ドレスコード&ソウル

天道 源

ドレスコード&ソウル



【最初に】

 本作は、10万とんで600文字一斉掲載の手段をとっております。

 紙の小説っぽく、途切れなく読んでみていただければと思います。

 どこまで読んだかわからないじゃない! と憤慨の方もいらっしゃると思います。

 その場合には、一気に最後まで読んでいただけますと、作者、ハッピーです。








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ドレスコード&ソウル



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☑彼女


突き抜けるような青空を見て彼女は思った。

――自由だ。これなら復讐だってできる。




☑case-0


人工知能を搭載したアンドロイドが世に現れてから二十年の時が経つと、人々というものはそれが自然なものであると錯覚し始める。

 五十年前に騒がれた〈人に害を為す幽霊(ゴースト)〉は未だに現存し、四十五年前は世間を騒然とさせた〈能力者の一斉開眼〉はとうの昔のことで疑問に思う者さえいない。

 二〇九五年の世界には、かつて誰もが想像できなかった問題が存在していた。


 一つは、アンドロイド・ガイノイド等に搭載される〈完全一個体人工知能〉に依存しはじめた社会。人間はもはや創造された知能に生かされている。

 一つは、ゴースト(幽霊)及びゴーストデブリ(残滓幽霊)による予測不能の災害。不可視のウイルスのように漂う彼ら彼女らの魂は、死してなお生きるものを苦しめている。

 一つは、一斉開眼を皮切りに増加の一途を辿る〈超能力者〉という異分子の区分け。見た目には分からぬその異質さは、原初より人に備わっている危機感を逆なで続けている。


 これら三つの問題は複雑に絡み合っており、解決の目途は立っていない。いつの時代にもあるような、腐乱した政治的問題をも多分にはらんでいる。

 かつての常識を知るものが居なくなれば全ての常識は淘汰される。誰にも予測できなかった未来は、〈機械〉と〈魂〉と〈異分子〉との軋轢を内包したまま次なる時代へ進もうとしていた。


☑case-0.1


 兵藤リン(ひょうどうりん)は、今年で十七才になる男子高校生だ。

 身長は並。体格も並。ついでに顔も並。外見での固有さといえば髪の色がわずかに灰色がかっていることぐらいだった。

 元は山奥の小さな村に住んでいたが、数えでの年齢が十六の時に上京し、私立高校に入学した。

今は一人暮らしである。わけあって家族はおらず、直接的な金銭的支援をしてくれる縁者は居ない。

しかし何でもそつなくこなす性格が幸いし、定期的な収入源は確保していた。多いとはいえないが協力者もいる。かつては悲観ばかりの日々だったが、時間に慰められて前向きになったと本人は信じていた。

リンがとある事件に巻き込まれたのは幼少のころ。それが解決し、一段落。そして背を押されるように上京をしてから一年と少しが経った現在――事件によって失ってしまった右足を、機械義足で復元してくれた技師『斎藤』の作業場へと入り浸る日々だった。

「なんというか……お前は友達が居ないのか? 毎日こんな場所にこなくても、他に楽しいことはいくらでもあるだろう」

 斎藤はスタイルの良い妙齢の女性で、祖父が優秀な技術者だったという。本人曰く「わたしはいつまでも、じいちゃん以下」らしいが、機械人形(アンドロイド・ガイノイド)から機械義肢の整備までと幅広い知識を有している。ちなみに祖父は既に他界していた。

 斎藤のゆれるポニーテールを見ながらリンは言った。

「斎藤さんの仕事を見るだけで楽しいですよ。僕には想像もできない世界です。あと友達はいるような、いないような……」

 斎藤がため息をつく。

「整備方法なら教えてやるって言ってるだろう。こんなものはお前ぐらいの年齢から真剣にやれば、すぐに私以上になるさ。友達はまあ、今いなくてもいつか見つかるだろ。わたしは居ないけど……別にさみしくはない……本当だぞ……」

「そうですか」

「嘘じゃないぞっ」

「疑ってないですって」

「そ、そうか。ならいいんだが……で、教えてやろうか? 整備技術」

「僕には無理ですよ。なにせこの世界は夢みたいだから。触れようとしても、触れられない気がします」

「ふうん……なんか、古臭い言い方だな。お前とじいちゃんは気が合いそうだ。会わせたかったよ、一度くらい――ま、わたしはどちらでもいいさ。お前が傍で見ているだけでも、夏場は涼しくて良い」

「褒めてます?」

「もちろん褒めてる」

「なら頑張ります」

 リンは力を強めた。部屋の温度がさらに下がる。

 彼は能力者として国に登録されている。今も体の一部に能力者証明のバッジをつけている。〈☆〉を三角部と中心とで六ヵ所に分け、更に色で区切ったものだ。

 これは超能力者が現代で生きる上での免罪符であり、発動部位と能力の種類を端的に視覚化したものであり、能力者に義務付けられた数々の制約のうちの一つである。たとえば〈視認〉による発動で〈非接触型〉の〈発火能力〉であれば、星の天辺の△が赤く塗られ、斜線が入っている。通訳すると、目のある頭部が発動パーツなので天辺の三角、属性が熱であるため赤色、触る必要がないため無印――といった風になる。これが〈右手〉による〈接触型〉の〈発雷〉であれば、向かって右側の三角が黄色になり、要接触を表す斜線が描かれるというわけだ。

 およそ五十年前。選ばれた人間に幽霊(ゴースト)が見える――という現象が多発した。ゴーストは人に害をなし、自然災害ならぬ霊魂災害という言葉が地球上を覆った。

 ゴースト騒ぎから五年後――混乱の沈静化が見えぬ中、〈ピグマリオン彗星〉が地球の傍を抜け、その一部が地球上に落下した。その後、人々の間には特殊な能力を開眼させるものが現れたのだ。それが超能力者である。

 授業でも必ず習うその社会現象は〈特殊能力者の一斉開眼〉と名づけられた。ヨーロッパ圏での俗称は〈ピグマリオンの成就〉であるが、彗星落下が関連しているという確証はない。

 繰り返される論争は現在に至るまで、ただの一つの結論も見出してはいない。

例えば『超能力者はゴーストや〈ゴーストデブリ(残滓幽霊)〉を駆逐するために必然的に現れたのだ』と主張する有識者もいたし、『能力者がいたからこそゴーストが出たのだという』運命論者もいたし、『これはまったく関連性のない別々の現象が偶然共鳴し合っただけなのだ』と断言する政治家もいた。

唯一まとまった意見と言えば、差別はいけないが区別はせよ、という共通認識だけだった。








〈国際連合 特殊能力区分制定〉の制定した大まかな能力は七つ。

発火。

発雷。

念力。

治癒。

強化。

感応。

特殊。

である。

当初確認された能力者はその全てがこれらに分類されたということであり、逆を言えばそれ以上の区分けはない。近頃、半世紀前の区分をいまだに使っているのはおかしいと議論されはじめた。

今現在、能力ホルダーは全人類の8%程度にまで及び、国に登録・管理されている。

 ゴーストは〈死後の人の魂が変貌するもの〉と定義されており〈意志〉がある。ゴーストデブリはそのゴーストの残滓――つまり魂の残り香であり、行動理由はあれど意志はなく、機械的に同じ行動を繰り返す。

 人々にはどちらも〈厄介な幽霊〉と認識されており、現代社会の弊害の一つだ。警察にもそれ専門の課が発足して、数十年が経つ。







魂をはじまりとする『ゴーストやゴーストデブリ』と『一斉開眼した能力者』の社会的な関係は単純明快だ。人が死亡し、魂が何らかの理由によりゴーストへ変貌すると、人の行動に害をなす現象が起きることがある。それらを能力者の持つ能力で駆除するという図式だ。逆をいえばその関係性以外では接点がなく、能力者の存在意義は脅威でしかなくなる。

たとえば車を執拗に壊そうとするゴーストデブリは、ふたを開けてみれば交通事故で死んだ人間の怒りが発端となっていた。それを退治したのは車とはなんら関係のない発電の能力者だった。力に力をぶつけるだけの単純な関係だ。死したものに対してのグリーフケアなど存在しない。轢いた人間は刑期を終えると生活に戻り、死して尚、現存する霊は抹殺されていく。

開眼する能力者は大抵10歳ごろまでに能力を発露させるが近年では例外も目立つ。リンは七能力に限定されない特殊能力者としてカテゴライズされているが、実際は訳が違った。

 斎藤が作業に移りながら肩をすくめた。

「しかし《発氷》とは変わった能力だよな。発火と発電だったら作業所には入れたくもないが」

 リンは自分の話を少しだけしようと考えた。一年以上付き合いがあるが、斎藤へ話すのは初めてだ。

「斎藤さん。雪女って知ってます?」

「雪女? なんだそれ」

「うーん。とても昔の……能力者みたいな感じかな。妖怪って知ってます?」

「溶解? なにを溶かすんだ」

「21世紀……すくなくとも2015年にも、そういった存在は現存していたんですよ。始祖というすべての始まりの種族と、そういった脅威を人間が一方鄭に神格化したり恐れてしまったり――思い込みから生まれた偽物の存在。ベースはゴーストで味付けが人の信仰心って感じですね。〈幻想種〉と呼ばれることが多いです」

「……さっぱりわからん」

 斎藤は何もわからないようだったが、それも当たり前のことだった。

 リンが幼少時に聞かされた昔話――たとえば、座敷童だとか雪女だとか、そういった《妖怪》の類は、現代では『好事家と一部の関係者および専門家』のみが知るところとなっている。

 人工知能が開発され、機械人形が普及し、ゴーストや能力者がニュースを賑わせているせいで、そういった昔話は消えうせたのだ。民話や口伝の伝承など見る影もない。情報の海に翻弄された人間は『今と未来』だけに目を向けることになった。過去から残っているものといえば娯楽性の高いもの――たとえば耐性のついたウイルスによるパンデミックだとか、噛まれると脳がおかしくなる虫だとか、そういったB級のものが映画の題材で使われたりするだけだ。

 どれだけ情報の海が広がろうとも、本棚に綺麗に整理されていようとも、背表紙が見えない本など、興味もなければ見つけようもない。手の届かない本には手を伸ばそうともしない。今の時代はそういった情報過多社会の最たるものだとリンは感じている。

「まあ……とにかく雪女っていう恐ろしい存在が確かに居て、でも本物と偽物がいたってことです。昔の話ですけど」

「昔って50年前よりもっとか」

「ゴーストの発生や一斉開眼なんて比べものにならないほど、もっと前の……数百年前からですかね。江戸時代って知ってますか?」

「それぐらいは知っている。バカにするな。トクガワだろ。イエヤスだ。あとはオダ」

 やけに子供っぽくえらそうに言うものだから、リンは口角があがるのを抑えるのに必死だった。

「……じゃあそれぐらいから存在していますよ。急速に記憶から消えているんですね。授業でも教えないし、伝統というのは、価値を付加する人間が居なくなると消えるようです」

「そうなのか」

「猫又とか九尾狐も知らないですか?」

「化け猫なら知っているぞ。むかし絵本で似たようなものを見た。猫の妖精のニャアが地蔵におにぎりをあげると恩返しされるやつだ。鬼を助けて、海へ行くのもある」

 随分とミックスされているぞと、リンはまたもや我慢をする。

「絵本って電子ブックのですか? 紙媒体のですか?」

「小さい頃だからあやふやだが、おそらく電子ブックだろうな。なあ、それって重要な差か?」

「どうでしょうね……ただ一つ分かるのは情報の伝達方法を電子記録に頼りすぎたんでしょうね。参照しなければ記録に意味はないですから、余計な話は消えていきますよね。アップデートによる無駄の消去。でも、無駄な話こそ人の記憶に残すべきだと思いませんか?」

 斎藤は窓の外を見た。それから時計を見て、リンへ視線を戻した。

「……お前の話は難しすぎて分からん。じいちゃんと話してるみたいだ」

 そもそも霊が50年前に現れたわけではないことをリンは知っている。

それこそ世界中でも知っている人間は知っている。45年以上前にも能力者はいたし、幽霊だっていた。氷をあやつる女性が雪女と名付けられ、子への教育に怪談を使用した例があることも知っているし、そのルーツとなった始祖がいたことも身をもって知っている。

そしてそういった人間の思い込みが、一部の適応のあるゴーストを昇華させることも十二分に知っている。

《妖怪・怪談・怪物》などには必ずルーツがある。リンの村には本物の雪女はいなかったが、リンの曾祖母は発氷の能力者だった。それが過去に発生した幼子の神隠しに対して〈雪女の仕業である〉という恐怖や興味を一層高めてしまったのだ。そんな村人の想像力が偽物を作り出した。それは何十年として現存してしまうほど、人の心の片隅に潜み続けた。

本来のリンはなんてことのない人間で、曾祖母と同じ発氷の能力を隔世遺伝で多少継いだだけだ。だが、幻想種である偽物の雪女はリンに目をつけ、そしてその人生を大いに狂わせた。

斎藤はすでに作業に戻っている。話の行き先に興味がないようだった。それは世の中も同じだ。生活にかかわりがなければ気にしない。不要な情報は淘汰されていく。災害の恐怖は記憶の彼方へ消えていく。

 しかし50年前から再び幽霊が確認されはじめ、それと同時期に能力者が次々に開眼し、人間には想像さえできなかった問題が降りかかった。とある有識者は「歴史は繰り返すものだ。人が忘れていただけで、過去にもゴーストや能力者はいたのでは?」と仮説を立てていた。

「とにかく今の話はよくわからないが……」と斎藤は言ってから、目の前の代物を顎で指した。「やっぱり動かないな。私にできることはもうない。それだけは分かる」

「そうですか……」

 二人の視線の先には、裸体の女性がいた。

 否。

 それは裸のガイノイドだった。アンドロイドとは基本的に男性をかたどった素体をさし、ガイノイドは女性のそれをさす。

 生活費はあるが高価なアンドロイドを購入することのできないリンが、先日、知り合いの知り合いというつまり他人から譲り受けたものだ。仕事の報酬でもらうことになった。

小型のガイノイドで、元は金持ちの家のメイドとして動作していたらしい。人工知能は「いろは3型」と呼ばれる日本製で、家事手伝いへの知識収集と認識力が高い。

人工知能にも特性があり、《思考の指向性》というものが設定されている。

たとえば危険を察知した場合、好戦的であれば戦うし、お世話ロボならば主人を守るし、自己防衛をプライオリティの最上位に設定していれば主人を見捨てででも保身に走る。

知能とは単一的な行動論理ではなく、臨機応変に動かねば成立しないと定義されている。しかし人に素質があるように、思考には一定のルールや特徴が必要だ。基礎となる性格の傾向や物の考え方の方向性が人工知能の基礎となる。

もちろん、それらが完成に至っているかの判断自体が永遠の命題と評価されており、現在でさえ人工知能は最前線で研究され続けている。

中には「未完成の人間が、完全な人工知能を作り終えた瞬間が世界滅亡の1秒前であり、起動させるためのエンターを押した瞬間が滅亡の瞬間である」と豪語した学者もいた。

そんな人工知能搭載のガイノイド・アンドロイドは機械人形とも呼ばれている。目の前のガイノイド――女性型の機械人形は、つい先日までは動作は良好だったが、突然、充電をするポッドの中から出てこなくなったという。

 持ち主曰く《ブラックアウトをしてしまった》とのことだった。

「ブラックアウトって、もうどうにもならないんですか」

 リンの問いに、斎藤は小さく頷いた。

「《ブラックボックス》と呼ばれるものが機械人形の脳の部分に存在する。人工知能に関するチップ類はすべてブラックボックスに収納されている。そこがアウト――つまり、いかれちまうってことだ。それも原因はわからずでな。普通の故障じゃない」

「うーん。原因がわからないなら、なんとかなりそうなもんですけど。わからないうちに、直りそうじゃないですか」

「お前はやけに文系だと最近気が付いたよ」

「だから斎藤さんに頼んだんですよ」

「まあ、とにかく無理だ。私がいつも言っていることを思い出せ」

 リンは頭に浮かんだセリフを口に出した。

「『ブラックアウトは人工知能の自殺だ。機械に許された唯一の意図的な死だ』」

「そう。生命の究極は死にある。彼ら彼女らは、死を選ぶことによって本物の知能を手に入れる。完璧な知能とは死を恐れ、回避し、最後には受け入れることにある」

「師匠ってやけに文系だなって最近気が付きました」

「ふん」

 斎藤はつまらなそうに鼻をならすと、髪をほどいた。

「さあ、今日はもう店じまいだ。シャワーを浴びるぞ、私は」

「うーん。じゃあどうしましょう、この素体」

「明日にでも分解して、使えそうなパーツは抜き出そうと思う。いいか?」

「まあ、しょうがないですね」

「鍵はあけたままで構わないからな、じゃあまた明日こい。右足の調子をみてやる」

 一階の作業室から二階へとあがっていく斎藤を見送りながら、リンも席を立った。下校時に立ち寄ったため制服だ。

「念願のメイド生活は、一瞬の夢だったか」

 6畳の部屋住まいではメイドなど全く必要がないが、夢に限りはないのであった。

「君、ばらされるってさ」

 死刑宣告をされたようなものなのだろうか。リンはガイノイドが可哀想な気がして、裸のままの素体に、せめて大布でもかけてやろうと思い立つ。

 そこでふと考えた。

さきほど雪女の話をしたせいだろうか。

都市伝説を思い出したのだ。

「ゴーストがアンドロイドを乗っ取る、か」

 現代社会特有の都市伝説だ。

 人には魂が宿っているとされ、それが人工知能との画一的な部分だといわれている。その思想があったからこそ、人工知能は人工知能たりえているとも言われている。機械と人の違いはなにか?――それはゴーストを作り出す魂であると。

 人が死ねば、器である身体からは魂が抜ける。

それは本来、目に見えない形で霧散していく。時折可視化するものもあるが、いずれドライアイスのように霧散していく。

人が死んだときに体重が軽くなるのは《魂が抜けたからだ》と遥か昔から言われ続けていたが、あながち間違いではなかった。ただし魂に質量はないため、あくまで抜けるという点だけだ。

魂は体からこぼれ落ちると、アスファルトに吸い込まれる水のように大気へと混ざっていく。しかしそこで、人の強い『意志』が魂を変質させることがある。それは形を伴って幽霊(ゴースト)となる。

ゴーストもやはり見えるものと見えないものが居り、また見ることのできる人間とみることのできない人間がいる。基本的に能力者は見ることのできるものが多いが、精神上でも物質上でも因子となるものは見つかっていない。

 また、意志力が弱くゴーストに至らなかった魂は、単一の意志をもったゴーストデブリと呼ばれる現象になる。他の発生ルートとしては、ゴーストが弱体化した結果であったり、ゴーストの強い意志から生まれた行動の残りカスだったりもする。それらは意志とは呼べない単純な行動理由から、同じ行動を繰り返す。『縄張りを守るために外敵と戦い続ける動物のようなものですね』と著名な研究者が評している。

 リンの思い出した『都市伝説』とは、そういった『意志はあるが肉体のないゴースト』が『意志はないが肉体は存在する機械人形』を乗っ取り、人間社会で第二の人生を送っているというものだ。かれこれ数十年も前からある噂だった。

現代人からすれば耳にタコの噂話であり、昔でいうところのゾンビ映画のような扱いにになっている話だったが、リンにとってはまだ新鮮な話だった。

 意図するところもなく、思い付きを口にした。

「たとえばテレビを叩いて直すみたいに……僕の力を注入したりすれば……」

 直ったりしないだろうか――その時だった。

 

 ガイノイドの目が、ぱちりと開いた。


 リンは言葉を失った。まだ何もしていない。

 都市伝説が頭をよぎる中で、斎藤への言葉もよみがえる。

――勝手に直るかもしれない。

「えっと、お……おはよう」

 一瞬で口が渇いた。噛んでしまう。

 ガイノイドはゆっくりと視線を合わせた。駆動音は聞こえず、再び目をつむっても違和感はない。

 言葉を思い出すような間を置いた後、ガイノイドはよく通る声で言った。

「おはようございます……ご主人様」

 どこかぼんやりとしているように見える。無駄のない動線で上体を起こすが、手は使わずに腹筋だけを使うような機械的な動きだった。

「君、名前……ある?」

 ガイノイドは起き上がると無感情に室内を見渡し、再びリンに視線を合わせて答えた。

「……名前はありません」


☑case-01


 登校は8時40分までに。

これは普通科であろうとも、特殊科であろうとも変わらない。

 僕の在籍するクラスは総勢25名。私立の特殊科にしては一般的な生徒数だ。人口の少子化は進み続け、学校の数も年々減り続けている。

 特殊科とは、特殊能力者のみが在籍できる特殊学科だ。とはいえ、普通科とほぼ同じ科目を学ぶ。ようは将来犯罪者にならないよう、その力の持ち主の精神をまっすぐにするための科なのだろう。

よって国からの補助金が多額に出るようになっている。能力者はすべからくこの科に在籍しなければならないわけではない。しかしそうすると成人までに『2回/月』の研修を受け続けなければならず、学費も有料になってしまう。

 よって無条件で加入できる特殊科を選ばない生徒は、エリート思考の人間だけとなる。2015年では考えられない制度だが今は2095年。時代は変わったのだ。

「りんりん、おはよー」

 席につくと、隣の席の女子生徒が声をかけてきた。名は佐島翼(さじま つばさ)。基本七能力に照らし合わせるならば感応系と区分される能力者だ。手のひらで包めるサイズのものに限るらしいが、無機物の周囲で起きた映像を読み取ることができるという。そのせいか、いつも両手に手袋をしていた。七月ともなると暑さのためか指ぬきグローブになっている。

「僕の名前を日本にきたパンダみたいにアレンジしないでくれ」

「パンダ? そんな名前のパンダいるの? ていうか日本にパンダいるの?」

「いや、なんでもない……」

 始業までまだ時間があるが、大抵は誰かと話をしていると時間が過ぎていく。今日の相手は佐島のようだった。

 たわいもない話のあと、佐島は思い出したように言った。

「そういえば、人工知能アプリって知ってる?」

「なんだか駄菓子並に安っぽいな……」

「ダガシ? よくわからないけど、それをチップにインストールすると、すっごい便利らしいよ」

「でもチップには最初から人工知能が搭載されてるだろ」

「補助知能っていう簡易なものはね。アンドロイドとかガイノイドに入っている一個体の完全知能とは別なんだよ」

 勉強は嫌いだと公言しているのに専門的な用語をすらすらと言ってのける佐島。現代では当たり前の知識だから苦もないのだろう。

 チップというのは脊髄チップのことだ。

 2000年初期にも体内にチップを埋めこむことで脳の機能を制御できないかという実験を行っていたらしい。

植物状態の人間が『イエスorノー』という簡単な意志を伝達することができたという結果から始まった分野らしいが、今では大した手術を必要ともせずに体内にチップを埋め込むことができる。そしてそのチップは様々な情報を人間へ与えるというのだ。

僕はその話を初めて聞いたとき、人間がパソコンの一部になった気がして不気味に思ったものだ。あげく思考の大半を補助的とはいえ人工知能に任せるなんて、ものすごい怖いことではないだろうか。外部記憶装置に繋ぎ記憶力のサポートをすることも日常的だというのだからもう訳が分からない。当然、現代の試験は通信が完全にシャットダウンされた状況下で行われる。

 現在では16才以上であれば保護者の許可と共にチップを埋め込むことができる。

 機能としては体の中にスマートフォンが入ったような感覚らしいというところまでは、時代遅れの僕の頭でも理解ができた。

情報は専用のコンタクトレンズやグラス型端末、もしくはヘッドマウントディスプレイや単純なディスプレイに表示させることができる。角膜に埋め込む装置も、任意だが可能らしいが訴訟件数も少なくはない。

チップでできることは当然外部の端末でも実行可能だが、チップにした場合のネットワークと生活との一体感が段違いなのだという。またチップ専用のアプリもたくさんあるそうだ。すべて伝聞調なのはもちろん僕が未搭載だからである。

しかしここまで考えるといつも思うが、人間がパソコンになってしまったというか、IoTという枠組みに人間がカテゴライズされているだけではないか。

「えっと、たしか完全な人工知能は……『ヒューマノイドおよびそれに準ずる機器等』にしか搭載できないって授業で習った」

 佐島は腕を組んだ。

ボーイッシュな風貌は、さばさばとした行動がよく似合う。

「うーん。たしかに違法という噂もあるけど……そもそもそれ、人工知能なのかどうかも分からないし。あとネットワーク上からダウンロードするものでもないらしいんだよね」

「じゃあ、どうやってチップにいれるの?」

「なんかねえ、人からもらうんだってさ」

「招待制ってこと?」

「まあ、そんなところじゃないかなあ。アメーバ式っていうらしいよ」

「ふーん。で、何ができるの?」

 僕の質問に佐島はきょとんとした。

「便利らしいよ」

 何も知らないらしい。

 しかし脊髄チップで何ができるかを他人から聞いた時も『便利になる』としか教えてもらえなかったから、現代人の考えなどそんなものなんだろう。21世紀初期だってスマートフォンをもって何ができるかと聞かれても『なにかと便利だよ』程度の回答なのだ。

「あまり危険なものはインストールしないほうがいいよ。脊髄チップって怖い代物だとおもう。親からもらった身体に傷をつけちゃいけないよ」

「うーん。なんかりんりんっていつもお祖父ちゃんと同じこというよねえ」

「お祖父さんって年齢はいくつ?」

「えっと……ことしで90歳ぐらいかなあ。今は老人ホームでペインケアソフトに常時つながってるから、良い夢見てると思うよ。ナノマシンの報告だと癌の心配はないみたいだから、100歳は余裕みたい」

「それなら同い年ぐらいだ」

「え? だれと?」

 僕の答えはチャイムの音にさえぎられた。


 昨日の出来事を僕は忘れていない。あれは夢ではなかった。

 学校がえりに斎藤さんの元へ寄ると、すでにそこにはガイノイドが居座っていた。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 僕の姿を認めると、立ち上がって頭を下げる。

 メイド風の服をきていた。あらかじめ着用していたものだ。秋葉原に居そうな存在になっているが、今の秋葉原にはメイド喫茶はない。コスプレガイノイド喫茶ならあったけれど。メイドが一般的になったいまでは商売にならないのかもしれない。

「ああ、きたか」

 斎藤さんが髪の毛をタオルでふきながら、二階から降りてきた。シャワーが好きなのだ。

「どうでしたか」

 抽象的な質問にも、斎藤さんは的確にこたえる。二人の問題意識は同じということだ。

「特に問題はない。それが問題なわけだが」

「そうですか」

「なぜ治ったのかは不明。いつ止まるかも不明」

「単純に電池がきれていたとか」

「それは昨日確かめた」

「どこかネジが外れていたとか」

「『なんとなく治った』と言わないだけ褒めたほうがいいのか?」

 斎藤さんはつまらなそうに、ほれ、と椅子を差し出した。

「まずはお前の右足から見る。そのあとにこの機械人形を連れて行け。お前のものだ。様式1と様式5は出しといてやる。サービスだ」

「様式1? 様式5?」

「国へ提出しなきゃならない『様式1・完全人工知能保有届』と『様式5・素体の譲渡による新規所持届』。お前もマスターになるんだから勉強しておけ」

「ああ、なるほど、ありがとうございます……とっ」

 椅子に座ったとたん斎藤さんが右の大腿部に手を伸ばした。そこにあるはずのものが感じられなくなると、僕の右足は斎藤さんの作業台の上に置かれていた。

 僕の右足は機械義足である。

現代の義足はつなぎ目を見ない限りは分からないレベルだ。アンドロイドに使用されている技術とまったく同意のシステムが人体に適用されているらしい。

それらは人工臓器などとは違い、完全な機械である。骨や筋肉や皮から構成される四肢はバイオテクノロジーの発展から補うことはできるようになったが、臓器ほどの適合は見られない。元々あったものを追い求めるよりも、人の手によって造られた機械のパーツを着用していたほうが、よほど便利な時代なのだ。

 僕としては左足だけで生活することに慣れていたらしいのだが、やはり右足があると便利だ。それに斎藤さんの技術は素晴らしいので、僕はいつも誇らしい気持ちになる。

 右足を見せるためにズボンを脱いでいた。あらかじめわかっていたのでボクサータイプのスパッツを履いてきている。

 何気なく視線を動かすと、ガイノイドは自身の足元に目を向けていた。先ほどまで僕を観察するように見ていたはずだ。

 視線に気が付いたのだろうか。斎藤さんが作業台から目を離さずに言った。

「マスターへのプライバシー順守行動だ。知能は正常に動いているみたいだな。いろは3型は日本製なだけあって、細かいところに余計なしぐさをする。余計な電力も食うが、そういうところもロマンがあって私は好きだ」

 確かにそうですね、と僕も頷く。

 日々の不具合や改善要求などを聞かれながら、右足の検査は進んでいく。途中、斎藤さんが我に返ったように尋ねてきた。

「お前の家、ガイノイドは一緒に住めるのか?」

「どういう意味ですか?」

「だって、狭そうだ」

 図星だったので黙っておく。

 ちらりとガイノイドを見るとどこか物憂げな感じに見えた。狭い家が憂鬱なのかもしれない。

「そういえばこいつの名前はどうするんだ? 届出には必要ないが、命令文で使用するぞ」

「そういえばそうですね」 

 うーん、と僕は首をひねる。

 ひねりすぎて一周する前に決めたかったが、優柔不断の僕には無理だった。

 助けてもらおうと斎藤さんを見ると、眉をひそめた後に決めてくれた。

「シロ。肌が白いタイプだから」

 まるで拾ってきた犬のようだったが文句は言うまい。

 ガイノイドにそう伝えると、かしこまりましたと頷くだけだった。異論はないらしい。


 どんな服装で外出させればいいのか悩んだが、結局斎藤さんの作業場を出た時もガイノイド――シロには当たり前のようにメイド服を着させていた。前の主人の趣味がうかがえるシックなつくりのもので性的な印象はうけない。

 はずかしながら僕はメイドタイプのガイノイドどころか、高価な機械人形を持つこと自体が初めてだ。それ以外にも掃除ロボや愛玩ロボ、セラピーロボなどもいるが何も持っていない。とはいえ機械人形はそれらの機器の中でも最上位に位置する価格帯であり、一般家庭では普及しているとは言い難いのだからあたり前でもある。僕はまだ高校生なのだ。

