6

 ◇ ◇ ◇




「あ、雉間さん。お帰りなさい」


 探偵局に戻ると久良さんに出迎えられた。


 久良さんは俺と姫乃さんの顔を一見して、今回の謎が解けたことを言わずとも理解してくれた。

 俺が席に着くと同時に姫乃さんも少し離れた机に腰をかける。


 さて。

 聞かされた推理が飛ばぬうち、俺はっていた言葉を言う。


「京、このハガキがどうやって届けられたかわかったよ」


「え?」


 京は驚きの表情で俺を見た。


 久良さんが話を合わせてくれる。

「それは本当ですか雉間さん」


「はい。ではまず、伯父からのハガキの前になぜ伯父が雛人形を持っていなかったかを話します」


「ふふ。それは先ほど雉間さんが言ったよう、伯父さんが男性だからじゃないんですか?」


 あー、そんなことも言ったような……。


 今更、言葉を撤回させるのもみっともないけど、

「それは違う。第一それならどうして京の伯父は五月人形も持っていなかったのでしょう?」


「それは」

 久良さんは一瞬こそ言葉を詰まらせたが返答はした。


「きっと五月人形は高くて買えなかったんですよ」


 姫乃さんが俺を見る。わかってる。その時の返しはこうだ。


「いや、それは違う」


 首を横に振り、俺は真っ向から否定する。


「アルバムで見た伯父の家で撮られた写真には、いかにも高そうなクリスマスツリーや大きな鯉のぼりまであった。そうまでして行事ごとを楽しんでいた伯父が金銭的な理由から五月人形だけは買えなかったなんてどうも考えにくい。それに写真を見る限り、伯父の家には大きな七夕用の竹まであったんだ。片付ける場所にも困りはしなかったはず。つまりこれらのことから考えるに伯父が五月人形や雛人形を持っていなかった理由はただ一つ。それは……」


 一拍置く。



 ……。


 一瞬、場が静まり返った。

 京は目をぱちくりとさせ、久良さんは眉根を寄せ、姫乃さんは小さく頷いた。

 久良さんが言う。


「あの、人形恐怖症ってなんですか?」


「人形や人の形の造形物に恐怖する心理的な症状。京の伯父はこの人形恐怖症だったんだ」


「なるほど。で、どうですか京ちゃん?」


 久良さんの言葉に京は一度空中を見て、ほどなく答えた。


「あ、はい。確かにそう言われれば伯父の家で人形を見たことはありませんでしたし、雉間くんの言うよう伯父は人形恐怖症だったのかもしれません」


 よし。話を続ける。


「次に伯父が姉妹ゲンカを止めなかった理由だけど……」


「ああっ!」

 思わずと言ったように京が声を上げた。


「そうですよ雉間くん! スマイル君です! あの日、私たち姉妹はスマイル君を取り合っていたんです。スマイル君の正体は日本人形に化けている犬の妖精です! だから人形恐怖症だった伯父はスマイル君を見て近づけなかった。だから伯父は……」


 京はなんとも言えない顔になった。


「怒っていたわけじゃ、なかったのですね……」


 が、京の顔は悲しいばかりではなくどこか自嘲染みていた。まるで自分の間違いを笑うような感じで。


 さて。


 一度咳を払う。話はここからが重要なんだ。

 俺は例のハガキを机に出した。


「京、このハガキの差出人は?」


「それは……私の伯父です」


「いや、伯父は妹の誕生日の二週間前には亡くなっている」


「……」


「配達日指定をしても届けられるのは先十日後まで。じゃあ、このハガキを書いたのは伯父の幽霊なのか? それも違う。いいか京」


 俺は口調強く、はっきりと言った。




「このハガキの差出人は




「……!」


 京は絶句した。

 自分が一体何を言われているのかわからない。そんな風だった。


 京に代わって、久良さんが言う。

「根拠はなんでしょう?」


「ハガキのイラスト、スマイル君です。このスマイル君はさっき京が言ったようモチーフは人形。だから人形恐怖症だった京の伯父にはスマイル君の絵は描けなかったはずなんです」


 俺の言い切りに久良さんは頷いた。それは明らかに、心ならずも。

 しかし、やはりと言うべきか京はそれを納得にはしなかった。


 違うとばかりに食い下がる。


「いえ、そんなはずありません! 確かに伯父の家には人形がありませんでしたし、記憶をさかのぼっても伯父が人形の類いを手にしているところを見たことは一度もありませんでした。だから人形恐怖症だったのかもしれません。

 ですが、それでも伯父はスマイル君なら描けたかもしれません。物としての人形を見ることができなかった伯父でも、絵で見てそれを模写したなら描けたと思います。

 それに、伯父と父は親友なんですよ。一度くらいは父の会社で作られたスマイル君を見ているはず。記憶にあるのを思い出してなら多分伯父にも描けたと思うんです。だから伯父がスマイル君を描けないなんて私には考えられません!」


