【問5】彼女はホントは犬かしら?

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【問5】彼女はホントは犬かしら?


 明けて翌日、わたしはいつもより早くに目が覚めた。

 台風の風音と風で巻き上がった雨粒の窓を叩く音が無意識にも耳に入ってきたからだ。それは決して轟音ごうおんでも耳障みみざわりな音でもなかったけど、夢の中の微かな意識でそれを気にして一度眠りから抜けてしまえば、あとは不思議なもので自然と頭がえてくる。

 時計を見て時刻を確認。


 うーん。


 起きるには少し早いけど、これを起床にしよう。


 そういえば昨日美和さんから聞いた情報では台風は今日の朝から昼過ぎにかけて心霊島を通過すると言っていた。それに台風は心霊島を直撃するわけではないが外出はお勧めしない、とも。


 そんなことを思い出しながらベッドから起き上がろうとすると、隣で幸せそうに眠っていた菘が起きてしまった。一瞬こそ申し訳なく思うけど菘の目覚めは良いらしく、一瞬だけ眠そうな顔を見せたかと思えばすぐにしゃきっとし、いつも通りに「おはようございます、結衣お姉さま」と優雅に言ってきたもんだからあまり悪くも思わない。それにしてもお嬢様って隙はないのかしら?


 ふと、なんとなくで雉間のベッドを見ると既にもぬけの殻だった。流石のあの常識ゼロ人間でも台風の中外出はしないはず。大よそ大浴場ね。


 起床して身支度を済ませたわたしと菘は、朝食の手伝いをしに食堂に向かった。


 簡単な調理くらいなら手伝う気でいたが、いざ食堂に行くと、

「雨城様と羽海様のお気持ちは嬉しいですが、どんな方でも初見で他人様の家の調理場は使いこなせません。朝食はもう少しでできますのでテーブルで待っていてください」

 と笑顔の千花さんに思う節のあることを言われて、わたしと菘は大人しくテーブル席に着いた。


 テーブルは全員が着けるほどの特大の長テーブル。ここからだと調理場の様子がよく見える。


 美和さんがグリルから鮭の切り身を取り出すと、厨房から焼き上がった鮭の、香ばしい香りが漂ってきた。


 うん。やっぱり日本人の朝食といえばこの匂いよね。


 ……。


 ……あれ?


 でも、そういえばどうしてあのとき……。


 わたしが今思ったことを菘に話そうとすると、

「やあ、おはよう」

 広瀬さんがやって来た。


 広瀬さんはわたしたちに挨拶をするなり、

「いきなりで悪いけどさ、雉間さんってどこにいるんだい?」

 と。


「はい。雉間さんでしたらおそらく大浴場にいるかと思いますが」


「そっか……」


 わずかに気分を損ねたように言う広瀬さん。

 何となく、広瀬さんが急ぎな感じなので訊いてみる。


「どうかしました?」


「いや、ね。ちょっと雉間さんに相談というか、アドバイスをもらいたかったんだ」


「アドバイスですか? よろしければ私が雉間さんにお伝えしますが」


「んー、そうだね、できれば直接話したかったんだけど実はさ」


 菘の提案に広瀬さんが声を小さくさせた、そのとき。

 

 視線を調理場に移した広瀬さんがぴたりと止まった。いったいどうしたのかと視線の先を見れば、そこでは美和さんが鮭の切り身をガスバーナーであぶっていた。ガスバーナーはカセットボンベにノズルを取り付けた簡易のもの。美和さんはそれで見事に鮭の表面を炙っていく。


 つられて見入ってしまったわたしに、「ああすると舌触りが変わるんですよ」と菘。

 へえ、お金持ちが食べる鮭の切り身にはそんな過程があるのね。


 わたしがしばしその光景を眺めていると、

「ありがとう。やっぱり大丈夫だよ」

 と言って、広瀬さんは晴れた表情で調理場の方に歩いて行った。


「広瀬さん、雉間さんに何を聞きたかったのでしょう?」


「さあ?」


 わたしたちが首を捻っていると、

「あー、すごいね、あんな風に鮭を焼くんだ」

 いつの間にか、後ろには雉間と久良さんが立っていた。


 どうやらこの二人は朝から大浴場に行っていたようで、雉間はいつものウェーブがかった髪が、久良さんは角刈りにした髪が濡れていた。


「あ、雉間さんに久良さん、おはようございます」


 律儀りちぎに挨拶をする菘に、「うん。菘ちゃんに結衣ちゃんおはよう」と雉間は爽やかに言い、久良さんはどこか疲れ切った顔で頭を下げた。挨拶を済ませると久良さんは遠くの席に着き、雉間はわたしの隣に来た。


「まさかガスバーナーで炙られるなんて、鮭たちは夢にもしなかっただろうね」


 それ以前に切り身になるのはいいのかしら?


 まあ、それはさて置き。


「朝からどこ行ってたのよ」


「あー、それは大浴場だよ。朝風呂って言うのかな?」


「朝からぁ? 誰もいなかったでしょ」


 首を振る。


「ううん。久良くんがいたよ。実は久良くんって、趣味で温泉巡りをするくらい大の温泉が好きなんだって」


わたしはつい吹き出しそうになった。まさかあの常にしかつめらしい顔の久良さんが温泉好きだなんて、あまりのイメージのかけ離れ具合に最早一周回って可愛いじゃない。

 あ、そういえば昨日、「浮蓮館には温泉がある」という美和さんの言葉に一番に反応をしたのは久良さんだったわね。ホント、人は見かけによらないのね。


 わたしが密かにほくそ笑んでいると、

「それに久良くん、美和さんや研司さんには止められたらしいんだけど、昨日の夜からずっと『英雄刀』のずの番をしてたんだって」


「ふふ、通りで久良さん、朝から疲れた顔をしているのですね」


 他人事のように微笑ましく言う菘に、雉間も他人事のように頷いた。


「みたいだね」


 わたしたち三人が話をしていると、

「もーう、コウくんあたしの髪梳かすのに時間かけ過ぎ! みんな来てるじゃん!」


「そんなこと言ったってカリンをボサボサな頭で人前に出せないだろ。アイドルなんだから」


 言い合いをしながらカリンさんと白石さん食堂にやって来た。


 カリンさんは今日もバッチリ、三つ編みをカチューシャのようにした可愛い髪型がキマっているわ。だけどまあ、今の会話を聞く限り白石さんがめかしつけたのね。


 カリンさんと白石さんが席に着き、食堂には研司さん以外の全員が揃うと、美和さんと千花さんがテーブルに朝食を並べ始めた。


「研司さんはどうしたの?」


 そう雉間が訊けば千花さんいわく、どうも研司さんは既に朝食を終え仕事中だと。なんでも社長なのに本社にいない研司さんは、午前中はいつもパソコンに届いたメールの対応で自室に缶詰状態なんだとか。そのために研司さんの朝食はいつも美和さんが先に作り部屋に運ぶらしく、今日はもう運び終えたとのこと。


 そんな説明を聞いている雉間の顔は何だか神妙に見えたけど……ま、それは気のせいよね。

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