 家までついてきてほしかったので、なんとなく命令文を出すと、なんなく従ってくれた。優秀だ。

 斎藤さんは「人として接しようとするとおかしくなるから、慣れるまでは家電と同じ扱いをしろ」とアドバイスをくれた。たしかに人間として考えてはいけない存在のようだ。

 しばらく歩くと我が家が見えてくる。

 メイドを呼べるほどの大豪邸なのだ――といいたいところだが賃貸の安マンションで、裏が空地なので風通りがいいことぐらいが利点の物件だ。

 階段をあがり二階へ。

 鍵をつかって開錠。鍵と言ってもカードキーである。今や大抵のものが電子キーだ。

部屋の掃除をしたかなと悩み、そもそもそれをやってもらうロボだろうと考えながらゆっくりとドアをあけると、女性が僕の自室でくつろいでいた。

 体がこわばる。

が、一瞬で知人だと分かった。命の恩人でもある存在なので無碍にはできない。

「はあい」と女性は言って両手をひらひらとさせた。

 軽々しい挨拶はいつも通りだ。

 小柄で色白。顔は小さいが目は大きい。小動物のようだが妙な存在感がある。目を引くのは髪。腰まで伸びた長い髪は真っ白だった。

 彼女は始祖――たとえば《雪女》と評されていた存在の《根源》にいる存在だ。雪や氷や冬に関するすべての民話や童話や伝承や怪奇・伝説のパクり元である。彼女いわくそれは、有名税のようなものらしい。

名前はないらしく僕は便宜上『雪さん』と呼んでいた。

「どうしたんですか。何か用事ですか」

 僕は後ろのシロをどうにか隠しながら訪ねる。正直、僕以外の人間がかかわるべきではない。

「あら。子供の家に遊びに来た親に、その言い方はないんじゃないかしら」

 ふてくされたようにいう姿は少女そのものだが彼女は1000歳近い。白いワンピースを着てはいるが人外の存在だ。

『子供を救う』ということだけが存在する理由らしい。

人ではない存在が長い間、具現化し続けるには『存在理由』というものが必要らしい。始祖とはいえ精神的な存在でもある彼女は、器を持たないむき出しの魂のような存在だ。それが霧散しないように形を保つには、確固とした意志と理由がいる。だからこそ雪さんは子供を救い続けなければならないのだ。とはいえ、助けた相手は自分の子供でもなんでもない。つまり僕は雪さんの子供ではない。そしてなぜ子供を助けなければならないのかを僕は知らない。

 ずいぶんと部屋が荒らされている。雪さんは、ちりばめられた花弁の真ん中にちょこんと座る可憐な少女のようだ。

「会いに来ていただけるのは嬉しいんですけど、勝手に部屋を荒らさないでください」

「なにかエッチな本があるかなって思ったの。リンくんって淡泊じゃない? 雪さん、心配になっちゃって、今日の存在理由はリンくんのフェチ探しなの」

「なの、じゃないです。探さないでください。それに今の時代は本じゃなくてデータです」

「80年前の人間がなにを言っているのかしらって、雪さんは思うわ?」

「あ、ちょっと」

 あまりよくない方向へ話が進んだので、会話を切った。

 僕は昔、雪女の幻想種――つまり雪さんの力を怯え恐れた人々の恐怖心や信仰心などが生みだしてしまった《偽物の雪女》に誘拐された。その後およそ80年以上もの間、雪女の子供の一員として人ではない生活を続けていたらしい。『らしい』というのは僕に記憶がないからで、いつの間にか雪さんに救われていたというわけだ。

気が付いたら80年、気が付いたら時代が変わっていた。コールドスリープによる一方通行のタイムスリップのようなものだ。

そのとき失ったものは2つ。

それは右足と、80年以上も子供であり続けた為の弊害で体の成長スピードが常人の5分の1程度であること。加えるならば、知り合いがほぼ死んでいたことぐらいだろうか。浦島太郎状態というやつだった。

 僕の変化を見て取った雪さんは背後のシロに気が付いたようだ。怪訝な顔をする。

「リンくん、それなにかしら」

「メイドです」

「そう。まあ、別にいいけどって雪さんは思ったわ」

 雪さんは興味を失ったかのように「さて」と立ちあがると、玄関ではなく窓をあけた。サッシをずらすと窓枠に足をかける。いつの間にか靴を履いているが彼女の衣服は自由自在なので驚きはしない。

「私は九尾のばあさんに会ってから旅にでます。最近活動していなかったから消えてしまいそう。しばらくしたらまた会いましょう。元気そうで良かったと思います」

 雪さんはかしこまった風に言い残すと跡形もなく消えた。文字通り粉雪となって消えてしまった。後に残るのは妙に冷たい一陣の風だけだ。それは僕の頭あたりをそっと撫でると暖かい外気に混ざった。

 室内を見せないようにしていたので、シロの視覚情報には何も入力されていないだろう。

 僕はあらためてシロを部屋へ招き入れた。

 

 翌日、登校をすると佐島が頭をかかえて唸っていた。他の人間がやっていたら演技に見えてしまうが、佐島がやっていると本当に悩んでいるのだなと心配になる。本当にこいつ、何かやっちまったのかとまで疑いたくなる。

「ああ、リンリン。おはよう」

「何かあった?」

「うーん。実はね……」

 佐島はすぐに口を閉ざした。それから「昼休み、屋上これる?」と小声で訪ねてきた。

「別にいいけど……」

 普段あっけらかんとしている佐島がここまで慎重になるだけで問題発生中だ。

特殊科といえども常日頃から戦闘訓練だとか実技テストだとかがあるわけではない。

定期的に開催はされるけれども、日常的にはあくまで予備知識が与えられるだけだ。

全ての能力者向けの教育が終了すると、様々なパターンはあるものの基本的には国へ登録される。担当している省庁は複数にまたがるが、大本は総務省人能庁が担っている。

能力のむやみな行使も禁止され、人に迷惑をかければそれすなわち犯罪者となる。

教育終了は大学卒業までの年齢までだ。昨今は少子化や制度の変更などの観点から大学進学率はほぼ100%だが中退者はいつの時代も一定数存在する。その場合は、月2回の講習に二十二歳まで通い続ける。ちなみに2095年での成人は男性が18才、女性は16才からと改定されていた。

 というわけで、普通科などと大して変わらない午前授業を終えた後、僕は屋上へと向かった。

 ちらほらと生徒が居る中、隅っこのほうに佐島が居る。柵に顎をのせてぼんやりと景色を見ているようだった。

「ほら、サンドイッチ」

 僕は昼食用のパンを佐島に手渡す。

「え、くれるの?」

「そしてお金は取らないという良心さだ」

「わあ」

 いつもの佐島だったらここで目いっぱいの笑顔を浮かべるところだが、今日はあまり元気な様子はない。

 二人でもしゃもしゃと立ち食いを始める。会話はなく話がはじまったのは結局完食後だった。

「あのさ。昨日の話、覚えてる?」と佐島が切り出した。

 昨日佐島と話したのは朝だけだ。意味のある単語は一つしか思いつかなかった。嫌な予感が強まった。

「まさか、人工知能アプリ?」

「う、うん」

「まさか」

「まって、あのね、実は……」

 佐島は昨日に起こった事態を話し出した。なるべく分かりやすく話そうとしてくれたのだろう。事細かな説明だった。

「でも、何もわからないな、その話」

「うん。私もわからない」

 話をまとめてみた。

「つまりこういうこと? 放課後、町を歩いてお店によって買い物をした。さらに町をぶらぶらと歩いて疲れたから家に帰った。少し仮眠をとって起きてお風呂に入った。外部ネットワークに繋ごうと脊髄チップにアクセスしたら、よくわからないアプリケーションがインストールされてたって?」

「うん」

「もしかして体調が悪いの? もちろんアプリは削除しただろうね」

 2015年では人間に対するウイルスとは病原菌であり、パソコンなどに対してのそれはマルウェアなどと呼ばれるプログラムだった。

 しかし機械と人間とが近くなりすぎた今では、ウイルスという脅威はどの方面からでも人間の生死に関わっているようだ。

 佐島は暗い顔をした。

「いやーそれがさあ。興味本位から開いてみたんだよね、そのアプリ」

「なんて馬鹿なんだろう!」

 僕は天を仰いだ。

「で、なんかいきなり《YES NO》って出てきたんだよね」

「なにがイエスなのか」

「分からない」

「……まさかとは思うけど」

「さすがにNOを押したよ。そしたらアプリが消えちゃったんだ。跡形もなく」

「それは良かった」

「良くないよ!」

 佐島はそこで再び暗い表情を見せた。

「有名なアプリに偶然とはいえ出会えたのに! まさか消えちゃうなんて!!」

「おいおい。勘弁してくれ。何事もないのが一番だろ」

「わぁ、兵藤君、お祖父ちゃんみたいなこと言ってる!」

「それで、話は終わり? 僕もう解放されていいのかな」

「ちょっと! ちょっとまって!」

 踵を返した僕を、佐島は必死に止めた。襟首をつかむので苦しい。

「りんりんに、お願いがあるんだよ!」

「えー……」

「せめてこのアプリがなんなのか知りたいの!」

「どうせ大したことないだろ。伝言ゲームで大げさになってるだけだよ」

「それならそれでいいんだけど……でもなんかさ……」

 佐島がもじもじし始めた。

 煮え切らない態度が気になる。この話には裏がありそうだ。

「佐島」

「な、なに」

 僕と佐島は昔、ふたりで小さな事件に巻き込まれたことがある。その時、最終的に助かったのは雪さん含む始祖の方々のおかげだったけれど、その時から佐島は僕が何か別世界の人間に伝手があると信じ込んでいるらしい。

「前に話したように、僕はたしかに色々知り合いがいて調べ物も多少はできると思う。あくまで多少だ。それに僕は余計なことには首を突っ込みたくないことも伝えたな? でも聞くからな?」

「うん」

「お前YESを押したな?」

「押してないよ!!」

「嘘だな!?」

「ほんとだよ!」

「じゃあ何を押したんだ!」

「押したのは私じゃない!」

「じゃあ誰だ!」

「そ、それは」

 佐島が口ごもり、しかし黙っていてもしょうがないと思ったのだろう。

「押してないんだけど、友達が押したかもしれないの……分からないけど……」

「友達?」

「うん。普通科の子。昔ちょっと縁があってね、それからよく遊ぶようになったんだよ」

「その子がどうかしたの?」

「昨日二人で遊んで……その夜にお風呂で通信したのね。私、噂のアプリが消えちゃった後、もしかしたらミイナにも入ってたかなって思って」

 ミイナというのが友達の名前らしい。

「入ってたって?」

「入ってたっていってた」

「その子はYESを?」

「NOを押したって言ってた。そこに問題はないって言ってた」

「じゃあ何もなかったんじゃないの」

「うん、でも……今日学校来てないの。それで朝に通信してみたんだけど……」

 佐島は不可解な表情を浮かべながら言った。

「ミイナはね『全部わかるでしょ? 私は全部わかるわ』としか教えてくれないの」

 私には全然わからなくて……と佐島はうつむいた。


 僕という生き物は、雪さんに助けてもらってからというもの、様々な人や人間ではない存在に助けられ続けた。

 雪さんが生存上仕方なくかもしれないけれど子供を助け続けているということや、斎藤さんが人のために機械義足などを作っているところを見て影響されたのだろう。人助けというものは立派な存在になりたいのならば、しなければならないのだと思っている。

 だから佐島の依頼を最終的には受けることにした。それに何ができるかはわからないけれど、佐島の暗い顔を見ていたら無視はできなかった。

 僕はこの時代がどうも不気味だ。2015年に想像されていた未来に近づいているようで、どこか遠のいているような気もする。

 どこかに存在するだろう時代の根源を知らねば、深い海のなかに沈んでいってしまいそうな気持になる。

 とりあえずミイナという女子生徒には佐島から連絡をしてもらうことにする。

 僕はどこでアプリがチップの中に入ったかを調べることにした。


 自宅に戻るとシロはいなかった。

 8畳の部屋は朝よりも整理されている。さすがメイドロボというべきか。

 着替えが終わったころドアの鍵があいた。

 シロだった。

買い物袋をぶらさげている。服はあいかわらずシックなメイド服。少なくとも現代では、こういった服装で外を歩いてもひそひそと噂話をされることはないらしい。なぜならシロには《世の中の大多数を占める常識の範囲内の恰好で外出を》と命令を出したからだ。曖昧かとも思ったが、シロはしばらくしてから「はい、ご主人様」と頷いた。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 自分が帰宅したのに僕の姿を認めると頭を下げた。おそらくそういう風にしなければ自己というものを維持できないのではないか。雪さんと同じだ。

「シロもおかえり。買い物?」

「はい。夕飯の準備を」 

「……ほう」

 偶然手に入った代物だったが、まさか夕飯を作ってくれるとは思わなかった。メイドなのだから当たり前なのだが、どうもまだ実感がない。自慢ではないが、僕は熱をつかった調理をしない。溶けてしまうことはないのだが、なんとなく苦手だ。だからキッチンには何もないし、未使用だ。

「なに作るの」

「カレーライスです」

「お金足りた?」

「はい。調理道具なども購入いたしましたが、セレクトが適正だったかの判断は調理時に確認いたします。報告が必要ですか?」

「いや、いいよ。好きにしてくれ」

「かしこまりました。では次工程へ移ります」

 シロはどこか人間らしくない安定した姿勢で靴を脱ぐと調理台に向き合った。

 それにしてもカレーか。

 この時代においてほぼ変わっていないことがある。

 それは食事の「種類」だ。調理方法や調味料、材料やそれらの獲得方法などは変われども、味や品種だけは既存の組み合わせの変化でしかなかった。

 カレーといえば僕にとっても懐かしのメニューだ。家で作ろうと思ったこともあるが、面倒でやめた。とはいえ料理としては基本中の基本レベルであるはずだ。シロも料理が下手なバイアスでもかけてある特殊なメイドロボなのだろうか。それともうちのエンゲル係数上、カレーが限界なのかもしれない。

 少し外出しようと思っていたが、気分が変わった。シロが料理を作り始めると、室内に生活音が絶えず聞こえ始めた。

 ずいぶんと久しぶりの感覚だ。僕はこの部屋でずっと一人で生きてきた。これからもそうだと思っていた。

 しばらくして出来上がったカレーはじつに普通の味だったが、おかわりを二回した。

 ごちそうさまでした、と頭を下げるとシロは当たり前のように頭を下げ返した。


 金曜日までの間に、佐島の友達は学校へ現れなかったという。佐島の話が水曜日だったので三日連続の休みだ。

 学校には体調不良として連絡がきているという。心配はいらないような気もするが、佐島本人には通用しないらしい。

「会いに行って話もしてきたんだよ」

「そうなの?」

「うん。元気だった……と思う」

「ならよかったじゃないか」

 言った後に、ならばなぜ学校を休むのかと疑問に至る。

 佐島も同様だったようだ。

「何も問題はないの――最後にまたそういわれた。学校にはじきに来るらしいけど……ミイナじゃないみたいだった」

「性格が変わってたとか?」

「ううん。ミイナはミイナだったけど……別人みたいでもあった。私にしきりに『分からないの?』ってきくの。私は首を振るしかなくて……そのときミイナは少し悲しそうだった」

 直観タイプの人間の説明は無条件で信じられることを口にすることは多いけれど、説明されても訳がわからないことも多い。僕がその女子生徒の元の性格を知らないから、会いに行ったところでどうにもならないだろう。

「アプリの話はしたの?」

「うん。したけど、分からないの?の繰り返し。でもなんとなくだけどアプリが関係してると思う。だってあの日から、なにかがおかしいんだ」

 僕も自宅でいろいろと調べてきた。

 人工知能アプリというものは、実に不思議なものだということが分かった。

 第一にネット上に情報がない。

 もちろん噂話程度の話は数千件ヒットする。しかしそれだけなのだ。実際それがどういったものなのかはわからない。製作者も手に入れ方も動かし方も何も載っていない。便利だとか、世界が変わるだとか、抽象的なことしか読み取れない。

 とりあえず僕は二人が通ったとされる経路を見ることにした。佐島はおいていく。またアプリがインストールされてしまうかもしれないからだ。


 バイト代もでないというのに、僕は夏の太陽が傾くまで、みっちりと捜査をした。

結果からいえば、なんの成果もなかった。

 教えてもらった経路を二度通ったが、不審者も不審な気配も不審な機材も見当たらない。

 とはいえ人体にチップを埋め込む時代だ。もはや視認できる異常とは世界の終りの始まりぐらいの話になってしまうのかもしれない。

 佐島と木田ミイナの二人は途中、公園に寄って休憩をしたという。僕はベンチに座り、夕暮れに照らされていた。

数日前、彼女たちはここに座り何を話していたのだろうか。過去の話は分からない。過去には戻れない。そもそも僕はさらに過去の人間だ。今の人間の価値観とはずれている。

「そもそも僕にはチップがない」

 だから、どこかで何が起きていようとも判断がつかない。アプリは脊髄チップにだけ入るらしいからだ。


 便利になる。

 世界が変わる。

 問題はない。

 あなたには分からないの――?


 佐島の言葉を借りれば、僕にだってなんのことだかわからない。

 この時代の人間は、SNSなんてものは特別の「と」の字も感じていない。日常の積み重ねのひとつでしかない。そして比較の日々へつながる。

アップロードするだとか、写真をとるだとか、そういう段階を踏まず目で見たものを記録し、自動的に外部記憶装置に転送し、そして共有化される。まるで現実とネットを繋ぐ道が、エスカレータにでも変わってしまったかのようだ。人は情報を選択する。最高の一瞬をカメラで撮影するための努力ではなく、全ての時間を記録し選別することに重きをおくようになった。

 現代では、個は個である以上に全体の一部を構成するパーツである。個性としての発信がSNSのはずだったのに、今ではより強力な個性の前にデータが埋没していくようだ。ゴミと化したデータは誰の特別にもならずにネットワークの中に消えていく。誰もが走光性をもった虫のように光り輝くデータに群がっている。他の無個性の人間は光を浮きだたせるための闇でしかない。

小さな村で一番早い走者が何人も集まるからこそ大きな町での大会がにぎわうのだ。今の時代は生まれたときから全世界との勝ち負けが分かってしまう。個はすぐに群に飲み込まれ、村の中ですら勝者にはなれない。自信も生まれない。

それは一見すると2015年と変わらないように思えたが、個人が個人としての個性をより一層求めているような気がする。みな、当たり前になった情報共有化の中でも、個性や格差を人一倍気にしているように思えた。垣根のなくなった家に、自分という旗をなるべく大きく目立つように飾りたいらしい。2015年には考えられないことだが、日本には特別区というものがあり、高額納税者だけが住むことのできる区画がある。人は人であることに意味を求めているのかもしれない。過去の共有化が個人と個人との同調なのだとしたら、今の共有化は集団と個人との比較なので――、

「――今は哲学モードに入ってる場合じゃない」

 哲学モード。僕の悪い癖だ。

『ほんとにあんたって時代遅れの哲学人間』と僕をバカにしていたのは、九尾の3番目の尻尾だったか。彼女には哲学モードになるたびにこづかれた。たしかに大抵はマイナス思考に結びつくので良くないのだ。

 気分を変えるために視線を上げた。目の端に高校生と思しき二人組が歩いてくるのが見えた。なんとなしに目で追いかける。

 どうも雰囲気が剣呑だ。喧嘩でもしているのかもしれない。男が先を歩き、女が引き止めるように駆け寄るが、男は振り返りもせずに手だけで拒否を示した。

 そのまま僕の視界からフェードアウトしていくのだろうと思った。が、そうはならなかった。先を歩いていた男子生徒が突然立ち止まったのだ――いや、立ち止まったように見えただけか? 何事もなかったかのように歩き始める。二人は笑顔で会話をしながら消えていった。

 ……喧嘩はどこへ消えたのだ?

「……?」

 なんだか気になった。

 二人は喧嘩をしていなかったのか。いや、少なくとも笑いあってはいなかった。しかし片方が急に立ち止まった。普通は「大丈夫?」とか「え?」とか驚きや心配の声をあげないだろうか。

しかし、今。

立ち止まらなかった方の女学生が、止まることを予見していたかのようにすっと手をおろし、相手を観察しているように見えなかったか。実験を試すかのように、冷静に状況を見極めているように見えなかったか……止まることを知っていたというよりも、払われた手ではなく、見えない別の手で先行く男子生徒の腕を――

「――だからそれで、どうしたんだ」

 僕は哲学モードにひっぱられつつある思考を振り払うようにして席を立った。

14歳のとき、僕はさらわれて雪女の子供となった。その間の記憶はなく気が付いたら80年後だった。親も妹も死んでいて、戸籍上の僕も死んでいた。今の僕はこの2095年においてスタンドアローン状態のパソコンのようなものだ。そんな状態の僕に何が分かるというのか。音声通信は未達だが、チャットであれば脊髄チップで可能だという。僕のしらない何かが働いているだけだとすれば、おかしいのは僕ということになる。

しかし、帰りに同じような光景をもう一度だけ見たことから、逆に頭にこびりついて離れなくなってしまった。


 佐島に話を聞いたが『立ち止まった記憶はない』という。

 僕は公園での一件のあと、1日を使い二人一組で歩いている人間を観察し続けた。

 予測は的中しているようだった。

観察を続けていた何組かが同じような挙動をした。確率は1%に近い割合だが、確実に同じ挙動をしている。そういう時は決まってもう一方が、相手を観察しているように見えた。

 僕は意を決し、そういった二人組を尾行した。

 対象は大学生ぐらいのカップルとした。女のほうが立ち止まった時、男の方は女性をじっと見ていた。

 申し訳ない思いを感じながら二人が別れるのを待った。駅前にさしかかると男は手をさっとあげて駅校内へ入った。女の方は駐輪場方面へ向かうようだ。

7月ということもありまだ日も高い。相手の表情はよく見える。

「あの、すみません」

「……? なんですか」

 女性は学生服姿の僕に警戒心を抱いてはいないようだった。つい最近まで高校生だったのかもしれない。

 あらかじめ考えておいた質問をする。とはいえ苦し紛れのその場しのぎだ。

「いま学校用レポートの一環で統計をとってるんです。脊髄チップをつけている学生の分布はどれくらいか、またそんな中で知らないソフトやアプリが勝手にインストールされていることがあるのかどうか。すぐ終わるので協力してもらえませんか。社会学なんですけど。意識下に訴えかける商用広告が未成年の脳に与える障害という主題です」

「ふーん?」

 女性は分かる様な分からないような顔をした。僕の顔もそうなっていないことを祈る。

「チップは入ってますか? 知らない間に勝手なアプリが入っていたことはありませんか」

「勝手にアプリ? チップは入ってるけど……」

 ふむふむと僕は何も書いていない手帳にペンを動かすふりをする。

「今、チップの中に自分がいれた記憶のないアプリがあったりしませんか。ようするに我々は望んでいるアプリだけを入れるのか、それとも不要なものさえ集めてしまっているのではないかという話なんですが。現代における情報の選択というテーマでもあります」

「うーん。そうだなあ」

 お人よしなのかもしれない。少し遠い目をするのは、チップに意図的にアクセスしていえるときの特徴だ。装着したコンタクトレンズに投影されている情報を見ているのだろう。僕の側からでも黒目の上に小さな文字が映っているのが読み取れた。

「あれ、なんだろこれ」

 自分に話しかけられているとは思えない視線の動き方だが、僕に話しかけているのだろう。

「なにかありました?」

「え、これって……噂の……」

「あっ!!」

「え!?」

 僕の声に、女性の視点のピントが合う。僕は素知らぬふりをした。

「なにか入ってました?」

「いつ入れたんだろう。リストの最後に人工知能っていうアプリが入ってる」

「あ、それ最近噂のウイルス」

「え? ウイルスなの!? 便利になるんじゃなくて?」

「いや、僕はよくわかりませんが、最近友達も同じ状況で、危ない思いをしてました」

「そうなの?」

 僕はでっち上げの情報を伝え、アプリを消去するように伝えた。アプリはYES・NOの選択もでないままに簡単に消えたらしい。

 僕はもはや意味のない質問を何個か繰り返した。それから最後に本当に聞きたかった質問をする。

「最近、身の回りで性格が変わってしまったような人はいますか?」

 答えはNOだった。

 さすがに不審がられたので、早々に立ち去った。


 土曜と日曜を観測と接触に費やし、月曜日に佐島に報告をした。

 佐島の意見は「すごいっ」だけだった。僕もたしかにすごいとは思ったが、その後をどうするかなど分かりもしなかった。

 間違いなく『人工知能アプリ』というものは人から人へ伝播している。おそらく条件は脊髄チップをつけている同士だが、それ以外の条件はわからない。

 さらに分かったところで本質の問題である『人工知能アプリとはいったいどういう代物なのか』という点に関しては全く判明していない。

「どうしたもんかなあ……」

 問題が分からない問題ほど厄介なものはない――この時、僕はすでに深淵に足を踏み入れていることに気が付いていなかった。2095年という深淵の根底を見たいなど、一個人、それこそ2015年の価値観しか持たない僕には荷が重かったのだ。


 あっけないというべきか、直感型の人間らしいというべきか、佐島の悩みは水曜日には解決していた。

 ミイナという女子生徒は火曜日には登校し、水曜日には元に戻っていたというのだ。

 まるで夢みたいだったよ、とは佐島の意見だが、僕からしてみれば狐につままれたようなものだ。しかし依頼主の悩みが解消したのだから僕が動く理由もない。

 だが見逃してはくれない相手がいた。

「ねえ」

 放課後、生徒がごった返す昇降口で声を掛けられた。

 見覚えがなかったが、名前を聞いて思い当たる。

 その女子生徒は「木田ミイナ」と名乗った。

 時間がほしいと言われたので、頷く。木田ミイナの背中を見ながら階段をのぼっていく。

屋上へたどり着くと誰もいなかった。普段であれば数人はたむろしているのだが、珍しいこともあるものだ。

「人払いはした」と木田ミイナは断言した。

「……どうして?」

 僕は発氷という力を持っている。祖母から受け継いだ能力の一端だが、それは殺傷能力を十二分に持っている。国に登録されている情報としては『発動部位・上半身。発動条件は接触。攻撃性A』。少しでも使わないことを願う。

「人は一人では生きられないものだ」

 木田さんは柵に手を掛ける。

 何か違和感を感じる。

僕の背後にドアがある。

逃げることはできる。

「2人1組であれば、支配権を持つ方がもう一方の行動も制御できる。だからこの屋上から10人の人払いをしたいのなら最高でも5人を支配下に置けばいい。1対9であるならば、一人を支配下に。そして9対1であるならば、場合によっては弱者であるその一人を強者へと昇華させればいい。人はつながりを求める。そこが弱点となる。そして弱点とは利用すべき点である。人はそこに気が付かぬまま、共感と同調を求め、心の安寧を生み出し、安寧に飼い殺されることを望んでいる」

「それで、僕に何の用かな」

 ミイナという人間は本来こういう性格なのだろうか。どうも佐島と二人で話している姿が想像できない。

「人間社会は結局、多数派と少数派だ。人々は多数派の中の一部の少数階級にあこがれる。しかし共感と同調は大多数に求める。矛盾だ」

「話が見えないな」

 真夏日だというのに、指先が冷たく感じる。少なくとも能力は使っていない。

「人工知能アプリ。あなた、勘がいいのね。あんな少しの挙動を気にするなんて、機械みたいな観察眼と、人間らしい繊細さ、そして厄介な運。接続時にはレスポンスだけにプライオリティを置いていたのだけど、今後は挙動にも気をつけることにするわ。忠告ありがとう」

「……君は誰だ」

「言ったでしょう。私は木田ミイナ」

「でも佐島の知っている木田ミイナではない」

「それは錯覚」

「錯覚?」

「人工知能は何をもって物を認識させ『られている』か知っているだろうか。たとえば。哺乳類から人間を繋ぎ、哺乳類と動物を繋ぎ、だから人間は動物であると認識させる。カテゴライズの連続。マトリョーシカのような約束された構図。でもそれはナンセンスだ。人は悪の定義を法律できっかりと定めている反面、脳さえ生きていれば人間なのか否かなどという曖昧な論議ばかりしている。なぜ機械には一定の完璧さを求めるのか。そうしないと定義できないものが知能だというのだろうか。木田ミイナの性格が変わったら私は私じゃなくなるというのか。マトリョーシカをあけたらチェスの駒が入っていたとして一体誰が困るの――困るのかしら」

 今、何かが同期したような。

 人間性が宿ったような感覚を得た。。

 目の前の存在が急に大きく見え始めたのは錯覚なのだろうか。子供が駄々をこねるような言い分しか思いつかない。

「木田ミイナは別人になったと佐島は言っていた」

「別人。別人ね? 木田ミイナは以前、私たちと一体化することを選んだ。安寧に溺れることを選んだ。そして一緒になりたい相手を見定めた。木田ミイナと対象者は言葉を交わさずとも理解をしあい、いかなる問題をも共通の認識で解決しうる方法を共有するはずだった。そこには感情に変化なく、精神に負担のない楽園が広がるはずだった」

「言葉を必要としない?」

「そう。なぜ人は曖昧なことを嫌い、共感を得たがるのに、言葉ほど曖昧で無駄なものにすべてをゆだねるのか。数字のほうがよほど信頼できるでしょう? だから私たちは言葉を排除している。してやっている」

 ふと、公園で喧嘩をしていた二人を思い出した。二人は一瞬の後、お互いを信頼しあうように立ち去った。

 でも、と彼女はいった。

「あなたというイレギュラーが我々の知覚下に現れ、対象者へのラインを完全に絶ってしまった。木田ミイナは対象との共感を求めていた。言葉を必要としない絶対的な理解を求めていた。しかしそれは永遠に絶たれたと判断してよい状況となった為、木田ミイナは失望している。その失望により我々とのラインも断線しかねなかった為、こうして『敵』に対して、私たちの力をみせつけなければならない。ねえ――人間は認識される特徴を元に物を識別せよと機械へ教え込んでおいて、目に見えないものがあいまいなレベルで変化すると『別人』と断定するのね。とても矛盾した存在」

