序叙『存在の意味究明の實践に基づく實存的解説及び予備的基礎分析』
「眞兮(まことや)、これを見ろ。信樂(しがらき)だ」
梱包を解くと緋色と灰色との茶陶が現われた。
爛れたような面には、火ぶくれ、ふりもの、ひっつき、火割れ、石はぜ、灰被り、こげ、と火の做す信樂陶の特徴で零れんばかりあふれ返っている。窯炎が粗くうねり固まったかのように見えた。信樂に人爲はない。すべて窯変の自然が做す技である。
手に取ってみた。
釉薬のない、緋を帯びた明るい灰色を閲する。古来良質で知られた信樂の土に相違ない。腰や胴を指の腹で撫でる。珪石や石英の粒が入り混じって木ぐされを噛み、松薪の滾り降らせた灰を被って膚は畸形の妙に富む。延宝六年(一六七八年)の文献に穴窯を以てされたとの記録があるも合点の逝く景色である。江戸時代、高名な産地でかように原始的な窯を使用するなどまずなかったのではないか。無論、本品はもっと最近のものではあるが。
眺めるほどに此れの緋は切なく感じられた。
いつしか祖父の存在も薄れ、思いに耽る。遠き夢想に引き込まれた。小生は初めて幼稚園に行ったときのことを憶えている。外に独りで出られず、家に籠っていた子であった爲、園友らは会ったことのない者らばかりであった。孤立し、顕わに晒された状態の小生には、彼らのふざけたりはしゃいだりする普通の態度が見かけとはまったく無関係に、異物として迫った。乱暴されたように感じ、心傷附けられた。疎外感を味わい、怖くて、泣き喚いたものである。
小生には人間のエゴが怖かった。剥き出しの敵意となって映えていたのだ。わずかであっても嗅ぎ出し、踏み躙られるような気がしていた。自身にエゴがなかったと言うつもりはない。他人のそれが赦せなかったのである。人の眼を見ることを畏怖していた。そこに欺瞞と自己肯定しか観ぜられなかった。他人に悪感情を抱いていることへの後ろめたさの爲でもあった。
幼稚園時代の二年間、終に口を利くことはなかった。通い続けられたのは保守的な、規則への遵守を性分とする性癖の爲であり、父母にわるいからと云う自責の感情、つまりは自己憐憫的な諦観であり、矢面に立つことを拒む小心、悲観主義的な甘えのせいである。
高校を卒業してからは、しばらくの間、本屋廻りを目的として、龍呑村の駅から二つ目を降りた薙久蓑(なぎくさ)の町をうろついていた。そのころの小生はと言えば自意識の強い年頃であったから、自分は既に一端だと強いて思い込もうと虚勢していた。書籍の代金を払う際に緊張して店員の顔が見られなかった癖に、である。
その日も古本屋で買った『無門関』をすぐに読みたく、喫茶店に入ったはよいが、強張る顔が恥ずかしく、気取った表情を做すも、坐って組んだ脚が痙攣し、卓脚を蹴るに及んで発注する喉がしわがれてしまい、給仕された珈琲茶碗の耳に廻す指が震えて波させる始末。動揺し切っていたにはもう一つの理由があった。
小生が着席した後に向かいのテーブルに坐ったのが女性だったせいだ。それで症状に拍車がかかってしまった。腕を動かすにも棒を振り回すような感じであったし、鼻息さえ気になって、頬を緩めようにもぎこちなく、平衡感覚が失われたかのように手をどこに運び、足をいずれに置けばよいのかわからなくなる。だがじきに過剰な意識は霧のように失せた。それもまたすらりと背の高いその女性のせいである。
顎が滑らかに尖り、鼻筋高く鼻腔が縦長、瞼の重(え)が薔薇の花びらを做すように睿らかに眼の上部を縁取り、独特のまどろみを持った薄い茶色の眸、顔の全体が華やかな造りで、晰らかな輪郭を浮き彫りにし、膚の風合のせいか、水墨のたらし込みの技法を施したかのようなまろみがあり、それが見る者を蕩かすような雰囲気を芳馨させていた。
