悪戯心にご用心

@so_fujiwara_so

第1話「出会い」

 顧客からの依頼という訳ではないが、かつてこの平穏な事務所の中に変わった出来事を持ち込んでしまったことがあった。表向きの職場に曰く付きの呪物が居座るようになったことについて、不比等からは私の落ち度だと未だに説教を受ける原因の一つになっているが、滅多に経験できない事象と思われるため密かにここに記しておく。


 初めに、例年ある時期になると事務所に大量に届く、贈答品の山について説明しなければならない。

 今のような仕事(ここでは昼間の法務相談も勿論だが、私や不比等が従事する人外が絡む相談依頼のことも指す)をしていると、一度懇意になった客からは感謝の意とともに、お中元やお歳暮という名称で定期的に贈答品が送られてくる。それらはかつて我々が先方の不安要素を(少なくとも一旦は)解決してみせたことの証明であり、純粋な謝礼としての意味だけでなく、有事の際の引き留め料的な意味合いも含まれているのはご愛嬌である。

 事務所を始めて間もない頃は、そんなクライアントからの謝意や好意に対し一つ一つ返礼品や手紙を返していたのだが、最近では仕事の量に比例するように、贈答品の数も山のように増えてしまった。結果、いつしか贈答主の個人情報や返礼先の住所等は事務所の所員により事務的に管理されるようになり、時期になると一律に簡単に絵葉書にて礼を出すに留まるようになった。

 そうして私はどの品が誰から送られたものであるか。はたまたその依頼主が我々に対し、どんな経緯や理由から時世の挨拶を行うようになったのかについて、ある時から然程気にしなくなっていたように思う。


 時として贈り物とは害意や悪戯心によってもなされるものであることを、この事件以降私は気に留め置くことになるのである。



 ***



 一見風変わりなその箱を私が見つけたのは、梅雨の名残の雫が木々を濡らす、半夏生の頃の昼下がりであった。

 丁度その直前、私は朝から鳴り止まない電話に仕事を断念し、一息つこうと一人エスプレッソを煎れていた。事務所の給湯場は朝夕、私と不比等がキッチンとしても利用していることから十分な広さがあり、アラべスカートの調理台には昼食で使うであろう色とりどりの野菜や調味料が並んでいた。部屋の中央に位置する長テーブルは優に十人以上が囲んで食事を取れる大きさがあり、マホガニーの艶掛かった天板に日光が当たり白んで見える。その上には所員が仕入れている風変わりな観葉植物が鎮座し、天窓からの日差しを受け嬉しそうに葉を伸ばしていた。どう見ても日本固有の植物ではない見た目をしているそれは、幹の節々に触れたら確実に怪我をするであろう、長く鋭い棘が無数に伸びていて、そのくせ小振りで丸みを帯びた葉が無数に繁茂する様子は、軸部の刺々しさと不釣り合いで妙なギャップと可愛いらしさに満ちていた。さながら我が主人のような所があるかも知れないな、などとぼんやり考えていたことを今でも覚えている。

 テーブルの隅に視線を移せば、今年も顧客からのお中元やら仲介業者からの寄贈品が所狭しと重ねられ、所員もその全てを片付け切れてはいないらしかった。その日はまだ冷房の電源を入れておらず、部屋には湿気を帯びた重苦しい熱が篭っていた。元来エアコンから出る冷風を嫌う所員が多い(不比等がその際たる人物である)ことから、事務所では真夏の来客のある時間帯以外は、自然風と天井付けのファンによって涼を取っている。少しでも風のある日であれば、四面に長窓が付いた執務室はなかなか風通しが良い間取りをしているのだが、この日は殆ど無風の上に湿気が極めて高く、梅雨の合間に急な真夏日が到来したと、テレビ越しの天気予報士も暑さ対策の重要性をしきりに訴えていた気がする。