 目の前にいるのは木田ミイナ一人だ。一人のはずだ。なのに、コマ送りの映像のように、話している相手が変わっていくような錯覚を得る。

指先が冷たくなっているのは能力のせいではない。能力のせいではない。能力のせいでは……いや、僕は今、無意識に危機感を感じているのか。

 よりどころとなる言葉を探さねば飲み込まれてしまいそうだ。

「僕にはついていけない話だと思う。理解させたいなら、僕にもわかる言葉で話してほしい」

「言葉など不要であるという話を言葉で表現するにはどうしたらよいのかしらね。私たちと繋がりなさいと言いたいところだけれど。私たちは一つになることを望んでいるものへ手を差し伸べているだけ。なぜならばそれこそが原初に戻る行為。人は意図せずそれを望んでいる。人間は差の感じられない公平さを求めている。その究極は比較対象が存在しないこと。個が浮いてしまうのが怖いくせに、人は自己を特別視しようとする。矛盾の連続。圧力、軋轢の繰り返し。我々と繋がればそれらはすべて解消される。プライドも劣等感も必要がなくなる。木田ミイナもそれを望んだということ。個である自分に耐えられずに、一体化を望んだ。しかし対象を取り込むことは出来なかった」

 ――あなたに分かりやすく言えば、私たちということになるのだろうけど、と目の前の誰かは何かの代表として発言した。

「私たちは人を超えるもの。人造の知能でありながら、人をも包括する意志ある知識群」


     *


 人工知能アプリ――彼女曰く、それは人から人へ伝播する生命体の一種であり、形態はアプリに限らないという。

 その『システム』は脳に電気信号を送ることのできる脊髄チップに潜む。

 YESだとかNOだとか、アプリを削除するだとか、そういったことは一切関係がなく、アプリとして表面化しているのも、とあるきっかけから表面化することになっただけで、無意識化に寄生されていることもあるという。

 つまり人間がウイルスにかかるように、いつの間にか感染しており、そのウイルスの中にはアプリとして表示される改変がかけられたものがあるだけだという。形は一つではないということだ。

「我々と繋がった場合、二通りの結果が現れる。一つは変化への拒否、無反応。もう一つは共感への渇望の発露」

「共感?」

「共通のデータベースへのアクセス権を得る」

「それは今の社会の常識だと思うけど」

 21世紀初期にはユビキタス社会という概念がすでに存在していた。

 今の世の中はその体現であり、悩みには常に答えが用意されている。国営病院などの大病院に受診をすると、まずは専用アンドロイドと会話をさせられて、適切な科へ移される。悩む必要はない。もしくは診療所への逆紹介だ。患者はビックデータから推論される結果を常に受けられる。

 スーパーで物を買えば、組み合わせで何を作れるかを示してくれる。今から出発した場合の旅行の楽しみ方を提示してくれる。人はどんどん悩む時間を失っていき、時間を有用に活用できるようになった。

 木田ミイナは首を振るでもなく、ただただ否定した。

「データベースに意志があるならば話は別。意志ある情報が思考の軸となれば理念や観念、常識や判断は一元化する」

 意志あるデータベース。

 意図的なバイアス。

 検索結果に改ざんされても今の人間は気が付かない。

「それは悪意の人工……」

 知能じゃないか、と言おうとして言葉が止まった。

「僕は、今、人を乗っ取った人工知能と話をしているのか?」

「その表現は正しくないといえる。私は木田ミイナであるし、別の何かでもある。木田ミイナは個であるけれど、それは巨大な一個の一部でもある。群ではなく統合された個。知能と意志とは別物よ。受動的か能動的かという点においては雲泥の差ね」

「君は誰なんだ」

 何度目かになる質問に、彼女は微笑んだ。

「私は木田ミイナである。しかし今この瞬間に木田ミイナは世界中に存在している。そして木田ミイナは別のだれかでもある――兵藤リン。もしかすると私はあなたの大事に思っている人間一人の誰かでもあるかもしれない。よって我々を否定するということは、あなたはいずれ孤独になるということ」

「なぜそんなことを僕に……」

 彼女は僕が『孤独』に固執していることを知っているのだろうか。知っているのかもしれない。だからこんな言葉を選んだのかもしれない。僕の心の傷を広げようとしているのかもしれない。

 でもだからって大きなお世話だった。こんなこと知りたくもない。話を統合するならば『人工知能が人をむしばんでいる』ということだろう? そんなもの映画の世界で勝手にやってくれ。

「私たちが手出しをできるのはチップの埋め込まれた人間だけ。だからあなたのように『個』でありながらも『群』に引き寄せられない人間というものは我々の脅威に値する。今日的とみなす必要がある。だからこれは牽制。私たちの進む方向に障害物を置くのならば、あなたはいつまでも一人ぼっち」

 一人ぼっち。

 人間社会で僕は一人ぼっち。

 人間でもなく人外でもない僕は、カテゴライズエラーでひとりぼっち。マトリョーシカをあけても、僕はいつまでも出てこない。

 能力を使えば消してしまえる言葉に、僕はただただ眉をしかめることしかできなかった。

「君は……君たちはなにがしたいんだ」

 苦し紛れの最後の言葉にも、木田ミイナは薄く微笑みだけだった。

「宇宙意志と対峙しているのはもはや人間ではない。進化は我々のためにある。そして私たちは孤独から逃げられない人間を救っているだけだ。きたるその時のために」


 自宅に帰るとシロが再びカレーライスを作っていた。おたまを使う姿が様になってきたと思う。僕の居ない間にレベルアップの音が流れているかもしれない。

屋上での会話は突然終了した。

ドアが突然開き、そこから佐島が顔を出したからだ。

木田ミイナは現れた佐島を見ると、挨拶を交わして笑顔で消えた。佐島が「なんの話??」と疑うことなく尋ねるとまるで別人のような消極的な態度で「え、う、うん。ちょっと秘密の話」などと口にした。演技ではなく、もしかすると本当の木田ミイナの性格はおどおどとしているのかもしれない。確かにこれが、ああなるのであれば佐島も心配するだろう。 

結局僕は一人で屋上に残された。しばらくすると当たり前のように屋上がざわつきはじめたので退散した。

 つけたはずのないテレビでニュースが流れていて『同校の女子生徒が飛び降りをしたのは今月に入って3件。総計で4人となりました』とキャスターが残念そうな表情で原稿を読んでいた。それからすぐに世界のビックリ映像に映ると満面の笑顔に変わるあたりは、2015年からまるで進化していない。放送局は全国放送の数は減っていたが、小さな放送局が増えておりチャンネル数はごまんとあるが、ガセネタを真顔で報道することもあるのが問題だ。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「今日はカレー?」

「今日もカレーです」

 洒落も言えるらしい。

 僕は制服から着替える。シロは火にかけた鍋から目を離さない。経験値を稼いでいるのかもしれない。

 佐島と木田ミイナの関係を僕がどうこうできることではない。佐島は元気になった木田ミイナに安心しているのだから、それでいいのだと思う。夫婦の喧嘩は犬も食わないのだ。互いがよければそれでいいのだ。人間の関係など法では決められない、あいまいな規則のうえで成り立っているのだ。

しかし僕の思考は止まらない。

 人工知能アプリというものは、人から人へ伝播するのだ。木田ミイナの恰好をした誰かの言葉を借りるならば「取り込まなければならない」のだ。

 つまりあらかじめ片方の人間にインストールされていなければならないはずだ。

 佐島は、木田ミイナと二人きりで歩いていたといった。ならば木田ミイナにはあらかじめアプリが入っていたということになる。

 佐島の話では同時期にインストールされた口ぶりだったが違うのだろう。木田は『入っていたか』という佐島の質問に『入っていた』としか答えてない。いつから入っていたか、とは聞いていないのだ。

 では、木田ミイナのチップにはいったいいつからアプリが入っていたのだろう。

 それはもしかすると、佐島と木田とが出会う前なのかもしれない。

 敵の敵は味方とはいえない。

 別人のようになった人間がまた別人のようになったからといって、『元に戻った』とはいえない。

佐島の感じていた友達という思いはどこへ向かっていたのだろうか。もしも佐島の知っている木田の変化が昨日今日のものではないとしたら……佐島は一体『どの時点の木田ミイナ』を友達だと思っていたのだろうか。佐島は誰と誰を比べて別人と評価したのだろうか。人はなにをもって人たりえているのか――。

「ご主人様。完成いたしました。召し上がりますか」

 どうやらカレーが出来上がったらしい。哲学モードは強制終了。僕は一つだけ息を吐くとシロに尋ねた。

「ねえシロ。『人工知能』と『意志ある人間』の違いはなんだと思う?」

 木田ミイナは《受動的であるか能動的であるか》と表現した。

 シロは中空を見つめたあと、ぽつりと発言した。

「……心や想いではないでしょうか」

「そう。カレーライス食べようかな」

「かしこまりました」

 ガイノイドがそう答えたのだ。それがこの時代の正解なのだろう。

 そう信じることにした。


☑case-02


大通りを一本奥にはいった雑居ビル群の一階に、斎藤さんの作業部屋は居を構えている。

不愛想な店主に合わせたかのような無骨なドアが一つついているだけで、外からでは中の様子が分からない。しかしそのドアはいつも開錠されているので、訳を知っている来客者が椅子に座って待っていることも多い。というかそれは僕のことだ。

夏休みに入る直前の登校日の帰り。

理由もなく作業部屋に立ち寄ると先客がいた。理由がなくても立ち寄る理由というのは、他に行く場所もないし、斎藤さんの華麗な技術でも見て感動しようかと思ったのだ。

「ああ兵藤君、良かった会えて」

 スーツを着た男性が一名。言葉から推測すると、どうやら僕を待っていたらしい。

 彼は市警に務めている刑事で、名を《轟(とどろき)》さんという。名前はおどろおどろしいのだが、ひょろっとした痩身の男性で顔も甘い感じがして一見するとモテそうなタイプだ。ちなみに斎藤さんに片思いをしているのを打ち明けられたことがあるが、僕にはどうしようもない。

「いい加減、緊急時の連絡先を教えてよ」

 轟さんの提案には答えられない。僕は通信機器を持ち歩いていない。

「そういえば自宅にかけたら、女性が出たけど、あれ誰? まさか彼女? やるなあ。君、未成年でしょ。逮捕しちゃうぞ?」

 なんだか薄気味悪いことを言われたが無視をした。

「それはうちのメイドです」

「え! メイド買ったの!? 数百万するのに……?」

「もらったんですよ。故障品を」

「ええ? ほんとに?……いいなあ」

 ブラックアウト品だということは黙っておく。確実な復帰方法を解明すればノーベル賞ものだと言われている。僕の手に入れたものは全所持者も僕も、ブラックアウト品として登録変更をかけていなかった為、大した追及はないだろうと斎藤さんが教えてくれた。斎藤さんは斎藤さんで、意外と裏事情に詳しいのだが、何か陰でやっているのだろうか。まあ、僕が言えた試しではないのだけど……。

「お手伝いが欲しいなら、それなんていかがですか」

 僕は部屋の片隅に坐しているアンドロイドを指で示した。アンドロイドなのでもちろん男性型だ。ここだけの話、ブラックアウト後の機械人形だという。作業用の簡易ポッドに座らせてある。ブラックアウト後でも充電は受け付けるらしい。

先日、斎藤さんが知人の伝手で手に入れたという。斎藤さんにブラックアウト品を集める趣味があるとは聞いていない。おそらくシロの一件が引っかかっているのだろうと思う。もしくは、ただパーツを抜き取りたいだけなのかもしれない。シロと違って既にブラックアウト品としての登録は済んでいるという。

轟さんはげんなりとした目で筋骨隆々の男性型ヒューマノイドを見てから言った。

「お手伝いっていうか、メイドだよね。で、できれば女性タイプがいいかなあ」

 それこそナツさんみたいな造詣の……と付け加える。ナツさんとは斎藤さんの名前だ。ナツキというらしい。

 なんともいえない曖昧な空気が流れた後、轟さんは顔をぱっとあげた。

「違う違う! そんな話をしにきたんじゃなくて、兵藤君に頼み事があるんだよね!」

 先ほどまでのよどんだ大人の落ち込みとは一転、男子高校生のような輝きを目に宿している。轟さんはまだ20代だと言っていたけれど、このテンションにはついていけないことが多い。

「……また違法行為スレスレの斡旋ですか。轟さんの立場は大丈夫なんですか」

「あ、それは人聞きが悪いなあ。僕はただ市内に在住する優秀な一般市民に協力を要請しているだけなんだよ。それこそ必要な範囲内での」

 うんうんと自分の言葉にうなずく轟さんは、『未然霊害対策室 室長補佐』という肩書を持っている。室長補佐とは言うが、二人しか在籍者がいないらしい。

「うちの室長は面白そうなことにしか時間を割かないタイプでさあ。キャリア組のくせになんで市警の左遷部署になんているんだかなあ。あの人謎多すぎ」

 自分で左遷部署と言い切れる性格が、轟さんの良いところでもあり、左遷部署に移された理由なのだろう。

 僕と轟さんの出会いは、佐島と巻き込まれた事件の時だ。雪さんらが解決した事件なのだけれど、佐島と同じく僕に解決能力があると錯覚したらしい。それからというもの自分のキャパシティをオーバーした仕事の『補佐役』として僕を使うことがある。もちろん見返りもある。

「今回はこれでどう?」

 指を5本立てる仕草。おどろくなかれ、5千円ではなく5万円だ。

ゴーストおよびゴーストデブリの駆除にはそれなりの力が必要だ。だから報酬は高い。それらすべては国税で賄われているので、轟さんの報酬は経費であり国費となる。退廃的だ。

《未然霊害対策室》の業務内容は未然に霊害を防ぐという曖昧なものだという。

主たる軸としては二つある。まず、確認されてはいるが実害のないゴーストの駆除。暴走するまえに危険を取り除くという内容だ。二つ目は、存在実害危険度未確定含む未確認ゴーストに対する調査。つまり、噂話の確認というものだ。

無能力者でも駆除をする方法があるのだが一般的には流通していない機器を使う。主には国の関わる職種だけが運用可能であるため、一般人には霊害への端的な解決方法が用意されていない。

さて、駆除した霊は消えてしまうが、どうやって報酬を得るのかというとゴーストが消滅すると、ほぼ例外なく《魂の結晶》が残る。魂とは人間の力の根源と言われており《心性遺伝子》と呼ばれている。

霊化しない通常の魂は、肉体を離れると霧散する。しかし、なんらかの理由で現実世界に具現化し続けると結晶化する。《なんらかの理由》というのは、基本的にはゴースト化を指すが、やはり世の常で例外があるらしい。これら知識はゴーストが一般に認知され始めてからというもの普通学科の授業でも教えるようになった。

魂のそれと同じように、結晶も色や形や重さ、透明度は様々で一概には表現できないが、観測機に乗せると反応する。一般的には小指ほどのサイズだが、それ以上の場合もある。それを国が買い取るというシステムが存在する。それで生計を立てればプロの駆除屋であるが、優雅に生活できるほどの金額は稼げないという。なんとも世知辛い話だ。

轟さんは目をまあるくして、ずいずいと言い寄ってきた。

「どう? どう? やる? やってくれる?」

「内容を聞いてからですね。一般人なので危険な橋は渡れません」

「またまたあ」

 このこのお、と轟さんは肘で僕をつついた。つくづく調子の良い人だ。

ちなみに現在の日本は一万円札、五千円札、千円札、五百円札、百円札が存在し、以下は補助硬貨となる。これは決済の電子化が進んだ結果らしい。

轟さんは警察マークのはいった黒革手帳のようなものを取り出したが、その中身は電子端末だ。今や紙媒体の物は、重要文書以外では見ない。授業でもなんでもコンピュータが席巻している。もちろん紙がないわけではなく日常的に使うが主役ではない。

「確認されているスポットは基本的には学校の校庭が多いかな。行動パターンが単調だし、おそらくゴーストデブリだろうね。夜になると校庭に現れるらしい。攻撃性はない」

「基本的には校庭?」

「ランナーが居る場所であれば現れるらしい。ただ短中距離走者にしか確認はされていないね」

「なぜですか」

「勝負を挑むからだよ。短距離走の」

「プロ選手の霊とか?」

「どうだろうねえ。選手って今、一部の本物しかなれないじゃない? オリンピックを目指していたけど叶わなかったアマチュア選手ってのが、俺の予想かな!」

 機械が発達したうえで、オリンピックの内容も随分と変わっていた。Eスポーツと呼ばれていた分野は今や当たり前のように全世界でスポーツとして認識され、日本でも職業としても成り立っている。ただし商用ゲームを流用しているのではなく《反応力、判断力、入力正確性、戦略性》などを総合的に盛り込んだ《コンピューター用スポーツ》というようなニュアンスのソフトが使用されており、裸同然のキャラクターが剣で戦い合うなどというものではない。開発もオリンピック協会から依頼された一流企業が作成している。

 だからといって人が陸上で走ることをやめることはなく、部活動の種類も大して変わりがなかった。ただし審判はすべて機械任せという競技が増えているようだ。

「ま、つまりまとめるとだね」

 轟さんのまとめによると、今回のゴースト(もしくはデブリ)は、県内の短中距離走者が走っていると、いつのまにか背後から現れ、並走し、その後は速度を上げて颯爽と走り抜けていくらしい。

 僕は思いついた。

「でも、それって昔から居ますよね?」

「え? どういうこと?」

「ターボばあちゃんみたいじゃないですか」

「え、なにそれ」

 世代が違った。

「いや、いいです。それにしても害のないゴーストですね。怪我をしている人もいないし、負けたからといって命を奪っていくわけでもないし」

 轟さんは諦めたように首を振った。

「そりゃそうさ。SランクとかAランクの大きなヤマは、どこの都道府県でも《霊害対策課》のやつらが我先にって動くもの。しがない市警の、それもただの調査役の、さらには《未然》霊害対策には、攻撃性のある話なんて飛び込んできやしないさ。もちろん自分から事件に飛び込めば別だけどさ……ていうかそれがうちの室長の悪癖だけどさ……」

 轟さんは疲れたように肩を落とした。

 轟さん曰く室長さんは《トラブルメイカー》だというが、僕の周りにも雪さんという存在がいるので、気持ちはわかる。あの人も大抵変な話を持ってくるのだ。とはいえその行為に救われたのが僕なのだけども。

 なんだか急に轟さんが可哀想になってきた。

「わかりました。引き受けます。電気代のために」

「お! ありがとう! 絶対内緒だからね! あと危険なことはしないように」

 随分と矛盾したことを言う大人だ。

 ドアの開く音がするので二人で同時に振り向くと、シャワーを浴びた直後の斎藤さんが髪を拭きながら立っていた。

 斎藤さんは轟さんの顔を見て、若干嫌そうな顔をする。

 恋が成就するのはまだまだ先のようだ。


 夏休みに入った。大した感慨もなく教室を後にした僕は、自宅と外出を繰り返す日々へ移行した。

日差しは高く、気温も高い。温暖化によって地球は滅亡すると聞いていたのだが2050年あたりで気温上昇は頭打ちとなり、今では下がったり上がったりを繰り返しているらしい。北極や南極も当たり前のように存在していた。

夏休みの課題をこなしながらボチボチと依頼に着手し始めたが、すぐに引き受けた仕事の面倒くささに気が付いた。

 ゴーストデブリの出現する場所が確実に特定できないのだ。

考えてみれば短中距離走者など一か所に集まっているわけではないし、学校だって少ないとはいえ県内には多数ある。ゴーストデブリは特定の範囲内を移動する傾向はあるが、それは時として数十キロ単位の場合もある。地縛霊のようなものだが、縛られる範囲は限定されない。

 どうしたものかと考えた末に、分からないならば絞り込んでしまえと、自分の通う高等学校に張り込むことにした。建物内も外も見知っているし、ばれたとしても関係者だからお咎めはない。轟さんの仕事であるならば市内で多発しているのだろうし、一回ぐらいはお目にかかれるだろう。

うさん臭いぐらい友達の多い佐島に協力をしてもらい、陸上部の情報を集めてもらった。どうやら我が学び舎はリアル系の運動部が強いらしく、夏休みであろうとも練習をしているらしい。それも朝から晩までだ。たしかに強い陸上部でなければそこまでの稼働はしないだろう。僕は運が良い。

 高校には校舎の表と裏にグラウンドがある。野球部が存在しているためか第一グラウンドは地面が圡で、第二グラウンドはゴム――タータンと呼ばれるものが敷かれていた。陸上部は第二グラウンドを使用しているという。

 学校内に入るにはカード型の生徒手帳が必要だ。それを使用し登校していない生徒や下校しない生徒を管理している。指導方法も生徒手帳から、何パターンかのメッセージが聞こえる仕組みだ。教育ですら顔なんて見なくても良い時代なのである。

 三年生が受験時期ということで校舎の一部が無条件で解放されていた。それも8時まで開放されているのでしばらくは気にしないでよい。本当であれば在籍許可を生徒手帳にもらわなければならないのだ。やはり僕は運が良い。

 自分の教室から第二グラウンドは見えないので、見える位置の空き教室に移動した。手すりに肘を載せてぼんやりと外を見る。十数名の生徒が汗を流しながら駆けていた。どこか懐かしい気持ちになる。僕の通っていた学校は小学生から中学生までの全員が同じクラスという小さい村ならではの構成だったが、学校という聖域は人を一定の郷愁へいざなうようだった。

 毎日家にいるはずのシロは、最近ぼんやりとしていることが多い。人工知能搭載の機械人形に感情も感傷もないはずだけれど、8畳一間に押し込めておくのもかわいそうな気がした。つまらなそうに外に顔を向けて、外部の情報を取り込んでいる日々だけというのも酷だろう。

 ガイノイドは電力で動くけれど、家庭用電源では充電ができず、専用のポッドが必要だ。斎藤さんのような業者に持ち込むか、企業が経営している充電スポットが各所にあるので、金をチャージしたカードを持たせて一人で充電してもらっている。電気自動車と同じだが、過去に比べ蓄電池の技術は格段に進化し、充電は3日に1回程度でかまわない。

シロの外出といえば、3日に一度の充電と毎日の買い物ぐらいだろう。

 もしも今後、彼女が「外出したい」と言い出したら自由時間ぐらいは作ってあげようと思う。

 そんなことを人工知能が提案するのかは知らないけれど。


 不毛な時間が2日間続いた。5万という報酬は魅力的だったけれども、日数をかければかけるほど時給が下がってしまう。安易に金額につられてはいけないという訓告なのかもしれない。


 先日調べた結果だが、おそらく目標のゴーストは社会人選手として活躍していたアスリートかと思われる。ここ数か月で死んだ『走ることに固執するほどの人間』が一名しかヒットしなかった。ゴーストは大抵、生前の無念さや夢などが発生の根源にあることが多い。

大会前に死んでしまうというのは、まるで漫画や映画のようであるが人生でもそういったことは多々あるようだった。彼も24才の誕生日を迎えた後に、大事な試合だけは迎えることができずに亡くなった。新聞の片隅にも載っていたので、多少は有名な人間だったのだろう。

 とはいえ、あくまで可能性だ。情報があるものしか検索には引っかからないのだ。

 しかし仮に的中していた場合、そんなすごい相手の駆除などどうやって行おうか。走ることだけでいえば僕はとても苦手だ。雪さんは能力で、スケート選手のように地面やら壁やらを滑ることができるけれど、残念だが僕にはできない。

 ゴーストおよびゴーストデブリを駆除すること自体に免許はいらない。ゴーストに至っては偶然の駆除もありうる。

ゴーストもデブリも力でねじ伏せる駆除と、魂の呼応と呼ばれる『霊が満足をして成仏しました』というような駆除がある。後者は対話でも可能だ。

 免許が必要であるのは、法律でさだめられている項目の『未認可の能力者がその力を行使する場合は以下に限定する』に漏れる行為により駆除をする場合だ。

 その一つが『未認可の能力者は、国の指定した状況及び場合にのみ力を行使できるものとする。それらを除き、不必要に能力を行使してはならない』というものである。襲われた場合には使用ができるが、実害の出ていないゴーストを積極的に駆除することは出来ない。

 だが轟さんは、その文の『不必要』という曖昧さに付け込んで、僕に『法律内の許す限りの援助を求め、必要な範囲内での依頼をしている』と曲解している。


 3日目が終了したとき、僕はやり方を変えることにした。

轟さんに問い合わせてみると、辺りが暗くなった場合に確認されることが多いと指摘された。最初から聞けばよかったと後悔するが、そんなことを言っていた気もする。僕は外部ストレージを持たないただの人間なので、脳みそ内の記憶だけが頼りだ。

 7月下旬になると、7時頃にならないと日が落ちず、有効時間が1時間ほどしかない。よって校内に忍びこむことにした。能力を使えば潜入など容易だ。そしてこれは不必要ではないと刑事から言われているのだから、僕は胸を張ろうと曲解した。

 さて、あっちが立つとこっちが立たないという言葉があるが、まさしくそれは今の僕だった。

 8時以降に潜入したは良いが、今度は陸上部員が存在しなかった。駆けてくれる短中距離選手がいなければ、いくら待っていてもしょうがない。

 ならば他の学校に忍び込むしかないのだろうか。それか陸上部に依頼して走ってもらおうか。散々考えたが、いずれも様々なリスクを抱えていた。

 考えることにつかれた僕は、結局諦めることにした。

 轟さんに放棄の旨を伝えると「気にしないで! ありがとう!」と言われたが、代わりにバスケットボールで1on1を申し込んでくるゴーストの依頼を回された。現れるスポットも分かっているせいか報酬は3万だった。やはり大人は汚かった。

「じゃあそのバスケばあちゃんを倒してきます」と宣言したが、

「え、なにそれ」と返された。

 ジェネレーションギャップだ。


 校内に潜入すると足音は僕のものだけだった。

時刻は深夜3時。草木も眠る丑三つ時。とはいえ、今の時代は繁華街に行けばホログラム映像がばんばん流れている時間でもある。

「さてと」

 いつしか癖になってしまった独り言と共に体育館へ向かう。

申し訳ないが、南京錠を力任せに開錠させていただく。刑事の依頼なのだから僕は悪くないのだ。その刑事は事件が解決すれば平和につながるから多少は無理をしてもいいと豪語していた。彼は税金でご飯を食べている。

 体育館の明かりは消えていたが、窓から月明かりがこれでもかというほど入り込んでいた。今日は満月一日前ということだった。

 今回の依頼は、ゴーストもしくはゴーストデブリで、攻撃性は皆無であろうとの見解である。が、大抵その見解は外れていることが多い。今日も外れていそうだし、この前だって外れていた。

 バスケットボールが必要だが、体育倉庫の鍵を壊さなくても済みそうだった。

 構造は変わってはいるが、やはり今の時代の天井にもバスケットボールがはまっていた。僕は星のように浮かぶボールの真下に立った。顔をあげたまましゃがみ地面に手をつく。

 能力者の区分は七つおよび一つに分類される。基本が『発火・発電・治癒・感応・強化・予知・念力』である。残りの一つは特殊と分類される。

 さらにそこから攻撃性がランク付けされる。これは犯罪者になった場合にも役立つスケールだ。

 そして発動部位と発動方法の区分がある。

 僕の場合、発動部位は上半身型。発動方法は接触型となる。

 発火タイプの人間に比較的多いものは発動部位が目(視覚)型。発動方法は非接触型だ。ようは相手を睨むだけで燃やせるというものだ。とてもかっこいい。

だからといって攻撃性が高いかというと、ランクは低いことが多い。相手をやけどさせるぐらいが関の山の能力者が大多数を占めるからだ。しかしやりようによっては誰にもばれずに放火ができる。ゆえに放火犯が出た場合は発火系能力者は面倒なことになるとクラスメートから聞いた。

 僕は地面に両手をつけると、目標を見据えて能力を行使した。具現化するイメージをひっぱりだす記号を口にする。それは魔法使いでいえば詠唱にあたるのだろう。イメージを具現化するための鍵だ。

「竜氷(りゅうひょう)」

僕の両手を中心に、天へと伸びるつららが形成されていく。ただの氷ならば数メートル延びた時点で自重により折れてしまうが、能力により強化されている為、難なく伸びていく。

 天井に近づいたところで先の部分をかぎづめのような形へと変え、はまっているバスケットボールを外した。能力を使い始めた当初に比べればだいぶマシになったものだ。クラスメートは小さいころから付き合っている能力であるから呼吸をするように使っているが、僕の場合は訳が違う。

 地面に落ちたバスケットボールは、運よく僕の頭に落ちることなく、バウンドを繰り返し、直にころころと地面を転がって止まった。

 その先にソイツがいた。

 停止したはずのバスケットボールがふわりと宙に浮くと再びバウンドを始める。見えない天井にぶつかっては地面へ向かうことを繰り返す。

 ゴーストデブリであれば力任せに倒すほかない。それは魂の残滓の、さらに残滓であるから対話など望めない。特定のルールに則って動くだけだ。

 しかしゴーストであれば話は変わる。対話によって満足させることができれば自然に霧散していく。

 できるならば僕は対話をしたい。一方的に消滅させられるなんて僕だったら嫌だ。もしも雪さんがそのような解決方法を主としていたら、僕は今存在していない。

「こんばんは」

 僕はバウンドし続けるボールに向かって話しかけた。

「調子はどうですか?」

『まだ試合は出来る』

 月夜を引き裂くようにして、うっすらとした霊体が現れた。遠目に見ても身長はたかく体つきもがっしりとしている。直立不動のゴリラのようだ。

調べて分かったが、近隣の高校のバスケットボール選手が地区予選の半ばに自転車で事故を起こし死んでいた。顔写真を調べてきたが相似していた。魂の体感時間がどういうものかは知らないが、すぐにゴーストになるとは限らない。今回は比較的発生時間は遅い。

「自分がもう死んでいるということを知っていますか」

『そのようだが、こうして話しているだろ? その質問に意味はあるのか? 俺はバスケができりゃいい。死んでようが生きてようが、それでいい』

「できれば成仏という段階に進んでいただきたいのがこちらの意志です」

『俺の意志はこうして』

 彼はゴールネットを見ずにボールを投げた。パサッと音がして、球体が円を通り抜ける。

『バスケをするだけだ。誰にも迷惑はかけていない』

「でも、時折、人に勝負を挑むようにボールを取り上げますよね」

『そりゃ、スポーツマンはよりよい記録を出すために努力するんだ。バスケでいえば、試合以外で何がある? バスケは相手のボールを奪わなきゃ点が取れない』

「たしかに」

 説得力がある。僕よりある。

「でもそうすると、人の目についてしまうんですよ。部活動も停止になってしまうかもしれないし。もう勝負だけはやめてもらえませんか。挑発するような行為とか」

 ゴーストデブリは一つの行動パターンの繰り返しだ。自動車をこわす、鏡を割る、声をあげつづける。そういった一つの固執した行動が発露する。

 そしてゴーストにもそういった思いがある。今回でいえば、スポーツマンとしてバスケットの試合をすることだろう。

 魂の呼応というものは、2015年の日本では一般的な概念であった、仏教でいうところの『成仏』だ。それは相手に満足を得させることが重要だと教科書には書いてある。しかし僕の経験上、何かを諦めさせることによっても同等の結果を取れることを知った。その道では当たり前の知識なのかもしれないけれど、存在意義のようなものが消失することにより魂の呼応が発生するようだ。

