さすらいの丹下猿膳

そうざ

Wandering Monkey with No Left Hand

 家人の我が儘で、何故か鶏を飼う事になった。今から二年程前、二〇二二年の事である。

 それからと言うもの、生活の中心が鶏になってしまった。こんな事が可能なのは、僕がそこそこ自然に囲まれた環境で暮らし、毎日ぶらぶらしているからだろう。


 二〇二四年十一月上旬、家人が手術入院する事になった。

 高々一週間程度ではあったが、この間は僕が一人で鶏の面倒を見なければならない。

 毎日、昼頃に鶏を小屋から出して自由に遊ばせる。餌をやり、水を取り替え、糞を始末し、卵を回収し――養鶏業者の苦労とは雲泥の差であろうが、こちとら否応なく巻き込まれただけの無償の飼育者である。そんなど素人が三十羽もの面倒を見なければならない理不尽さ。

 そんな愚痴を吐きながらも、時に甘えて来る鶏にだらしなく顔を緩ませる僕も居る。


 家人が入院した翌日の昼前、餌を入れたバケツを片手にワンオペ飼育が始まった。

 鶏小屋へは一分も掛からない。鶏舎と呼べる程、立派な建物ではない。廃材を多用したDIYのあばだ。それでも完成までに数カ月を要した、手前味噌の力作である。

 鶏達が小屋の中でギャアギャアと鳴いている。人の気配を感じると、今日も出して貰えるぞっと浮き足立つらしい。

 が、この日は別の意味で騒いでいたのだ。それが判るのはこの直ぐ後である。


 いつものように順番に扉を開けて行く。

 鶏の関係は中々複雑である。コイツはアイツを苛める、アイツはソイツを邪険にする、ソイツはコイツに辛く当たる――そんなだから小屋は複数あり、中に仕切りを設け、放鶏中に喧嘩が起きれば仲裁もする。


 鶏を外に出し終えたら、次は餌の準備――その時、物音がした。


 数メートル先の鬱蒼とした栗の木の枝が激しく揺れている。昨今は外来種のタイワンリスが我が物顔で枝から枝へと闊歩しているので、不審な物音は日常茶飯ではある。

 にしても、やけに激しくガサガサと――次の瞬間、薄茶色の塊が躍り出て大地を駆け抜けた。周辺の鶏が一斉に騒ぎ出す。


 そんな訳がない。

 この地に生まれ育っておよそ半世紀、あんな生き物がここに居る筈がない。大袈裟でなく、これは現実なのか、と疑った。


 ここは都会でも田舎でもない、自然は豊富だけれどそれなりの住宅密集地である。小高い山に挟まれた谷戸と呼ばれる場所で、虫や蛇や蜥蜴とかげや野鳥、後は野良猫や狸がちはほら。一時期は外来種のアライグマが跋扈ばっこしていたが、通常は害獣的哺乳類との縁はない。


 一方で、僕の頭には心当たりがあった。家人が入院する前日の会話だ。

「左手のない猿が出没してるんだってさ」

 そんなネットニュースがあったらしい。その時の僕は、ふぅんと生返事。どうせ何処か遠い世界の出来事だと思い込んでいた。ちゃんと関心を持ち、詳細を訊いていれば、僕の心構えは違ったかも知れない。前月辺りから各地で目撃情報が寄せられている事、次第に南下している事、自分の暮らす市に至った事、何ならかなり近隣にも出現していた事――いや、事前に覚悟が出来ていても、いざとなると平常心では居られないのが人の子である。


 目の前でしゃがみ込む毛むくじゃらは、果たして左手がなかった。手首から先が欠損しているのである。

 とっさに往年の時代劇ヒーロー、丹下左膳たんげさぜんを連想した。あちらは右目と右腕がないが、連想してしまったのだから仕方がない。取り敢えず〈丹下猿膳たんげさるぜん〉と名付けておこう。

 後になって自治体等が出している『猿に遭遇した際の注意事項』を読んだ。近付いては駄目、目を合わせては駄目、威嚇しては駄目――僕は知らずに全部やってしまった。唯一守れていたのは、餌をあげては駄目、くらいだった。

 何せ三十羽もの命を預かる立場である。我が子同然の鶏にもしもの事があったら僕が家人に殺される、と早合点した僕は、放置してあった竹竿を手にして構えた。奴はお約束とばかりに大口を開け、牙を剥き出し、僕を威嚇した。八重歯しかない僕に出来るのは、見様見真似、猿真似で同じ表情をする事くらいだった。


 膠着状態を破ったのは奴の方だった。僕に向かって走り出したのだ。

 この時の僕の慌て振りは、激しくぶれた映像から判る。ほんの数秒ながら一部始終をスマホに収めた、ちゃっかり者の僕である。

 威嚇の後、奴は素早く方向を変え、土手を伝って行った。途中、枝に腰掛け、まだ敵意を表す僕を見据えていた。未だこの状況を現実として受け入れられない僕が居た。

 石でも投げ付けるかと躰を屈めると、奴は枝から枝へと逃げ去った。奴なりの経験則がそうさせたのだろう。奴にしても人間の思い上がりを正そうと南下して来た訳でもあるまい。

 こうして、呆気なくも濃密な霊長類同士の交流は終わった。


 直ぐ様、市役所に連絡を入れた。が、警察も自衛隊も出動しない、〈丹下猿膳〉対策委員会も存在しない事実を知っただけだった。相手が外来種でもなければ、法律は基本的に野生動物の味方をするらしい。

 それから暫くは目撃情報に目を光らせる事になった。いつまた奴が現れるかも分からない。何なら仲間を引き連れ、御礼参りに来るかも知れない。不安な日々を余儀なくされた。


 普段から害獣被害に悩まされている地方在住の方々ならば、この程度の一大事など鼻で笑うかも知れない。高々一匹の猿を話題ネタにする首都圏は実に平和だ。

 そんな〈丹下猿膳〉もやがて報道の俎上そじょうに載らなくなった。日毎夜毎、次々に動物ニュースが生まれるのだから仕方がない。熊がスーパーに立て籠もったり、レッサーパンダが立ち上がったり、政界に有象無象がつどったり――そんな矢先に『久々に発見!』の謳い文句で奴の出没情報が取り上げられていた。

 この文章を書いている現在、奴は『お猿のかごや』に縁のある土地に滞在中らしく、もう人を恐れもせず泰然としているとの事だった。

 天下御免の流離旅さすらいたびの先に、天竺てんじくはあるのだろうか。兎にも角にも、達者で何よりだ。


 それはさておき、〈丹下猿膳〉再び現るの報を受け、急遽この文章を書く気になってしまい、うっかり『カクヨムコンテスト10【短編】エッセイ・ノンフィクション短編部門』に投稿してしまった次第。

「実は僕、奴とは知らない仲じゃないんだよねぇ」

 そう言いたかっただけである。

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