二章 消えたベニヤ板

1

 姫乃さんに憑かれた生活にもだいぶ慣れた。そしてそれは高校生活の慣れにも近いように感じる。


「すべての謎は時間が解決する!」

 そういえば昨日の昼に見た推理ドラマで、探偵がそんなことを言っていた。


 画面を食い入るように見る姫乃さんの後ろ。俺には彼女の後頭部以外何も見えなかったが、そんなことでさえもう慣れた。常に半径十メートル以内にいるのにも、いつのまにか背後に立たれているのにも、いきなり話しかけられるのにも、その他、諸々もろもろのことにも、もう慣れた。


「すべての謎は時間が解決する!」


 そう言った探偵の顔さえ知らないが、つまりはこれが真理なのだろう。




 ◇ ◇ ◇




 雉間探偵局が設立されて早一ヶ月。


 探偵局の活動は月曜日から金曜日までの放課後、毎日ある。これは姫乃さんの『探偵は依頼者を待つものなの』の姿勢に則ったもので、今のところその姿勢が成就じょうじゅした試しは一度もない。どことなくハチ公の気持ちさえわかってくる。


 部員は幽霊部員である姫乃さんを除いて俺と久良さんの二人。久良さんは俺の憑依霊である姫乃さんをえらく気に入ってか探偵局には毎日足を運んでくれる。そして来ては窓際の席に机を並べて姫乃さんと談笑をするのが今や探偵局の日常になりつつある。


 探偵局以外でも姫乃さんは俺のスマホを使って久良さんとやり取りをしているらしく、最近では二人の案ということで机にはテーブルクロス、椅子にはクッション、仕舞いには電気ポットとティーカップを常備させるなど探偵局内を好き勝手にアレンジ。

 元々人目に付かないところではあるが、はてさていつおとがめをいただくのやら……。


『それでなんだよ、あかり! 雉間は私がお風呂に入る時間が長いって言うんだよ! それに姫乃さんは幽霊なんだからお湯じゃなくて水でいいだろーとかって言うし、信じられる? 水だよ水! 私もう信じられないの! それも一回や二回なんてもんじゃない! 毎回なの、毎回! 雉間のせいでせっかくの乙女のバスタイムが台無しなの!』


「意外と雉間さんってデリカシーないんですね」


『ほんと、そうなの! それに私が一番風呂がいいって言っても雉間は許してくれないの。まったくどうかしてるの。それにね……』


 今日は二日ぶりの探偵局。

 俺は教室中央の机で久良さんが淹れてくれた紅茶を前に大人しく読書をするのであった。窓際のいつもの席では久良さんと姫乃さんが鳩首会議きゅうしゅかいぎに励んでいる。

 鳩首だというのに嫌味なほどに聞こえてくるが、そこは議題にのぼらないのか。


『あとね、雉間は夜のお散歩も許してくれないの。あ、雉間の家はね、学校から東の方角にあってね、近くにアジサイの綺麗な公園があるの。でも、それなのにだよ! 雉間は全然連れて行ってくれないの! まったく、それもせっかくの丑三つ時なのに。ホントどうかしてるの! それにね雉間は……わぁーっ! 何それあかり、かわいいっ!』


 話の途中、何の前触れもなく姫乃さんの声色が華やいだ。いったい何事かと視線を向ければ、姫乃さんが前のめりになって見ているのは久良さんの学生鞄。遠目からではっきりとは見えないが、鞄の側部には何やら和服を着た、人のような犬のようなヘンテコなマスコットが付いている。


『わあー。手がふにふにするのぉー! かわいいーっ!』


 童心丸出しの姫乃さんの反応に、久良さんが珍しく誇らしげになる。


「いいでしょー姫ちゃん。実はこれ昨日駅前のショップで買ったんですよ」


 なんと! それは驚いた。


 だって昨日は……、


『えーっ! 昨日ってあかり、あのぁっ!?』


 そう。昨日は昼過ぎから深夜にかけてこの地域では稀にみる大雨が降ったのだ。

 学校では雨が本降りになる前に生徒を帰らせようと、放課後の部活も居残りも特別な理由がない限り一切を禁止にするという徹底ぶり。

 そのため昨日は探偵局の活動もなく、今日が二日ぶりの活動なのだ。


「はい! 昨日学校が終わった後ですぐに行きました。実はこれ限定品なんですけど、雨のおかげで人がいなくて難なくすんなり買えて本当にラッキーでしたよ」


『いいなぁー。限定品かぁー。通りでこんなにキュートなんだねぇー』

 うっとりとしながら言う姫乃さんに、


「はいー、とてもかわいんですよねぇー」

 と、こちらもうっとりして返す久良さん。


 その会話文だと「限定品=かわいい」で結びつくが、それでいいのか?