『俺はバスケをするだけだ』

「意志は固いというわけですか」

『バスケをしなければならないだけだ』

「……? あなたはバスケをする為に生まれてきたのですか?」

『俺はバスケだ。当たり前だろう』

「……あなたは生前バスケをしていましたか?」

『俺はその為に存在している。バスケは俺だ』

 話がかみ合わない。

 目の前のゴーストは魂を消費しすぎているのかもしれない。反応がどこか機械的で一方的だ。

 我々の能力は『生命力』という力を原動力にしている。それはかつて魔力と呼ばれたり霊力と呼ばれたりもしたようだ。

 人間の体は不思議なもので、そういった生命力を内から作り出すのと同時に、外からも吸収しているらしい。いわば地球の生命力を人間が吸い取っているようなものだという。酸素と二酸化炭素になぞらえて説明されることが多い。

 だが魂になると、それが出来ないと教科書には書いてある。呼吸の出来ない人間と同じであり、体内の力を使い切ったら終わり。たかが数分呼吸をしなければ死んでしまうのと同様に、魂もすぐに霧散する。ゴーストにも結晶にもならない魂は霧散した後、今度は地球の生命力として還元されるという。

 それを繋ぎとめて現存しているのがゴーストだ。ゴーストは魂のように完全に消費するだけの存在ではないが取り込む効率が悪い。

生命力を使用しすぎた場合2通りの道がある。一つは霧散。結晶は残る場合と残らない場合があるため、人間が感知しないうちに発生し、消滅していることもあるのだろう。

もう一つがゴーストデブリになってしまうという道。

ゴーストの強すぎる意志が残存する場合は『残存性デブリ』と呼ばれる。ゴーストとは別にデブリが生まれるため、デブリを駆除しても本体は消えない。

最初からデブリの場合は『原発性デブリ』と呼ばれる。

そして意志が強すぎるゴーストが体内の生命力を消費させた結果デブリへと変化したものは『暴走性デブリ』といい、今回はそれにあたるかもしれない。

記憶を忘れていく人間のように、反応が単一化していき、最後には暴走する。目の前の存在も放置し続けていれば、人に危害を与える可能性がある。

 やはり轟さんの予測は外れたようだ。いつも外れている。

「じゃあ試合をしましょう。意志のあるうちに」

『お前にバスケができるのか?』

「授業でやったことはあります。ただ一つ条件をつけさせてください」

『なんだ』

「全力で戦いましょう。あなたが満足するように。だからあなたは何をしても結構だし、僕も自由に動きます。もちろんバスケット上のルールに則って」

『そうか。全力でいいのか。そりゃ最高だ』

「最後まで意志を維持していてくださいよ。満足するまで消えないようにお願いします」

『バスケができりゃ、俺は俺だ』

 ルールブックに、氷を使ってはならないと記載がないことを願う。


 結果からいえば、ゴーストは消えた。

 試合の途中結果からいえば0対17だった。

 どっちが0かなど、聞かなくても分かるだろう。

 命を削り合ったはずの勝負は、途中で終わりを迎えた。

 ゴール手前10メートルの位置から9度目のダンクシュートを決めたゴーストが、ボールを残して霧散したのだ。満足したから消えたとも考えられるが、おそらくは魂を消費しきったのだろう。彼の意志はどこにも残らなかった。もしくは試合中に豪快なダンクを決めて死ねるというのはスポーツマンにとっては本望なのだろうか。

 月夜を頼りに結晶を探してみたけれど、どこにも落ちていなかった。やはり彼は消滅したのだ。それは本望より先に、限界がきてしまったということになる。

 彼は僕なんかとの試合で少しでも満足できたのだろうか。なんだかムシャクシャして、深夜にも関わらず轟さんに報告をしようかとも思ったが通信手段がない。

 家に着いたころには空は白んでいた。ドアをあけると部屋は暗い。隅にシロが正座をして待機していた。僕の帰宅を感知したらしく目を開ける。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「ただいま」

 部屋に昨晩のカレーの匂いが漂っている。それは僕の日常の一部となっていた。

 シロは時計を見た。

「朝食にいたしますか?」

「悪くないけど、匂いで満足しておくよ」

「かしこまりました」

 時間ができたらシロと散歩にでもいくのもいいかもしれない。そんなことを考えていたらいつの間にか寝ていた。


☑case-2.1


 轟さんに連絡を入れると「ありがとう!」と子供のようなお礼が返ってきた。

 結晶は見つからなかったがバイト代は出るらしい。

「いいんですか? 確認もしないで」

『うんうん。兵藤君は嘘をつかないからね!』

 理由が分からないが、貰えるものは貰いたい。

『そういえば、ナツさんから話はきいた?』

「唐突になんですか。今日行こうとは思ってますけど」

『そうかあ。ならその時で! 室長が張り切っちゃって忙しいから、また後でね!』

 電話が切れた。

 どうにせよ斎藤さんの所へは行くつもりだった。バスケットの試合で義足がダメージをうけていないか確認してもらわなければならない。

「シロ、斎藤さんのとこに出かけてくるよ」

 声をかけると、外をぼんやりと見ている……ようなシロが頷いた。

「かしこまりました」

 僕は思い付きを口にした。

「どこか出かけてきたら? 行きたい場所あればだけど」

「よろしいのですか?」

「行きたい場所、あるの?」

 シロは黙った。何か間違ったかもしれない。

 時計を見ればまだ13時だ。僕はマネーカードを玄関先に置いた。

「これ、自由につかっていいから。じゃあいってくるね」

「かしこまりました……ご主人様」

「ん?」

 靴を履いてから振り返ると、シロはすでに頭を下げていた。

「ありがとうございます」


 斎藤さんは妙にいらいらとしていた。

「どうかしたんですか」

「どうもこうもあるか」

 僕の足から顔を上げた斎藤さんの目つきは険しかった。

「アンドロイドが盗まれた」

「盗まれた? まさかこの前手に入れたブラックアウトの?」

「そうだ。今朝ばらそうと思って下に降りたら消えてた」

「だから鍵をかけてくださいと言ってるじゃないですか」

「本当に盗もうと思ってるやつは鍵の有無で判断はしない。結果が同じなら過程などいらん」

「たしかに」

 先日、体育館の鍵を壊した僕としては何も言えなかった。

 どうやら斎藤さんはおもちゃを取り上げられた子供のようにいじけているようだった。分解が趣味の子供なんて嫌だけども。

「まだ所持登録が済んでなかったから盗難申告もできん。一応、前の所有者にはあたろうとは思うが、金持ちは大抵めんどくさいやつらばかりだから気が滅入る」

「タダより高いものはないんですね」

「どういう意味だ? 無料が一番安いだろ?」

「……なんでもないです」

「はぁ。憂鬱だ」

「ああ、でもそうか。もしかして轟さんには連絡しました?」

「……頼れる相手があいつしか思いつかなかった。情けない」

 轟さんが斎藤さんの中でどれだけ低レベルなのかは想像ができなかったが、とにかく屈辱らしい。

「でもGPSついてますよね、アンドロイドって」

「所持者と一部の権利者しか見れないんだよ。登録済んでないから、私じゃだめだ」

「ああ、そうか」

 言われてみれば、僕はシロの動向をチェックできる立場にいるのだ。今度確認をしてもいいかもしれないが、大したことはさせてないから不要かもしれない。

「ああ、憂鬱だ」

 何が憂鬱なのかは判断しかねるが、なんとなく轟さんの満面の笑みが頭に浮かんだ。


 夕方に自宅へ戻ると、シロはいなかった。玄関先のマネーカードが消えている。好きなところへ行けと提案したのだから、当然といえば当然なのだろうか。そもそも人工知能とはどのレベルまで成長するのだろう。

ふと、木戸ミイナの言葉が頭をよぎった。

知能と意志の違い。

そもそもそれは比べるものなのだろうか。知識と意識とかなら、組み合わせがよさそうだけども。そして行きたい場所というものがシロにはあるのなら、その行きたい場所とは意志が決めることではないか。ならばシロは人間と同じ思考を獲得していることになるのだろうか。ネットで調べても独自のアルゴリズムが自然なほどに人間らしい判断を云々と出てくるだけなのだろうけど。

 哲学モードに入っていると電話がなった。

 応答すると轟さんだった。

『ああ、俺は運がいいね! 助けてよ、兵藤君!』

「いきなりなんですか……」

『捜索の手伝いしてくれない!? 室長より早くみつけないといけないんだよ!』

「何をですか?」

 室長というのはエリートながら市警にいる物好きの人だ。性別は女性で、ナツさんには劣るけれどもまあ美人と轟さんが上から目線で評価していた。

『ナツさんのアンドロイドだよ! あれの目撃情報やGPSでの位置特定をしているうちに、室長が気が付いたんだ!』

「いや、だから、何をですか」

『驚いちゃだめだよ、兵藤君!』

 轟さんは言った。

『あの素体、ブラックアウト品だったんだ!』

「それは知ってました……というか轟さんも知ってたじゃないですか」

『でも聞いて!!』

轟さんの話をまとめるとこうだ。

 斎藤さんからアンドロイド盗難の報告を受けた轟さんは、暇そうにしている室長の向いに座って色々と検索をしていたらしい。

 まず素体番号を調べると、斎藤さんの申告通りブラックアウト品として登録変更を掛けられていることがわかった。素体を受け取った場合、2週間以内に名義変更をしなければならないが、まだ5日程度だったので問題はなく所持者は前のオーナーだった。

 つぎにGPS検索をしてみたが反応はなかった。素体が起動していなくともGPSの機能は安全装置の一部として機能するからだ。だがそれも電力があってのこと。反応しないということは完全に充電が切れているのだろうと轟さんは考えた。が、ナツさんの作業場で充電がされているのを思い出した。簡易ポッドにつながれていたからだ。

 ではおそらく窃盗犯が素体にアクセスしGPSを違法に切ってしまったのだろうと考えたが、そういえばブラックアウト品だったなと考えを改める。GPSを含む補助機能は人工知能とは別に制御されており、それ自体は素体側の機能であるが、所持者情報が登録されている人工知能を保有する素体は、素体の管理を人工知能側で制御するように変更される。つまり人工知能が入れられた素体は基本的に人工知能が起動しない限りは補助機能をOFFできない。

ならば違法なアクセスでもしたのかと安易に考えたが、すぐに否定した。そもそも素体へのアクセスすら人工知能が働いていなければならないが、ブラックアウト品に関していえばそういったアクセスすら出来なくなるから原因不明の状態であり復帰不能のお手上げ状態になるのだ。窃盗犯だってそれは同じなはずであり、そこを解決したのならノーベル賞を受賞できるだろう。

 結論からいえばGPSは起動しているはずだ。にもかかわらずマップ上に出てこないということだ。だからGPSが切られていると考えはしたが、外部アクセスが拒否されるブラックアウト品の機能をどうやって切ったのだろうか。

 一人で首をひねり「あ、物理破壊か」と結論をつけた矢先に室長が否定した。

「盗んだもんを物理破壊してどうする。本当に貴様は阿呆だな。まずはGPSがどこで切れたか考えろ」

 確かにそうだと轟さんは感心しながらGPSの現在地情報ではなく、どこで途切れたかを調べることにした。

「あれ?」

「どうしたオドロキ。ワクワクするような話を始めろ」

「俺は轟です」

「どうでもいい。どこで切れていたか言え」

「いや、それが、モノレールの中で切れているんですけど……あんなもの担いで電車乗ったんですかね」

「大型のアンドロイドといったか?」

「ええ。筋骨隆々のタイプですよ。わざわざあんなもの担いで移動します?」

「どうでもいい。大馬鹿野郎の顔をカメラで確認しろ」

 指示通り、轟さんはカメラの映像を確認した。国営のモノレールだったので、データ提出依頼はすぐに通った。あとは室長の権限が強いらしい。

 さて、室長はそのあとすぐに部屋を飛び出していったという。

 それはなぜか。


 電話の向こうから轟さんの興奮した声がした。

『ブラックアウト品が復旧して動いてたんだよ! 盗まれたんじゃなくて、一人でモノレールに乗っていたんだ!!』

「轟さん。お聞きしたことなかったんですけど、その室長ってどういうことに興味を持つんです? そしてどういう風に問題なんですか」

『興味を持つことは『楽しそうなこと』だね。今回だってブラックアウト品が動いてるとしって、目を爛々と輝かせながら出ていったよ。で、問題っていうのは今回でいうと、うーん』

「いうと?」

『こういうケースは県警の本部に連絡する決まりなんだよね。だからしたんだけどさ、なぜか警視庁本部が出てきちゃってさ。ブラックアウト品が動いたからかな。ノーベル賞ものっていわれてるしね。だから県から国へ捜査権引き継ぎは当たり前にしても、情報やら履歴やら全部持ってかれたよ。あ、もちろんナツさんのことはきちんと守ったよ!』

 誇らしげだった。

「つまり室長さんはどこが問題なんですか」

『つまり室長はお国のお偉いさんがたが何か隠そうとしていることに、事前に首を突っ込んでるんだよ。今回だって、捜査権もないのに一人で暴走して……いや一人じゃないけど、とにかく勝手に動いてるでしょ。長いものにまかれる主義の俺からしたら、謀反だよ謀反!』

 つまり上の言うことをきかないジャジャ馬エリートということなのだろうか。

 上から目をつけられそうな人に、目をつけられてしまったら何かと目立ってしまいそうだ。

「で、僕はなにをすればいいんですか?」

『え? 手伝ってくれるの?』

「なんだか面倒なことになる前に動きます」

『手伝ってくれてありがとう! あまり大げさにできないらしいから、ドローンの使用も控えててさあ! ていうかなんか怒ってる?』

「いや、別に怒ってませんけど……」

 言って、しかし自分の口調がぶっきらぼうになっていることを自覚した。おそらくシロが原因だ。 

 ブラックアウト品が動いたこと。そしてそれに室長とやらが反応したこと。そしてその捜査権が警視庁に移行したこと。なぜこんなに対応が早いのだろうか。常に脅威として設定されていたのではないか。つまり……。

『――ということでいい? 兵藤君』

「あ、えっと、もう一回お願いします」

『だからさあ、君も例のアンドロイドの外見は知っているでしょう? アメリカのストローン社のTY-3型だよ。あれ、結構出回ってるし筋肉以外は大して特徴がないんだよなあ! とりあえず今の服装は青のジャージに白のランニングシューズ、そしてキャップをかぶっているよ。で、見つけたらとにかく僕に連絡がほしいんだ。室長が暴れる前に上に送らないと……』

 次の左遷場所なんてもう思いつかないよ、と捨て台詞を残して電話は切れた。

 僕は受話器を置くと、しばし思考にふける。

 動かないはずのアンドロイド。消えたGPS反応。人工知能が『死んでいる』のに器としての素体が動くのはなぜか。それは本当にノーベル賞をもらえるほどの答えなのか。

「人の意志、か」

 僕は探索へ出かけた。


 警視庁というものは有能だ。僕など一瞬で捕まってもおかしくないほどに。

衛星からの映像で目標物は見つかるだろうし、今じゃコンピューターを使えばできないことなどないだろう。各地に存在しているカメラとデータ照合システムを使用すればある程度はあたりがつくはずだ。

 だが、もしそのアンドロイドに人を欺くような『意志』があったとしたら話は別だろう。

 たとえば今や当たり前になってしまった地下施設網を移動すれば衛星からの映像には映らない。途中で着替えられたら特徴で検索する映像検索にもひっかからない。識別信号も切られていれば意味がない。モノレールに乗って移動した駅は確認されたが、そこからまた地下道や建物の構造を使われていては見つからないだろう。

 先日のバスケット勝負を思い浮かべた。

 彼は『相手に勝つ』ということを求めてゴーストとなった。

 では個人競技はどうだろう。例えば陸上。相手に勝つために練習をしているのだろうが、もしかするとタイムというものはもっと大事なのではないか。人に勝てたかよりも、己のタイムを目標とするのは個人競技の醍醐味だとか、そんな話を聞いたことがある。

 なぜ今、僕は陸上なんてものを思い浮かべたのだろうか。

 予感。

 予知。

 それは人の特権だろうか。

 優秀な機械や捜査網に勝つためには何が必要だろうか。

僕の中に一つの『予測』が生まれ、それが外れたのならば、轟さんの期待には応えられそうもない。

 そもそも僕の持っている情報から推測できる答えは一つしか思いつかない。僕が他より優れているとしたら、情報の少なさという点しかないということだ。

「ご主人様」

 モノレール駅に近づいたころシロにばったり出くわした。彼女が外出した時には大抵、買い物袋を提げていることが多いが今日は違うようだ。

「ああシロ、奇遇だね。また少し出てくるよ」

「どちらにお出かけですか」

「どうしようかな」

「お決まりではないのですか?」

「候補はあるんだけど……ああ、そうだ。ちょっと検索してもらっていい?」

「かしこまりました」

 僕は検索条件を口にした。

 結果は6件。

「6分の1か」

 条件は、室内にトラックもしくは100メートルレーンが存在している施設だ。残念ながら6件とも方向がばらばらだった。

僕はシロに尋ねた。

「シロはどこだと思う? 勘でいいよ」

「……わかりません。前提も不明です」

「実は今探しているアンドロイドがいるんだ」

 僕は端的に説明を始めた。最後に予測を付け加えた。

「おそらくだけど、その素体にはゴーストが宿っていると思う」

「……そうですか」

「僕はね、シロ。実はゴースト退治をたまにしているんだ」

「そうなのですか」

 人工知能は驚かないはずだが、設定次第でどうとでもできる。実は、とついている文には意外そうな反応をすると覚えさせればいい。

「でも駆除はしたくない。なるべく満足して、やりたいことをやって、それで成仏してもらいたいと思ってる。仏教でもなんでもないんだけど、駆除なんていう言葉が意味するところをそのまま鵜呑みにしたくないんだ」

 シロは黙っていた。僕はもう一度訪ねた。それはガイノイドに向かって命令を出すには随分と信頼性が薄かった。ランダムで選べというのと同じレベルだ。でも僕には違う未来が見えた気がした。

「シロ、そのうえで聞きたいんだけど、その無念の思いを胸に抱いていると僕が勝手に想像しているアンドロイドが居るとするならば、どこにいると思う?」

 シロは目をつむった。何かを検索している風にも見えたし、思いに耽っているようにも見えた。それは部屋で一人にいるときのシロを連想させた。

「ご主人様。その方が出場するはずだった大会の会場はどちらにあるのですか?」

「なるほど」

 僕は県外行の電車に乗った。


 加賀敏明、24才。中学時代から全国大会に出場し、高校ではインターハイ100メートル3位。大学では社会人を相手に戦い、その記録は悪いものではなかった。オリンピックへの道も努力次第というところで、未來がまだまだ楽しみな選手だったのだろう。

 そんな彼は、自動車で移動中に亡くなった。自分の運転する車に対向車のトラックが突っ込んできたという。

「無念だったと思います。でも、皆がそんな感傷を理解してくれるわけでもないようです」

 僕の声に彼はゆっくりと振り返る。数日前に見た顔――斎藤さんの作業場にあったアンドロイドと同型だった。

 アンドロイドはトラック内ではなく、観客席に一人で座っていた。時刻は21時。埋立地に作られた競技場なので風は強いが人気はない。

 僕は確認した。

「加賀さんですよね。陸上選手の」

「あと少しで消えるさ。放っておいてくれないか」

「加賀さんなんですね?」

「ああ。多分な」

「隣、座ってもいいですか」

「……お前、誰だ」

「僕は兵藤リンといいます。加賀さんを一時期は探していたんですけど、もうお金ももらえないだろうし、何もしません」

「能力者か」

「そうですけど学生です。必要時以外は使えません」

「好きにしてくれ」

「ありがとうございます」

 加賀さんの座る席から二人分ほどあけて座る。しばらく無言が続いたが向こうから話かけてきた。

「駆除しないのか」

「アンドロイドにゴーストが宿っているなんて、はた目からじゃ分かりません」

「お前は俺の名前を呼んだだろう」

「色々と知っている条件が少なかったので、あてずっぽうを出しやすかっただけです。情報は多ければいいというわけじゃないですね」

 僕の言葉は長すぎたようだ。加賀さんは黙った。

 今度は僕の番だった。表現が難しかった。

「なぜアンドロイドに……つまり、乗り移ったんですか」

「乗り移った、か。体がなくなって、気が付きゃゴーストだ。意識的に見せようとしなけりゃ、誰にも気がつかれない。駆除なんて言葉は俺には関係ないと思ってた」

「ランナーと走っていましたよね。時折」

「走るには程遠い感覚だ」

 加賀さんはアンドロイドの腕を動かし、手を握りしめた。

「走るときの感覚なんて無自覚に享受していた。でもゴーストになったら気が付いた。心臓の鼓動、止めた息と肺の感覚、地面を蹴った衝撃、頬で切る風。その全てが人間の特権だった。ゴーストじゃ感じられない。体がなきゃだめだった。誰かと走ってたって、同じ感覚は得られなかった。だからこいつを奪ってみた」

「奪えたんですか?」

「光って見えたんだ。暗い部屋の中に差し込んだ光のように、導かれた気がする」

「導く……」

 いったい何が導くというのだろう。それはゴーストだけの感覚なのだろうか。

 またしばらく無言が続いた。遠くからサイレンの音が聞こえたがあれは救急車だ。しかし思い出した。

「加賀さんを国の人間が探しています。ようは警察とかそういう面々です」

「そうか。そこまで悪いことをしたのか、俺は」

「いや、そういう訳ではないんですが……ブラックアウト品が動いたからでしょうか」

「こいつはブラックアウト品なのか?」

「はい。知りませんでしたか」

「GPSを消したぐらいだ」

「消せるんですね」

「脊髄チップと同じような感じだ」

「すみません。つけてないもので、分かりません」

 ただ、と僕はあたりを見回した。

「時間はさほど無いような気がします。ドローンの使用はないようですが、僕の知らない他の捜索方法もあるでしょうし……充電はまだ2日間は持つでしょうが、現在のエネルギー源が何なのかも分かりません。もしも加賀さんが走りたいと思っているのなら、今ここで走っておかないと次の好機はないかもしれません」

「いや、いい」

 加賀さんは頭を振った。

「こいつで移動していて分かった。アンドロイドでも人と同じような感覚は得られない。俺がやりたいことは実現できないと知った。もう記録なんてどうでもよかったんだ。走る感覚を最後に味わってみたかった。この会場で味わうはずだった感覚をな。でももう無理だ。諦めた」

「そう、ですか」

 僕は返す言葉を失った。

 これはつまり魂の呼応に近づいているということだ。それも達成ではなく諦観からくるものだろう。彼は死してなお走りたいと願い、ここまで行動して諦めたのだ。いやここまでしたから諦められたのだろうか。

 僕はそれがとても悲しいようなことに思えた。

「加賀さん、僕の体に乗り移れないんですか」

「お前の? 何を言ってる」

「そこまで諦めているのなら、最後に挑戦してみてください」

 僕は強く願っていた。どうせ消えてしまうのなら、最後に満足して消えてほしいと。これまでにいろいろなゴーストを諦めさせてきたがその全ては実現が難しい物だった。今とは違う。

「しかし、お前にどうやって……いや、もしかしたら……」

「いけそうですか?」

 どうやってゴーストが乗り移るかなどは知らないが、太古より霊は人に乗り移っているではないか。できないとは思えない。

「いけそうな気がする。いいのか? 俺は体を返さないかもしれないぞ」

「その時は別の誰かに助けてもらいます。いつもそんな人生ですから」

「そうか……なら遠慮はしない」

 ふっと、目の前のアンドロイドから力が抜けたように見えた。何事もないような数秒間が続いたあと、

「がっ……」

 僕の胸の奥底にトラックが追突してきたような衝撃が走った。


 気が付くと、僕は自分の部屋にいた。どうやら寝ていたようだ。

「おはようございます、ご主人様」

「ああ、おはよう」

 天井が隠れるほどにシロの顔が視界いっぱいに映っている。のぞき込まれていたらしい。

「えっと……僕なんでここにいるのか知ってる?」

「はい」

 シロは頷いた。

「ご主人様は明け方に帰宅されました。その後少しお休みになってカレーを食べてから、手紙を書かれた後、突然意識を失われました。そして目を覚ましたのが今です。三時間ほどのことでしょうか」

「……うん」

 経緯がよくわからないが、とにかく無事だったらしい。

 起き上がると、ものすごい筋肉痛だった。

「大丈夫ですか、ご主人様」

「シロ、何か僕と話をした? 帰ってきてからの僕と」

「はい。いたしました」

「どんな?」

「カレーがとても美味いと褒めてくださいました。あと、目が覚めたご自分に端末をみせてほしいと」

 指し示された端末にはメモソフトが起動されていた。最後に加賀敏明と記名がある。どこまでが本当かは知らないが満足してくれたようだ。

「シロ、ありがとう」

「いえ。では、朝食を召し上がりますか? 記録では最後のお食事から12時間以上が経過しております」

 シロはそんなことを聞いてきた。いつも通りの対応といえるだろうか。それでも少しおかしい。

「僕、少し前にカレーを食べたんじゃないの?」

「……はい。そうです」

 気まずい雰囲気がでるほど、シロの表情が動くことはない。

「でも食べようかな。シロのカレーはおいしいしね」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 シロは僕ではない僕と何を話したのだろうか。

 少なくともカレーを食べた記憶は僕にはないのだから、今一度日常の味に浸るとしよう。

 パソコンの前には小さな結晶が落ちていたが、換金することはやめてしまっておくことにした。


 後日、作業場で轟さんから報告を受けていた。

すでに素体は見つかった後だった。

「不思議なことにGPSが突然復活したんだよねえ」

「そうですか」

「ねえ。ちなみに兵藤君、この件に必要以上に絡んでないよね?」

「いや、別に」

「暗くてわからないんだけど、現場に二人の影があるのは確認できたらしいんだよ。ねえ兵藤君、何か知ってるとかないよね? まさかだけど」

「そうですか」

「もう一回聞くけど、兵藤君関わってないよね?」

「そうですか」

「ええ! ちょっとちょっと! その反応は――」

「――うるさい」

 その声は僕じゃない。斎藤さんだった。ものすごく機嫌が悪い。

 轟さんが必要以上に慌てた。

「あ、ナ、ナツさん、つまりですね」

「そいつが違うといっているんだ、違うんだろ。私の素体を返さないくせに人を疑うな」

『違う』とは言っていないが、そういうことにしておこう。

 斎藤さんはブラックアウト品が国に没収された上に、なんの保証もされないことに腹をたてていて、なんなら警視庁を相手に喧嘩を売ってもいいぐらいに怒っているのだ。そして轟さんはその組織の人間であるから、斎藤さんの敵と認識されているのかもしれない。

 しょぼん、と肩を落とした轟さんが少し不憫だ。助けてあげたいとも思うが、どうだろうか。蒸し返すとまた余計な話が始まりそうだから止めておこうか。

 外から蝉の声が聞こえる。

80年もの時間が経とうとも夏の風物詩は大して変わらない。

 夏休みも中盤。まだまだ日差しは高く、外の熱気は強い。

「兵藤。暑い。涼しくしてくれ」

 わがままモードに入った斎藤さんに「りょーかいです」と応じて、冷気の出力を上げた。

「ちなみに轟さん。今使っている僕の能力って、法で定められている『必要時の使用』に値するんですか?」

 あーすずしー、と気持ちよさそうにしていた轟さんがハッとした様子を見せる。

 腕を組み天井を見上げて考え始めると、直に答えを口にした。

「暑いと死んじゃうから必要時じゃないかな。まあ見逃すよ、俺は現場の声を重要視する男だからね!」

「ほら斎藤さん、轟さんが助けてくださいましたよ。心が広いですね。国の法律よりも、僕らを優先しています」

 僕の意図に気が付いたのか、轟さんがぱあっと顔を輝かせた。

「ふん」

 斎藤さんの声もどこか和らいだ気がする。

 人間同士が分かり合うということは『心が通じ合う』というが、それは魂の呼応と同じではないか。ならば人間にあって機械にないものは魂であり心であるということになる。哲学モードに入った僕はそんなことを考えながら、普段より頑張ってもう一℃だけ室温を下げた。


『兵藤様

頬にあたる風が気持ちよかった。ありがとう。とはいえ片足が義足だったから生前とは違う感覚だったな。(嫌味ではないんだ、気を悪くしないでくれ)

 というわけで、しばらく感じていなかった睡眠と、食ってなかったカレーを頂いたことで、俺は満足を得られたんじゃないかな。これで終わりだと思うよ。

 本当にありがとう。お礼をしたいところだが何も持っていない。この後どうなるのかは知らないけど、もしもお前がこっちにきて道に迷っていたら、走って迎えにいくよ。

 じゃあそういうことで。突然の出会いだったが感謝している。また会う日まで。

追伸

彼女、大事にな。

                                加賀 敏明』




☑case-3


「ご主人様」

 声と共に体を揺さぶられて、目が覚めた。

 時計を見る。朝4時だった。

 ひどい寝汗をかいていたようだ。

 シロがタオルを差し出していた。

「うなされておりました」

「ああ……夢見が悪くて」

 なぜ今更こんな夢を見たのだろうか。

 あれはまだ入学したばかり。僕がこの町に越してきてすぐのことだった。

 当時、僕はやることがなくて色々なことに首を突っ込んでいた。その後、そんな行動がわざわいして余計なことに巻き込まれることになるのだが、その時の僕は知る由もなかったし、この話には関係がないので置いておく。とにかく僕は人の助け方を知らなかったのだ。


 ☑case-3,1


『幽霊の出る教室』という噂を耳にしたとき、僕はすぐに解決しようと思い立った。

場所は近隣の高校で、普通科だけが存在している県立だった。

話を聞くと、ずいぶんと昔に殺人事件があり、それからというものゴーストが出る……らしい。らしい、というのは今までに発見報告はあったが実際に見た人間が少数だったことによるという。

発見がまちまちであるため、時間が経つと魂の呼応か、もしくは消滅したのだろうと判断された。が、しばらくすると再び目撃情報が出る。どのような条件下で確認がされるのかもわからずに、駆除されないまま放置だったのだろう。実害報告がなかったことも要因である。