睜(みひら)かれているような眼差しの、大きな双眸がゆっくりと動く。それが繊細な儚さを帯び、見る者の胸中を疼かしめる。
だが彼女を象徴するのはラテン系やインド系の人らの眼周によく見られる暈のような、眼窩の色合いであった。瞭かに化粧でなく、生クリームに溶けたチョコレートを垂らしたような色の変化を孕ませ、柔らかみの繊細さに喩も及び附かない。
小生は軽い陶酔を覚えた。
俯いて卓の寄木の意匠に目尖を投じては、上目遣いに盗み見をするの繰り返し。傾けた碗に唇をあててから既に空いていたことに気が附き、飲むふりをして戻す。距離を誤り、受け皿に音をさせる。顔が熱くなったが構ってもおられず、時折瞼を固く閉じては、その裏に焼き附けようと心がける。
彼女はメニューを見続けていた。初めてここに入ったようであった。少なくとも以前には見かけていない。小生も毎日いるわけではなかったが、彼女の仕草にそれが漂っていた。注文を終え、彼女はキャラメル色のバッグから小冊子を取り出す。小さいが、溝つき角背の上製本で、カバーはなくとも角革があり、金の型押しが純白の表紙にパレス・スクリプト体で題名を細く走らせている。小生はいよいよ酔い痴れた。その繊(かよわ)い文字に身の奥をくすぐられるように感じた。
彼女が行を追う度に上下する睫毛は貴石や金銀細工で造られた機械仕掛けの胡蝶が羽を上下させるがごとくで、またその度に眸の虹彩が雲の流れに深く翳されたり明るく燦めかせられたりする湖のようにさま変わりする。
給仕の一人が髪靡かせる十九歳くらいの男で、白シャツの痩身に長い黒前掛けをはためかせていた。
小生には、彼の目線がどうにも彼女の上に留まるようで、気にかかって仕方がなかった。
淡い嫉妬心が芽生え、薄紫色のぼかしを做して滲む。やがて招来されたかのように濛々たる暗澹が破滅の予兆を孕んで膨らみ、胸中から末端へと緩やかに伝播した。併せて思惑が図にあたったような痺れと興奮とを覚える。彼女を奪われてしまうのではないかと云う畏れや競争者への敵意、憎悪、自分が成せないことをいとも容易く成そうと欲望する同輩者への嫉みに苦しみながらも、生来の執拗な気性が立ち現われ、暴かなくてもよい傷を裂き開くかの悦びに身を震わせて小躍りした。
どう云うことかと言えば、小生の気分が或る種の残虐性を帯びるのである。人がすまし顔の裏に隠す生々しい欲や偽りや自己中心性を微細までも嗅ぎ分けて穿り出し、自ら心傷附きながらも鞭を欲す者のように解剖に熱中し、自身は犠牲者であり、虐げられた者なのだと心中で髪振り乱し、詰り訴えるのであった。嘘を吐かれ裏切られたいと待ち望むように、少しでもそのような妄想の要素を窺わせる兆候を捉えると、事實を曲げてまでもそう解釈するのである。
自虐的に自己を不憫に貶め、感傷すると云う要素もなくはないが、どちらかと言えば舐めずりしながら待ち伏せし、機会を捉えては、ねぶるように相手の不義を挙げ連ねて突きつめ愚弄する逆上的な被害妄想であった。「そら、そら、やっぱりおまえはそんな奴じゃないか。おまえは嘘を吐いた。強欲、その醜さを知れ。おまえは騙したんだ。裏切り者めが」と罵る溜飲である。誰に対するとも言いがたい、方向性のない復讐、残忍、自己の尊厳を破綻させて厭わず、なりふり構わず喚き叫ぶことであった。
まるで至誠を辱められた者にでもなったかのようにである。小粋な年少の男と優位性の強い女とが小生ら暗鬱人にはわかりかねるやり方で要領よく惹かれ合うような(この段階ではまったくの妄想であったが)情景に接すると、禁欲の誓いを立てし聖職者が心奥に宿すねじくれた歪みのような憤りが迸り出るのだ。
