わたしと幼馴染と名(ばかり)探偵と

hororo

〜少し長めのプロローグ〜

【問1】 築三年で1LDKの雉間荘の家賃はなぜ一万円なのか?

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【問1】 築三年で1DKの雉間しいま荘の家賃はなぜ一万円なのか?


 月和大学への入学が決まって、わたし雨城結衣うじょうゆいは長年過ごした家を出た。


 別に大学には実家からも通えたけど、嬉しそうな母の「将来のためになるんだから一人暮らしをしなさい」の言葉に、わたしは見事に家を追い出されてしまった。母がわたしをお払い箱にして家の中を夫婦水入らずにしたがっていたことには勘付いていたけど、まさか実の娘を追い出すとは神も仏も疑わしい限りよ。


 でもまあ、わたしも「将来のために一人暮らしをする」というのには大いに賛成だ。いつまでも親のそばにいたらダメになる。

 そんな思いでわたしは一人暮らしを決意した。


 ……もっとも、ここで言う「ダメになる」は嫌でも視界にイチャつく両親を入れていてはわたしの精神がおかしくなりかねないという意味を多分に含んでだけど。


 そんな理由からわたしの一人暮らしが決まると、


「え? 結衣お姉さま一人暮らしするんですか? じゃあ私もそうしますわ」


 と、わたしが難関大学、月和つきわ大学への進学を報告したときとほとんど同じことを言ったのが幼なじみの菘よ。


 本名、羽海菘はみすずなを名乗る彼女はわたしと同い年の、花よ蝶よと育てられた「一人暮らし」はおろか「独立」とも無縁な生粋きっすいのお嬢様。童顔に低身長、加えて色白な肌と黒い長髪ながかみは、わたしが想像する『月刊THE・お嬢様』の表紙を堂々と飾れるほどのいわゆる『職業=お金持ち』という輩の娘よ。


 菘の家がどうしてお金持ちなのかは、当時幼稚園児だったわたしが幼心に訊いたことがあるの。菘の大きな家を見て、

「菘ちゃんのお父さんはなんのお仕事をしているの?」

 と訊いたの。


 その質問に菘はしばらく悩んでから、




「お父様はたくさんのひとを殺していますの」




 と笑顔で言ったものだから、流石にこれ以上首を突っ込んでは海の底がわたしの永住地になってしまうと、聞かなかったことにしたのを憶えている。(のちに菘の父親がミステリー作家だと知ったときはホッとしたわ)


 そして、そんなお嬢様の菘はどういうわけかわたしによく懐いており、最近ではわたしを慕って名前の後に『お姉さま』を付けるだけでは物足りなくなったのか、猫のように顔を擦り付けてくるのだから困ったものよ。


 初めて菘に『結衣お姉さま』と呼ばれたのは中学二年生のときだった。あれはある夕暮れどき。学校からの帰り道で菘に言われた、『結衣お姉さま』という聞きなれない言葉にわたしは面白半分で「何それ?」って訊いたの。


 すると菘は頬を赤くして、

「好きな人にはみんなと違う呼び方をしたくなるものなんですっ……!」

 と。


 わたしはそのときの頬の赤が夕日の赤であると今も信じて疑わない。


 そして、そんな菘は困ったことにとっても良い子なの。嫌な性格をしているなら邪険にも扱えるけどそうじゃない。本当に困った子よ。


 さて。

 そんな菘は今、一人暮らしを決めたわたしの付き添いで月和大学の学生課に来ている。


 学生課の職員、天音あまねさんは机の上にファイルされた『物件リスト』を出して、とても親身になって下宿先を探してくれる美人さん。歳はわたしたちよりもちょっと上ってくらいで、なんだかお姉さんって感じ。


 しかし困ったことに、そんな天音さんが紹介する物件はどこもお高い。ここら辺の家賃の相場が五万円ってのは知っていたけど、当初のわたしの予定では家賃四万円くらいの部屋に住み、良い匂いのするパン屋さんでアルバイトをして生活費を工面する気でいた。もちろん、可愛い制服が着れる。

 しかし実際問題、蓋を開けてみれば良い匂いのするパン屋さんはアルバイトを募集しておらず、それに追い打ちをかけるかのように天音さんが紹介する下宿先は一番安いものでも家賃四万五千円と、とても非情な現実を見せつけられている。

 まさか、こうも高いなんて……。


「あのぅ天音さん、もうちょっと安いところってないですか……?」


「うーん。一応、あるにはあるんだけど……」


 わたしの言葉に天音さんは困り顔でロッカーの奥にある黒のファイルを持って来た。

 ファイルの表紙には赤い文字で『訳有り物件リスト』と。どこか禍々まがまがしささえある。


「あまり女の子には勧めたくないのよね……」


 そう言い渡されたファイルの物件はどれも目を見開くほどに安い! 