 しかしまあ、久良さんの行動力には目を見張るものがある。

 実質一人しかいない謎の部活に入部したり、大雨の中ショッピングに出かけたり、そのうちなんの躊躇ためらいもなくよそ様の家に入るのではないだろうか?

 と、俺が他人ひとの心配もそこそこに紅茶を啜ると……、またしても驚いた!


 想像以上に深みある紅茶の味が口いっぱいに広がったのだ!


 紅茶に関する知識はないが、これだけは大口を叩いてでも言える。

 間違いなく「これは美味い!」と。


 そういえば飲む前にこれはどこぞの国の高級品だと久良さんに聞かされたが……。はて、なんだったか?


 思い出せない紅茶の名前に密かに頭を捻っていると、姫乃さんの声が聞こえてきた。


『いいないいな、私も欲しいの! あ! そうだあかり。今度そのお店に連れて行ってよ』


「はい、もちろんです。ぜひ行きましょう」

『やったーっ!』


 姫乃さんは両手を挙げて喜びを素直に表現。ご満悦、かと思いきや、その表情は次第に曇り出す。


『あ、けどそれだと雉間も一緒じゃん。あかり、どうしよう……?』


「では、それなら雉間さんに頼んでみてはどうでしょう?」


 う。嫌な予感。


『えーっ! でもそれだと雉間も一緒だよー!』


「ええ、わたしは別に構いませんよ。雉間さんがご一緒でも」


『うーん。そうねぇー』

 あごに手をやり、考える素振りをする姫乃さん。


 そのすきに俺は文庫本へと視線を戻す。

 さてと、どこまで読んだか……。


『うん、そうだね訊いてみるよ。おーい、しいまー』

 早速、呼ばれてしまった。


 見れば姫乃さんは満面の笑みで招き猫よろしく手をこまねいているではないか。どうせ用件はショップのこと。何も聞かずに端からつっけんどんに断ってもよかったのだが、変に盗み聞きしていたと思われるのもしゃくだ。なのでここは素直に招かれる。


「なんですか?」


『あのね、雉間にこれからとーっても大事な話があるの』


「はあ、大事な話ですか」

 こちとら白々しくも内容がわかっているのだし、別にかしこまられても困るのだが……ん?


 その時、俺はあることに気付いた。


 今、久良さんと姫乃さんの前の机にはティーカップが二つ置いてある。片方は久良さんの前でもう片方は姫乃さんの前。そして姫乃さんの前にあるカップの中身はだいぶ少ない……。


「あの」

『ん?』


「姫乃さんって何も食べないはずでしたよね?」

『ううん、そんなことないの。食べなくてもお腹が減らないだけで食べることも飲むこともできるの』


 そう言った後で姫乃さんは俺の視線に気付いてか、

『あ、別に雉間の家の物が美味しそうじゃないから食べないとかじゃないの』

 誰もそこまで偏屈に思ってないが。


「でも姫乃さんって今のところ俺や久良さん以外の人には見えないんですよね?」


『うん』

 こくりと頷き、

『見えない』


「じゃあ姫乃さんが持っている物って普通の人には浮いて見えるんですかね?」


 成り行きでしたこの質問だったが、意外にも答えはあるようですぐに返ってきた。


『それは違うの。例えば今私がこのティーカップを持ったとすると、それは普通の人には物が“浮いた”という認識よりも、“消えた”という認識が持たれるの。物を持ち上げた瞬間から物が消えて、物から手を離した瞬時に物が現れるって具合に。もちろん私の意思で浮かせることもできるけど基本は消えるみたい』


 なるほど。つまり憑依霊はマジシャンに憑くべきということか。


「姫ちゃんそれ、すっごく素敵です!」


 横では久良さんが目をキラキラと輝かせているが、はたして本当に素敵だろうか? ジャンルで言えば間違いなくホラーだ。が、しかしそれは口にせず代わりに別のことを言う。


「じゃあ?」


『えっ!?』


 途端にギョッとしたように固まる姫乃さん。

 見ればどういうわけか久良さんも固まっている。


 二人揃ってなんの真似だ?