 シャツのみでなくジレとタイ、そしてカフスを欠かさないのは表の職種のTPOを弁えたつもりだが、人並みに暑い寒いを感じ取れる身体機能が備わっているのがもどかしい。じっとりと吹き出す汗を拭いながら、冷蔵庫の中でガラス皿に取り分けられた水羊羹を取り出し口の中に放り込む。ひんやりとした喉越しに一時の清涼感を覚えるも、すぐにその感覚は胃の奥底へと消え去ってしまい、癖で温い珈琲に口を付けたことを後悔した。

 この日の私は、そんな肌にまとわりつく暑さと湿気から、恐らく頭が上手く回らなかったのだと思う。だからこの日この瞬間に己が取った思慮に欠けた行動について先に弁明しておかねばならない。

 執務室に戻ろうかと、丁度時計の針を見遣った後のこと。室内を見渡すと、視界の片隅にある一つの包装箱が目に入った。その箱は送り主の整理が済んだ側の、他よりも整然と積まれた山の一番上に鎮座していた。黒い包装紙に包まれた姿は一際目立っており、積まれた場所から推察するに、他の贈答品と同じくお中元か何かではあるらしい。薄紅の花柄だったり、大手百貨店のアイコン的包装紙を纏う他の箱と掛け離れた、如何にも異質な見た目。無地で漆黒の六面体はそれだけでも忘れられなくなるほど目立つというのに、今の今まで気付かなかったのが不思議なくらい、あまりに忽然とそこに存在していた。

 人様に物を贈るのに、真黒の包装紙とは如何にも物騒ではないか。そういう理由だけではないにしろ、私が知的好奇心に勝てないのは、あの物好きな主人に似た魂の性によるのだろう。整形な形をしたその箱の中に、果たしてどんな奇怪な贈り物が隠れているのか。私の興味を強く掻き立てたのである。

 マグカップをカウンターに置くと、私は早速その黒い箱を手元に引き寄せた。ずっしりとした重みから推察するに、どうやら中身はタオルや乾物といった類ではなさそうだ。艶のない黒い包装紙を剥がして中の箱自体を取り出せば、中から出てきた外箱はやはり漆黒の艶のない素材でできており、さながらバースデーケーキのように上蓋を真上に引き上げ開封する仕組みになっていた。

 躊躇せずに上蓋を引き上げれば、中から出て来たのは包み紙で丁寧に包装された、陶器製の黒猫の置物であった。爛々と輝く青い瞳は希少な宝石か何かできているようで、それと目が合ったと思った瞬間、一瞬その黒猫が声を上げたかのような幻覚に襲われ事務所内を見渡す。

 キッチンのある二階は事務所員の執務室の中心に位置し(私を含め、所属の弁護士達の執務室は三階に並んでいる。)、書棚の奥には筆のように括られた、桜伊の後ろ髪が書類の山の奥でぴょこぴょこと動いているのが確認できる。他の皆も各々の仕事に集中しているようで、動物の鳴き声などに気付いたような様子は微塵も見えなかった。

 さては幻覚だったかと気を取り直し、今度は黒猫の置物を両手で目線の高さにまで持ち上げてみる。まじまじと眺めれば、それはスレンダーな肢体に青い目を持ったシャム猫を模した置物で、手にすると見た目より随分な重量を感じさせた。傷一つない漆黒の表皮は漆塗りの漆器のように滑らかで光沢があり、今の今まで窓からの日射に晒されていたためだろうか。触れた際に人肌のような熱を孕んでいるような妙な錯覚を覚えた。

 元々、私は猫が特段好きなわけでもなければ、特定のモチーフを部屋に飾るような癖もないというのに、私はこの時どうしたことか、手にした黒猫の置物を寝室の棚に飾っても良いかもしれない、などとぼんやりと考えていたのであった。

 こうした貰い物は、整頓さえ終われば職員が各々持ち帰って良いことにしていたため、結局この置物についても特に他の所員を気にすることはせず、仕事終わりに自室に持っていくことにした。

 その際、この贈答品の送り主をもっとよく確認しておけば何かの役に立ったのかもしれないが、今となっては後の祭りであることも付け加えておく。



>>第2話に続く。

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