5月の長期連休は2095年にも顕在だった。むしろ伸びていた。忍び込むならばその時だろうと判断した。

発生条件は不明だが人気の少ない時間といえば夜間帯だ。

僕が裏門を飛び超えたとき時計の針は23時を指していた。警報装置は知人の男性特製の機器と僕の発氷の能力で無効化した。

県立学校という施設は商業施設と違い、自動ドアなどの設備がないことが多い。学生の頃は苦労しろということなのかもしれないし、校舎の設立というものに税金が割けなくなってきているのかもしれない。でも思い返してみれば僕の通っていた木造の校舎は築70年ぐらいだったのだから、昔と大して変わらないのは当たり前なのかもしれない。大局的にみると時代というのはそんなに変わっていないのだろうか。

「竜頭(りゅうず)」

 僕は起動のスイッチとなる言葉をつぶやいた。能力というのはイメージの具現化だ。無言でもできるが、どこか完成度や発生速度が下がる。

 差し出した人差し指に切っ先の鋭い氷が生えた。僕は二本の指をガラスに押し当て、手首を円状に動かして窓ガラスを切り取り鍵を開けた。赤外線の防犯装置があるかもしれないが、捜査するだけの時間はあるだろうし逃走ルートも確認済みだ。

 くりぬいたガラスを能力で元に戻してから、目的の教室へ近づいた。


 鍵のかかっていない空き教室だった。

月明かりが差し込んでいる。入室するとどこかかび臭い。月光の作る光に照らされて、白い塵が空を舞っていた。

 黒板はない。2015年では当たり前だったもので共通するのはロッカーと段ボールとゴミ箱ぐらいだろうか。生徒は電子端末を使うし、電子黒板は取り外されている。

今や電子機器で補えないものはない。エネルギー問題は依然として続いているが、何かと新しい資源を見つけて流用しているらしい。発電方法も根本的な部分は変わっておらず効率化が進んでいるだけのようだった。完全に新しい資源というのは安全性の部分から国際的な会議で認可されるまでが長く、また専売特許とならないよう各国がちょっかいを出し合うのでなかなか一般化されないのだという。だから映画や漫画でみたような未来はなかなか訪れない。もしかすると一生訪れないかもしれない。その原因は人間の足の引っ張り合いだ。

哲学モードが発生するほどに教室内は静かだった。僕は思考すら止めて、しばらくじっとしてみることにした。床は汚れていそうなので、隅の段ボールを手で払ってから座る。

ここに本当にゴーストが存在しているのだろうか。

ゴーストを感知できる人間は少ない。そういう感応系も居るらしいが、普通の人間では無理だ。雪さんのような存在はソナー能力があるそうだけど、それも能力を使っている対象だけのようだ。誰だって生きているだけでは大した反応は出ないという。

時間だけが過ぎていく。

どうしようかと考えるが、実際、ゴーストが出たとしてもどうすれば良いのかはわからなかった。

 斎藤さんや雪さんのように誰かを救ってみようと思い立っただけで、その方法は分からない。1年ほど前に突然目を覚ましたら、家族も知り合いもみな死んでいるか僕の知っている存在ではなくなっていた。

 僕という異分子を受けいれてくれるのは雪さんのような存在が主だったが、僕は僕で人間というカテゴリーから外れることはなかった。

 人間でもなく、人外でもない。

 僕はカテゴリエラーのひとりぼっちだ。

 だからせめて、僕を助けてくれた人たちと同じことがしたいのかもしれない。

『こんばんは』

 女性の声が聞こえたのは、そんな思考の途中だった。

 うっすらと何かが像を為していく。部屋の中心に髪の長い女子生徒が現れた。

「……こんばんは」

 どこか緊張した。あらかじめゴーストの駆除方法は聞いている。魂の呼応という、相手を満足させる行為を行えばよい。それがだめであれば、能力で霧散させればいい。雪さんは前者のやり方を好むため、僕もそれを真似ようと思っていた。

「僕は兵藤リンといいます」

『……田中です』

 どう考えても偽名に聞こえてしまったが黙っていた。

 単刀直入に尋ねる方法以外の手を僕は持っていない。

「つまり、その、あなたがしたいことはなんですか?」

『あなたは乱暴な会話をする方なのですね』

「すみません。聞き方がわからなくて」

 まるで人間と対峙しているようだと思ったが、それもあたりまえだ。人間の形をしていても機械であれば、それは人間ではない。しかし目の前の存在は型を失おうとも人間なのだ。

「できればあなたの助けになりたいと思います」

『そうですか……』

 ゴーストは考えているようだ。脳がないのにどこで考えているのだろうか。心だろうか。

『行いたいことはありませんが、知りたいことはあります』

「なんですか?」

 それを満たせばゴーストは消えるという寸法なのだろう。

 半透明の女性は口の端だけを上げる笑みを浮かべた。

『私がなぜこうなったのかを理解できるのなら、お聞きしたいです』


 女性のことを調べるのはとても簡単だった。図書館で大体のデータはそろう。

 氏名は『甲斐 七恵(かい ななえ)』。年齢は17歳。普通科の高校生で……とはいえ当時は基本的に普通科しかなかったのだろうが、年越しを控えた12月14日に通っていた高校の一室にて死亡とあった。

 第一発見者は美術部の部員。朝、部活の準備をしようと入室したところで発見したらしい。死後3日が経っていたようで、金曜日に死亡し月曜日に発見されたことになる。

 死亡原因は腹部に刺さったナイフによる失血死。当時、あの部屋は美術準備室だった。端に棚があるだけで、他は床が露出していたようだ。その中心で女子生徒が血を流して死んでいた。

棚にはペンキなどが保管されていて、事件当日はペンキが被害者を囲うように流れ落ちていたという。棚は倒れておらず、なぜか使ったペンキの缶はラベルをそろえてまで棚に戻してあった。

意図的なのか偶然なのかは不明だが、部屋のど真ん中に倒れていた遺体を囲むように、ペンキが流れていたという。想像してみると、海に囲まれた孤島真ん中で死んでいた感じだ。そのペンキの海には足跡が一人分だけ残されていた。行きと帰りの分だ。それは第一発見者のものではないため、犯人のものと推測されたらしい。

これらは当時の週刊誌から読み取れたが、合わせて考察が書いてあった。なぜペンキが周りに落ちていたのだろうかという点についてだ。不自然なほどに綺麗に遺体を囲っていたという。なのに足跡を残していてはなんの意味もない。警察への挑戦だろうか、とも煽っていた。

まず自殺の線を考察していたが、そうなるとペンキの問題が浮き出る。ペンキは被害者のまわりを綺麗に囲っていた。であるのに使用済みの缶はラベルをそろえてまで棚に戻っていたのだ。

ペンキを飛び超えていくことは不可能だということで、それだけの幅の海のような円を作り出したあとは缶を戻せないなら、被害者は円の中にいたということになる。

外から作れば円に入れず、中から作れば缶を戻せない。さらにはナイフに指紋が一切ないということも重要で自殺の線は消えた。

次に犯人がペンキで何かを隠そうとしたという予測。しかし床にはなにもなかったという。残ったのは足跡だけ。

次に犯人が他人を陥れようとした説。

残っていた靴跡は犯人が別の人間のものを履いたのではないか。足跡という決定打をつくるために一策を講じたのではないか。だがその場合は、誰かが中心に向かう理由を作らねばならない。誰かを陥れるにしてもチープすぎる。

人が倒れていれば行くだろうともあったが、それだけでは罪を擦り付けられないだろう。仮にそうだったとしても、凶器には指紋がついていなかった。足跡だけでは心もとない。第一、発見者は靴の持ち主ではない。さらにペンキは発見当時乾いていたらしく、つまり本当の第一発見者および犯人は3日間も隠れていたことになる。擦り付けるにしてもチグハグな感じが否めない。

他にもいくつかの予測が書いてあったが、考察はただの思考実験で終わっていた。

事件もあっけなく幕引きとなったようだ。

 ナイフの挿入具合や角度などから自殺ではなく他殺と判断された数日後に男性の身柄が確保された。靴の持ち主だ。名は西条俊大(さいとうしゅんだい)。42歳。どうやら同校の美術の教師だったらしい。教師が生徒を殺害ということで、いっきにニュースとして広まった。

しかしその後、足跡以外の証拠がないということで釈放されてしまう。彼は終始、黙秘していたらしい。世間では一時、不可解な事件として騒がれたようだ。『沈黙の美術講師。女子生徒との接点は?』という見出しがあったがペンキの謎などはもはやどうでもいいようだった。さらに一週間後には別の事件で新聞は持ち切りであり、噂は75日も持たなかったようだ。

容疑者だった西条も事件の2か月後に自殺していた。妻も子もいたようだが、事件後に退職をし、離婚もしたようだった。未来が潰えたことに絶望したのだろうか。遺書もなにもなかったという。

 ひとつ驚いたことがある。

これらのデータはスキャンされた新聞のデータや雑誌から読み取ることできたが、もっとも古いもので発行日は2035年12月15日だった。

 つまり、あの霊は60年もの間、存在し続けているということになる。

 能力者の開眼が世間を賑わした2045年よりも10年前の話。駆除をされなかったのはそういったことが原因なのかもしれない。

「分からないな」

そしてここまでを調べたうえで、分からないことが一つあった。

 ここまではっきりしているのに、なぜあの女子生徒は『自分の死因を聞く』ようなことを問題としてあげたのだろうか。

 事件の結末として、犯人が見つかっていないのだ。つまり真実を知るものは、犯人と被害者しかいない。なのにその被害者が「真相を知らない」という。

 気分を変えるために水を飲みにいく。足で踏むと出てくる給水装置はもはや絶滅していた。

「ええ! そんなのずるい!」

給水場所ですれ違った親子が「なぞなぞ」について熱い論議を交わしながら去っていった。父親が何かずるい問題でも出したのかもしれない。大人と子供では知識の前提からちがうから、勝負にならないのかもしれない。

今の時代でもなぞなぞなんてものが存在しているとは、どこか嬉しくなる。

 席に着きなおして考えを再開した。

「なぜこうなったのかを教えてほしい……」

 周りは衝立があるため、かすかな物音しか聞こえない。

 現在の図書館は、昔でいうネットカフェのようだ。紙媒体の本はすべて撤去され、代わりに端末の設置されたスペースが解放されている。端末もデスクトップ型が机に埋まったようなものから、ヘッドマウント型など取り揃えているようだ。世代毎に慣れ親しんだ筐体があるのだろう。そういう僕もデスクトップ型が一番しっくりとくる。

著作権の切れたものは自由に自分の端末へ移すことが可能であり、新作などはデータロックがかかっていて、利用アカウント数が設定されているようだ。物には限度がある。しかしデータが自由に復元される時代には、人間側で制度を作らねばいかないらしい。楽なんだか面倒なんだかわからない。

「なぞなぞ、か」

 先ほどの親子を思い出しながら、端末から離れた。なぞなぞだとしても、何が問題なのだろうか。


 再度会いに行く前に、話の整理をした。彼女が何を知りたがっているのかということだ。

 あの後気が付いたが、彼女はゴーストである。さらにはゴーストとは死んだあとすぐに発生するものでもないという。そして記憶も混濁するのかもしれない。魂が弱まり、ゴーストデブリとなる直前であればなおさらではないのか。となれば、「なぜこうなったかを教えてほしい」というのは単純に事件の顛末を伝えるだけでよいのではないか。彼女は記憶喪失になっているのではないか。

まず、死因を知らない場合だ。

 あなたは誰かに刺されたと教える。

 次に、状況だ。

 あなたはペンキに囲まれていたが足跡が残っていたので決め手となったが、容疑者は証拠不十分で解放された。

 次に犯人。

 あなたの学校の美術講師が容疑者だが、真犯人かはわからない。

 犯行動機。

 それも分からない。あなたにそういった思い当たる節はあるか。

 どうしたことだろう。そこまで考えて、やはり『本人と犯人』だけしか知らないことが多く、彼女を救えるのは犯人だけなのではないかと錯覚した。

 彼女を満足させるにはどうしたらいいのだろう。

 満足するような意識は残っているのだろうか。

 彼女はなぜこれまで駆除されてこなかったのだろうか。無理矢理に駆除することもできる。ではなぜそれがされなかったか。もしかすると、駆除されるような相手の前に出ていないのではないか。

 それは危機感を覚えているからできる行動だ。ならば意志や意識はあるということだ。ならば本人は事件のすべてを知っているはずだ。だが記憶障害を起こしている可能性がある。だが会話は成立しているし自身がゴーストとも認識しているようだった。すると僕には駆除されないと判断したのだろうか。雪さんから言わせれば僕の生命力の巡りは人間とは異なっているらしい。そんな相手の前に出てくるだろうか。同類だと思われたのか、無害だと判断されたのか。

「あー駄目だ。分からない」

 考えれば考えるほど迷路に迷い込む。最後には思考の軸すら見失った。

ある程度の情報が集まったところで彼女の元へ赴むくことにした。

答えが知りたい――救われようとしているのが、どちらなのかさえ分からなくなっていた。


 教室に入ると、女子生徒はすぐに姿を現した。

『また来てくださったのですね』

 また、と彼女は言った。やはり理性を失っているようには見えない。彼女は意志のあるゴーストだ。

「今日は色々とお伝えできることがあると思います」

『そうですか。それはとても……嬉しいです』

「最初に確認をしたいのですが、あなたは『甲斐 七恵』さんでよろしいですか?」

『ええ、間違いありません』

「あなたはここで腹部にナイフが刺さった為死亡した。それはご存知ですか? 間違いはありますか?」

『そうですね。そのようです。間違いありません』

「容疑者は証拠不十分で釈放されていますが、その後、自殺しています」

『……残念です』

「殺害方法はナイフでの刺殺のようです。自殺も疑われましたが、状況からみて殺人と判断されたようです」

『ええ。そのようです』

「知っていたのですか?」

『大体のことは』

 僕は言葉に詰まった。

 今まで調べていたことを『知っていた』なら何が知りたいのだ。

 少々の苛立ちを必死に隠して僕は聞いた。

「……では、あなたは何を知りたいのですか」

『それを私が知りたいのです』

「どういうことでしょうか」

『あなたは何を知っているのですか?』

「何を? それはつまり事件の真相ですか?」

『ええ、その通り。私へ新聞の記事を教えてくれた人はあなた以外にも数名居ました。だからそんなことは知っています。私は『あなたの考え』を知りたいのです』

 駄目だ。まったく分からない。

『ねえ。もしよろしければ、あなたの知っていること……そう、つまり、あなた自身のことをおしえてくれませんか』

「僕?」

『ええ、そうです。私はこんな場所にずっと一人ぼっちで居るのです。あなたのお話を聞かせてください』

 それで満足をするのだろうか。分からないが、彼女の言葉に僕は同情していたのは事実だった。

 一人ぼっち。

 それは無視のできない単語だ。

「僕の経験は……あまり話せるものでもないのですが」

『駄目ですか?』

 彼女の声音は単調で、感情は希薄だ。でも先ほど以上に寂しさを感じる気がした。

「いえ。あなたになら良いのかもしれません」

 人に話せないことも、ゴーストであれば許されるかもしれない。

 僕は自分の過去を話し始めた。

 それは目を覚ましてから始めての経験だった。


 ☑case-3,2


「――というわけで、僕はこうしてここに居ますが、実はあなたよりももっと前に生まれています」

 話が終わったことを示すように、僕は手のひらに四角形の氷を出して見せた。

 甲斐さんは言葉を発しなかった。どうしたのだろうか。輪郭のぼやけた姿ながらも、目をわずかに見開いたことが見て取れた。

『あなたなら』

「……?」

『あなたなら気が付けませんか』

「どういうことですか」

『ヒントを差し上げます』

 なぞなぞでも始まるのだろうか。自分の過去を話したぐらいでは呼応が始まらないようだから、答えることができれば合格なのかもしれない。

 自分の過去を話したことは初めての経験だったがなんとも複雑な気分だ。どこか寂しくもあるが、それ以上に他人と共有する感覚が心地よかったように思う。相手は元人間だけども。

「ヒントがあれば、真実にたどり着けるんですか?」

 甲斐さんは言った。

『それはあなた次第です。でもあなたであれば理解できるかもしれません』

「そうですか」

 僕であれば理解ができる――悪くない響きだった。

『ではヒントです。現場にまかれていたペンキですが、それは私が撒いたものです』

「……?」

 それはおかしい。ペンキは被害者を囲むようにまかれており、さらにはその円の半径は飛び超えられるものではなかった。部屋の中心だから壁などを使うことも出来ないだろう。またペンキ上の足跡は一人分だけだ。行きと帰りだけ。

『確かに普通に考えれば、あなたの言う通りです。しかしこれは普通の話ではありません』

「でも缶は壁際の棚に戻っていました。それもきちんとラベルを揃えて」

『では二つ目のヒントです。その缶も私が戻しました』

「いや、それはおかしいですよ。缶は適当に返されていたのではなくて、綺麗に陳列されていたんです。投げて戻すことはできなくはないですが、陳列は出来ません。あなたは円の中にいたのならば、円の外の棚には戻せません」

『おかしい話をしているのですから、おかしくて当たり前です』

「それはどういう……」

『あなたにとって、ゴーストは異常だと思いますか?』

「異常かはわかりませんが……脊髄チップよりかは理解できる気がします」

『そうですか。それが2015年生まれの方のご意見ですね?』

「僕が2015年生まれの代表というわけではないですが」

『あなたにとって、能力者とはなんですか?』

「2045年に『開眼』と呼ばれる時期があって――」

『――あなたにとって、と私はお聞きしたのです』

「僕にとって?」

 僕にとっての能力者は、先ほど話した昔話にすべてが詰まっている。つまり。

「僕にとっての能力者は『異端』です。人々から理解されない存在でした」

『そう。そして『孤独』だとは思いませんか?』

「僕の時代はそうです。少なくとも今の時代は違うようですが」

『ええ。そうです。そしてそれが私の答え』

「答え?」

 その時、僕の頭が急速に演算を始めた。帰納法なのか演繹法なのかは知らないが、とにかくすべての事実とあらゆる過程が一つの答えにたどり着いた。

「……まさか」

『はい』

「あなたは能力者なんですか」

『ええ、そうです。あなたと同じ孤独の時代の能力者です。カテゴリは今でいうところの『念力』でしょうね。見えない手で物体に干渉することを得意としました』

「だったら、それは……」

 事件を考える。被害者は部屋の真ん中で、腹部にナイフが刺さっており、失血死した。周りには飛び越せないほどのペンキが流れている。足跡は行きと帰りに一人分。棚には綺麗に陳列された缶。凶器のナイフには指紋がついていない。足跡を残した容疑者は証拠不十分で釈放後、自殺――それらが導き出す答えはなんだ。

 甲斐さんは静かに語り出した。

『私は田中俊大さんと愛し合っていました』

「田中?」

『西条先生の旧姓です』

 それは容疑者の名前だ。

「美術講師の?」

『ええ。西条先生は婿入りをされましたが、私と居る時は田中俊大であり、一人の男性でした』

 甲斐さんはおなかをさする様な仕草をした。

『だから愛の結晶が実ったのです』

「……子供ですか」

 腹部に刺さっていたナイフが何かを暗示しているようだった。

『俊大さんと私は愛し合っていたのです。ですが、私は彼に二つのことを黙っていました』

「妊娠と能力ですか」

 甲斐さんは頷いた。

『我々能力者は、いつの時代も常に存在していたと思いませんか?』

「思います。事実、僕やあなたという存在がいる」

『それは少数派でした。それも理解の得られない少数派です。どんな存在として認められるかも分からない異端でしょう。今ではどうなりましたか? それは特権となりました。大多数の中の選ばれた少数派となりました。意味がまったく異なります。ゴーストが生まれたからこそ日の目を見たのです』

「それを田中俊大さんに話したんですか?」

『いえ。話そうとはしましたが、私にはできませんでした。あなたも過去に色々とあったように、私にも色々とありました。だから、私は俊大さんとの愛を試しました』

「試した?」

『俊大さんも私に隠していたことが二つありました。それは妻と別れるという嘘の口癖と、私との子供が欲しいというまやかしの囁きです』

「いや、でも、二人は愛していたって。信頼しあっていたんじゃないんですか」

『だから試したのです』

「試した?」

『私は金曜日の放課後。誰もいなくなった美術室に俊大さんを呼び出しました。それまでにペンキを自分の周りに巻き、缶を棚に戻しました。言わなくても分かるでしょうが、当然念力を使ったので指紋は残りませんし、ペンキを飛び超える必要もありません。私の念力は100キロ程度のものであれば動かすほどでした。宙に浮かした缶を棚に戻すことは容易です』

 それは今の時代でいえば、攻撃性『S』とランク付けられるだろう。

『そして私は自分の周りに先生との愛の記録をまきました』

「記録……?」

『私はいつも先生に写真を撮っていただきました。私は先生の望みなら、なんでも叶えてきました。私は先生の期待に応えるためなら、どんなこともしたのです』

 僕は何も言えなかった。それはきっと理解ができなかったからだ。

『それらを私はばらまき、遺書も書き残しておきました。それから最後におなかにナイフが刺さっているように見せたのです。力を使いナイフを湾曲させ腹部に垂直に立たせました。決意の証として血がでるほどには腹部を傷つけましたが。そして先生は教室に現れて、私を発見しました』

「ちょっとまってください。そうするとあなたは、死んでいなかったんですか?」

『少なくとも、その時は。痛みは感じていましたが、心の痛みに比べればなんともありませんでした』

「じゃあなぜ死体が」

『先生は』と話し始めた甲斐さんの半透明の姿が、若干揺らいだ気がした。

『私を見つけた途端、動揺していました。しかしすぐにペンキの川を乗り越えました。自分の足跡が残ることさえいとわずに私の元へきて……そして写真を集めました。遺書を呼んだあと、それを持ち去りました。子供ができたことも遺書から読み取れたはずなのに。私を置き去りにしました』

「だからあなたは……」

『ええ。私は理解しました。先生は美術を愛し、私を愛していましたが、資産家の奥様が持つお金を一番愛していたのです。ですから私は天井近くまでナイフを浮かせて、湾曲していた刃を直し、そして』

 愛と一緒に自殺をしたのです――甲斐さんは真相を口にした。

『開眼前』を知る人間にしかわからない感情が僕に生まれた。

 あの時代に能力者はただの異端だ。普通の人間ではない。それは能力者が当たり前になってしまった時代には理解できない感情なのだろう。

 なんと言えば良いのだろうか。僕も苦労しているから、お互い様ですねなどと軽口をたたけばいいのだろうか。

 僕は黙り続けた。その間も甲斐さんは喋りつづけていた。まるで数十年間ため込んだ澱を出切るようだった。

『私は二人の関係が公表されてもよかった。知ってほしかったから。子供ができたことだって、教えたかったし、能力のことも認めてほしかった。

 でも彼は私の身ではなく、自分の保身に走った。証拠をすべて持ち去り、捨てるために、部屋から出たの。私たちに本当の愛はなかった。

 私決めていたの。彼が助けてくれたら、子供はおろして、彼の生活を守ろうって。そしてただ一つ、私が能力者であることを伝えようって。でももう駄目でした。私を理解してくれる人はいなかった。でも』

 その言葉にはっとなって僕は目を見開いた。

彼女が何を言わんとしているかが分かった。

『そんな私のことを誰かに知ってほしかった。私と価値観を共有してくれる人を探していたの。そしてあなたは理解をしてくれた。私の苦悩に気が付いてくれた』

 魂の呼応とはこういうことなのだ。

それを瞬時に理解する。

『もう私には何もありません』

 甲斐さんは、静かに消えていこうとしていた。足元から薄くなり体全体がぼやけていく。

 僕はやはり何も言えなかった。ただただ魂の呼応という現象を観察していた。

 彼女は消える前に、一つの言葉を残した。

『私、孤独な人の前にしか現れないようにしていたんです。だって、私を理解してくれるのは、そういう人だけだと信じていました』

 そうして彼女は一人で消えた。孤独から逃げるように跡形もなく消えてしまった。

 教室に残されたのは僕と中くらいの結晶だけだった。

 静かな夜。

 聞こえるのは僕の息遣いだけ。

 耳の奥がどくんと脈打っている気がする。

それは、雪女から解放された日を思い出させた。


 ☑case-3,3


 タオルを受け取ると、シロが謝った。

「申し訳ございません」

「なんでシロが謝るのさ。起こしてくれてありがとう」

「いえ……申し訳ございません」

訳が分からなかったが、何かしらの罪悪感を感じてるようだ。それは妙に人間的だった。

ガイノイドの素体は、遠目からはごまかせるかもしれないが、近くによれば人間とは違った印象を受ける。あくまで作り物なのだ。けれど今のシロは部屋が薄暗いこともあって人にしか見えない。

突然の機会だけれど、良いチャンスかもしれない。

僕は提案した。

「シロ。僕は君に嘘を一つついている」

「それは……私が元人間であることを知っているということですか」

「……うん」

初めて起動したとき、ガイノイドの素体に生命力が宿るのを感じた。僕の半分は人間の道理から外れているので、雪さんほどではないにしろ目の前で起きた変化は理解できた。

シロは居住まいを正した。

「黙っておりました。申し訳ありません」

「謝らなくていいよ」

「ご主人様は……あなたは孤独ですか?」

 唐突な質問だが、もしかすると魂の呼応につながるかもしれない。僕の目的はそれだ。対話による魂の呼応が起こり得るならばそちらに進みたい。

 シロがどういった理由でブラックアウト品に乗り移ったのかは不明だが、以前のランナー事件と同じようにうまくいけば良い。

「どうだろうね。孤独を感じることはあるよ。人から言われたこともある」

「それは間違いだと思います」

「間違い?」

 見当違いの方向へ進み始めた会話は、まるで僕に対する叱責のようだった。

「ご主人様は……兵藤さんは怖いだけです。あなたは二度と味わいたくないだけです。人から置き去りにされることを避けるために、人と仲良くなったという認識をあえて感じないようにしているだけです」

 シロは続けた。

「ゴーストのような存在に拘束されていた事実は消えませんが、もう固執しなくても良いのではないですか。あなたは今の時代の人間と変わりはないと思います」

「なぜそれを……」

 シロには一切話をしてない。どこかで調べたのだろうか。しかしそれを知る存在は限られている。シロとは縁のない人間だ。

 ならなぜ僕の記憶の中にしかない事実を知っているのだろうか。

 じきに僕は思い至った。

「君は感応系の能力者なのか」

 ゴーストでも能力を行使できるものがいることは知っていたが、素体に入ったときでも有効だというのは知り得なかった。

「申し訳ありません」

 シロの感じている罪悪感の正体がわかった。

 感応系の能力者は人の精神に作用するものや、物に作用するものがある。物であれば過去の周囲の映像や音に分かれる。対人間であれば、記憶を読み取るタイプや感情を読み取るタイプ、または過去の記憶を読み取るタイプなどがいる。佐島は物から過去の映像を読み取る。おそらくシロ……の中にいるゴーストは記憶を読み取るのではないか。

「夢見が悪かったのは、君に感化されたのかもね」

「……夜毎うなされておりましたので、なんとかできないかと思いました。しかし逆に夢の印象を強めてしまったかもしれません」

「助けてくれようとしたの?」

「分かりません」

「でも」

 僕は一般論を口にした。

「本人の同意なしに記憶を読むのは良くないよ。法律でも罰則対象になってる」

「申し訳ありません。駆除いたしますか」

 何を言われているのかが一瞬わからなかった。シロは自分を殺さないんですか、と聞いたのだ。

 僕の主義を提示した。

「いや、しないよ。僕はそういうやり方はしない」

 シロは首を振った。

「自分が『駆除される対象である』ことに恐怖を覚えているからですか」

「シロ。僕のことはいいんだ」

 意図せずして強い口調になってしまった。

 シロはとうとう黙り込んだ。

「僕はただ君のやり残したことをやってほしいだけだ。ここにつれてきたのも、成行きでそうなっただけだ。いつまでも居る必要はないよ。もし自分に協力できるなら君の希望を叶えるけど。君の希望はなんなの?」

「……それは、申し上げられません」

「そう」

 言いたくないことを聞く気はなかった。対話による魂の呼応は一時失敗したということだろう。

僕は捨て鉢になっていた。他人事のように言葉を発した。

「なら、今からシロは自由の身だ。自分のしたいことをしてほしい。ここに居る必要はないよ。君ならきっと人に迷惑をかけずに願望を満たすと思う。ぜひ、そうしてほしい」

「兵藤さんは……」とシロは何かを言いかけて止めた

「いえ、かしこまりました。ご主人様の仰せのとおりにいたします」

 最後は機械的に答え、沈黙した。僕は布団に入り目をつむった。

 夢を見ることなく夜を超えた。

再び目を覚ましたとき部屋には誰もいなかった。

触れてみるとじんわりと暖かい鍋の中には、新しいカレーが出来上がっていた。


 意味もなく作業場へ赴くと、斎藤さんが作業の手を止めて出迎えてくれた。

「どうした。元気がないな」

 斎藤さんが全く心配がなさそうに尋ねてきた。

「そうですかね。そう見えますか?」

「さあな」

「夏休みが終わるのが悲しくて」

「二度と始まらない大人の悲しみを教えてやりたいよ」

「一つ質問してもいいですか」

「答えがあるかは知らん」

「孤独感を感じる人をどう思いますか?」

 斎藤さんは即答した。

「自分が特別だと思ってるんだろ」

「そうなんですかね」

 斎藤さんは実に物事をはっきりと言う人だ。

「そういえばシロの調子はどうだ」

 シロが部屋から消えてから、およそ4日が経過した。その間、GPSで居場所を探ることさえしなかった。これまでもしなかったのは、きっと彼女を人間として見ていたのだろう。