 気にせず言う。

「ほら、地球上の水は常に一定じゃないですか?」


『……うん』


「それなら姫乃さんが飲んだ水はどうなるんですか? その分、地球上から水が消えるとか?」


『……』


 ……。


 うーん。俯かれてしまった。


 質問の意図が伝わらなかったのだろうか。別にどうしても知りたいことでもないが場を繋いだ手前こちらも引っ込みが付かない。


 面倒だけどもう一度試みる。


「あー、えっとですね姫乃さん、つまりは……」


 俺の「つまりは」の先は久良さんの叱声が飛んだ。




「ハレンチですよ! 雉間さんっ!」




 その言葉の意味を理解するのに俺は数秒の時間を要した。


 そして理解する頃には、

「もうっ! どうしてこうも雉間さんにはデリカシーがないんですかっ!」


「いや別に俺はそういうつもりで言ったんじゃ」


 慌ててその場を取り繕うとするが時すでに遅し。姫乃さんはまるで助けを求めるかのように久良さんに抱き付き、


『うえーん。雉間がいじめるよー』


 なっ!


「いや、そんなこと言われてもいじめたつもりは」


「雉間さん! 姫ちゃん泣いちゃったじゃないですか。いいから姫ちゃんに謝ってくださいっ!」


「そんな。俺は何も」


「いいから!」


「……あの、すみませんでした」




『……』




 無言で久良さんの胸に顔を埋める姫乃さん。


 しかしややもせず、か細い声が聞こえてきた。


『……ぐすん。私ね、雉間のせいでとっても傷付いたの』


「はあ」

「傷付いたんですって!」

「すみません」


 俺の謝罪を姫乃さんはちらりと見る。


『……許してほしい?』


「え?」


『だから、私に許してほしい?』


「それは、まあ、はい」


『じゃあ雉間、私のお願いなんでも聞くよね?』


「えっと……はい」


 その途端、姫乃さんは待っていた言葉があったかのように顔を上げた。


『あのね、雉間にお願いがあるの!』


 そして笑顔で切り出してきた。


『あかりと駅前のショップに行くから雉間にも来て欲しいの。ね、いいよね!』


 あまりの手の平返しの反応に俺の思考はしばし止まる。が、その後すぐ耳に入った久良さんの忍ばせるような笑い声に一杯食わされたことを理解した。


 まったく、この二人いつ打ち合わせをしたのか……。


『で、いいよね。雉間』


 色々と愚痴りたいが今は頭の中を切り替える。

「駅前のショップか……」


 話は聞いていたものの肝心な答えは出していなかったのだ。

 ショップの場所には皆目見当がつかないけど、それは久良さんが知っていること。問題は“”という点だ。


 そこらの立ち食い蕎麦屋ならまだしもそんな女子っぽいところに行って偶然クラスメートと遭遇でもすれば、それこそ俺は人間嫌いになりかねない。人間嫌いと他人ひとと関わりたくないのとでは根本が違うのだから。そうならないためにも……。


 俺はそれとなく提案する。


「あー、ショップよりもほら、生前いた姫乃さんの家とか行きません? 何か成仏するヒントが見つかるかもしれませんよ」


「いいのいいの。別に今更行ったところで何もないから。ね、だからショップに行こっ! ねっ!」

 やけに明るく拒否される。


 うーん……まいった。

 どうやら姫乃さんは頑として駅前のショップに行くようだ。それにこの場をはぐらかそうにも、『いいよね、雉間。雉間、いいよね』と正面で倒置法を連呼されては逃げられない。


 さて、どうしたものか……。


 俺が有耶無耶な言いわけに思考を巡らせていると突然、それも勢い任せに探偵局のドアが開いた。




「やあやあやあ。ここですか雉間探偵局というのは!」




 見るとそこには一人の女子生徒。

 くりくりとした大きな目とウェーブがかった長髪が特徴の派手目の人がいた。

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