墓参りと鯨

夏秋郁仁

帰路

 もう秋だねと、そんな話をしていた。

 台風が夏を連れ去り涼しい夜が続いて久しい。散歩が趣味の鯨は先日金木犀を嗅いだそうだ。コンビニやスーパーでみかけるお菓子もすっかり秋色になっている。

 新商品に弱い鯨が買うかどうか葛藤している様子を見ていたら、ふとあの人も秋が好きだったことを思い出した。


 そういう訳で墓参りをすることにした。住んでいるアパートからは遠いため小旅行になる。

 出る前の日の夜に伝えると、鯨は急に言うなと大変抗議の声を上げた。そしてついていくと言って聞かない。夜中まで説得を重ねたが結局根負けし、二人で行くことになった。

 それでも諦めきれず電車を途中で乗り換えるしバスにも乗ることになる田舎へ向かう、と道のりの大変さを鯨に言うと、ならのんびりできるねと楽しそうに準備をするだけだった。


 電車を待つ間、ずっとソワソワしている鯨が面白かった。話を聞くに、こうして電車で旅行をするのは初めてらしい。実は楽しみで眠れていないだと耳元で告白してくれた鯨を撫でる。ひやりとした感触がつたわった。

 そんな調子だったから、電車の中で鯨は寝た。肩に乗っている重みが心地いい。同じ車両に人がいなかったため、道中に買ったサンドイッチを摘んだ。鯨はこんこんと眠り続けている。


 電車を乗り換えるタイミングになっても鯨が起きなかった。しかし私では鯨を運べそうにないので、申し訳ないと思いつつ声をかける。寝ぼけているのかここはどこだと混乱する鯨が可愛らしかった。次の電車でもほぼ人はおらず、鯨のお喋りを聞きながらひたすらぼうっとしていた。


 そうして、そうして、そうして。公共交通機関を乗り継いで片道二時間。

 目の前には愛しい人が眠る、物言わぬ墓石がある。

「命日なの、今日。忘れてた」

 私はそうぽつりと言って、借りた道具で片付けを始める。鯨はぼんやりと墓石を眺めていた。

「あの人もね、秋が好きなの。新商品のお菓子を一人でずっと悩んでた」

 ――栗とさつまいもどっちがいいかな。

 ――どっちでもいいわよ、そんなの。

 私は彼と反対にあまり甘い物に興味が無くて、いつもおざなりな返事をしていた。

「鯨と同じね」

「……俺」

「うん?」

「あなたの邪魔ですか」

「え?」

 振り向けば、鯨は静かに泣いていた。鯨の瞳から透明な水の粒が落ちる。とめどなくほろほろと。無垢で美しいそれを、私はぼんやりと眺めていた。

 ――出会った時と、逆だ。

 あの時は私の方が泣いていて、鯨が私を見ていた。もっとも、私が泣いていたのは夫を亡くしたことよる悲しみからで、鯨が私に話しかけたのはきっと同情によるものだったけれど。


 くじら、と呼びかけた声が柔らかく溶ける。彼の嗚咽だけが響く墓場で、わたしは笑った。

「私はあなたがいて良かったよ。あのままだったらきっと、身を投げていたから」

 愛する人の喪失にあの時の私は耐えられなかった。だから鯨を拾ってしまった。私はずるい人間だった。こうして綺麗な涙を落とす鯨を、寂しいからと縛り付けているのだから。

「あなたが一緒に暮らしてくれるから、私はこうして笑ってられるの」

「……俺は、あなたが笑ってくれれば、それでいいんです」

 いつもの言葉に私は微笑んで手を伸ばす。

「帰ろうか、鯨。私たちの家に」

「……はい」

 鯨は思いの外大きな手でわたしの右手を握りこんだ。迷子のように頼りない顔で、赤子のように力強く。

「大学、休んで大丈夫なの?」

「別に一日くらいいいです。あなたといる方が大事だから」

「かわいいこと言うね」

「本当のことですから」

 そうしてダラダラ喋りながら私は秋色の帰路につく。鯨と二人、歩きながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墓参りと鯨 夏秋郁仁 @natuaki01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