このような意地悪さや妬みを発する自己の根底に強い敵愾心の存在を感じた。敵愾心とは懼れから生じるものである。懼れとは自己の安立性が脅かされ、自らの存在が否定されることへの懼れであり、これに対する逆上的な抵抗反発が敵愾心だ。微弱か過剰かの程度差はあれ、どのような人にもこれが備わる。他者と云うものすべてが自己に対する抑圧者だからである。緊張を強いるものであり、ままならぬものである。どうして敵愾心や懼れを抱かずにいられようか。自制を保っていられようか。生き死にの問題にも繫がるとすれば。憎悪を孕ませて当然とも言える。
事實、小生は毛を逆立てる猫科の獣のように憎しみを滾らせていた。その若造にはもちろん、彼女の存在自体にもである。それは理不尽で狂暴で、どんな矯激も犯しかねない痴情であった。
現實世界を生きる以上、誰もが心底に潜めているものだ。思うに任せぬ他者ばかりで構築された憂世でどうしてこの憂さを溜めずにいられようか。
そうではないか。一切の存在者は他者であり、他者とは自己から乖離した、異質なる者、疎外する者の像であり、抵抗性のことであって、背く者であり、阻む者であり、原則的に我が方を否定する顕在、違和感、調停の必要性を感じさせる者、気遣いを生じさせる者だから。
所謂『意識する』とはこのことであり、緊張の表明に他ならない。
それが自分にとって何であるか、が気に懸かるのである。自己の欲望を満たしてくれるものか、自己に対する脅威であるかに関心があるのである。自在無碍なる状態を求める存在である霊長類にとっては、これだけでも既に充分な抑圧である。まして欲望を満たしてくれなかったり、脅威であったりすれば、敵愾心若しくは懼れを抱くのが生命体の普通であろう。
すなわち小生はそのとき、自己の態度をさように分析していた。
かように解剖學的な分析を嗜好するのは、幼少の頃からの性癖で、自身これをして『眞實への渇望』と呼び、美讃していた。眞理への欲求など案外こんな程度ではないか。だから思う。人が言う眞理の質を試すには、その論理的正確より、動機を検めるべきだ、と。理叡的な意爲行爲をも生物學的な見地から解析すべきなのである。
などと思索に耽りつつ、待ち続け、終に小生の希いどおりのことが起こった。給仕が来て彼女の注文した珈琲を卓上に優しく下ろす一瞬に、彼らは互いに眼を合わせた。男は去る。象徴的にも見えたが、何も起こらなかった。小生には充分であった。心が爛れ烙かれる嫉妬とともに、彼らに対し「見たぞ、ざまあみろ」が噴き上がり、雀躍自裂する。
それはバロック樣式の宮殿に整列した正装の喇叭隊が高らかに王者の到来を告げる高音のファンファーレであった。
やがて彼女は本を閉じ、BVLGARI(らしき)リスト・ウォッチを一瞥するとジャケットを翻すかの仕草で席を立った。
人々が思い思いに語らうカフェで小生は独りとなった。周囲は平坦な画面に過ぎない。音声はエコーがかかった再生音であった。違う場所で録音したものを拡声器で鳴らしているように聞こえる。
いったい、彼ら群集は何を語り合うのか。人は皆、自己肯定の爲に人の行爲を否み憎しみ、論説や作品に賛意を示したり稱讃したり、失恋した友に同情したり、不幸な人を憫れんだり、正義を唱えて批判したり、虐殺される人々に無関心だったりしているのである。そこに何を期待できるのか。
我々は自己と云う体験の、球体の中に隔絶されている。
いったい、人は人に何を期待するのか。
だがそれなしで生きて行くことなど、考えられない。愚かな、まことに愚かな無爲だとしか思えなくともである。
翌日もまた、電車に乗り、薙久蓑駅を降りていた。
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