策士

藤宮一輝

第1話

「好きな人ができたの。」


好きな人からそう言われた。ちくり、と胸の奥が痛んだ気がした。


「へぇ。」


ドラゴンハンター2をプレイする手を止めずに、あえて興味のないふりをした。そうしないと、このガラスのような心を守れないような気がした。


「あれ、反応が薄いな。」彼女はしばらく前から手を止めて、様子をうかがっていたようだった。


「生きてればできるものでしょ、好きな人の一人や二人くらい。」


だから、こんな風に儚く砕け散るのも、同じくらいありきたりな事なのだろう。


「ところで、その好きな人って僕だったりする?」


「一応聞くけど、なんでそう思ったの?」彼女はため息交じりに聞いてきた。


「だってほら、こうして二人きりで話してるわけだし。なんならもう付き合ってるようなもんでしょ、僕ら。」


現に、この狭い部室には僕と彼女の二人しかいなかった。であれば、まだ望みは残っているかもしれないと思った。


「またそうやってからかって。」


彼女は長い髪をいじった。それを見て、彼女が少し困っているのだとわかった。同時に、望みは絶えているようにも感じた。


「第一、あんたは彼女いるでしょ?先週末もデートに行ったって、惚気てたじゃない。」


「そうだったっけ。」


彼女と出会って間もない頃、「彼女はいるの?」と聞かれた時に、見栄を張って「まあね。」と答えた。もちろんそんなのは些細な嘘、ジョークだった。ただ、そのジョークを訂正できないまま、今日という日に至った。


「で、僕じゃないとしたら誰なの?」


過去の自分を呪いながら、今度はその呪いを他人に向けようと試みた。


「教えるわけないじゃん。」


「なんで?」


「なんでって、あれだよ。言いふらすものでもないでしょ、そういうのって。」


はぐらかされているようで、なんとも釈然としなかった。


「じゃあ、どこを好きになったの?」


終いには、さして興味もない、むしろ聞きたくもない質問をすることしかできなくなった。


「どこって言われると具体的には言えないんだけど。」彼女は少し考えた。


「他の人とは違うっていうか、特別な感じがするっていうか。」


「随分あいまいだな。」そう嘲笑おうとして、ふと考えた。では僕は、彼女のどこが好きなのだろう。彼女の方を見た。整ってはいるが美人とまではいわないであろう容姿。外面は適度に猫を被って、内面ではより一層殻に籠っているような性格。ドラゴンハンターという共通の趣味。そのどれ一つをとっても、いっそすべてを合わせたとしても、彼女という人間を定義するには不十分な気がした。不十分な定義を好きなところとして挙げるのは不適切だとも思った。


では、僕は彼女が好きではないのだろうか。しかし僕には、彼女のことが好きであるという確信だけがあった。根拠のない感情と向き合うのは、全く合理的ではない。麻雀で負けが込んでいるときの手牌を眺めているようで、気分が悪かった。


「急に黙んないでよ。これでも真剣に相談してるんだから。」


「真剣に?」思わず聞き返した。「冷やかす以外にできることがあるとは思えないけどな。」


先程から彼女は、髪を指に巻きつけては解いてを繰り返していた。


「だって、今の彼女とは結構長いんでしょ?」


「まあね。」


高校生から付き合ってると話した気がするから、そもそも付き合ってもいないことを除けば、長いともいえる。


「ほら、彼女をどんなふうに見てるかとか、参考にしたいなって。」


なるほど確かに、男性側が彼女をどのように見ているか、という話は、彼女にとって興味深くはあるだろう。しかし肝心の彼女が存在しない以上、やはり僕にできることは冷やかすくらいだった。


今からでも、本当は彼女なんていないことを正直に話そうか。


もし正直に話したら、彼女はどんな反応をするだろう。嘘をつき続けていた僕に幻滅して、もう二度とこうして話すこともできなくなるかもしれない。


彼女の性格からして、そんなことは起こりそうもなかった。だが、万に一つでも起こってほしくないことでもあった。どんな形であれ、僕は彼女と話すのが好きだ。その時間が失われる可能性があることをやりたくはなかった。


何より、彼女の目は期待に満ちていた。その期待を無下にすることはできないと思った。それがたとえ、彼女の恋路を手伝うという、考え得る最悪の期待だったとしても。


僕は大袈裟にため息をついた。


「それで、僕に何をしろと?」


「そうこなくっちゃ。」彼女はわざとらしく手を合わせた。


「手始めに、明日あたりから作戦会議を始めよっか。休み時間と放課後は空けといてね。」


「バイトがない日で頼むよ。」


「わかってるって。」そう言って、彼女は荷物を掴んだ。「私は今日だから、また明日。」


何も言わずに手をあげて応じるに留めた。彼女が部室を出て行ってしばらくしてから、ドラゴンハンター2をセーブした。


「バイトがない日で頼むよ、か。」先刻の言葉を繰り返した。「よく考えたら、バイトがない日に彼女が声をかけることはないんだった。」


時計を見ると午後5時を過ぎたくらいだった。少し早いが、僕もアルバイトに向かうことにした。

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