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 昼食を食べ終えたわたしたちは能都家の家宝を見ることとなった。研司さんの話によると能都家の家宝は三つあり、そしてそれら三つの家宝はそれぞれ違うところで保管しているそうだ。家宝を別のところで保管するのは泥棒などのケースに備えた結果らしい。だけど……そもそもこの無人島に盗っ人なんて来るのだろうか?


 一階の一一二号室。位置的には大浴場に一番近い部屋。研司さんはその部屋の前で立ち止まると腰元から鍵束を取り出し、扉を開けた。


「どうぞ皆様、見てください!」


 意気揚々と両手を広げて言った先には、壁一面を占領せんりょうするほどの大きな絵があった。


 額に嵌められたその絵は和とも洋とも言い難い異様なもので、見た感じはどうも油絵のよう。使われている色の種類は極めて多く、わたしにはインクが好き勝手にダンスしているようにしか見えない。正直、この絵の作者が何を描こうとしたのか知りたいくらいだ。絵のタッチとしては近いものでピカソであり、もっと近いものでいったらわたしが幼稚園のときに描いた落書き帳に似たものがあったかもしれないって感じなのだから。

 そして、この感想は単にわたしに鑑賞眼がないからではないらしく、鑑定士である広瀬さんもそれにはただただ首を捻るだけだった。


「こちらが能都家の家宝の一つ、私の祖父が描いた『絵』です。縦二メートル、横四メートルのこの『絵』は祖父が五十歳のときに描いた物だそうでして、これといってこの絵自体に名前はなく、私らはこの絵のタイトルを『絵』として呼んでおります。何を思って描いたのかもわかりませんしね」


 淡々と『絵』の説明をする研司さんに、

「ちょっとすみません、研司さん」

 広瀬さんが申し訳なさそうに手を挙げた。


「僕の勉強不足ですみませんがこんな画風は初めて見ます。研司さんのお爺様はどのくらい有名な画家なんですか?」


 それに研司さんはとても真面目な顔で答えた。


「いえいえ、とんでもございません。祖父はただの公務員。画家ではないですよ」


「……」


 広瀬さんは納得したかのように黙った。


「ふふーん。要するにこの『絵』は、ただのガラクタなのね」


「こらこら、失礼なことを言うんじゃない」


 気遣わしげにこそこそと話すカリンさんと白石さん。

 まあでも、必ずしも家宝に価値があるとは限らないわけだし、そこまで驚くほどでもないわよね。代々続くラーメン屋さんではそのスープが家宝とも言うし、広瀬さんは過度に期待し過ぎたのよ。


「あー、ちなみにぼくが今この『絵』を盗むとして、『絵』はドア枠を通れるかな?」


 絵なんてロクに見ずに聞いた雉間に研司さんは笑った。


「いえ、それは無理です。見ての通り『絵』をドアから出そうものなら確実にドア枠に『絵』の額がつっかえます。それに扉の向かいの廊下の壁にだって当たりますし、この部屋から『絵』を出すことは不可能なのです」


 久良さんがあごを撫でる。


「……ふむ。つまりはそれが盗られない工夫というやつか」


「そうです。それにこの部屋に限っては三本目の鍵は存在せず、私と美和さんが持つ鍵束の二本だけ。窓も絵の劣化に繋がるという理由から取り付けてはいませんし絶対に盗めません。仮にもしここまでして家宝が盗まれたなら、私は文句なく家宝をお譲りするおつもりです」


 そう言って上機嫌に笑う研司さん。

 わたしは研司さんが久良さんと話をしているうちに小声で広瀬さんに質問した。


「……やっぱりあの絵って高いんですか?」


 すると同じく声を潜めて、広瀬さんは渋い顔をした。


「……まさかです。あれはただの才能のない『絵』です。無理して値段を付けようものなら、あれだけの大きな絵を処分するだけの処分料が欲しいくらいです」


 なかなかに辛口なことを言う広瀬さん。だけど鑑定士は正直が商売なのだから、それはいいことなのよね。

 続けて、ぼそっと言う。


「むしろ今床に敷いてある絨毯じゅうたんの方がよっぽど高いですよ」


「絨毯?」


 ああ、今の今まで当たり前のように踏んでいたからわからなかったけど、確かに床一面には毛足の長い絨毯が敷かれているわ。踏む度に長い毛足がクッションのように働いて、足裏に床の感触が当たらない。まるでふわふわで面白いわね。

 わたしがその場で軽く足踏みをしていると横の菘が言った。


「こちらはおいくらなんですか?」


「そうですねぇ。軽く見積もっても八千万円くらいでしょうか」


「……」


 わたしは人知れず足踏みを止めた。

 八千万って……足の踏み場もないじゃない!


「ところで広瀬さんはどうして鑑定士になろうと?」


 って、おい。そこのお嬢様! 少しは八千万円にリアクションしなさい!


「ああ、それは父の仕事が鑑定士だからです。僕、小さいときから父の鑑定業を間近で見ていたもので、何となくで物の値段とかわかっちゃうんです。父はその業界では結構有名な人らしくて、そのおかげでよく出張鑑定の付き添いとかもしましたし目が肥えているんです」


「あー、それじゃあ変なことを聞くけどさ」


 いつの間にか後ろには雉間がいた。その横には付き人のように千花さんもいる。


「招待状が届いて招待されたのってお父さんじゃなかったの? その業界では有名で出張鑑定までしてるのに」


「ええ、はい。それがどういうわけか僕だったんです」


 広瀬さんは腕を組んで、そして不思議そうな顔をした。


「それに、僕はまだ鑑定士でもないのに……」


「え? 鑑定士じゃない?」


 広瀬さんは「そうですけど」とわたしの顔を見た。


「って、あれ? 僕、言っていませんでしたっけ? 実は鑑定士って資格が必要なんですけど、僕はまだそれの修行中なんです。十八歳ですし」


「十八歳!?」


 つい捲し立てるようになる。


「十八歳って広瀬さん! それじゃあわたしたちと同い年ですよ! 菘と雉間と、あとカリンさんたちと!」


「えっ!? そうなんですか!?」


 途端に、広瀬さんの表情が柔らかなものになる。


「いやあ、僕鑑定士志望ってだけでよく年上に見られるんだけど、雨城さんたちが同い年とはまったく気付かなかったよ」


 あははー、と笑う広瀬さん。どうやら鑑定士の広瀬さんも、人の年齢を見る“目”までは持ち合わせてないようね。

 わたしたちが声を出して笑い合っていると、うずうずと何か物言いたげな千花さんが視界に入った。それを見たわたしが話を振ろうとすると、


「それでは皆様、次の家宝を紹介します」


 研司さんの声が掛かり、わたしたちは部屋を出た。

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