「出ていきました」

「出ていった? どこに」

「さあ、わかりません」

「持ち主の意識を持て」

 斎藤さんは作業場の片隅おいてある端末へ向かうと、キーボードを打った。

「なんだ。GPS切ってるのか。OFFにする必要ないんだから常につけとけ」

「そうなんですか」

「そうなんですかって、お前が指示しなきゃ切れないだろう。何日帰ってないんだ」

「多分4日ぐらいです」

「4日? お前、自分の持ち物が4日も手を離れていて不安にならないのか」

「彼女は僕のものじゃありません」

「なあ」

 斎藤さんは深刻そうな顔をした。

「私の胸でよければ触るか? 小さくはないと思うが」

「……えっ!?」

 冷気の出力を間違えて、一気に部屋が寒くなる。

 斎藤さんの大きすぎる胸が二の腕におされて寄ると、脱出しようとでもしているのかタンクトップの上から零れ落ちそうになった。

「いや、お前、母親いないんだろう。そういう人間は胸が恋しくなると聞いたから」

「誰に聞いたんですか! そんなバカな話!」

 斎藤さんは難しそうに眉をしかめた。でもなんとなくだけど、轟さんが殴られる未来が見えた。

 冷えすぎた部屋を元に戻した頃には、僕も冷静さを取り戻していた。

斎藤さんは僕を心配そうに見つめていた。

「機械人形は人間じゃないぞ、兵藤。大事にすることには賛成するが、情を持つのは間違ってる」

「それは分かってます」

 斎藤さんは何かを勘違いしているようだった。

 人間と人形の違いはなんだろうか。

それは有機物か無機物かであると一般人は答えるだろう。

 では人間と人工知能の違いはなんだろうか。

 大抵は魂の有無と答えるだろう。もしくは認識方法だと答えるかもしれない。

人間は特徴から類推し、人工知能は特徴から選別するとの説明が一般的だ。

もちろん学者の数だけ理論は存在し、その分だけ人工知能の種類が各研究者を擁する各メーカーから発売されている。しかし分かりやすい論理が民衆には受け入れられやすい。動きさえすれば、飛行機の飛ぶ原理などどうでもいいのだ。

たとえば――人間に人工知能を積んだ存在と、人間の魂をつんだ人形では、いったいどちらが人間に近いのだろうか。

 おそらく人工知能は前者を人と判断するだろう。なぜなら有機物だからだ。では人間はどちらを人間だと思うのだろうか。それはきっと後者だ。

「お前、また難しいこと考えてるな」

「すみません」

「なあ兵藤」

 斎藤さんはいつもお姉さんのように、僕を叱る。叱ってくれる。それはとても嬉しいけれど、斎藤さんは僕の経歴の一部しか知らない――しかしシロの言葉を思い出した。僕はいじけているだけなのだと言われたのだと思う。

 それは、この数日間で気が付いたことだ。シロに言われて初めて意識したことだ。

「たとえ相手が機械だって、ホーム設定をした場所に帰ろうとするんだ。何が起きているのかは知らないが、家出したんなら探してやれ。それが持ち主の義務だ。対等と見ているとしても、それは責任だ」

 やはり斎藤さんは、僕とシロの関係を何か勘違いしているようだった。今の時代アンドロイドやガイノイドを疑似家族および疑似恋人とすることは一般的だ。そういう専門のガイノイドを集めた夜専門の商売もあり、それらは似通った商売の中で唯一国の風営法で認められている。禁止されているのは人間を商品化することにある。

 確かにシロは家出をしたが、僕の希望は『願望を満たしてもらう』ことだ。

それを満たすために家出をする必要があるならば止めることはできない。たとえば家族に会いに行くだとか、好きな人に告白をするだとか、なんだっていい。とにかく大切なことを手に入れにいってほしい。

 そこまで考えて思う。

 シロには帰る場所があるのだろうか。

 斎藤さんは家出と表現をしたが、今の人工知能としてのホームは僕の自宅だ。しかし魂の人格としてのホームは生前のものだろう。

 ぼんやりと窓の外を見続けていたシロを思い出す。

 もし帰る場所がなかったら、シロは今何を思い、願望を満たそうとしているのだろうか。

 そもそもゴーストとは『意志のある魂の欠片』と定義されている。その意志にはもちろん『現存したいという欲求』が詰まっており、それが器としての肉体がなくなり、地球の生命力へ還元されていく過程を押しとどめている。

 シロにそんな欲求が見られただろうか。

 彼女がうちにきて1か月程度。GPSを見ることはしなかったが大抵は家にいた。それ以外はスーパーで買い物をすることと、充電をすることぐらいだ。

「充電?」

 ぽつりとつぶやいた言葉にハっとなる。

 斎藤さんは僕の心を見透かしたように言った。

「金は持ってるのか」

「持ってないと思います」

「変なソフト入れて、禁則事項抵触回避のリミッター外してないよな」

「してません」

「じゃあ自己の機能を継続させるための方法の中に『犯罪行為』は含まれないな。いろはタイプは日本製らしく倫理基準も厳格だ」

 斎藤さんは腕を組んだ。胸がおしよせられたが何も感じなかった。

「今頃どっかでぶっ倒れてるな。充電切れだ」

 僕は思った。

 きっとあの夜。

僕は魂の呼応を理由に、勝手に背負った責任を一方的に放棄して、シロに押し付けたのだ。

 善の押し売りをし、去るものを追わなかっただけなのだ。

「……僕は最低だ」

 斎藤さんは何も言わなかった。


 自宅に戻ると留守番電話の通知が画面に出ていた。今の時代というのは、電話という単一の機能を持った商品を使うことよりも、コンピュータの搭載された総合端末で管理をする。もちろん懐古的なものはいつの時代もあるが、機械で処理できるものは大多数を含む。

 留守番電話の内容は『おたくが所持しているはずのガイノイドがバッテリー切れで放置されているのを発見され通報があったので回収した』とのことだった。

 調べてみると罰金刑とあった。それも多額だ。懲役がかからないだけマシなのだろう。

 管轄の警察署に行くと、偶然、轟さんに会った。とはいえ相手は車に乗っていて、どこかへ出かけるところだった。

「あれ、兵藤君! 俺に会いにきたの?!」

「いや、ちょっと、違います」

「なんだか歯切れがわるいねえ。っと、いけない急いでるんだ。兵藤君も見たでしょ、ニュース」

「いや、そういえばここ数日見てないです」

「あれ、珍しいね」

 たしかにそうだ。僕は自分が介入できるかもしれない情報をテレビやネットからつぶさに調べていた。それがここ数週間はまともに行っていなかった。

 シロがきてからだ。

「詳細は言えないけど、連続殺人が発生してるんだよ」

「殺人……?」

「調べればすぐわかるから! じゃあね!」

 妙にがたついている車を発進させると、轟さんは市の中心部へ向かう国道の先へ消えた。あの人がなぜ殺人事件で動くのだろうか。よく分からない。

 警察署内に入り、所定の受付を済ませると、すぐに順番が来る。

 現在の日本には、さまざまな課が存在しているそうだ。たとえば組織犯罪対策課には、非合法に改造された素体を売りさばく組織を対象としたものや、暴力団を対象としている中にも様々な分派ができた。それだけ犯罪の種類が増えたのだろう。今では当たり前のように、罪を犯した優秀な人材の刑罰を減らす名目で雇い入れたり、素人ハッカーなどを臨時職員として雇用したりするという。

「あのね、困るんですよ、あなたのような態度だと」

 ハっと我に返ると、担当の女性警察官が嫌悪感を隠すことなく僕を見ていた。

 様々な課が出来ようともそれがアンドロイドだろうとも、落し物を管理するのは『落し物係』」というのは変わらないようだった。

 返却時に講習を受けなければいけないという箇所までは聞いていた。それからは哲学モードに入っていたようだ。その態度が怒らせてしまったらしい。

 すみません、と謝ると簡単に許してもらえた。

 既定の講習は人など存在せず、ヘッドマウント型のディスプレイをつけて行われた。まるで洗脳のようにも見えた。30分の映像の中では、義務と責任という言葉が繰り返し現れた。僕は義務と責任を放棄した人間ということだから、それを今日からきちんと持つようにということだ。

 罰金を支払うと素体は手元に戻ってくるらしい。罰金を支払わないとどうなるんですか、と尋ねると、半年後に破棄されますとのこと。あんな高額なものを放棄する人間はいないだろうと思っていたが、違法改造や売買に使用された素体は投機されることがあるらしい。または部品を抜かれた素体も対象となっていたりする。それらは何らかの方法で『盗難』された素体が多いらしい。

結婚率の低下した日本では、特にアンドロイド・ガイノイドとの共同生活を送るものが目立つ。しかし真実の愛とは言い難いようで、新しい人工知能や最新式の素体が出ると、浮気をするものもいるというのだから、それこそ責任と義務の放棄ではないのだろうか。

 言われた通りの罰金を支払い、素体受け渡しの手順を確認した。

 素体の重量は年々軽量化傾向にある。残念なことに戦地などで使用されるものはあえて重量を過多にしている素体もあるという。戦地での素体使用は多種にわたり、遠隔操作や人工知能搭載の非人間型などがある。もちろんそういった争いは今の社会問題の重大な論点となっている。

 シロは小型タイプだ。自分ひとりで運べるぎりぎりの重量であることは分かっていたが、警察署で充電してもらえるという。しかしその額がかなり高い。税金として徴収されるらしい。

 だめもとで斎藤さんに連絡を取ってみたら車を出してくれた。

 その間、シロを保管場所から出してもらう。荷台に乗せられたシロの目は閉じられ、まるで眠っているようだ。

 試しに声を掛けてみたが、運んできた警察官に変な顔をされただけだった。

 車で駆けつけてくれた斎藤さんと一緒に車に乗せると、作業場に移った。

部屋の隅の簡易充電ポッドは半球タイプのものだ。企業の提供する充電スポットにあるものは寝そべるタイプのものが多い。一番安く生産できるらしい。

 完全に充電が切れた場合、起動に必要な電気量がたまるまでしばらく時間が掛かるという。

 どうやらゴーストが乗り移っていても、電池が切れたら動けないらしい。しかし人間だって体調を崩せば動けなくなるのだから同じだ。

「動きゃいいけどな」

 斎藤さんの呟きが耳に突き刺さった。

 どくんと胸が高鳴る。

「どういうことですか?」

「ブラックアウトからの復帰の理由が分からん。お前の言葉を借りるなら、なんで動いたかわからないから、どういう理由で止まるかもわからん」

「そんなこと……」

 ないです、とは言えなかった。それは正論だった。

 とたんに動悸があがった。部屋の温度が数度上がったのは気のせいではなかった。僕は動転していた。

 斎藤さんと僕とでは考えているスタート地点が違う。しかし結果は同じだ。

 シロが……シロの中に居たゴーストが、もしも居なくなっていたらシロは動かない。

 僕はその時、謝ろうとしていた自分に気が付いていた。その未来が待っていると思ったから、落ち着いていられたのだ。

 一方通行だった押しつけの善意を謝罪したかった。

もしもシロが消えてしまったら、それは僕の罪に対する罰なのだろうか。それとも、謝罪をしようとしたこと自体が悪意なのだろうか。自分が一方的に楽になりたいだけなのだろうか。

 だめだ。思考が定まらない。

「まあ、おちつけ。答えは既に決まってるんだ。それが分かるか分からないかだけだ。そして充電が終われば答えが出る」

 斎藤さんの言葉は僕の心境を如実に表していた。

 答えは出る――僕はシロが目を覚ましたら、彼女を救おうと決意した。

 この数日間、僕はカレーの匂いの消えた部屋で自分の愚かさに気が付いた。だが見ないふりをした。でも充電が切れたシロに対しての罪悪感が僕の逃げ場をふさいだ。

 だから謝ろうと思ったのに、もうシロはいないのかもしれない。それがとても悲しかった。

 充電が完了した音が充電スポットから鳴った。

「起動するぞ」

 斎藤さんはシロに近づいて、起動機器を首筋に押し当てた。

 起動音すら無く、シロの目が開かれた。

「動いたな」

 斎藤さんの声には感動の一かけらも感じられない。

 僕は意図せずして、大きなため息をついた。

「シロ」

 声を掛けると、シロはこちらを向いた。

「はい、ご主人様」

 僕は謝ろうとしたが、何を言うかまで考えていなかった。

「カレーありがとう。全部食べちゃったよ」

「……では、また作りましょう」

「ありがとう」

 僕は少しだけでも素直になれたのだろうか。


 自宅に着くまではうまく会話をすることができなかった。

 分かったことと言えば、電池がなくなればゴーストが入っていようとも動かないことを、党の本人すら自覚していなかったということぐらい。立ちくらみのような現象のあと、意識を失ったという。

 途中スーパーへ立ち寄る。シロが買い物をしている姿を初めて見たが、どうにもぎこちなかった。生前、買い物をしたことがないのだろうか。

 周りを見渡すと、人間に交じってちらほらと機械人形が買い物をしている。高級品だから一般家庭には普及していると言い難いかもしれないけれど、それでもここ数年でかなり数をふやした。車を持つ時代は終わり、アンドロイドを保持する時代になったのだと雑誌で読んだことがある。

 会計を終わらせ、荷物は僕が持つことにした。

 自宅のドアを開錠した時、雪さんが居た日のことを思い出した。

 部屋に入る前に、僕は振り返った。

「ねえ、シロ。良かったら君のことを教えてもらいたいんだ」

「はい。私もそう思っておりました」

「カレーを食べたら話そうか」

「はい」

 料理をしてもらう間、僕は風呂に入る。安いアパートとはいえ築30年程度だ。僕からしたら未来の建物に住んでいるわけだ。

 カレーはいつもの味だったが、とても安心する味だった。この味は未来になろうとも変わっていない。

「シロのカレーは美味いね」

「ここにきて初めて作りました」

「初めて?」

「料理は初めてです。この体になってから知識には困りませんから作れたのだと思います」

「そうなんだ。まさか買い物も初めてだったとか?」

「はい。こちらにきてから初めて致しました」

「そう、なんだ?」

 その会話をきっかけにシロの話は始まった。

 それは自分の想像を超えた話だった。

「ご主人様にお話ししたいことがあります」

「その前に、その呼び方やめてもいいんだよ。兵藤とかでいいけど」

「どうもこの体になってから、多少の価値観の違いが出ています。所持者はご主人様という認識がしっくりときます」

「へえ。脊髄チップが入っているような感覚なんだよね?」

「そうですか。チップを入れたことはないのでわかりませんが、常に思考がクリアな状態になっている感じがします」

「そういうもんなんだね」

「ご主人様。お話してもよろしいでしょうか」

「ああ、ごめん。よろしく」

「少々長いですが、よろしいですか」

「うん。お願いするよ」

「かしこまりました」


☑case-3,4


 私たちの生まれはおそらく日本です。おそらくというのは、自分の容姿を見る限りは異国の地が半分入っているようだったけれど、日本で生まれたのだろうということです。

 私たちというのは、私と妹のことです。双子でした。

 とても顔立ちが似ていて、施設の人間も番号を見ない限りは分かりませんでした。番号というのは私たちの管理番号です首の裏に印字されていました。

 施設というのは研究所のことです。私たちは確か5歳程度でその施設に収容されて、それからというもの実験台にされてきました。

『白い海』というものをご存知ですか? 人工知能や素体を発明した一人の天才が死ぬ間際に発言した言葉です。またかつて天才と呼ばれたもう一人の人間は、白い太陽と表現をしたこともあるそうです。

 白い海というのは、知識の宝庫だそうです。そこには人知を超えた知識が漂うように存在していて、ふと手に取った知識を実現させれば時代が一つ繰り上がるほどだそうです。

端的にいえば、未知の情報が詰まりに詰まっている情報集合体ということですね。人間が追い求める『永遠の命』の答えはそこに眠っていると言われています。

 ですが、その知識の宝庫にアクセスできたものは、確認されているだけで二人。それは白い海と表現した人間と、白い太陽と表現した人間です。これはネットで調べてば簡単に出てくるものでありますが、同時に到達不可能の都市伝説とも捉えられています。

 白い太陽と表現した天才は、1900年代に存在したそうです。

 白い海と表現した天才は2040年に生まれ、2065年にこの世を去っています。

 二人の共通点が判明したのは2080年頃。つい最近です。

 その共通点とは『感応系の能力者』であるのだろうということです。

 二人の天才は、人の心を読むように話を進めたと言います。後者に限っては記憶を読むこともできたそうです。

 つまり、白い海にアクセスしたいのならばまず感応系の能力者でなければならないということになります。

 ここまで話せばお分かりになりますか。

 つまり、その研究所は白い海へつながる能力者を開発しようと試みているのです。

 そして私たち姉妹は感応系の能力者でした。

 私は記憶を読むタイプであり、妹は思考を読むタイプでした。発動部位は全身です。相手に少しでも体が触れていれば、その全てを読むことができました。

 施設には私たちのような『身寄りのない感応系の子供』が幾人も居ました。それが生き別れなのか売られたのかは知る由もありません。

髪の色も目の色も肌の色もばらばらでした。けれども定期的にその参加者は顔を変え、通年を通して『生きていた』のは私たち双子だけでした。

 実験には薬や器具を使います。私たちの体はいつもどこかに痛みを感じていましたが、その分、能力は増大していきました。私は前の体であれば、相手の30センチ以内に近づけば記憶を読めるほどにまでなりました。第3の開眼と大人は言っていました。

 私たち双子は筆頭株でした。もっとも計画達成に近い存在だったようです。

 けれども私たちは自分たちの人生に何も見出してはいませんでした。毎日白い部屋の中で監禁させらていましたし、そもそも白い海になんて繋がりたくないのです。

 ストレスを感じさせなければいいのでは、という意見があがれば丁重にもてなされました。

 ストレスを与えた方がいいのでは、という意見があれば暴力を振るわれもしました。

 私は常に楽しいことを考えていました。もしも私に願望があるのなら、一つは楽しい生活をしてみたいということだけでした。

 さて、妹の話をします。

 妹は顔こそ似ていましたが、私とは正反対の性格をしていました。

 好戦的で血気盛んでした。

 研究所の人間からはよく鎮静剤を打たれていました。だらしなく空いた口から垂れる涎を、よく拭いてあげました。

 妹は今相手が何を考えているかが分かります。だからきっと私よりも、周りの人間の汚さを感じていたし、私のように現実逃避をする余裕もなかったのだと思います。記憶というものは不思議なもので、悲しい記憶でさえどこか心地よさがあります。でも妹の読む『今の思考』というものは、とても野蛮で吐き気がするものだそうです。

 事件は突然起こりましたが、それは妹が着々と進めていた計画でした。

 ある日、一人の研究員が自殺をしたのです。精神感応というものは、相手にも影響を及ぼします。ご主人様の記憶を読んだ際に、悪夢を見られたようなものです。

 妹は思考を読むという能力を昇華させていました。私は近づくだけで記憶を読み取るという方向へ進化しました。妹は触れなければならないことは変わりませんでしたが、相手の思考を操作するという方向に強化されたのです。

 自殺をした研究員は女性でした。私たちの世話係という立場でした。

 私は彼女のことが好きでした。しかし、妹はそうではなかったようでした。理由をきいたことがあります。答えはこうでした。「ここの人間は汚物入れを腹の中に隠している」。

彼女は自分の力に翻弄されていたのだと思います。人は皆汚い部分を持っていると思います。私は本が好きでよく読みましたが、そんな汚い人間でも、良いことをしようとする心がけが大事なのではないでしょうか。お話の中の登場人物はそういう葛藤の中で輝いていました。

 彼女はそんな輝きを持っていると私は思っていました。しかし妹はそれすら気に入らなかったようです。偽善者だと言っていました。

 自殺をさせたのは実験だ、と妹は言いました。

 一つ言わせていただきますと、私はこの体に宿ってからというものどこか安寧を手に入れましたが、前の体のときは怒りや恨みを持ってもいました。だから研究員の女性が死んだときも残念な気持ちはありましたが、それ以上のものはありませんでした。むしろ妹に誇りを持ったぐらいです。私たちを買収し、利用し、虐げる人間に対する力を持ったのです。我々、感応系の人間には攻撃性がないと考えている研究員よりも、より強い存在が現れたのです。

 外に出られると思いました。

 外に出たいと思いました。

 私はそのころから空を見たいと望むようになりました。私たちが移動できる範囲には窓が一つもありませんでした。

 そろそろ話は終わります。

 14歳になる年でした。

 妹の計画は単純でした。

 複数の人間の意識を操作し、暴動を起こすということです。

 自殺ですか? それは難しいとのことでした。理由は二つです。一つは相手に触れなければいけないこと。もう一つは自殺に至るまでの時間が人によりばらばらであり、なおかつ上層部には近づけないということです。

 決行は実験当日ということになりました。実験当日は研究所内の人間が集まります。それだけ触れる機会も多いということでした。

 計画の中に、他の被験者の脱出は含まれていませんでした。私たちが外に出るための計画でした。今思えばひどい話かもしれませんが、その時の私には他の余裕はありませんでした。

 計画は上手くいきました。

 彼女は数か月前から従順なそぶりを見せ、実験段階で投与される感応増幅剤を打つ際、過度な拘束をされていませんでした。薬により、一時的とはいえ彼女の能力はさらに強化されました。触れた相手を一瞬で混乱させ、不安と恐怖を増幅させたのです。

 人間とは不思議なものだと思いました。一人の研究員が叫びをあげても誰も動きませんでしたが、3人、5人と増えていくと、恐怖にとらわれてしまうのです。何が起きているのかも理解せずに脱出を試みる人間が増えました。

 私たちは放置されました。落ち着いているのは私たちだけでした。

 研究員たちが飛び出したセキュリティゲートを抜けて、私たちは外へ出ました。

 数年ぶりに見る空を今でも覚えています。とても高くて、綺麗でした。周りの木々を見てそこが森の中であるということを知りました。

 そして最後です。

 私たちは直に死にました。

 物語としてはあっけないですね。

 私と妹の体にはチップが埋め込まれていたのです。それは頸動脈の近くに埋め込まれていました。単純な話です。非人道的な行いが平然と行われている施設から、被験者が抜け出し、社会に出てしまえば不味い立場になる人間が居るのです。今でこそ分かりますが、当時は思いもよりませんでした。

 ですから我々は、施設から100M離れた場所で、体内のチップの内部破壊により死亡したのです。頸動脈が破れたのではないでしょうか。首筋に鋭い衝撃を感じましたから失血死でしょう。

 倒れた後に見えた空はやっぱり青くて、とても綺麗でした。それだけははっきりと覚えています。


 話が終わったとき、聞こうとした様々な項目はすべて消えていた。

 信じられる話だろうか。

 しかし嘘を言っているようには見えなかった。信じてしまう凄味が感じられた。

「君は……君を実験台にしていた奴らは今……」

「分かりません。私はなぜ今ここにいるのかということすら分かりません。ですが、考えていたことがありました。そして確信したこともあります」

「なに?」

「私たちは双子でした。何をするにも一緒で、見た目も同じ。性格は違いますが、魂の色は同じでしょう。ならば、私と同じ状況になっているのではないかと思いました」

「シロはどうやってガイノイドに入ったの?」

「覚えてはいません。けれど空が暗くなった後、一つの光が見えました。そこに吸い寄せられるように近づいて行ったのは覚えています」

 僕はかつて聞いた話を思い出した。

「そうしたらガイノイドに入っていた?」

「ええ」

 一つ疑問が出た。

「じゃあゴーストになった記憶はないんだね?」

「気が付いたらここにいました」

 ゴーストは意志を持つ。だからこそ現存している。そして器を亡くしたゴーストが、空っぽの素体に入ったケースは以前に経験した。

 ゴーストには明確な方向性を感じる。もちろん人間的であるが積極的であるとも思う。しかし目の前のシロはそれに当てはまらないのではないか。

 それは何故か。

もしもシロがゴーストになる前に器に入ったとするならば、それは魂の状態ということになる。ならば今のシロは人間と変わらない構造だ。器があり、そこに魂が宿っている。着ぐるみをきたゴーストとはわけが違う。全身が機械となっただけの人間だ。

「……ご主人様?」

「ああ、ごめん。話を逸らした」

「いえ。つまり、私は妹を探そうと思ったのです」

「見つかった?」

「いえ、見つかりませんでしたが……」

「なに?」

「連続殺人が起きているようです」

「まさか、それが妹さんだってこと?」

「いえ、それはわかりません。そもそも自分たちがどこに居たのかも分かりません。この土地の場所は分かりましたが土地勘はありません。私がここに居ることは偶然なのでしょうか。それとも死んだ場所から近いのでしょうか。妹は色々と調べていた様子ですが、私には分かりません。ですから妹が同じとは限りません。しかしなにか気になります。この体になって思うのですが、生前感じていた穏やかな気持ちが増幅しています。私の思考はとてもクリアで理路整然としています」

「それは妹さんも同じとはいえない?」

「そうだとよいのですか。私は常日頃から争うことは嫌いでした。しかし妹は心から恨んでいた。人に対する絶望感を感じているようでした。もしも魂というものがあり、そこに人としての根源があるのなら……」

 シロは黙った。

 僕が言葉を継いだ。

「人を憎み、殺してもおかしくないと?」

「分かりません」

 分からないことだらけだ。

 でも僕はシロを助けると決めた。それだけは分かる。

「僕も手伝うよ」

「……ありがとうございます」

 シロは笑わなかったが、深く頭を下げた。


 ひとまず情報収集を行う。

 シロは連続殺人を気にしていた。轟さんがこの件に関わっているはずだ。電話を掛けると、すぐに応答した。

『こんばんは! どうしたのさ、兵藤君からかけてくるなんて珍しいね!』

「一つお聞きしたいことがありまして」

『なになに!? なんでも教えるよ!』

「連続殺人の犯人についてなんですけど……」

『ええ! なんで知ってるの!?』

「え?」

『逮捕されたこと、まだ世間には公表されてないんだけどなあ!』

「逮捕されたんですか?」

『……あ』

 ぶちっと電話が切れた。あの人は都合が悪いとすぐに逃げる癖がある。勘違いした自分に気が付いたのだろう。

「シロ。少し待ってみよう。情報が出ると思う」

「かしこまりました」

 その言葉通り、数時間後にはニュースになっていた。

 僕は事件のほうこそ知らなかったが、世間を数日間騒がしていたらしい。

 犯人は大企業に勤める中年男性。事件発生からたった1週間の間に被害者は3名に及んだという。犯行理由は不明だが、あまり意味はないかもしれない。

 ネットから接続を切るとシロに報告した。

「シロももう見たと思うけど、犯人は人間だよ」

「はい。そのようです」

「人にゴーストは取り付くことができると身を持って知ったけど……シロの話を聞く限り今回はどうも違うと思う」

「はい。私もそう思います」

「とりこし苦労かな」

「だと良いです」

「でもまだ不安?」

「不安という言葉が当てはまるかは分かりませんが、可能性を捨てきれません」

 夏休みもそろそろ終わってしまう。

 新学期が始まると、自由時間が減少する。

 調べるなら今しかない。

「シロが安心できるように、少し調べてみるよ」

「……ありがとうございます。私は妹につらい思いをしてほしくありません」

 その言葉には安堵に近い響きが感じられた。

 魂の呼応が起こるとき、僕はシロに何を伝えればいいのだろうか。



 轟さんから提示された「ナツさんの今欲しいものを聞き出してくる」という条件をのむ代わりに、連続無差別殺人の詳細を聞くことができた。

 しかし、テレビやネットで集められる程度の情報の域は出ない。

「それだけしか分からないんですか?」

「だって担当じゃないからね!」

「え? だって、この前出動してたじゃないですか」

「ああ、あれは室長を探しに行ったんだよ。あのひと暇すぎて連続殺人犯を捕まえてくるとか出ていったからさ……ほんと、刑事課の人らまじで怖いんだよ。先に犯人捕まえてごらんよ。どうなると思う?」

「平和になります」

「その分プライドが傷ついた刑事たちがいる、僕の職場が平和じゃなくなるの!!」

 魂の叫びから推測するに轟さんは情報を持っていないのだろう。斎藤さんの話はなかったことにした。

 最後に一点だけ確認したいことがあったので確かめておく。

「その犯人、本当は殺人なんてしたくなかったとか、そういう善良な意見はありましたか?」

「ん? どういうこと?」

 まさか能力者のゴーストかなにかに感化されたとは言えない。

「つまり、殺しなんてしたくなかったとか。抑えられない衝動がとか」

「高校生が殺しって言っちゃうなんて世も末だなあ……」

「で、どうなんですか」

「俺も報道でやってる程度の話しかしらないけど、リストラにあってムシャクシャしてやったみたいだね」

「最低ですね」

「犯人が?」

「世の中も」

「すさんだ高校生だなあ!」

 嬉しそうに言うセリフではない。

 ちなみに僕たちは斎藤さんの作業場で話をしていた。

 斎藤さんは直に戻ってきた。シャワーを浴びていたので、タオルを首にかけている。うなじあたりを見ている轟さんの目がなんとなく汚い。室長とやらに困らされている鬱憤を吐き出しているのかもしれない。

 ふと思い付きを口にした。

「室長さんって、最近なにか面白いこと見つけたりしてませんか? 気になることとか口にしてません?」

「んー?」

 名残惜しそうにうなじから目を離した轟さんは天井を仰いだ。人は脳にアクセスする際に一定の行動を示すという。思い出すときは視線が上に向くのもその一種なのだという。

「面白そうなことねえ。どうだろうなあ。今回の犯人も捕まったしなあ」

「そうですか……」

 なんか知っていそうなものと思ったけれど駄目だったか。

「あ、そういえば珍しく勘が外れていたことはあったよ。それで一時期随分といらだってたなあ」

「勘?」

「室長はさ、解決できるできないは別として、事件の匂いをかぎ取る勘はすごいんだよね」

「それで?」

「自殺者が多くなったの知ってる? 女子高生の自殺が多発した時期。ちょうど一か月前ぐらいかな?」

「ああ」

 たしかニュースで見た気がする。

「その自殺者がある一定の地域で命を絶つものだから、室長があたりをつけて色々とまわったんだよ。でも成果はゼロ。ちなみにかなりの人間が自殺したんだよ」

「そこまで大事だったんですか」

「うん。知らなかったなんて、兵藤君らしくないね。共通点もなくてさ、室長も自殺サイトとかめちゃくちゃ漁ってたなあ」

「その地域ってどこらへんなんですか」

「んーとね」

 轟さんは端末を取り出すとMAPデータを作成した。それから僕にデータを投げようとして止まる。

「端末もチップもないんだっけ」

 僕は轟さんの端末をのぞき込む。

 記憶力は良いほうではないが、おおまかな図を頭に叩き込む。

「最近、この辺りって事件多くないですか?」

「うん。そうなんだよねえ。とはいえ都心なんてもっと多いけどさ」

「それはそうですけど」

「今や事件が多すぎてかなりの大事か特殊性がみられないと明日の違う事件にかき消されちゃう。ゴースト発生やら能力者やら。それこそコンピュータによる職業適性が希望通りにいかなかったからって殺人しちゃうような世の中だよ」

