朝倉さんはふわりと微笑むシャイガール

平川 蓮

朝倉さんはふわりと微笑むシャイガール

「……ん? あの子、朝倉さん……だよね?」


 とある日の夕方。学校からの帰り道、僕は同じ高校のクラスメイトである朝倉さんを見かけた。

 思わず声を上げてしまったのは、彼女がアイスクリーム屋の店員さんを前にして困ったような顔をしてあちこちに視線を彷徨わせていたからだ。

 どうやらアイスを買いたいようだが、緊張して言い出せないらしい。……シャイなのかな?


「あの、朝倉さん? どうしたの?」


 僕は今まで一度も話したことのない彼女に気後れしつつ、おそるおそる話しかけた。


「…………」


 すると、振り返った朝倉さんは無表情ながら心なしか不安そうに眉根を寄せている。黙り込んだままの彼女の顔がどこか泣き出しそうに見えて、僕はつい「……大丈夫?」と問いかけた。


 ふるふる、と彼女が俯き加減で小首を横に振る。

 手入れの行き届いた黒髪のハーフツインと、長いまつげが印象的な丸い瞳。周りの女子よりひと回り小さな身長はマスコット的な可愛らしさがあって、僕の友人たちの中ではひそかな人気があるようだ。

 よほど困っていたのか、僕の顔を見た途端に制服の袖をつまんできた。


「えっと、アイスが買いたいんだよね。何味がいいの?」

「……これ」


 かがんで朝倉さんの目を見つめる僕に、彼女は少し戸惑う様子を見せながらメニュー表を指差してくれた。

 その細い指が示すのは、アイスクリーム屋でも人気のチョコミントだ。


「チョコミントで合ってる?」

「……ん」


 申し訳なさそうに顔を伏せる朝倉さんを少しでも安心させられないかと考えて、僕はふふっと笑いかけた。


「気にしないでよ。……じゃあ、すみません。チョコミント二つください」

「!」


 朝倉さんが肩をビクッと震わせて、僕を見上げた。

 目が合うとすぐに逸らされてしまったけど、たぶん怖がられたわけではない、と思う。……そうだよね?

 若干不安になりつつ、僕は店員さんがチョコミントアイスをコーンカップに乗せているのを眺めながら朝倉さんに話しかけた。


「僕もちょうど食べたかったんだよね」

「…………! ……⁉︎」


 冗談っぽく言ってみると、朝倉さんは目を白黒させて店員さんの持つアイスと僕の顔に、視線を行ったり来たりさせる。

 それから今度は激しく首を横に振って、「……それは嘘」と言うように、じいっと僕を見つめてきた。


「うぐっ……」


 この可愛さにはさすがの僕も悶絶してしまう。

 お陰で朝倉さんには一発で嘘だったとバレてしまい、お返しに会計は彼女に奢らせてしまったのは不覚だった。


 けれど、この日をキッカケに朝倉さんと僕はよく話すようになった。

 ひと月、ふた月……時間が経つにつれてクラスメイトとの仲も深まり、シャイな朝倉さんのことを冷たいと誤解していた人も、半年が過ぎる頃にはすっかり彼女の魅力に夢中になっていた。






