2

 お昼前。

 雉間に連れ添いわたしと菘は隣の部屋、一〇五号室の前に来ていた。


「ここの部屋にいるのはアイドルのカリンさんとマネージャーの白石さんよ」


 そうわたしが伝えるや否や雉間は部屋のドアノブに手をかける。


 ガッ。


 しかしドアには鍵が掛かっているようであっけなくはばかられた。


「だ、誰ですか?」


 警戒する白石さんの声。

 まあ、いきなりにドアを開けようとされたんだから当前の反応よね。

 けれども雉間はそんなことには気にも留めず、ドアノブを揺すり続ける。


 ガッ。ガッ。ガッ。ガッ。ガッ……。


 その様子はまるで檻に入れられたサルのようだ。


「だ、誰なんですかぁ!?」


 ドアノブを揺する度、中にいる白石さんの反応と警戒心がどんどん大きくなっていく。他人事ながら見ている分には面白い光景だけど、これ以上やっては白石さんに迷惑がかかる。

 わたしは雉間の奇行を止めに入った。


「あんた、何やってんのよ」


「あー、もしかしたらある手順でドアノブを揺すれば開くのかなって……」


 そう言いつつもドアノブを揺する雉間に流石のわたしも吠え付けた。


「そんな訳ないでしょっ!」


 そして怯える白石さんを気の毒に思って言う。


「あの、わたしです。雨城うじょうです、隣の部屋の」


 その瞬間雉間も「あはは、そうだよね。そんなわけないよね」とドアノブから手を放した。すると、それからややもせずに白石さんはドアを開け、不機嫌な顔でわたしをにらむ……え?


「……なんの用ですか?」


「あの、雉間さんがお二人とお話がしたいそうで来ました」


「……どうぞ」


 愛想の良い菘を見て白石さんは部屋に通してくれた。

 けど……。


「あんたのせいで、ドア揺すった犯人わたしになったじゃない!」


 わたしは後ろから雉間の後頭部を思いっ切りど突いた。


「痛いよぉ、結衣ちゃん」


「ぐちぐち言うな、この常識ゼロ人間!」


 こちとら濡れ衣よ!


 白石さんに通された一〇五号室のベッドにはまるで気力なしのカリンさんが枕に顔をうずめていた。何かしきりにもごもごと言っているもヒアリングするには不可能なレベルだ。


「あら、どうされたんですか?」


 菘が視線をカリンさんにして訊くと、

「ああ。いや、気にしないでください。ちょっとカリン、落ち込んでいるだけですから」


 落ち込んでいる?


 そのとき――。


「うわ~ん!」


 突然カリンさんは足をバタつかせ、くぐもった声を放った。


「も~う~! 絶対におかしいと思ったのよ~! あ~た~し~は~!」


 そして持っていた枕を白石さん目掛けて乱暴に投げ付けた。悲しいことにそれはまるで暴投だが難なくキャッチする白石さん。


「おいカリンそんなに落ち込むなよ。見っともないぞ」


 その言葉にバタンと再びうつ伏せでベッドに倒れ込むカリンさん。


「だってあの能都カンパニーから招待状が来たのにそれが悪戯って……。あー、糠喜ぬかよろこびだったぁー」


 糠喜び? 能都カンパニーってそんなに有名なの?

 わたしのその疑問は言わずも白石さんが答えてくれた。


「実は能都カンパニーって芸能業界ではもの凄く有名なんです。前にうちの事務所の先輩が能都カンパニーの協力で歌を出したんですけど、先輩はそれをきっかけにあれよあれよで一流芸能人の仲間入り。今ではドラマにCMにラジオにと引っ張りだこなんです」


 ふうん。つまりはカリンさん、その千載一遇のチャンスが消えたからこんなにも落ち込んでいるのね。


「もー、せっかくのアイドルになっての初仕事だったのにぃ~」


 初仕事ってカリンさん今まで仕事なかったの? 可愛そうに……。

 わたしが憐みの目で見ているとカリンさんの怒りの矛先は白石さんに向く。

 ぎりっ、と白石さんを睨み、


「ちょっとお! さっきからあたしがこんなに悲しんでいるのにコウくんは悲しくないわけ? あたしの初仕事だったんだよっ!」


 こ、コウくん!?


「そんなの悲しいに決まってんだろ。マネージャーなんだから」


「マネージャーとしてじゃなくて! あたしはコウくんとしての意見を聞いてんの! あー、もうこれもコウくんのせいだぁ。お仕事なくなったのもっ!」


「おいおい、それは僕と関係ないだろ……」


「……」


 カリンさんの妙に近い距離間に対して、白石さんのカリンさんに対する距離は極めて事務的。一体何なの、この二人?

 わたしは意を決して、ずっと気になっていたことを訊いてみた。


「あの、お二人ってその、どういった関係なんですか? マネージャーとタレントにしては随分と仲良く見えますけど」


 その言葉に、白石さんは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「ええ、わかりますか。実は僕たち……」


 言うが早いかその反応でわたしはすぐに理解した。無意識にも口角が上がる。

 ははあん。さては大スクープよ。これってつまり……、


「実は僕たち幼馴染みなんです。幼稚園からの」


「おっ、幼馴染みぃっ?」


 思ってもいなかった返答に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。


「はい、幼馴染みです。カリンが高校卒業後はアイドルになると言って『ムーンプロダクション』に入ったものですから、慌てて僕も『ムーンプロダクション』に就職したんです。マネージャーとして」