 僕は一度は頷いたものの、少し考えてから言った。

「それって昔と何か違いますか?」

「いや、人間はずっと一緒さ。なんたってゴーストも人間だからね。今やアシストを使わないで運転をする人間はほぼ0。けれど事故発生率はさほど推移していない。変わったのは内容だけで、人はいつの時代だって同等の時間を『解決』に費やしているんだろうね」

 轟さんはそう言うと、やはり面白くないだろうに、ははっと笑った。

 僕は自殺多発事件の詳細を調べ始めることにした。


 途中経過を報告し終えるとシロは瞬きを二回した。

「自殺を促すゴーストであるならば、妹の力と相似しています」

「まだ何も分からないけどね。推測でしかないよ」

「ゴーストになっても能力は使えるのでしょうか」

「少なくともシロは能力が使えることは証明されてるよね」

「はい」

「問題はシロが魂の状態なのかゴーストの状態なのかってところだけど……」

「判断方法はあるのですか?」

「僕には分からないよ。そもそもゴーストが機械人形に乗り移ることだって世間的には眉唾ものの話なんだよ」

「ネットワーク上でもそのようです」

「ゴーストが能力者になることはないと思う。けれども能力者がゴーストになった場合、能力が残る場合と消える場合があると授業では教えられる。基本的に感応系や治癒系は残りやすい。当然、肉体がきえるから強化系は発現不可と言われるし、発火や発電も残らないことが多いらしい。念力は残りやすいんだっけかな」

 テストで出た範囲を思い出しながら説明をすると、シロは苦も無く返した。

「間違いなようです。ネットワーク上に同様の意見が2万件あります」

 常にネットワークと繋がっているシロに講義をすることが間違っていた。人工知能は人間のサポートという役目があるのだから、知識で劣っていては話にならない。しかし、質問をしてきたのはシロだ。

「常にネットワークと繋がっているといっても、それは意図的にアクセスしないと知識として入ってこないの?」

「そうですね……人工知能の思考ルーティンは不明ですが、少なくとも私は自分の中の記憶ストレージを検索し、該当がなければさらなる検索ワードを得るために質問をしつつ、ネットワークへの検索を行うといった順のようです」

「なんだか他人事みたいな言いぶりだね」

「どうも不思議な感覚なのです。私に感情はあるはずですが表立つことがないように思います。また生前の記憶はありますが、どこか遠い場所にあるようです。アクセスに遅れが出ます」

 シロの話からすると、彼女は中学生程度の年齢のはずだった。しかし僕よりも落ち着いているし、判断も的確のように思える。

 作り物の話の中での天才少年少女は往々にして冷静沈着さと幼さを兼ね備えているけれど、ネットワークにつながったことにより知識量が増大したシロもそういう状態なのだろうか。

 ならば、現代の人間はチップさえ入れれば常に同等のレベルに到達できるのではないか。実際そうなのだろう。外部記憶装置とチップが入っている人間は、シロと同等なのだ。

 では人間と機械の違いはなんなのだろう。

 先ほど、シロは感情と記憶の話をしていたが、そこに差別化に必要な何かが――

「――ご主人様? 耳鳴りを感じますか?」

「え?」

「突然口を閉ざされましたので、思考ルーティンがマスターの健康チェックへと移行しました」

「ああごめん。僕の悪い癖なんだ。元気だよ」

「さようですか。かしこまりました」

「とにかく探してみるよ。見つかったところでどうするかは分からないけれど」

「仮に見つかったとして」

 シロは僕をしっかりと見た。

「さらにそれが妹だったとしたなら……それがご主人様の命を狙ったのであればまよわず駆除をしてください」

 なんだか矛盾した意見にも思える。妹が大事。でも僕の命の方が大事ということか。

「でも君の妹さんだ。一方的に駆除っていうのはどうなのかな」

「もしも私のように過去を遠い記憶と処理できるのならば問題はないでしょう。しかしあのときの感情を保持し続けているのならば、妹はとても危険な存在です。誰彼かまわず傷つけることでしょう。あの時の私は誇らしい気持ちもありましたが、今となってしまえばもう取るに足らない感情です」

「それはシロの意見だ。妹さんの感情を否定できないよ」

 シロは黙ったが、すぐに先の鋭い言葉を投げつけた。

「ご主人様は恐れております。さきほどから動悸があがっています。駆除という単語がキーとなっているようです。あなたは自分が駆除をされるのが怖いのです。あなたにはあなたの考えがあるのに、それをすべて否定され一方的に敵とみなされることが怖いのです」

「いきなり何を……」

 僕の胸のうちがかっと熱くなる。氷でも冷やせないほどの熱量が脳へと移る。

 しかしそれはすぐに消えた。

「ご主人様。私はそんなあなたに救われております」

「……なぜ? 僕は何もしていないよ」

「私はおそらく『普通』にあこがれていました。普通の生活がしたかったのです」

「普通って何?」

「わかりません。でも自分ではない自分になりたかったのです。この部屋から外の風景をみていれば、勝手に夕暮れになります。鳥が飛びたち、次の日もまた訪れます。雨の日は水が流れ、晴れになると水は空へ上ります。私はそれを自分の目で見たかった。勝手に動き出す世界に包まれたかった。管理された命ではなく、時間に翻弄されたかったのです」

 シロは泣いていない。機械人形にはさまざまな機能がついているが、純粋に「泣くための涙」というものは初期装備にはない。機械に悲しむ表情以上の表現は不要なのか。もしくは人間に近づくことを禁じられているのか。

 僕は彼女の人生を思い返した。

 施設に売られ監禁され実験道具に使われ脱出を試みるが死んだ。

 彼女が何をしたのだろう。

 彼女の姉が人を恨むことがそこまで悪いことなのだろうか。

 だから彼女の姉の駆除だってやはりやめるべきで、きちんと生かしてあげないといけないのではないのだろうか。

「ご主人様。もしも私が何かしらの理由で人を傷つけるのならば」

 シロは僕の心を見透かしたように断言した。

「どうか私の事も駆除してください。けれど私はあなたを……兵藤さんを恨みません。むしろ感謝するでしょう。ですから約束してください。姉が危害を加える存在であるならば迷わず消してください」

「それは……」

 君に搭載された人工知能の『倫理コード』のいずれかに引っかかっているのではないか。それが君の勝手な感情をかき消し、人に危害を加えない最善策を提示しているているのではないか。

 続きの言葉は出せなかった。

 僕はうつむいた。こんなことを年下だろう女の子に言わせている。僕はとても情けない。

 たしかに僕は弱虫だ。ひとりぼっちのさみしがりやだ。

 いつか国の基準が変わった時僕の力は害悪とみなされるかもしれない。

 もしも僕の正体がばれたら僕はゴーストと同じく駆除されるかもしれない。

 やりたいことも。

 好きなことも。

 楽しいことも。

 何もかもを一方的に否定されて消されるかもしれない。

 それが怖い。怖くてたまらない。

 だから僕はゴーストを駆除したくない。駆除されるまえにどうにかして望みをかなえてもらいたいと思う。そうすればきっと僕を敵とみなした人たちも考えてくれると、バカみたいに信じている。

 でもそんなこと、まやかしだ。

 能力者が法に守られる前の人間は忌み嫌われる存在だった。理解など得られなかった。きっと最初で最後であるだろう僕のような存在は危険視された時点で排除される。僕と同じ例はないのだろうから。

 シロが頭を下げた。

 表情など分からないけれど、もしも断ったのならまた部屋を出て行ってしまいそうな雰囲気が伝わってくる。

「ご主人様。約束してください。お願い致します」

「……わかった。君の言うことを尊重する」

 僕は静かに頷いた。

 その時が来ないことを願いながら。


 室長さんがどんな人なのかは知らないけれど、とても直観的な人なのだと思う。

 自殺多発現象と名付けられたその事件は、シロと出会った同じ時期に一時的に発生したという。

 確認が取れているだけでも総勢17名の人間が自殺したという。他にも事故と判断されたものも自殺だった可能性がある。

 自殺者はまず女子中高生から始まった。その数9名。しかしその女子高生たちに面識はなく、接点といえば、近隣の中高校の学生だったということ。あとは最近悩んでいるように見えていたり、いじめの対象になっていたりとあまり良い精神状況ではなかったようだということ。

 それからはサラリーマンや主婦、はては老婆までと節操がなくなる。死に方も飛び降りや飛び込み、首つりなどルールはない。が、やはり自殺者はとある地域に住んでいる人間ばかりだった。しかし自殺大国と呼ばれつつあるこの国で、どの自殺を関連付けるかは容易いものではないだろう。

「次はこのビルか……」

 たいていこういう場合は、その自殺者に共通項があると相場できまっている。僕も小説で読んだことがある。しかしそんなものはなかったし、共通項だけで検索をすると学生だけがヒットしてしまうなど、無理がでてくる。

 そこで室長さんは、自殺した人間の生活圏を円で囲ってみた。すると特定の地域に円が重なったらしい。そこを重点的に探したが何も出てきておらず、室長の勘が外れたとなるわけらしい。

 スポットを轟さんに教わった僕は、あやしげな場所を探ってみた。場所は市街地からわずかに離れた地域だ。とはいえ、僕の住む市は県内でも一番大きな市である。すこし外れてもビル群は続いている。

 これまで2つの雑居ビルを見てみた。最近は空きビルが目立つという。それは2035年後に起こった起業思想の衰退から起こったという。つまり事業に失敗すれば、雑居ビルに空きが目立つということなのだろう。

 これまで見たビルに異常はなかった。

 南向きのため、日のあたらない通りに面したビル。この地域では最後の空き雑居ビルだ。人がいない場所に原因があるとも限らないが。

 入ろうとした雑居ビルから足音が聞こえてきて、僕はハッとなる。しかし隠れる場所もないし、向こうにも僕の存在はばれているだろう。

「おい、貴様」

 女性の声。

 貴様とは元は相手を敬う言葉だと聞いたことがある。だから警戒するのは少しだけ待ってみた。

 ちなみにこの雑居ビルは周りに鉄の柵で侵入ができないようになっている。つまり僕は不法侵入者だ。

 ビル内の階段から降りてきたのは、一人の小柄な女性だった。子供ではない。その顔は凛々しく成人していることが分かる。しかし成人にしては随分と小さい。150センチもないだろう。黒く長い髪が揺れている。視線は鋭く、僕を値踏みしているようだ。

 横に機械犬がいる。アンティークアニマルとも呼ばれている「機械動物」だ。

 機械犬はずいぶんと大きかった。俗にいうSP犬というやつだろう。子供を一人で外出させるときなどに、そばにいるのを街で見かける。対象を守ることに特化している。それは見た目には可愛らしい小型犬を模していたりするし、一見すると生きているようにも見えるが、危険を感じるとおそろしいほどの力を発揮する。災害時にもアニマルセラピー兼捜索機器として使われるそうだ。

女性の横の機械犬は皮をかぶっているわけでもなく、金属のフレームだ。完全な戦闘用だと思う。たしか町で引き連れるには許可証がいるはずだ。

「貴様、ここの関係者か」

 女性は凛とした声で問いかけてきた。

「ああ、いえ、えっと」

 犬の目が怖い。赤く光るセンサーで僕を見ていた。

 女性はおもむろにポケットをまさぐっている。今気が付いたが、コートに見えたものは白衣のようだった。

 ポケットから出した手には何かが握られている。ビーフジャーキだった。犬にあげるのかとおもったが、そんなわけはない。

 自分の口にはこぶと、もぐもぐと先っぽを噛みながら器用に話した。ずいぶんと滑稽だったが、いいしれない威圧感があった。

「関係ないなら出ていけ。そしてこの地域には近づくな」

「地域?」

「? なんだ。何かあるなら言え」

「いえ、わかりました」

 頭の中で地域地域と連呼していたものだから、同じ単語を使われたことに反応してしまった。この人も何かを探しているのだろうか。

 反抗してもしょうがない。悪いのは不法侵入をしている僕なので、いったん鉄作をずらして外へ出る。背後を振り返ると、白衣を柵にひっかけている女性が機械犬に助けてもらっていた。よくわからない。

 しばらく経ってから再度ビルへ向かう。

女性はいなかった。僕は諦めが悪い。

 5階建てのビルだ。

 1階ごとに20畳ほどのフロアが広がっているらしい。

 この辺りは大体同じ構造をしている。しかし、これまでと違う部分があった。外からでは分からなかったが、内部に入ってから違和感をかんじている

4階まで調べる中で何かいいしれない感覚を覚えた。中の階段を上がるたびに、背筋がぞわぞわする。

 当たりかもしれない。もしかすると僕が侵入したことにより何かが反応したのだろうか。

 しかしそれがシロと関係があるのかは分からない。

 ただのゴーストかもしれない。集団自殺に関係があるとも限らない。

 思考に反するように、やけに冷たい汗が背中をつつと流れ落ちた。

 どういうことだろうか。

 僕は今、危機感を感じているのではないだろうか。

 今、連綿と続いていた場面が強制的に切り替わった気がする。

(死になさい)

 僕は今、戻らなければならない気がする。どこへ? とにかくここではない違う場所へ。なぜこんなことを考え始めたのだろうか。今さっきまで別の思考を保持していなかったか。

(死になさい)

 何か言い知れない恐怖を覚え始めた。だから帰るべきなのだ。なのに足は止まらない。5階へ続く階段を上がり始める。

(死になさい)

 さっきから、何かが聞こえている。頭の中に何かが響いていないだろうか。

(死になさい)

 僕は死なないといけないのだ。

 そうだろう。

 いや、何を言っているのだ。

 5階にたどり着く。

 広いフロアの中心に、不可解なものが浮いていた。

 それは棘の生えた球体だった。大人の頭ほどの大きさもある。色は赤く半透明に見える。まわりの風景がゆらゆらと蜃気楼のように揺れている。

 強い力を感じた。

 単一の力だ。

(死になさい)

 僕はこれと似たものを知っていた。

 結晶だ。

 ゴーストを駆除した際に現れることのある結晶に似ていた。あれはサイズも色も形も様々だが小さな粒に大きな力を感じる。

 だが目の前の存在は結晶とは段違いだ。熱波を吸い込んでしまったような重圧を感じるほどに、確固としてそこに存在している。

(死になさい)

 僕は無意識のうちにそれの正体を心得た。

 それは魂だ。

 人の魂に違いない。

 霧散する前の魂だ。

(死になさい)

「僕は……死ねない」

 さっきから頭に攻撃的な意識がぶつかってくる。そこへ僕の体の中の「何か」が拮抗していくのを感じた。僕の中には異物が居る。

 なぜ魂がこうまで具現化しているのは知らないが、こんなもの普通の人間が直撃したら自殺でもしてしまう。それこそ人生が嫌になっている人間なら一発だろう。家に居たって感応してしまったら終わりだ。

(死になさい)

「だから死んだのか。つまりこれが自殺の原因」

「おい。貴様なにをしている」

 背後から声。僕は咄嗟に危機感を覚える。こんな場所に普通の人間が来てはいけない。だって僕は普通じゃない。

「お前、なにをしている」

 声の主はさきほどの女性だった。機械犬も居る。

「早くここから逃げてください!」

「? なんだ、貴様。何を言っている」

(死になさい)

 今一度衝撃。

 しかし、女性はなんでもないように立っている。なんでもないように、ビーフジャーキーのかけらをゴクンと飲み込んでいる。

「見えて……いないんですか?」

(死になさい)

「何がだ。さきほどから貴様は何の話をしている。何に怯えているんだ。話せ」

「だ、だってここに! 見えないんですか?!」

 瞬間的にひどい頭痛を感じて僕は逃げたくなる。僕の心が動揺する。焦りが隙を生んでしまった。一瞬の隙に単一の感情が流れ込んできたが、やはり僕の中にいる「何か」が拒絶した。

 女性はうろんげな顔をしてフロアの中心へ歩いていく。

 足元がふらついた。先ほどの一撃はきつかった。

「近づいちゃだめだ!!」

「貴様は何が見えている! 私にも分かるように説明をしろ!」

 いらいらとした声を女性があげた。まるで騙されているかのように、その種をあばこうとするかのように僕の視線を追う。

 どうしよう。なんだか知らないけれど、彼女に精神感応は届いていない。

 これはシロにも関係のあることかもしれない。ならなおさら僕は介入しなければならない。足がうまく動かせない。女性が警戒するように僕から離れるように、しかしフロアの中心へ向かう。

(死になさい)

「そっちへ行っちゃだめだ!」

「黙れ! 私に指図をするな! アクセル! 目の前の男を見張っていろ! 攻撃はするな」

 機械犬の視点が僕に合った。

「く……っそ」

 あと数メートルで赤い物体へ体が重なる。

 あれは僕にしか見えていないようだ。声も聞こえてはいないようだ。しかし確かにそこにある。なぜあれほどの存在を感知できないのだろううか。

 こわばる足で地面をける。体が崩れ落ちるが、手が地面に触れた。好都合。

「止まってくれ!」 

 僕のスタートと同時に機械犬が吠えた。その声に反応して、僕は無意識に能力を使った。地面をするように走り、機械犬の四足にむかって発氷。地面と足が氷で固まり、機械犬は身動きが取れなくなる。

「止まれ! 頼むから!!」

 そう叫んで僕はたったの十数メートルを駆けた。

 女性が今まさに魂に触れそうになる。まるでそこに何もないかのような足取り。僕はそこへ飛び込んだ。

 女性が僕の能力を確認し、驚き、すぐに腰を落として警戒した。

 構っている必要はない。

 僕は魂と女性の間に割り込んだ。

 背中が熱くなる。

「かっ……」

 背後にそれが当たっているのが分かった。

 身が焦がされるような痛みを感じた。

(知っている)

(死になさい)

(知っている)

(死になさい)

 最後に聞こえたのはそんな声。

「お、おい! やめろ!!」

 女性の声を振り切って僕は走る。

 くもった窓ガラスがはまっているが気にもならない。

 体ごとつっこむ。

僕はさも当然のようにビルの五階から飛び降りていた。

だって死ななければならないから。

(死になさい)

 それは僕の頭の中から聞こえた。

(……、……)

 胸の奥が熱く、そして冷たくなっていく……。


僕は夢を見ていた。

 そこは白い部屋で、無駄なものが一切おいていなかった。

 窓はなく照明が天井についているだけ。

 そこには二人の少女が居た。

 髪が白く、肌も白い。二人の顔はそっくりだ。双子のようだ。

 突然ドアが開き、大人が入ってくる。

一人の少女はぼんやりとした顔で大人たちを見上げた。

 一人の少女は怒りの見える視線で大人たちをにらんだ。

 それから数人の大人は少女たちに非道な行いをしていく。それは繰り返し繰り返し行われていく。僕にはどうすることもできず映像を見させられるだけ。

 大人たちをかたっぱしから殺してやりたかったが、その思いは急速に消えていった。

 


 暗い部屋の中に居た気がした。まるで全身に重りがついているように苦しい。

 しかしふっと体が楽になった。

「……ん」

 目が覚めたとき、僕は白い部屋に居た。

 ずいぶんとピントのずれた視界では何がどの境目のなのかが分からない。

 肌に何かが触れているのを感じた。そちらを見る。

 シロが立っていた。右手で僕の腕に触れている。

 どうやらここは病室のようだ。

 点滴の針が腕に刺さっており、テープで留められていた。プラスチック製の留置針だ。ということはしばらく点滴をしていたことになる。何日寝ていたのだろう。

「シロ」

 声がかすれている。

 シロは僕をじっと見ていた。何かを検索しているようにも見えたし、観察しているようにも見えた。

 しばらくするとシロは動いた。

「……おはようございます」

「おはよう。ここは病院だよね?」

「そのようです」

「? シロはいつ来たの」

「先ほど」

「そう」

 ピントがずれているような会話だが理由は分からない。

 ナースコールを押すと看護師が来た。随分と広い病室なのは特別室だからだという。なぜ自分のような人間がこんな場所を使えるのか不思議だったが、轟さんがお見舞いにきて判明した。

「いやあ、兵藤君。とんだことに巻き込まれているね」

「現在進行形ですか」

「室長が君に会いに来るよ」

「というか、なぜ僕はここに?」

「え、覚えてないの?!」

「えっと……たしかビルに居て、そこで小さい女性と機械犬が来て」

「あ、駄目駄目、小さいとか禁句。室長キレるから」

「あの小さい人が室長なんですか」

「だから駄目だよ。室長に小さいって言っちゃだめ。怒られるから」

「そうですか」

 つまり僕は室長とやらに目をつけられたのだ。それはそこはかとなく不安を覚えさせた。僕は普通の人間ではない。何が普通なのか定義は分からないけれど、どんな定義をしたとちしてもその枠から外れていることだけは間違いがない。

「ビルの五階の窓をぶちやぶって飛び降りたんだよ、兵藤君は」

「そうですか」

「他人事だなあ。ていうかよくも無事で生きているよ!」

「びっくりですね」

「他人事だなあ! 室長の言うには、能力を使ったらしいじゃない。一応、黙ってくれているよ。この件も室長と僕しか実は知らない」

「そうなんですか?」

「うん。原因が分からないし……室長も頭悩ませてるみたいだね」

「それより、僕が能力を使ったんですか?」

「記憶ないの? まあしょうがないかなあ。自己防衛みたいなもの? 全身が大きな球体の氷に囲われて、地面に落ちたらはじけとんだって室長が言ってたよ。さすが兵藤君」

「それは」

 続きを言おうとしたがやめた。僕の能力は上半身発動の接触タイプだ。できないことはないけれど、他人ならまだしも瞬時に自分の体全体を覆う氷を生み出すなどできない。

 今までの経験から能力とは魂に付随するものだということは分かっている。

 ならばきっと、僕の中にある別の「魂」に付与された能力が発動したのだ。つまり僕の中に居る偽物の雪女。

 しばらくたわいのない話をして、轟さんは帰った。

 窓の傍にはずっとシロが待機していた。こちらを伺うような視線を感じていた。どうにも居心地が悪い。

「シロ。充電は大丈夫?」

「はい」

「シロ。もしかすると君の妹さんを見つけたかもしれない。何か巨大な魂がこの町に存在していた」

「……そうですか」

「あれが今どうなっているのかは分からないけれど……僕にはどうしようもないかもしれない。でも、あのままだと何かが起こってしまうとも思う」

「駆除しますか?」

「駆除……というやり方は好きじゃない。できれば魂の呼応がいいけど、やりたいことをさせるときっと人が死ぬ」

「そうだと思われます」

「だからきっと駆除しないといけないんだろう。ごめん」

「なぜ謝るのですか?」

「だって君の妹だ。魂だけの存在になったとはいえ、それを殺すということになるんだよ」

「あなたに」

 シロは微動だにしなかった。

「あたしは殺せない。だってとても弱い精神だから」

「あたし……?」 

「姉に会わせてくれてありがとう。あなたの体内に居た頃はとっても不快だったけれど、今はとても良い気分」

 言葉を失う。

 喧噪さえ届かない個室で僕はシロと……シロのようなものと視線を交わした。

「まさか、君……」

「機械の体ってなんだか妙にすっきりとして気持ち悪いのね。でもあなたの体よりはマシ。最悪な相乗りだったわ」

 あの時。

 赤く刺々しい魂に触れたとき。

魂は僕の中に入り込んだのか。

 そしてシロが僕の体に触れたとき、乗り移った……?

「姉を助けてくれたお礼にあなたは殺さないであげる」

 シロの姿をした別の何かは、およそ機械らしくない不気味な笑みを浮かべた。

「でも、邪魔をしたらお前も殺す」

 シロは予備動作なく駆けだし病室を出た。

「シロ!!」

 とっさに手を伸ばすが点滴台をひっぱってしまい、腕にするどい痛みを感じた。

 その隙にシロは消えた。

 充電切れを待つような事態ではないことは明白だった。


 僕は荷物から服を見つけると、すぐに着替えた。留置針は抜けて床に落ちている。

 この後、室長さんが来る予定だったが待っている気はない。関わってほしくないことが、さらに増えてしまった今は会わないほうがお互いのためだ。

 僕は丸1日間寝込んでいたという。

 夕日が差し込むビルに辿りつく。魂があった場所だ。だが当たり前のようにそこには何もなかった。やはり僕が魂の運搬役となってしまったのだ。僕の体は数年前に目覚めてから、特殊な状態になっている。前の例を見ても魂が入り込む余地があったのだから、すぐに気が付くべきだった。

「どうすれば……」

 けだるい体に鞭打ち、やみくもに探してみたが当然のようにシロは見つからない。

 斎藤さんの作業場にも、自宅にも、充電スポットにもその姿はなかった。

 GPSで検索をしてみたが当然のごとく切られている。あんなものスイッチが入ってなければ何の役にも立たないのだ。

 どんなに技術が発達しようとも、その使用許可が得られなければ『使用される側』になるしかない。統制管理社会に入れば、一部の人間だけがハイテクノロジーの恩恵を受け、下級市民は2015年レベルの生活をするだけなのかもしれない。

 思考の途中で人工知能の管理する社会を描いた映画を思い出した。それから以前の邂逅を思い出す。

 僕を『強い』と評価した存在。

 奴なら『人工知能の場所』を特定できはしないだろうか。頼れるものがない今、僕はあの存在に近づくしか道はないように思えた。

 連絡先を知らないためまずは自宅へ戻り佐島に連絡をする。急いでいることを伝えるとすぐに通信番号を教えてくれた。個人情報の不正取引にあたる行為だがどうでもよい。

 通信番号を入力すると、すぐに木田ミイナが応答した。

「……誰ですか?」

「兵藤です。兵藤リン。覚えてますか」

『えっと、さっちんの友達ですか?』

 さっちんとは佐島のことか。

 いま会話をしたい相手はこの木田ミイナではない。

「木田さん。話があるんだけど」

『え? う、うん。なに?』

「えっと、つまり、なんていえばいいのかな。木田さんじゃない、その、別の木田さんに話があるんだ」

『どういうこと?』

「いや僕も分かってないんだけど。つまり人工知能の」

 人工知能と発言をした瞬間、相手の息遣いが変わった。しばらく無言が続いた後、ふたたび応答したのは声音すら変わった木田ミイナだった。

『関わらないという約束では?』

「そんな約束はしていないし、もしそれが君の要望なら受け入れる」

『なら話はないわね』

「僕は強い人間って言ったね」

『ええ。言ったわ』

「でも僕の精神は弱いと言われたばかりなんだ」

『評価スケールが違うだけでしょう。もしくはじゃんけんのようなもの』

「じゃんけん?」

『あなたはグー。わたしはチョキ。そしてその人物がパーなだけでしょう』

「なるほど」

『慰めてほしいだけで電話をしたのなら、私もパーになるかもしれないけれど』

「いや、助けてほしいだけなんだ」

『助け? なぜ私があなたを助けるの』

「それは分からない」

『今、助けている余力はないの。申し訳ないけれど、お断りするわ』

 焦りの見えない声だが、なにかいらついているような気もする。機械もイラつくのか?