 こうして時は流れ、卒業式の日。

 朝倉さんも口数が多いわけではないが、ずいぶん僕たちクラスメイトや初対面の人とも話せるようになっていた。

 今もクラスメイトの女子に囲まれて、黒板の近くで会話を楽しんでいる。


「さぁーて、終わったな、卒業式」

「……うん。ちょっと寂しいね」


 友人が花飾りに彩られた教室で伸びをしている横で、僕は椅子に座って微笑んだ。

 春の風がカーテンを揺らし、正午前の眩しい日差しが教室を照らす。……楽しかったな。でも、朝倉さんと離れ離れになるのはやっぱり悲しい。

 しかし、終わって欲しくないと思っている時間ほど、早く過ぎてしまうもので。

 卒業式で号泣していた担任の先生からの最後の言葉が別れで締めくくられると、日直の挨拶によって僕たちの高校生活は終わりを告げた。

 ……名残り惜しいけど、もう行かないと。

 まだ誰も教室を出ようとしないけど、誰かが出て行かないとキリがないもんね。

 僕は後ろ髪を引かれる思いで荷物を持った。すると。


「……ね。前田くん、これから時間ある?」


 そう話しかけてきたのは、さっきまで黒板の近くにいたはずの朝倉さんだった。

 すっかり会話するのも慣れたとはいえ、彼女から声をかけてくるのは珍しくて、僕は少し戸惑ってしまう。


「え、朝倉さん? まあ、クラスの食事会までは予定空いてるけど……」


 でも、僕も最後に話したかったからちょうどよかった。それにしても、今日はいつもより緊張してるような……いやまあ、たぶん気のせいだろうけど。

 なんて思っていると、朝倉さんは一見冷静そうな淡々とした声音で言った。


「……そう、よかった」


 ふわりと微笑む朝倉さん。しかし、その表情は心なしかいつもの二割増しで紅潮している。

 これにはクラスメイトの朝倉さんファンの女子たちも、わぁと小さく歓声を上げた。


「それで、どうしたの?」

「このあと、前田くんの家に行ってみたい。……ダメ?」


 コテンと小首を傾げる朝倉さんは、反則的なまでに愛らしい。

 思わず「くっ! 可愛い!」と叫んでしまいそうだったが、口元を押さえることでなんとかこらえた。

 誰かそんな僕を褒めて欲しい。いや、むしろ褒めろ。

 とか思っていると、朝倉さんの背後ではクラスメイトの一部が音も出さずに拍手していた。

 男子はだんだん悪ノリし始めて、小さなホワイトボードに『よくぞ耐えた! それでこそ我が同志よ!』と書いて頭上に掲げている。

 ……ちょっ、誰もそこまで褒めろなんて言ってないよ。っていうか、いつの間に用意したの。

 僕は内心でそんなツッコミを入れつつ、少し興奮混じりに返事する。


「もちろん、いいに決まってるよ。朝倉さんならいつでも大歓迎だからね」

「ホント……⁉︎」


 朝倉さんはキラキラと瞳を輝かせ、身体を前のめりにした。すぐにハッと我に返って「あ」と口から声を漏らすと、スンと澄ました顔になる。


「きゃああ! ミナちゃん可愛い!」

「しいっ! 笹木さん、今はダメだよ!」


 ……なんか、朝倉さんの後ろで声がしたような。

 チラリとさりげなくそっちを見ると、クラスメイトの女子たちが僕と朝倉さんの会話をじっと見守っていた。

 どうやら彼女の表情を見ていたのは僕だけではなかったらしい。彼女の可愛さがクラスメイトの心を打ち抜いたことで、それが僕にも分かってしまった。

 思わずクスッと笑いつつ、僕は朝倉さんに力強く頷きを返す。


「うん。僕の家、場所分かる?」

「ん、大丈夫。私の家、高校の近くだから。荷物置いたら、すぐ追いかける」


 朝倉さんはグッと手のひらを握りしめて、ふんすと気合いを入れた。

 ……もしかしたら、そういうことなのかな。

 さすがに僕も勘づいたけど、その案では朝倉さんが追いつくのは難しいかもしれない。どうしたものかな……。


「あ、じゃあ僕、朝倉さんの家の前で待っていようか? そしたら一緒に帰れるよ」

「……いいの?」


 ぱちくりと瞬きする朝倉さん。その声でクラスメイトはまたも悶絶。