「雉間さん……」


 確かに京の見解はもっともだ。現に伯父は少なくとも姉妹ゲンカの際に一度はスマイル君を見ている。


 だけど……。

 俺は静かに言う。


「根拠はもう一つある。確かに京が言うよう伯父にはスマイル君が描けたかもしれない。だけどこの写真を見ればすぐにわかるんだ。そのハガキの差出人が伯父じゃないってことは」


 俺はアルバムを開いて、ある写真を見せた。


「これは……」

 久良さんが言う。


「伯父さんの家で撮られたハロウィンの写真でしょうか?」


「そう。この写真の“やきそば”の字。写真に写る平仮名の“そ”の字は二画ですが、


「!」

 京は目を丸くした。


「二画で書かれた“そ”は旧字。昔の学校教育でこそ教えていたらしいけど、今じゃ二画で“そ”を教えることはまずない。さっき見たけど京の妹の空も“そ”は伯父と同じ二画の方で書いていた。今では教えられていない二画の方で“そ”を妹の空が使っているのは京の母親が……いや、もっと言えば書道家である京の祖母が伯父と母親に二画で“そ”を教えていたからなんだ」


 そう。あの時この写真を見て久良さんが見せた微妙な反応は、二画で書かれた“そ”の字が認識できなかったから。


 そこまで言った時、写真とハガキを交互に見ていた京の顔が青ざめていった。


「ほ、ほんとうです雉間くん。このハガキの字、伯父の字じゃないです。伯父の“そ”と違います。雉間くん、それじゃあこのハガキは誰から……」


「それは……」



 正面から見る京に、俺は真実を言う。




「京の父親だ」




 …………。


 途端に辺り一帯には沈黙が下りた。


 放課後の探偵局を無音が支配する。


 深めに被ったベレー帽の下、瞳を大きくさせた京の口は上下にこそ動いていたが声なんてものは出てこなかった。

 ただずっと何かを言おうとしていた。


 そしてやっとのことで沈黙を破ったのは京ではなく久良さんだった。


「ちょ、ちょっと待ってください姫ちゃ……あ、雉間さん! 京ちゃんのお父さんは今もまだ行方不明なんですよ。そんな京ちゃんのお父さんがどうして出てくるんですか」


「生きていたんだ、本当は」


 俺はそれだけを口にして、先ほどの姫乃さんを真似て今回の出来事を説明した。


「事の発端は京の父親が知り合いの借金を肩代わりしたことから始まる。借金を抱えた京の父親は考えた。妻と娘に迷惑をかけずに借金を返す方法を。そして、ある手段を思いつく。それこそが登山での死と保険への加入だった。山登りという口実のもと山の中での死亡が確認されれば事故死を疑う。そうして自分の命と引き換えに借金を返済させる……。当初はそんな考えだったんだろう」


「……」


「だが父親には妻や娘を置いて先立つことができなかった。そこで京の父親は自分の親、つまりは京の父方の祖父母のもとに身を隠すことで、自分を行方不明と偽り七年後の失踪宣告を待つことにしたんだ。これこそが父方の祖父母と疎遠になった真の理由だろう。で、それから十ヶ月後に妹の空が産まれるわけだけど……、この時にはすでに父親は空のことを知っていたんじゃないかな」


「いや、雉間さん。“知っていた”って京ちゃんのお父さんは疎遠になった祖父母の家に居たんですよね。それなのに知っていたって変ですよ」


「別に普通です、京の母親が父親と連絡を取っていたとすれば。考えてもみてください。自身の父親と兄の葬儀と夫の葬儀での対応、そして子ども想いで優しい夫を亡くして悲しみもしない妻がいるでしょうか。その答えこそ、夫の安否を知っていたからなんです」


「で、でもですよ雉間さん。それでも仮に京ちゃんのお父さんが空ちゃんのことを知っていたとして、それならどうしてお父さんは京ちゃんにはハガキを送らなかったんですか? 空ちゃんの誕生日には送るのに」


 確かに久良さんの問いはもっともだ。が、もちろんそのことについても姫乃さんの推理には答えがある。


 俺はその問いに、俯く京を見て答えた。



 京の顔が上がる。


 俺は先ほど姫乃さんから預かった、京が書いたなぞなぞの紙をポケットから取り出した。


「京は父親から平仮名を学んだ。そんな京に父親がハガキを送ればいくら伯父の名前を使っていても字で勘付かれないとは限らない。現にハガキに書かれた平仮名の“そ”の字も、この紙に京が書いた平仮名の“そ”も、どちらも同じ一画の“そ”。これ自体は何も珍しくはないが、ひょっとしたら他の字で京だけがわかる父親の字があるかもしれない。仮に気付かないとしても、物心付いてから伯父の家で二年間過ごした京にはハガキの字が伯父のものでないことに気付くかもしれない。もし自分が生きていることを京が知れば京は自分に会いたがる。そうなれば後は保険金がなくなり、自分はただ家族に迷惑をかけただけ。京の父親はそんな最悪の事態が嫌だった。だから京にはハガキを送らず空にだけ送ったんだ。