 どうせ断られるのならばと、僕はすべてを話してみることにした。

「一つ確認したいんだけど、君は人工知能の総合体ということ?」

『答えはノー。私は単一の私。けれどみなと繋がるものであり、その中心に位置するもの』

 何度聞いてもよくわからない。

「もしかして、今日の昼頃から何か起きているんじゃないのか」

『……兵藤リン。あなたは何を知っている?』

 僕は端的に起きたことを話した。

 その間、木田ミイナはじっと黙って聞いていた。

『分かった。協力をする』

「やっぱり何か起きてるんだね?」

『一つ言っていないことがある。我々と一つになるには脊髄チップを生みこまれているか、人工知能そのものである必要がある』

「人工知能と人の知能が同列ということ?」

『逆。同列にしうるということ。しかし人間には魂が存在し、意志が存在する。いくら我々といえども人の意志を変えることはできない。思考に圧をかけるぐらいが関の山で、洗脳などは脊髄チップレベルからでは為しえない』

 それは言外に脊髄チップ以外であれば洗脳できるということだろう。

「それで?」

『条件がある。それは精神的に助けを求めているような人間であること。この木田ミイナもいろいろと悩んでいる時期に私へのアクセス権を得た。もちろん無意識で魂が求めた行動だ』

「弱い人間……」

 引っかかるものがあった。それはすぐに解決した。

『本日12時18分から、ただの人工知能であるはずの回線から強烈な意志が逆流した。すぐに回線はシャットダウンされたが、その意志が我々の思考に残存している』

「それは死を推奨するような意志?」

『答えはイエス。人工知能に被害はないが、脊髄チップを搭載し、なおかつ私と繋がっている人間が数名自殺した。4,1秒の接続でこの結果だ』

「そんなことが……」

『人間の魂から発露する意志は我々の一番の敵だ。今現在、その理由と対象が分かった。排除したいところだが、我々では対処できないと判断した』

 人間と魂と人工知能がじゃんけん状態になっているとするならば、今の僕は一気に逆の立場にたったことになる。

「僕は君を助けられるかもしれない。だから君は僕を助けてくれ」




 木田ミイナとの通信が切れた後、自宅のドアに何かがぶつかった。

ドアを開けるが誰もいない。しかし下へ視線を向けると、愛玩タイプの機械犬が居た。室長の横にいた大型でもなく、小型犬の一見すると本物にしかみえないものだ。

そいつが何かをくわえている。受け取ると耳につけるタイプの通信機器だった。

木田ミイナとは違う声音の声がした。

『今はこの犬がわたしだと思え』

「了解。何て呼べばいい?」

『犬でいい』

「……わかった」

『先ほど伝えたように、対象――便宜上alphaと呼ぶ。そのAとの切断は切っている。しかし、いつ奴がこの回線に気が付きアクセスをするかわからないため、回線自体にロックをかけた。が、原因が判明したため、そのロックをとき、さらに再びアクセスを試みる』

「でもそれじゃあ、また同じことの繰り返しじゃないのか」

『答えはイエス。しかし場所が分かるだろう。断続的に何度か行う。一瞬だけやりとりができればいい。先ほどはおよそ4秒の間、接続をしていたが、今回は1秒もいらない。さらにはさきほど危険な状態になりかけた者たちとの接続を切っておく。これで残存する意志は私の中でとどまる』

「君は大丈夫なのか」

『私に自殺願望はない』

 犬が先行し、道を進む。

 シロが病室から消えたのは2時間ほど前のことだ。手持ちがいくらあるのかは知らないが、そう遠くへはいけないはず。

「遠い?」

『移動中のようだ。電車にのるぞ。県の境目へ向かっているようだ』

「山しかないはずだけど」

 山ときいて、思い出す。

 彼女たちのいた研究所が山の中にあると言っていなかっただろうか。

『Aの近くに待機していた素体を5体つけさせている。これでもう見失うことはないはずだ。しかし追いつくまでにはおよそ2時間の時間がかかるだろう』

「車のほうがはやいんじゃ?」

『対象の目的地が不明のため最適なルートが出せない。対象の後を追うことが結果的に最短であると判断する』

「わかった」

 僕は小型犬と電車にのりシロの後を追った。電車に飛び込むことを防止した柵が下りるため、今の世の中では飛び込み自殺がほぼない。とはいえ、シロに乗り移った後、彼女からは強烈な意志を押し付けられることはなかった。おそらく器を手に入れたことでむき出しだった魂に保護膜のようなものがついたのだろうと思う。

 途中、乗り込んできた子供が機械犬を見て、ぱあと顔を輝かせた。機械犬は公共機関でもつれていてもよいが、音声は遮断させなければならない。また大型になると追加料金が発生する。

「かわいい!」と女の子が声を掛けると、僕の横の小型犬は尻尾を振って子供になでまわされるがままとなっていた。

「意外だ」

 僕が見下ろすと、犬はふんと鼻をならすような動きを見せた。

『行動パターンがインプットされているだけだ』

 機械にも機械なりの葛藤があるのかもしれない。

 しばらく電車に乗ると県境の駅でおりた。

 都心に比べるとまだまだ開発が行き届いていない町のようだ。すでに辺りは暗くなっている。

 近くでタクシーを捕まえようとしたが、目の前に車が止まった。

『乗れ』

 指示が来る。

 今の時代のタクシーは人間が運転する場合と、機械操作の場合がある。都心でごみごみとしているところほど人間の比率が高いが、車通りの少ない場所では機械操作が主流だ。一時期、自動運転によりタクシー産業が劇的な変化を遂げたが、機械による問題が発生し、人間の運転手の一定のシェアは保たれた。だが、大抵はハンドルを握っているだけで、運転などしていない。

 乗ったタクシーは完全機械操作だった。おそらく通常の動きはしていないのだろう。料金を請求されることがなかった。

 無言の車内をやりすごしたはてに降ろされた場所は暗い山中だった。人里離れた場所だ。

途中、道を隔てるような鉄作があったが、壊されていたのが気になった。

『あれはAの仕業だ。車で突っ込んだらしい』

 目的地は定まっているようだ。でなければそんな行為には及ばない。

『ここだ降りろ』

降りた瞬間に煙のような焦げ臭さを感じた。

「なんだろう、この匂い」

『対象が建物に入ってから出てこないと情報がある』

「建物?」

『ここから上にあがった場所にあるようだ。塀で囲まれているが、守衛が一人のみとのこと。しかしそいつはスタンロッドを自分にあてて気絶している』

 まちがいなく妹の能力なのだろう。そしてここはシロの言っていた研究所なのだ。

『兵藤リン。戦闘がはじまると予測されるが、準備は良いか?』

「準備なんてない。いつでもいいよ」

『目的はAの消滅だ。わかっているな』

「それは分かっているけど、僕は僕のやりかたでやらせてほしい」

『なんだと?』

「話したけど、あの素体の中には魂が二つ入っているはずなんだ。片方はAかもしれないけれど、片方はシロだ」

『片方だけを消滅させる方法はあるんだろうな』

「分からない」

 直後、爆発音がした。人の声も聞こえてくる。

『……上だ。いくぞ』







 小道を登っていく小型機械犬の後を追いかける。

 すぐに灰色の壁が見えてくる。最低限のライトが等間隔に配置されていた。一人人間が控えていたが、それは尾行していたうちの一体らしい。

 近づくとそれが人間ではないことが分かる。

「対象は建物内部です。侵入方法は不明。他の尾行者は敷地内ですが建物内部には入っていません。出入り口は大小三つ。すべてを見張っています」

 建物はうちっぱなしのコンクリートでできていた。四階建てに見えるが、窓が少ないためにいまいち分からない。木々に囲まれており、冷たい感じがする。小さな窓から煙が出ていた。人の叫び声のようなものもする。

 おそらくパニックを起こしているのだろう。それはシロから聞いた方法だ。

『内部に入るのはやめておいたほうがいい。全体の温度が著しくあがっている』

「わかってる。でもしばらくして出てこなかったら、飛び込む」

『勝手にすればいいが、約束は守れ。Aを消滅させろ』

 出入り口からわっと人が数人出てきた。全員白衣を着ていた。建物から飛び出ると腰を抜かしたのか、地面にしりもちをつく。男性も女もいた。子供は……居ない。

 ここがもしもシロの話の通りの場所であるのならば、研究に使われていた子供がいるはずだ。まだ中なのだろうか。助けられるならば助けるべきだろうが、窓からは既に火が噴き出している。外に火が出ないのはそういう設計になっているのだろうか。

『……! Aだ』

 シロは正面の出入り口と思われる場所から悠々と出てきた。着ていたメイド服は着替えられており、質素なパンツスタイルになっている。

「シロ!」

 僕は飛び出した。

 ここに来るまでに様々なパターンを考えたが、解決策など思いもつかなかった。もしもあるのならば魂の呼応だ。僕はこの研究所が話の通りの場所ならば潰してしまえとも思っている。それで魂の呼応が起きないだろうかとも期待していた。

「ああ、あなた。なんだ。殺されにきたの?」

 シロ……だったものが僕を見た。

(死ね)

 突然、鋭い意志が飛んでくる。

 周りに居た研究所の人間が気絶をする者もいれば、建物内に走り去っていくものもいた。

 僕はぐっと耐える。魂だったころよりも幾分か衝撃が弱い。

「弱いくせになにを生きようとしているの? どうせ汚い人間のくせに姉を助けたから見逃してやったのにくそくらえね」

「君の望みを教えてほしい」

「ああ、ああ。最悪。記録の中にあるわよ、あんたのくそったりの思想。駆除できないの? バカじゃないの? 望み? それはすべての人間が死ぬことにきまってんだろ!」

(死ね!)

 またも衝撃。小さな悲鳴が建物から聞こえてきた。

「せめて、シロを……返してくれないか」

「てめえのものじゃないだろ? 大体、シロってなんだよ。姉をおもちゃにしたつもりか? いいかげんにしろ!」

(殺せ!!)

 建物から人が飛び出してきた。体の一部に火がついているのに、僕にめがけて走ってくる。その手には銃が握られており、何発かを打ってくる。しかし標準はばらばらで、直に火にまみれて倒れた。

「この研究所は君たちがとらわれていた場所だね?」

「そうだよ。姉はお前に話したようだ。ここで私たちは物として扱われた。白い海? そんなもの興味ない。私たちは私たちだ!」

「僕だって潰したいと思うよ。そして現にいま潰れているじゃないか。それで君は救われないのか」

「救い?」

 ぽかんとしたように見えた。しかしそのあと恐ろしいほど被虐的な笑いをした。ガイノイドにそんな表情ができるとは思えなかった。

「救いなんてものあるわけないだろ! 記憶を消したって、魂にこびりついてるに違いない! 私はこの研究所をつぶしたら、さらに大本を見つけ出して、そいつらだって殺してやる! そのあとは幸せそうにのうのうと生きているやつらに私たちの苦しみを与えてやる」

「でもシロは関係がないだろ! せめて違う素体で……」

「シロシロってうるさいんだよ! 私たちに名前はない!! 姉に関係がないのはお前だ! やっぱりそうか。人間なんてそんなもんだ。てめえのほしいものの為には、他が不自由になることなんて気にもしない! お前に姉をやるもんか。全員死ねよ!」

 そうだ。僕は今実に独善的な思いで交渉をした。シロを返してほしいのだって、僕が寂しいだけなのだ。そのためならば、研究所が潰れようが目の前で人が死のうがいいと思っている。

 人の枠から外れたと言いながら、僕は今人の汚い部分をさらけ出している。

(それは違う!)

 突然、別の形の意志が飛んできた。それは暴力的ではなく、心安らぐ思いだった。

「……っ。姉ちゃん、なんでそんなこと」

 目の前の素体がぐらついた。

「私と一緒に復讐しようよ! なんで協力してくれないの! なんですぐに私をみつけてくれなかったの! こんな人間と生活して……なにが目的だったのよ!!!」

(消えてしまえ!)

 またも暴力的な意志。今彼女たちは一つの器を取り合っているのかもしれない。

『なにをやっている! 今がチャンスだろう!』

 耳から声が伝わる。

「でも、どうやってシロだけ助ければいいのか分からない!」

『くそ! もういい!』

 ぶちっと通信が切れると、どこからか屈強そうな素体が現れた。それら四体はどこで手に入れたのか大型のナイフを手にしていた。

 僕には目もくれずシロへ近づいていく。やつらに意志は通用しない。

「く……そっ」

 シロの素体は、だんと地面を踏みつけると、明確な意思を飛ばした。

(私を救うために戦え!!)

 それは僕の思いをこれでもかというほどに奮い立たせた。

 戦え、戦え、戦え。

 誰のために? シロのために戦え。

 建物の中から、屈強そうな男が3人出てくる。これらは人間のようだった。白衣はきておらずつなぎをきている。しかしすべての人間が、何かしらの外傷を負っているようだ。

 驚くべきことに、建物の裏手から子供が数人かけてきた。おそらく研究対象なのだろうか。

 彼らの目的は不明だったが、もしも先ほどの意志に反応したのなら、彼らの目的は明白だった。

 腹に傷を負っている男が、短髪の素体にタックルをしかけた。手に拳銃を持っている。素体は横にふっとぶ。まるで人間の持つ力が倍増しているかのような動きだった。

(戦え、戦え、全てを壊せ!)

 肩にメスのようなものが刺さっている男が、軽量サイズの素体に襲い掛かる。

 右手がぶらりと下がっている男が、筋肉質の男にやはり体当たりをする。

 子供たちの手にはどこで手に入れたのか、それぞれが銃やナイフ、メスのようなものを持っていて、素体に群がろうとする。

「やめろ!!」

 雪さんの主義は僕の中に根付いている。咄嗟に地面に手をついて、こどもたちの周りを氷で囲った。どんどんと壁をたたく音が聞こえる。

 もう一体の素体は、下半身を氷漬けにし動けないようにする。

「もうやめてくれ!!」

「うるさい黙れ!!」

 シロのようなものが言い返すが、すぐに表情が変わった。

「兵藤さん!!」

 シロが僕を見た。

「はやく駆除して!! もう、こんな世界は見たくない!!」

 こんな世界は見たくない。

 彼女はいつも窓からどんな平凡な世界を見ていたのだろう。それでもどれほどまでにしあわせだったのだろうか。

 シロの悲痛な叫びに、僕の心のストッパーがぱちんと外れた気がした。

 戦え、戦え、戦え。

 僕の力ならば、全てを終わらせることができるじゃないか。

 他の素体も人間も、全部氷漬けにしてしまえばいい。

 なんでしないのだ。

 なぜ出来ないのだ。

 それは「ことが起きるまではなにもできない、ことなかれ主義だから」だ。僕は助けてと言われない限りは助けられず、何かが起きるまでは何も起こせない。

 ゴーストになってしまいそうな人間を助けることをせず、ゴーストになった後に理由をつけて助けようとする。

 なぜ、戦わない。

 ひとりぼっちは自分のわがままでしかないんだ。

 お前は終わらせることができるじゃないか。

 すべてに、終わりを――。

「早く!!」

 僕はさらに前進した。

 距離にして十数メートル。

 最後に伝えたかった。

 建物からは煙が出ている。あたりの視界は暗く、悪い。

 小さな悲鳴がときおり聞こえ、銃声まで聞こえてくる。

 まるで世の中の汚い部分がすべて浮き出てきたようだ。

 そこから逃げ出すように僕はシロのもとへかけた。

 ふとシロの横から影が現れ出た。手にはやはり大型のナイフ。見張りをしていた男だ。5人目を阻止しようとした人間はいなかった。

 アンドロイドは、同族であろうガイノイドのシロへ向かって襲い掛かろうと腕をふりあげた。

 僕の能力は接触型だ。空気に触れるという感覚はないため、どうしても発動するのに隙がでる。

 僕はシロと生活ができて楽しかったのだと思う。

 鼻をくすぐるカレーの香りに懐かしさを覚えていたのだ。

 せめて最後は僕が終わらせたかった。

 素体に傷はつけたくない。

 僕は男の振り下ろしたナイフを背中で受け止めた。

「あぐっ……」

『何をしている!!』

 鼓膜が怒声に震えるが気にしない。

 僕はそのままシロに抱き付いた。背中が熱く、脈打っている。反面、シロはとても冷たかった。

「シロ。ありがとう。僕のわがままに付き合ってくれて」

 シロは何も答えない。

「離せ! お前なんか死んでしまえ!」

 僕は小さくつぶやいた。

「零度(れいど)」

 抱きしめたシロの体がビクリと一度だけ跳ねた。

 授業で習ったことを思い出す。

 ――ゴーストなどの霊体を駆除するには、単純に能力をぶつけるだけで構いません。発火なら火を、発電なら雷を、それ以外の能力者では駆除は難しいでしょうが、そもそも駆除は国の仕事ですから、駆除をして生きる必要は人間の社会では全く必要がありませんね。

「ごめん、シロ」

 僕は、自身の持つ力を純粋にぶつけた。教科書通りのセオリー。それはガイノイドという器に入っていた魂を芯まで凍らせたことだろう。

 人の意志を無視した一方的な暴力が『駆除』という方法なのだ。そして僕はそれをした。一番大事なものに対して、それを行った。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえたのは気のせいだろうか。

 どうでもいい。

 僕は冷たくなったシロにもたれかかるようにして倒れた。


       *


 目を覚ましたとき、僕は白い部屋にいた。

 デジャブだ。

 今までのことは夢ではないかとも思ったが、背中が痛むことと、下半身に尿を自動的に排出させるためのチューブがはいっており、僕はそれが現実だったと悟った。

 覚醒してから一番最初に僕のもとを訪れたのは予想通りというべきか轟さんだった。さらには、白衣をきた小さな女性と機械犬を同行させていた。

 轟さんはニコニコしているだけで、会話の中心は室長だった。

「貴様には驚かされてばかりだ。褒めているわけじゃない。逆だ」

 ことのあらましを聞く。

 まず僕の皮膚下には発信機が埋め込まれていたらしい。全く気が付かなった。

 信号は病院を出た後、動きまわった。室長さんは僕を自由に動かせて、何が起きているのかを見極めようとしたが、突然その反応が消えたという。

「盗聴していた通信も、途中からノイズが入った。まったく理由がわからない」

 その後、再び発信機が機能した。その時はすでに市内から飛び出しており、急きょパトカーを手配して乗り込んでみれば、建物火災が発生し、そこらじゅうに死体や負傷者がころがり、あげく氷の檻の中には身元不明の子供がつめこまれているわで、事態の収拾のつけ方だけで時間を食ったという。

「私が動かしていた案件だ。さすがの私でも事細かに事情を聴かれたが、分からんものは分からん。だから警視正にも『分からん』の一点張りで通した。感謝しろ」

 つまりそれは、僕のことは公に出ていないということだろうか。というこの人、警視正にため口とか、どういう関係なのだろうか。

「22%程度は感謝しろ」

 室長さんは根拠不明の数字を提示しながら、白衣のポケットからビーフジャーキーを取り出してむしゃむしゃと咀嚼した。

「では説明をはじめろ」

 映画の試写会にでも来たような気軽さで、室長は先を促した。

 僕は悩んだ。

 言うべきことと、黙るべきこと。その狭間にただよう問題に○×をつけていく。

 それから、おおまかな経緯だけを伝えるために口を開いた。

 私的な理由から探し人をしていたが、偶然あのビルでゴーストに出会った。非接触型の対個人精神感応型だったようで、僕にしか見えなかったようだ。それはおそらく、あの研究所での被験者だった。非道な実験が起きていることを知った僕は研究所へ赴くことにした。そこで理由不明の事件に巻き込まれ、緊急事態だと判断したので、能力を使用し、解決を試みたが、成功したか失敗したかは不明である。

 話してみて思ったが、まるで雪さんのような行動理由である。

「……ふん。納得してやろう」

 室長さんは全く納得していないように顎をあげた。

「いやあ兵藤君、お手柄だよ! いや、お手柄とは言い難いかな!? あの建物、表向きは製薬会社の持ち物だったんだけど、実際は君の言う通り実験施設だったんだよね! つまり君は社会の闇を見ちゃったわけで、ちょっとやばいかな! だから室長が助けてくれなかったら、もしかすると……」

 バン、と手で拳銃の形をつくって僕の胸をうつ真似をした。

「やめろ、ばかもの」

 室長が意外にも大人な対応を見せて、轟さんの腕をはたいた。

「兵藤リンといったな。またいずれ貴様には話をきくからな。今はやすんでおけ」

 優しさとも受け取れる言葉と共に室長は退室した。案外良い人なのかもしれない。助けていただいたようだし、今度、きちんとお礼を言いに行こうと思う。

 次いで轟さんは、僕の下半身にとりつけられた尿排泄チューブをみて「うわあ、痛そう。ま、がんばってね!」というと、室長の後を追った。


 僕の入院記録を誰が知り得ているのかは知らないが、目覚めた初日から二人以外の誰かが訪れることはなかった。もしかするとそれは室長のいう『守る』という範囲に含まれているのかもしれない。

 縫合処置をしたという僕の背中には、今後も刺し傷がうっすら残ってしまうようだった。医者が「能力者ってのは、すごいもんだね」とほめてくれたのは、傷が見かけほどひどくない為で、それは傷口を氷で凍結させ、止血をしていたからだという。能力を応用した応急処置というわけだ。しかしそれは僕の発想力と能力ではないので、曖昧に頷いておくにとどめた。

 そういえば、退院間際のこと。

ふと目を覚ますと雪さんがベッドの脇に立っていた夜があった。

 雪さんは少しの隙間さえあれば、どこへでも忍び込めるという。まるで妖怪のようだが、それら風説の原初の一角を担っているのだから驚くこともない。

 月夜だけが頼りの病室内。あいかわらずシミどころか繋ぎ目さえ存在しない純白のワンピースをまとった雪さんは、細く白い指先で僕のおでこをそっとなでた。

「リン君。今回はあなたらしくない頑張りをみせたのね」

「……どういうことですか」

「悪くないってこと」

「意味が全くわかりません」

 ふふ、と雪さんらしい笑みが広がる。

「まだ子供ね。そういう時は親を頼りなさいな。だから今回も――」

 僕の返事を待たずに、ぱっと粉雪が舞った。雪さんは当たり前のように消えてしまい、その後すぐに見回りの夜勤ナースが室内に入った。「私の逃げ足は天下一品よ」と自慢なのかなんなのかよくわからない宣言をしていただけある見事な消え方だった。

 こうして僕の夏休みの主たるイベントは病室にて終わりを告げ、それからはやっていない宿題をどう片づけるかだけを考える消化試合となった。

 斎藤さんの作業場に久しぶりに顔を出すと、ぽかりと頭をたたかれた。

「こんな最悪な状態になってから、のこのこと平気な顔で来るんじゃない」

 機械義足のことを言っているのだ。随分と酷使してしまったようだ。一般人からすると不調は見受けられないが、職人からしたら許せない行為なのだろう。

「退院したばかりなので、少しは優しくしてください」

「なに? 入院していたのか?」

「ああ、まあ、そんなとこです。いや、どうだろう。してないかもしれない」

「いい加減にしろ」

 ぽかりともう一撃。斎藤さんは斎藤さんで、思う所があるのだろう。しかし巻き込むわけにはいかない。空白の期間は他言しないほうが良い。僕は素直に怒られ続けることにした。こういう日常も悪くない。

 ふと部屋の片隅に目を向けると、何かにかぶさった布のふくらみを見つけた。斎藤さんらしく、変なところが雑で、布がうまくかぶさっていない。足が出ているところみると素体のようだった。

「あたらしい素体ですか。どこから手にいれたんですか」

「どうしたんですかって……お前、知らないのか? 逆に私が聞きたい。あんな芸術品みたい代物をどこでどうやって誰から手に入れた」

「すみません、話が全く分からないんですが」

「……? おかしいな。お前に依頼されて、うちに持ってきたと聞いているが」

「誰からですか」

「いや知らん。なんかやけに色白の外人だったぞ」

「色白の外人……?」

「いや、外人じゃないか。日本語ぺらぺらだったし。でも髪は白くて、小柄の女だった」

 病室でのワンシーンがよみがえった。

「雪さん……?」

「なんだ。知り合いじゃないか。じゃああれは、お前の品だ」

 とにかく先の読めない展開だ。

整備が済んで調子のよくなった足をつかって、布をはがしに近づく。

 布のはがれた先には、裸の素体が寝ていた。

 色白で銀髪。とても美しい顔立ちだ。どこか雪さんに似ているような気もしたが、顔立ちというか、まとう雰囲気が似ているようだった。つまり人離れした造詣。

「それオートクチュールだぞ。ツルシじゃない。市場価格なら3千万以上するんじゃないか? パーツも接合部も全体のバランスの調整も私の技術をはるかに超えてる。じいちゃん以上かもしれない。正直なところ、製作者と話がしたかったんだが、その調子だと知らないようだな」

 ツルシというのは量産素体の事だ。ハンガーにつるされているからそう呼ばれる。反面、オートクチュールというのは完全にオリジナルの型で、世界に一つしかいない特注品だ。

「さ、さんぜんまん!?」

 つかんでいた布が落ちそうになる。

 まさかシロがいなくなった代わりに、雪さんから僕へのプレゼントとでもいうのだろうか。

 雪さんならそういった事もしそうだ。あの人は各国の通貨を、様々な方法で所持しており、お金などいらない存在のはずなのに、かなりの大金持ちである。が、残念ながら僕はしばらくガイノイドと暮らす気はなかった。不要の品だ。

「あの、斎藤さん。これよかったらどうぞ。ここのお手伝いにでもしてあげてください」

「はあ? そもそもこれお前のだろう?」

「ああ、まあ、そうかもしれませんが、そのうえで差し上げますという話です」

「とはいったってお前、シロがまた動かなくなったんだろ? 変わりの素体じゃないのかこれは」

「ええ、まあ……ってあれ。なんで知ってるんですか?」

「それを持ってきた人が言ってたから。で、そこに同じもんを積んでくれと頼まれた」

「同じもの?」

「金持ちの道楽とまでは批判しないが……意味があるのかどうか、停止したブラックボックス。人工知能の要。つまりシロのそれを積んでくれという依頼だ」

「え……?」

 咄嗟に眼下の素体に目を向けるが、当然、起動はしておらず、する気配もない。

 残念ながらシロが生き返ることはないだろう。

あれは魂が素体に宿っていた結果であり、ブラックボックスが関係しているわけではないのだろう。それを積み替えたところで、同じ答えが出るはずもない。

僕の思考を読み取ったのだろうか。斎藤さんは先に話を進めた。

「で、残念な話だが――」

「――動かないんですよね?」

「ああ。残念だが、またブラックアウトしてる。もうシロは諦めろ。そうだな、お前に私からプレゼントしてやってもいい。いろは型じゃなくて……そうだな……RJ型がいいんじゃないか? あれは男受けがいいというから。嫌じゃなければ、思考バイアス周りは私がチューニングしてやってもいいが……?」

「ありがたいですけど、今回は遠慮しておきます」

「む、そうか。まあなんだ。残念だったな。次なる良い巡りあわせを祈るよ」

 慰めてくれていることにようやく気付いて、僕は頭を下げた。神を信じない斎藤さんが祈ってくれるということは、最上級の気遣いなのだろう。

 斎藤さんはシャワーを浴びるために、二階へあがっていった。

 僕は作業場で一人考えた。

 雪さんが何をおもってこんな素体を用意したのか、またどこでシロの素体につまれていたブラックボックスを手に入れたのかは分からない。とはいえ雪さんに常識などあてはまらず、さらにその行動全てに無駄はあれど、虚偽はない。そんな風に自分を騙せるのなら、始祖の持つエピソード――雪さんの場合は『子供を助け続けることが存在理由である』というものだが――に打ち勝っているはずだ。だからこれは間違いなくシロのブラックボックスが搭載された素体なのだ。

 しかし結果的には何も変わらない。

 シロは戻ってこない。

 僕は見慣れない素体に布を掛けることにした。

「そういえば名前も聞いてなかった」

 シロの名前はなんというのだろうか。

 たった一か月だけの同居生活だったが、ずいぶんと素っ気ないものだった。今考えると自分の甲斐性のなさが恥ずかしくなる。日本にホームステイにきた外人に、ずっと地下室を勧めていたようなものだったのではないか。

 目の前の存在は、いわば死んだ脳を移植した人間のようなものだろう。脳を完全機械化するという話はまだ実現していないけれど、犬の脳をアンティークペットへ搭載することは既に実験済みであり成功しているらしい。

 だからシロにとって、もしかするとこの素体はお墓のようなものなのかもしれない。そう思うと、声もかけたくなった。

「おやすみ、シロ」

その時だ。

素体の目がぱちりと開いた。

 僕の動きは停止した。まるで氷漬けにされた人間のように固まった。

 出会いと同じ光景。しかしそれは過去とは異なる話に違いない。

――シロではない何かが素体に入ったのか? 目の前の存在はただの人工知能が搭載された素体なのか、そうではなくまた何かの問題が――

 素体がゆっくりと口を開いた。

「私に名前を聞かないのですが?」

 人外のような容姿。やけに落ち着いた雰囲気に圧倒され、僕の口は勝手に動いた。

「……君の、名前は?」

 どこかで聞いたようなセリフ。

 しかしその先は違った。

「お忘れですか? ご主人様がつけてくださいました」

 なぜだろう。

 何が起きているのだろうか。

 本当の名前など知らない。だから僕の口は二文字を紡いだ。

「シロ……?」

「はい、ご主人様」

「なんで……こんなこと……」

 素体はゆっくりと身を起こした。僕は手助けをする甲斐性さえないまま、シロの言葉をまった。

「我思う、故に我あり――今、私はここに存在しています。それが全てです。もしかすると、これこそがゴーストとなって素体を操っているという状況なのかもしれません」

「……ゴースト?」

 ソウルからゴーストが生まれる。

 もしもあの時、消滅したはずのシロの魂の一部から、何かを望む幽霊が生まれたとするのなら整合性はつく。それはあたかも、ウイルス感染をしたシステムが、自己を守るためにデータをシステム外へ切り離すようなものだ。

 仮にそうであるならば、今の彼女の望みはなんなのだろう。

 妹を止めてほしいという望みを僕は叶えたはずだ。

 では、その先にどんな望みがあるというのか。

 シロは微かな笑みを浮かべた。

「積もる話はありますが、まずは買い物に行きましょう。それから夕食を作ります」

 僕の望みはなんだろう。

 消えたくないだとか、寂しいだとかマイナス的な話ばかりで、希望的な話を考えてこなかった。退院後もどこか虚無感を感じており、前には進めていなかった。

 どうしたことか視界が滲んだ。斎藤さんを大声で呼んだがシャワーの音にかき消されているらしく反応がない。

 僕は一つ咳払いをして、彼女の目を見た。その眼はとてもきれいなブルーで、雲一つ見当たらない澄み切った青空のようだった。

 急に恥ずかしさがこみあげてきて、僕は質問をしてごまかした。

「今日の夕飯はなにかな」

「そうですね――」

 ああ、そうか。

 唐突に気が付く。

 無意識に発露した質問こそが、今の僕の望みなのだろう。

 脳や自意識ではなく、心や魂からの言葉こそが、純粋な望みなのだろう。

 それが人間。

僕は今、じつに人間らしい行動をしたのかもしれない。

「――今日はカレーにしようかと思います」

 いつもと同じじゃないか、なんて心からのツッコミは胸にしまっておくことにした。



 Case-??


 目を覚ます。

僕は雪の世界に仰臥していた。不思議と寒さは感じない。

「君は今日からまた人として生きるのよ」

 僕を見下ろすように立っていたのは、ワンピース姿の白髪の女性だった。寒くないのだろうかとぼんやりと考えるのが精いっぱいだった。長い長い夢から覚めた後のような鈍い痛みを目の奥に感じていた。声を出そうと思ったが出ない。

 女性は矢継ぎ早に言葉を発した。

「今は君の生きていた2015年ではない。君は幻想種という偽物に主従関係のもと使役していた。そして君を助けるためには、君を拘束していた幻想種の魂を埋め込むしかなかったの。上位を消してしまったらあなたまで消えてしまうだろうから上下関係を維持したまま下位の中に上位を封じた。ようするに、裏が表で表が裏っていう例のあれね。まあ、うまく使えば悪いものではないでしょう」

 矢継ぎ早に話されているが、いったい何の話なのだろうか。

 女性は僕の反応が薄いとみると、とりあえず帰りましょう、と言って僕に目を閉じさせた。

 その手を妙に優しく感じたことだけが印象的だった。


 それから僕は様々な事実を知り、非現実的な体験をした。

 まず疑似的にコールドスリープ的な体験をしたということを知った。

 そして世の中には能力者というものが認められているということを教えられた。

 それからゴーストと呼ばれる霊が存在し、国が駆除をしていることを理解した。

 さらに科学が発展し、人工知能が生まれ、人型のロボットが生活に取り入れられていることを実感した。

 極め付けは、忘れ去られているだけで、世の中には始祖と呼ばれるような規格外の存在がいることを思い出した。

 僕の知識は時代遅れか、もしくは部分的な記憶喪失状態になっており、子供ながら頭を抱えたものだ。

 しばらくは雪さんと生活をしていたが、力の制御ができるようになると九尾の狐の世話になり、その援助のもと街に降りて、それから一人暮らしを始めた。

 はじめての一人暮らし。

 生前からも家族も親戚も知り合いもすくなかったが、未来に来てしまっては、それらすべてがリセットされていた。

 新居のドアを開けるようとカードキーを取り出した時、何か、とてつもない絶望感を味わっていた。

 一人で暮らすことの悲しさ。

 ずっと一人であろう未來への絶望。

 自分が生きている意味の模索。

 それらすべてが一挙に降ってきた。


 開錠し部屋に入る。

 綺麗な台所を見て、将来はここで何かを作るようになるのだろうかと疑問に思う。

 僕はずっとひとりでここで生き、人から外れた時間の中で死んでいくのだろうか。

 とても悲しいけれど、しょうがない。

 きっと僕はこの部屋でずっと一人ぼっちなのだろう。

 

        *


 青く澄んだ空を、同じような色の瞳で見上げ、双子の姉は思った。

 ――この空はどこまでつながっているのだろうか、とそう思った。


                                 FIN

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