第20話

お茶をナナの顔の前まで持っていくと、ナナは右目だけを器用に開け、僕からお茶を受け取った。僕は、炭酸のプルトップを静かに開ける。すると、運が悪いことに凄い勢いで中身が飛び出してきた。





プシュルルルルッッ





なんだよ、これ! はぁ……ついてない。




「ほれ、ハンカチ」




「あっ、ありがと」




ナナは、ポケットにねじ込んでいた青いハンカチを僕に手渡した。皺だらけのハンカチだったが、ないよりはマシ。僕は、ボーダーシャツについた汚れを落とそうと手を必死に動かした。このシャツは、僕のお気に入りだったのでつまらないシミなどつけたくなかった。


そんな僕の様子を黙って見ていたナナは、




「服を脱ぎな。そこの水道で洗ってきてあげるからさ」




そう言うと、強引に僕のシャツを脱がしにかかった。




「いっ、いいよ! そんなことしなくて。こうやってれば、汚れも落ちるだろうし」




僕の言葉などナナの耳には入っていないらしく、僕は無様にも上半身を裸にされた。僕からシャツを奪ったナナは、水道まで走ると熱心にシャツを洗っていた。 


水を切ったシャツを鉄棒にぶら下げる。




「気温も高いし、一時間もすればある程度乾くよ。良かったね。ありがとうございます、ナナちゃんは?」




「えっ、何? それ」




「感謝の言葉だよ。礼儀でしょうが、普通」




「……ありがとう、ナナ」




「ちがぁぁぁう! ありがとうございます。ナナちゃん、大好きだよ。でしょ?」




さっきと言葉がだいぶ違うけど。それに好きってなんだ。こんなに安っぽい好きって言葉があるだろうか。




「ありがとうございます、ナナちゃん。好きだよ」




棒読み。




まるで自分がロボットにでもなった気分。この無意味なやりとりはなんだ。




「ほんと?」




頬を若干赤らめて、潤んだ瞳で僕を見つめてくるナナ。予想外の女の子らしい反応に僕は戸惑い。




「うん、まぁ………」




友達としてだけどね。ってか、僕たち友達なのかな。それすらも良く分からない。




「フフ、そうなんだ。ナオは、私のことが好きなんだ。ふ~ん」




嬉しそうに僕の顔を覗いている。ナナの純粋な気持ちが、伝わってくる。僕は、曖昧な返事をしたことを少し後悔した。


ナナの僕への気持ち。鈍感な僕でもそれは分かっていた。分かっていたけど、僕は何もしない。これは男として一番最低な行為なのかもしれない。




「ナオ。その痣はどうしたの?」




「あぁ、これね。これは、僕が産まれたときからあるんだ。たぶん、一生消えないと思うよ。結構目立つから恥ずかしいんだけどさ。水泳のときとか」




僕は、胸にある青い痣を右手で隠した。心臓の近くにある痣。この痣のことを聞かれるのは、もう何度目か。


ナナは、僕の手を強引にどけて、まじまじと痣を見ていた。ナナの吐息が胸にかかると頭が痺れ、思わず口元が緩んだ。




「痣の形。何かに抉られたみたいだね。熊か、それとも狼? 野犬かな」




「そう言われてみるとそんな気もするけど。そんなことより、話は? あんまり帰りが遅くなるとおじいちゃんが心配するからさ。十時には、帰らないと」




「マザコン、いやっ、おじコン」




なんだ、おじコンって。




「違うよ」




「ナオのおじいちゃんって面白いよね。ワタシ、スキダ。アノ、オジイサン」




「なんで片言なんだよ」




「この前、おっぱいが大きい化粧した男の人と一緒に歩いてたよ」




「……話がないなら、帰るよ。僕だって暇じゃないんだ」




僕は、立とうと足に力を入れた。




「待てっ! とっておきの話を思い出した。今回の話は、本当に特別。今までの話が、ゴミに思えるほどに」




「ずいぶん自信満々だね。じゃあ聞かせてよ、その話。ナナのとっておきってやつをさ」




ナナは、一度目を閉じると静かに語りだした。何かを思い出しながら、言葉を紡いでいく。




「ビビるなよ、ナオ」




「何に?」




「私の話術に」




……。


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