れになる。なぁ、未来」
さらに一歩。もう一歩。徐々に僕と未来との距離が近づく。それに伴い、ある違和感が僕の中で生まれた。さっき見たよりも未来の背中が大きくなった? ような気がする。目の錯覚かな。
「未来、なにしてんだよ! さっさと起きろって。もう帰る時間だよ」
僕は……。さっきから何を恐れているんだ。
「ナオ……僕から離れて」
「何言ってんだ。ワケ分からないこと言ってないで、早く起きなよ」
「カプセルを飲むのを忘れてたんだ。もう時間がない。理性があるうちに早くこの場から逃げてくれ。早くっ!」
未来の顔を見て絶句した。
理科準備室にある狼の剥製。未来は、それと同じような目をしていた。口からは、牙のようなものも確認できる。さっきからずっと未来は、重苦しい息を吐き続けていた。小さな雨粒が、頬を流れる。とうとう降ってきた。
「なんだよ……それ。悪い冗談はやめてくれ」
冗談なんかじゃないこと。分かっていた。『覚醒者』その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。昨夜、ナナの母親から聞いた話。未来も僕の両親と同じ覚醒者に違いない。
とにかく今は、この場から逃げよう。ようやく、正常な判断を下せるようになった僕の頭が、止まっていた両足に指令を出す。
「っ!?」
しかし、僕の意思を拒絶するように左足しか動かなかった。その原因は、僕の右足を未来の巨木のような手が掴んでいるからだった。信じられない速さで、未来は僕との距離を詰めていた。
「ぃ、痛っ!」
無理に動かすと激痛。足の骨が折れそうだ。
お前を絶対に逃がさない! 言葉を発しなくてもその手からは、嫌というほど未来の意志を感じた。未来の鋭い爪が足に食い込むと、頭がチカチカと明滅するような痛みが全身に走った。
ヤバイ。
このままじゃーーーー。
僕は未来に喰われる。
ここで死ぬのか? 両者の力の差を感じ、すでに逃げる気すら失せていた。口を開けた未来が、僕に覆い被さる。一瞬で殺してくれ。せめてもの願いだった。
ヒュゥウッッ!!
谷間風のような音。それと同時。
何かが、僕の顔の前を横切った。数秒遅れで、それが手だと分かった。その両手は、顔の半分まで裂けている未来の口を強引に押し広げた。呻き、必死に暴れて抵抗を続ける未来だったが、その手には抗えなかった。白く透き通った右腕が、未来の口の中に関節までズッポリと入っている。細枝のようなこの手のどこに、変異した未来に対抗できる力を備えているのか不思議だった。
この手の主。雨に濡れた短いスカートが、風になびいている。
白銀の髪。こんな神々しい髪を持っている人物は、一人しかいない。
「ナナ?」
ジュポッ。
未来の口から手を抜いたナナは振り向き、僕を見た。ナナの目。血が溶けたような真っ赤な目の中にゴマのような細い瞳だけが浮かんでいた。その目を見て、僕は再度、死を覚悟した。未来の姿も恐ろしいが、ナナの目はそれ以上に僕に恐怖と絶望を与えた。自分が、喰われる餌であるとはっきりと分かった。
「震えてる。でも、もう大丈夫だよ。カプセルを無理矢理飲ませたから」
一度目を閉じる。次に目を開けると、人間の目に戻っていた。ナナのその顔を見て安心した僕は、口を微かに動かした。
「あ…ぁ……」
自分でも聞き取れないくらい声が小さい。
もし、ナナの登場があと数秒遅れていたら、僕の頭は砕かれ、未来の腹の中に収まっていただろう。確実に殺されていた。今もナナの側で倒れている未来。その体は、次第に縮小し、元の姿に戻りつつあった。
「未来は、大丈夫?」
「大丈夫だよ。何の問題もない。私の手が汚れた以外は」
そう言ったナナは、僕にあの『赤いカプセル』を見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます