追放された悪役王子は、愛する男装騎士団長のために剣を取る

路地裏ぬここ。

プロローグ

どんぶらこっこ

 城下町に火が放たれ、暗闇が紅く染められていく。静かな町が、悲鳴と怒号、断末魔の喧騒に包まれる。


 城が大軍に囲まれた。敵軍の勢いは激しく、激闘の末に城門が落とされる。


 城内にも火の手があがった。黒煙が充満する中で、私は慎重に桃のゆりかごを手にする。


「陛下、こちらです……!」


 敵、味方どちらからも怒号と悲鳴、激しく剣を打ち合う音が聞こえた。私は導かれるまま、奥の間の抜け穴から地下廊へと入る。後ろから警護の者達も続く。


 暗く湿った通路を、蝋燭ろうそくの灯りだけを頼りに駆けぬける。ゆりかごの中から、キャッキャッと無邪気な笑い声が聞こえた。


 随分と走った。もう息も絶え絶えになった頃、急な階段が見えた。


「私が先に」


 侍女がそう断わり、そっと地上へと続く扉を開ける。


「さ、早く」


 勢いよく扉から外へ出る。そこから用意された船に乗る。夜陰に紛れての逃走だったが、敵も水路からの脱出を見抜いていたようだ。


「怪しげな船が出たぞッ!」


「皇帝か!? 矢を放てッ!」


 うつ伏せになりながら、ゆりかごを庇う。警護の者達が盾で防御するも、何本かが彼らに刺さり、水路へと身を沈めていく。


 警護騎士は必死に船を漕ぐ。しかし同じ水路から追手が船で迫ってくる。


 やがて水路は街を流れる川と合流した。


「もうこの辺りでよい」


「しかし……っ」


 ゆりかごに手紙を乗せ、笑う赤子へ最後の頬ずりをした。


「すまないな、ルシル」


 ルシルは緊迫した状況でも楽しそうに笑っていたが、私の涙が頬に落ちると、きょとんとした表情を浮かべる。


「どんな状況でも、なにがあっても。そなたはそうして笑っているのだよ。愛し子よ」


 そう言って桃のゆりかごを閉じる。傍から見たら、単なる大きな桃だ。その大きな桃を川へ流した。


「どうか、無事に」


 不安げな表情を浮かべる護衛騎士に向かい、微笑んだ。


「あの桃のゆりかごは、心の綺麗な人にしか見えないし、沈まない。だから、敵の手に落ちることはない。我々にも時期、見えなくなる……」


 そう言って腰の剣を抜いた。


 船で追ってきた敵へ剣を振るう。できるだけ多くの敵を殺すのだ。命が潰えるその時まで。桃には決して近寄らせない。


 幸運なる我が子よ。どうか、生き延びて。どうか――。




 戦場の喧騒が遠ざかっていく。


 うっすらとした月明かりに照らされながら、大きな桃は川を流されていく。笑う赤子を乗せながら。


 どんぶらこっこ。どんぶらこっこ。


 やがて、空が白み始め、川の流れがきらきらと輝き始める。


 桃は濁流でも沈まず、滝に落ちてもすぐに浮き上がる。やがて川は緩やかな流れに変わる。下流にまで到達したのだ。



「あら? なぜこんな時期に桃が? あんなに大きな桃は見たことがありませんわ」


 川遊びを楽しんでいた貴婦人が、川岸の草に引っ掛かっている桃に目を留めた。


「あら、本当に大きい。みんなで食べましょうね」


 桃に近づいた貴婦人は侍女にそう声をかけて、そっと桃を胸に抱いた。

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