 ムーンプロダクション――。その名前は芸能界にあまり詳しくないわたしでもわかる。ムーンプロダクションと言えばかなり大きな有名芸能事務所だ。俳優や女優、歌手にお笑い芸人と、数々の有名芸能人が所属している大手中の大手だ。


 芸能ごとに詳しい菘が言う。


「芸能事務所の就職はとても厳しいように聞きますが、白石さんよくムーンプロダクションに就職できましたね」


「はい。それはまあ、運が良かったんです」


 穏やかに言った白石さんの後ろで、カリンさんはふふうんと鼻を鳴らした。先ほどまでの落ち込みようはどこへやら。得意げに、

「あのね、実はこちらのコウくんこと白石光介こうすけは、高校の全国模試で全教科オール満点を取って一位になったことがあるのっ!」


「えーっ!?」


 わたしと菘の声がデュエットした。

 わたしは、横で聞いているのか聞いていないのかよくわからない雉間の肩を揺する。


「ねえ、ちょっと雉間聞いた!? 白石さん全国模試で一位取ったことあるんだってよ!」


「あー、うん、すごいね。それで難なくマネージャーになったんだ」


 雉間のあっさりとした言葉に、

「その通りなのよ!」

 と、これまた鼻高々にカリンさんが答えた。白石さんの自慢話をするときのカリンさんは何だかイキイキしている。


「それにしても、たくさんいるタレントの中からよくカリンさんのマネージャーに抜擢されましたよね」


 菘がそう言うと、白石さんはどこか申し訳なさそうな顔をして答えた。


「いや、それは僕が社長に無理言って頼んだんです。カリンのマネージャーをさせてもらうよう」


 へえ、やっぱり全国模試一位となると色々と融通が利くのね。


「でも、白石さんはどうして大学に行かなかったんですか? そんなに成績がよかったのに」


「それは心配だからですよ」


 横目でカリンさんを見ながら白石さんは手を焼く感じで答えた。


「このカリンが勝手なことをして、他人様に迷惑をかけないか」


 白石さんにつられてわたしも横目でカリンさんを見ると、カリンさんはベッドの上でぶり返したように声を上げていた。


「あーっ! もー! これも全部、あの呉須都とかっていう大男のせいよ! よくもあたしの乙女心を傷付けたわねっ! 見つけたらこうよっ! こうっ! こうっ!」


 カリンさんは手元の枕にパンチを打ち込んでいる。その姿は間違ってもアイドルには見えない。


 殺気立つカリンさんを見て、白石さんは呆れ顔になった。


「おい、もういいかげん落ち着けよ。冷静になって考えろよ。第一、高校を卒業して二ヶ月のひよっこに能都カンパニーから仕事なんてあるわけないだろ」


 え? 高校を卒業して二ヶ月?


 菘も気付いたのか、わたしよりも先に菘が訊いた。


「あの、白石さんとカリンさんって今おいくつですか?」


「え? 僕たちですか? 僕たちは十八歳ですけど……」


 何でもないことのように白石さんは答えたけど、思わずわたしと菘は前のめりになった。


「ええーっ! わたしも菘も、あとこいつ、雉間も同い年の十八歳ですよ!」


「ええっ、うそーっ!? そうなのー!?」


 同い年と知ってわたしたちの話は弾む。


「十八歳というと、じゃあ君たちは大学生かい?」


「はい!」


 わたしと菘は頷いた。


月和つきわ大学です!」


「すっごーい! 月和大学なんてあたしじゃとうてい……」


「あー、ところで白石くん」


 そのとき、今まで黙っていた雉間がカリンさんの話を割って入ってきた。


「研司さんから来た招待状って今持ってる?」


「え、招待状かい?」


 話の途中で口を挟まれてか、カリンさんは頬を膨らましている。


 そんな様子を知ってか知らずか白石さんは毅然と、

「招待状なら……はい」

 と、鞄の中から封筒を取り出し渡した。


「これが事務所にカリン宛で届いたんだ。中には招待状が入ってるよ」


 白石さんから封筒を受け取り、中の招待状を眺めるように見る雉間。わたしも横から手紙を覗くけど、招待状には雉間のときみたいに、『よろしければマネージャーもご一緒に』という文言があるくらいで特に変わった箇所はない。


 白石さんが話を戻す。


「それにしても二人揃って月和大学なんてすごいじゃないですか」


「いえいえ。わたしで受かったんですから、白石さんも受かりますよ。だって白石さんより頭の良い人なんていないんですから」


「いや~、実はそれがコウくんって中学の全国模試ではずっと二位だったんだよね~」


 カリンさんが茶化すような顔をした。

 悪い顔をするな、と白石さんが見ている。


「でもね、その中学の全国模試で一位だった人、高校の全国模試には出てなくってね。もしかしたら高校には行ってないんじゃないかって噂なの。ま、つまりコウくんはその人がいなくなったことでの繰り上がりの一位なのよ。ね? コウくん?」


 意地悪く、下から顔を覗くカリンさん。

 その頭を白石さんがポンと雑誌で叩いた。


「繰り上がり言うな」


「きゃっ!」


 まったく、仲がよろしいこと。


 それにしても高校の全国模試一位の白石さんより頭の良い人ってどんな人なんだろう?


「へえ、世の中にはそんな人もいるんですね」


「みたいねえ。あ、あたし、その一位だった人の名前憶えてるよ。コウくんの、にっくきライバルだったからね。確か、そうだったね、名前は木島きじまさんとかだったような……」

 

 と。そのとき――。


「カリン様、白石様、昼食の準備が整いました。どうぞ食堂へお越しください」


 ドア越しの美和さんの声を聞いて、わたしたちは部屋を出た。

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