 伯父の名を使って、ゴーストライターをしてまでも……」


「……」


 唾を飲む。


「だが去年、そんな注意深かった京の父親にも予期せぬ出来事が起きる。それこそが伯父の死だった。京の父親が伯父の死を知った頃には、ハガキは既に投函済みで空の手に渡っていた。おおよそ、そんなとこだろう。このハガキの真相は」


 最後にそう言って、姫乃さんから伝授された推理はお終いだ。


 言い終えた俺は京を見た。




「…………」




 京は小刻みに肩を震わしていた。

 歯は食い縛るかのように噛んでいて、そして目は確かに潤んでいた。


「で、でも……」


 何かを言う声がする。


「でもですよ、雉間さん。それならどうして……どうしてっ! 父は帰って来ないのですか。

 うちには父が残した借金だってもうないし、父が戻っても……私は嫌じゃありませんっ! それはきっと母も、妹も、そのはずっ……なのに、どうしてっ……!」


 軽い吃りの中で言われたその問いの答えもちゃんとある。


「それはきっととがめられているんだ、自分に。借金がなくなったとはいえ、女手一つで子供を育てた妻には苦労をかけた。長女には心配をかけた。次女に至っては自分の顔も知らない。そんな自分が家族に会ってもいいのか。そんな自分は家族に会わない方がいいのではないか。そうした方が家族にとっても幸せなはず……。きっとそんなことを考えているんじゃないか」


「そんなこと、ありませんっ!」


 俺の言葉に、京はむせた。


「ちちは、わたしの父は、私が……私が大好きなひとですっ。それは今も……今も私は、大好きですよぉっ!」


 ひどい嗚咽おえつの中で聞こえたその声は、まるで言葉としての体をなしていなかった。


「じゃあ……」

 絞るような声が耳に入る。


「雉間くんっ……わたしは、どうすれば……」


 おそらくはこれが京の最後の問いだろう。


 が、生憎あいにく俺はその問いに対する答えを預かっていない。視線を姫乃さんに回答を待つ。




『……………………』




 ん?



 どうした?

 姫乃さん、なんで何も言わない?


 俺の視線の先、姫乃さんは俺から目を逸らすように顔を伏せ、今はその表情すらも窺えない。


 一体何を……。




「!」




 その時、俺は気付いた。


 どうして姫乃さんがこの件を俺に推理させたのか。

 どうして俺に、いつもの役周りをさせなかったか。


 それは姫乃さんにはから。

 そして姫乃さん自身、から。


 前に姫乃さんの家に行くことを提案した時、姫乃さんは明るく断った。

 それは一度死んだ人間から“”なんて都合のいいことが言えなかったからではないのか。


 だから姫乃さんは……。


 ちくしょう。そんなこと今までおくびにすら出さなかったくせに。




 ――死んだ人の言葉なんて聞けないの。


 ――死んだ人にだって心はあるし、その心は必ず誰かが継いでくれるの。


 ――残された人は死んだ人の想いで間違った解釈があっちゃいけないの! 違う真意でとらえちゃダメなの!




『…………』




 考えていくうち俺は内心で自分がひどく苛立いらだっているのに気付かされた。もうそんなこと姫乃さんだってわかっているくせにどうして言わないのか。なんで黙っていられるのか。




 何も言わないでいる俺へのフォローに、久良さんが「あの」と進言しかけた。




 その時、


「会いたいに決まってる」





『え……』




 驚いたのは姫乃さんだった。


 俺の口からは自然と言葉が出てきていた。




「会いたいに決まってる! 死んでいようといまいとそんなの関係ない。絶対に忘れなんかもしない。何年経っても何十年経っても絶対に忘れない。家族なんだから!」




『雉間……』


「なあ京、お前だってそうだろ。父親に会いたいんだろ。京の父親は、京のことが大好きだったんだ。迷惑をかけた京の母親も、会ったことのない妹もみんなみんな大好きだったんだ。だから父親はみんなに会いたいはずだ!」


 俺は言った。

 証拠も、根拠も、何一つないことを。


 これを推理と呼ぶのなら、俺は姫乃さんになんて言われるかわからない。

 だけど俺にはなんとなくそう思えたのだ。


 それを聞いた途端、京は何かの糸が切れたかのように泣き崩れた。


 こうなるともう、話にはならなかった。


 だが俺にはもう、話なんてなかった。

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