 そしてどの物件にも『雨漏りあり』や『風呂トイレなし』の文言が堂々と載ってダンスしていた。


 ファイルの中には築八十年の廃墟のようなところや、外観を写した写真に人の顔にも見えるもやがかかったものまで……。


「…………」


 わたしは人知れず、「人が住めるところなんて無いじゃない!」という心からの叫びを呑み込んだ。


「うふ。それじゃあ雨城さん、良いところがあったら遠慮なく言ってね」


「アア、ハイ、ワカリマシタ」


 無意識にも日本語覚えたての宇宙人みたいな返事になってしまったが、それでも善意一〇〇%の天使のような天音さんの笑顔を無駄にはできない。


 わたしは『訳有り物件リスト』のファイルをぱらぱらとめくった。


 比較的真面な物件を探すため。

 半ば期待なんてせずに……。


 すると。


 突然ひらりと一枚、ファイルからA4用紙がこぼれ落ちた。

 ささっと机の下に屈み紙を拾ってくれる菘。


「結衣お姉さま、これ落ちましたわ」


「ん、ありがと……って、ええええっ!?」


 何の気なしに菘から受け取った紙を見て、わたしは思わず人生最大の驚愕の声を上げた。


「どうしました?」


「菘、これ……」


 その紙には……。




【部屋:三階角部屋/1LDK/家賃一万円/築三年/風呂・トイレ別/敷金・礼金なし…………――雉間荘】

 



 きじま……かな? なんて読むんだろ。

 いや、それよりも! 家賃一万円なんて他のどの物件にもないじゃない! それに築三年で1DKよ。写真の外観も綺麗だし何も問題ない。これは思いもかけない掘り出し物件よ!


 わたしは撫でて撫でてと頭を出してくる菘の頭をよしよしと撫でながら元気に言った。


「天音さん! わたし、このキジマ荘に決めました!」


 すると、途端に天音さんはわたしが持つ紙を見てひどく慌てだした。


「え、ええっ!? 雨城さん、どど、どこでそれをっ!?」


「いや、ファイルに挟まっていましたけど……」


 わたしの言葉に天音さんはミスったぁと眉根を押さえた。


 どうしたんだろう?


 あくまで笑顔で言う天音さん。


「あの、えっと、ね? 雨城さんそこの物件は止めといたらどうかな?」


 言葉は親身になっている風だけど、さっきまでの笑顔とは少し違う。


「どうしてです?」


「あの。ほら、ここは男の子に紹介しようかなって思って」


 菘が言う。


「では、男子学生限定の寮なのですね」


「いや、限定というか、そもそも寮でもないのよね……」


 天音さん、何か隠してる?

 それに学生寮じゃないなら尚更なんでこんなにも安いのよ。


 わたしは「それなら……」と前置きをして、ピシリと言った。


「おばけが出るんですね!」


 すると、

「築三年なのよ。おばけなんて、ないない」

 って笑われた。


 え、違うの?


「なら、どうしてここに住ませてくれないんですか?」


「……」


「あの天音さん?」


「…………」


「天音さん……?」


「……………………」


 確実に目が合っているのに何も答えない。どうやら聞こえない振りをしてやり過ごすつもりなのね。いいわ、そっちがその気なら……。

 わたしは人知れず、隣にいる菘を肘で突いた。


 すると、


「うぅっ、天音さん……」


 蚊が鳴くような菘の声。


「天音さんは、結衣お姉さまのことがお嫌いなのですか……?」


「え?」


 その途端、天音さんは一瞬こそきょとんとするも、瞳をうるうるとさせる菘を見て狼狽うろたえだした。


「は、羽海はみちゃん、ちょっと待って。ね、止めて」


「どうして結衣お姉さまに……そんないじわるをぉっ……」


「違うの、私は」


「こんなにも結衣お姉さまが頑張っているのに……ぐすんっ……」


 ぽろり、と菘の目から涙が落ちる。

 それを見た天音さんはハンカチを差し出した。


「ええっと、本当に違うの。ね、ね、いい子だから泣かないで」


 遠くの方ではなんだなんだと他の事務員が菘を心配そうに見ている。

 うーん。本当、こういうとき可愛いのって得よね。


 そんなことを思いながらわたしは最後の仕上げに取りかかる。

 頭を下げて大声で言う。




「天音さんお願いします! わたしをここに住ませてください!」




 てんてこ舞いな天音さんは菘に手一杯な様子で、


「わかった、わかったから。雨城うじょうさんを住ませるから。ね、だから泣かないで羽海さん」


「……」


 よしっ!


 その言葉を聞いたわたしが顔を上げると、同時に菘も顔を上げていた。

 そしてお互いの顔を見合わせ……ハイタッチ!

 長年の付き合い、即興でこれくらいのことは既に仕込み済みなのである。


 数秒後、すべてを理解したであろう天音さんからは、ひと際大きな溜め息が聞こえた。




「まったく、雨城さんたちには負けたわ……。雨城さんたちに雉間しいま荘を紹介してあげる。準備して」




 こうしてわたしたちは天音さんと一緒に雉間荘に行くこととなった。

 けど……あれ?


「でも、何でこれだけファイルされてなかったんだろう……?」


 手に持ったファイル用の穴が空いてない雉間荘の用紙を見て、わたしは一人不思議に思った。

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