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 ◇ ◇ ◇




 商店街を出ても外はやはり雨だった。ただ日は落ちかけているのだろうか。曇天の空にはうっすらとかげりが出ている。紗は再び赤い傘を差すと、まるで決められた場所にでも行くかのような足取りで歩みを進めた。傘の柄の部分に学生鞄を引っかけて、両手で包みを抱えるように持つ。それはさも大事そうに。


 紗が向かう先はなんとなくわかっていたが、やはりだった。ある道を横に折れて住宅街に入ると見覚えのある景色が見えてきた。学校から西に位置するそこは人気がなく見通しも悪い。唯一ある電灯も今はお情け程度の灯りしか出していない。




『ここって……』




 盗み見た姫乃さんの顔はもうわかっているようだった。


 紗はあるガードレールの前でおもむろに立ち止まるとしゃがみ込み、そして手の中の包みを広げて静かに置いた。大事そうに持っていた包みの中から出てきたのはだった。一本の枝にいくつものハートの花を連ねた綺麗な花。


 そう、店内を覗いた俺が見たのは“造花専門店”の文字だったのだ。きっと紗は前もってそこで姫乃さんが好きな花を予約していた。そうでもなければあんなにも早く店から出て来ることはないのだから。




『……あそこで私は死んだの』




 誰に言うでもなく姫乃さんは呟いた。

 紗が造花を置くガードレールは俺が事故で頭を打ったのと同じところだった。道路中央をセンターラインで割っただけの歩道がない狭い道。丁字路の一角に立つカーブミラーも、あの日から何も変わっていなかった。


「……」


 俺はあの日以来、ここには来ていない。

 姫乃さんがいると思うと、どうにも来れなかったのだ。


 紗は造花をカードレール横に立たせると何か独り言のようなことを言って目を閉じた。何を言ったかはわからないが、口元は微かに「おねえちゃん」と言ったように見えた。そうして紗はそれだけを済ますとどこかへ歩いて行った。


『……』


 立て掛けられた造花を見に行く姫乃さん。


 ここで造花を見に行けば間違いなく紗の尾行はできなくなる。が、もうその必要はないだろう。最近紗の様子がおかしかったのはがあったから。


 小さく息を吐く。


 初めから心配することなどなかったのだ。




「……あれ?」




 後ろの久良さんが呟いた。


 見ると久良さんは道路の真ん中で傘の下から丁字路に立つカーブミラーを見上げていた。




「あの、雉間さん……」




 その時だ。




 カーブミラー下の家の塀に車のヘッドライトが当たった。レンガ調の塀に当たる白色の楕円。そしてその横のウインカーの点滅はこちらに曲がることを事前に告知していた。

 俺はすかさず壁に背を向け、貼りつく姿勢で車が通り過ぎるのを待つ。




「見てください。って……」




 が、どういうわけか久良さんは車の接近に微動だにしない。塀に映る車のライトは色を増し、いよいよ近づいて来る。




 まさか、気付いてないのか?




 いくら何でもこれ以上は待てない。急に不安に駆りたてられた俺は久良さんの腕を強引に引っ張った。


「へ」


 腕を引かれて一瞬ばかり目を点にした久良さんだったが、それも束の間、その後すぐに曲がり角から出てきた車に事態を把握したようだった。幸いにも現れた車は注意深く、曲がり角に差し掛かると減速し、何事もなかったかのように俺らの横を通過した。


 車が去ったのを確認し、


「すみません雉間さん、気付きませんでした」


 久良さんは頭を下げた。


 まあ、頭など下げなくても大事には至らなかったのだ。それに俺が余計な真似はせずとも、きっと車は…………え?


「あの」


 俺はあることを久良さんに訊こうとした。

 が、すでに久良さんはその場を後にしていた。


 ……。


 少しだけカーブミラーを見てから造花の前でしゃがむ姫乃さんの元に行く。


「姫乃さん」


 つまらないことを言うつもりはなかった。


「商店街で紗が入った店は造花専門店でした」


 後ろから声をかけているのにも関わらず、姫乃さんは振り返らずに頷いた。正面に造花を見たまま、


『うん。みたいなの』


「あの店で紗は造花を予約していた」


『うん。そうらしい』


「…………」


 俺は姫乃さんの後姿を見ているだけで何も言えなくなった。


 もしかしたらこの時、俺には姫乃さんの気持ちが少しはわかったのかもしれない。


 例えば数ヶ月前に俺が遭った事故。あれでもし俺が死んでいたのなら、俺は自分が生きていたことを誰にも忘れてほしくないと思う。そしてそれは何年経っても俺が思い続けることで望み続けること。日に日に過ぎる時の中で自分の死が風化してなくなってしまうその時が怖くて堪らない。そしてそれはきっと姫乃さんも同じ。ずっと忘れてほしくない自分に対して、今こうして紗が来てくれたことがどれほど嬉しいことか、どれだけ喜ばしいことか。


 なんとなく俺にはそのことがわかった。


「いい妹さんじゃないですか」


『うんっ、知ってるのっ!』


 涙ぐみながら言われた。


 そして。


『雉間、あのね……』


 姫乃さんの声は夕暮れの微かな雨音にも負けそうなくらいに小さかった。


『実は私、紗を疑っていたの。何か危ないことをするんじゃないかって、紗の身に何かあるんじゃないかって……ずっと怖かった。だけど今日、何もなくて安心した。本当に良かったの。紗はね、あの頃と何も変わりなかった。だからね、雉間、あかり』


 姫乃さんは笑顔で振り返った。


『これで紗の尾行は終わりなの!』


 俺と久良さんは誰にともなく頷いた。


 そして理解する。

 柚木さんからの依頼が今、終わったのだと……。




『ん?』




 すると、ふと何かに気付いた姫乃さんが不思議と造花に手をかけた。

 そして次の瞬間、姫乃さんの顔色が青ざめる。


『雉間……』


 手中の造花を見て、姫乃さんが言う。


『違う。まだ終わってない』


「え?」


 あまりの手の平返しの発言に俺は甚だ呆れていた。


「何を言っているんですか姫乃さん。この依頼はたった今終わったばかりじゃないですか」


『違うの雉間。もしかしたら紗は……』


 らしくない、乾いた間が空く。




『自殺するかもしれない』




「そ、そんな馬鹿な! どうして!?」


「そうですよ姫ちゃん。紗ちゃんは姫ちゃんの分も生きているんですよ」


『違うの、この花を見て!』


 姫乃さんは真剣な顔で造花を突き出した。

 一本の枝にハート型の花を連ねて付けた綺麗な花だ。


『この花はね、華鬘草けまんそうっていうの。普通に見たら綺麗かもしれないけど、わざわざ造花にしてまで持ってくるような花じゃない』


「え」


 俺はてっきり、それが姫乃さんの好きな花だとばかり思っていた。

 けど、そうじゃないならそれは……。


 はっとして久良さんが言う。


! 姫ちゃん、その花の花言葉はなんですか!」


 わざわざ造花にするくらいだ。生前の姫乃さんの好きな花でないなら答えは一つ。その花でしか意味をなさないこと、花言葉だ。


「姫乃さん、花言葉は!」


 まくし立てるようにして言った俺と久良さんに、姫乃さんは静かに答えた。




『あなたについていく』

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