 ……忙しそうだね、君たち。

 呆れながら、僕はクラスメイトのことは気にせず答えた。


「うん、いいよ。別に急ぐような理由もないし」

「…………!」

「じゃ、帰ろっか?」


 コクコク、と朝倉さんが何度も頷き、僕はクラスメイトから少しばかり嫉妬の眼差しを背中に受けて教室を出る。

 その帰り道は僕が一方的に思い出話をするばかりだったけど、聞き上手な朝倉さんは嬉しそうにふんふんと頷きながら聞いていてくれた。


 やがて僕の家に着くと、朝倉さんを連れて「ただいまー」と中に入る。

 母に温かく迎えられて、僕は玄関を上がると振り返った。


「いらっしゃい、朝倉さん。僕の部屋、2階だから着いてきてよ」

「……ん!」


 朝倉さんは靴を脱ぐと、玄関でしゃがんでわずかな乱れを整えてから、母にペコリとお辞儀して階段を上がる僕に続いた。

 とはいえ、それから語るべきことは特にない。

 せいぜい一緒に撮った写真を見せ合っていたくらいで、僕やクラスメイトが思っていたであろう『もしかして告白かも?』という淡い期待は露と消えた。

 まあ、朝倉さんが楽しそうだから別にいいけどね。


 12時になると、キンコンカンコンと外からチャイムの音が聞こえてきた。


「……あ。もうこんな時間か」

「…………!」


 朝倉さんもハッとしたような顔をして、チャイムが響く窓の外を見た。……ぼちぼち食事会の準備をしないと、集合時間に遅れちゃうな。


「そろそろクラスの食事会だね。この辺でお開きってことでいい?」

「……ん、分かった」

「ごめんね、朝倉さん」


 僕が両手を合わせて謝ると、朝倉さんは手荷物をまとめつつもどことなく落ち込んだ声で言った。


「……気にしなくていい。私が急に来たのが悪いから」

「どうせ明日から春休みだし、またいつでも来てよ。僕からも誘っていい?」

「ん、いいよ。楽しみにしてる」


 僕の提案に、朝倉さんは嬉しそうに微笑んでくれた。

 ……よかった。これで朝倉さんとまた会える。

 深い安堵とひそかな歓喜に胸を躍らせながら部屋を出ると、その途中で僕の後ろにいた朝倉さんがピタリと立ち止まってしまった。


「? どうしたの、朝倉さん」

「ごめん、忘れ物した。取ってきていい?」

「……あ、そういうことか。いいよ。僕も行こうか?」


 そう提案したのだが、朝倉さんはふるふると首を横に振った。


「んーん。すぐ戻ってくるから、大丈夫」

「りょうかい。じゃあ、玄関で待ってるね」

「……分かった」


 朝倉さんはコクリと真剣な眼差しで頷き、たたたと僕の部屋の中に走っていく。

 それから数分の間を開けてから、慌てた様子で戻ってきた。よほど急いで探していたようで、彼女の頬は赤く染まっている。

 ……それにしては、やけに時間がかかってたような。まあ、別にいっか。


「忘れ物はあった?」

「ん」


 朝倉さんは玄関でトントンと靴のつま先を鳴らして、「じゃあね」となんだか満足げな表情をして小さく手を振って外に出ていった。

 送っていこうかとも提案したけど、それは残念ながら遠慮されてしまったのだ。

 途端にしんと静かになる玄関で一瞬立ち尽くしてから、食事会への準備を進めようと階段を上がる。

 そして部屋の扉を開けた僕は、思わず「あれ?」と声を上げた。


「ホワイトボードが裏になってる……。朝倉さんがぶつかったのかな?」


 でも、ぶつかっただけで裏返るとは思えないんだけど……まあ、気にするほどのことじゃないか。戻せばいいだけだし。

 僕は不思議に思って首を捻りつつ、勉強机の横に掛かったホワイトボードをひっくり返した。


「……あっ!」


 そして、驚愕した。

 ホワイトボードの右下には、朝倉さんの可愛いらしい小さな字で、こんな言葉が書かれていたのだ。


『タクミくんって呼びたいです』


 やっぱり、僕の勘は間違いじゃなかった。これは朝倉さんの精一杯の告白なのだ。

 見た瞬間にそう悟って、僕は部屋の外へと飛び出していく。階段を駆け降り、そのまま玄関を出て、遠くに見える朝倉さんの後ろ姿を追いかけた。


「……朝倉さん! 朝倉さん、待って!」


 ようやく振り向いて、ほんのり赤い顔をした彼女は淡々とした口調で言う。


「何?」

「……今、ホワイトボードを見て来たんだ」

「…………っ」


 僕はせめて朝倉さんに誠実であろうと、彼女の目を見てそう告げた。

 すると、朝倉さんの肩が跳ねて、さっと顔を逸らされてしまう。


「気付かなくてごめん。……ホントにごめん」

「……んーん。前田くんは悪くないよ。悪いのは、私だから」


 僕が頭を下げていると、朝倉さんは自嘲するような、けれど『やっと言えた』という嬉しそうな声音で呟いた。


「……ねえ。どうして僕なのか、聞いてもいい?」

「……ん」


 あんまりこういうことを聞くのはよくないのかもしれない。でも、どうしても気になったのだ。今の彼女はいつも大勢の人に囲まれているから、情けない僕の心は不安になってしまったのだ。

 すると、朝倉さんは恥ずかしそうに頷いて、ゆっくりと口を開いた。


「……あのね。前田くんは、いつも私の目を見て話してくれるの」

「え?」


 それだけ? と僕は思った。

 戸惑う僕を前にして、朝倉さんは胸元にそっと両手を重ねる。


「私が話すのが苦手だって、分かってくれたことも。前田くんが相槌を打つだけになっちゃう私と一緒にいて、心から楽しそうにしてくれることも。……すごく、すごく、嬉しかったの」


 朝倉さんがふわりと口元を緩ませた。

 その時、悪戯な風が彼女の黒髪をなびかせる。真っ直ぐに僕を見つめる瞳と目が合う。

 その瞳は、これまで見てきた誰よりも綺麗だった。

 彼女の柔らかな笑みは、たくさんの気持ちが見て取れた。

 僕が彼女にした行動は、誰でもできる些細なもの。

 でも、朝倉さんはそんな小さなところを見て、僕を想ってくれたのだ。

 そのことが、たまらなく嬉しかった。


「……そっか」


 つい、口元が綻ぶ。


「……朝倉さん」

「……っ! はい……」


 緊張で強張っていた彼女の表情が、その呼び方で沈んでいく。けれど、真剣さは変わらない。

 その眼差しに、僕もまた真剣に答えた。


「僕も、ミナさんって呼びたいです」

「…………!」


 彼女の告白にならって、そう伝える。

 そう。僕は、彼女のそういう真っ直ぐなところに、とっくに夢中になっていたのだ。

 ずっと気づいていたのに、ずっと一歩踏み出せないでいた。自分の気持ちに正直になれなかった。

 だから……せめてこの想いは彼女のように、真っ直ぐに伝えよう。


「あなたは誰よりも心の温かい人だから。普段はシャイでも、いざって時は僕よりも勇気の出せる人だから。真っ直ぐな気持ちを真っ直ぐなまま、伝えてくれるから」


「だから、僕もずっと、ミナさんに惹かれてたんだ」

「……そっか。ありがとう、タクミくん」


 彼女は僕の言葉を噛み締めるように胸の前で重ねていた手を見つめるように俯いてから。


「私、あなたに恋をしてよかった」


 赤く染まった顔を上げて、優しい眼差しで。彼女は、ふわりと微笑んだ。




 ──やがて。ミナさんが僕の隣に来て手のひらを掴み、恋人繋ぎをしてくれた。

 軽く握り返した手の中に、柔らかな感触とたしかな温もりがある。


「…………」

「…………」


 お互いに何を言えばいいのか分からなくて、無言のまま見つめ合う。

 どうやら僕もシャイになってしまったみたいだ。


「んふっ……!」

「あははっ……!」


 なんだかそれが可笑しくて、僕たちは同時に吹き出したように笑い出す。

 

 春の日差しの下に響く、僕ら二人の笑い声。

 ひゅるりと流れていく暖かな風が、どこからか、たくさんの桜の花びらを運んでくる。

 その美しい桜吹雪はまるで、僕たちのことを祝福してくれているようだった。




 ……なお。クラスメイトとの食事会には、無事遅刻した。

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