熱帯人魚

こばやし あき

第1話

 白い太陽がゆらめく下、じじ様のしわしわな手がゆっくりと挙げられた。じじ様はその格好で固まってしまったみたいに全然動かない。ただその場に浮いているために、尾ひれだけがゆらりゆらりとゆれている。


 まだ動かない。ひょっとして時が遅くなってるんじゃないかと思ったけど、ちょっと下にいるミルちゃんのあぶくが普通に上ってるから、ちゃんと進んでるみたいだ。

なんのきっかけもなしに手が振り下ろされ、握られていた紅サンゴの珠はもうずいぶん下の方に行っていた。ぼくは早く追いかけたいのをがまんして、じっとじじ様のかけ声を待つ。


「よしっ」

 かけ声と一緒にぼくは海底に頭を向けて方向転換した。あんまり急いで体をくねらせたから尾ひれで腰を打って痛かった。 


 ぼくはサンゴ珠目指して一直線に泳いで行った。さんご珠は海流にゆられながら、でも結構な速さで落ち続けている。ぼくはさんご珠だけを見続けて一生けんめい魚の体をくねらせたから、さんご珠はちょっとずつ大きく見えてきた。


 やっと捕れる所まで近付いて、ぼくは今までぴったり体につけていた手を伸ばす。水圧で逃げないようにゆっくりとさんご珠を手のひらで包み込み、静かに捕まえる。そのすぐ横を、他の子達の手がかすめていった。


 ぼくはうれしくてにこにこしながら、じじ様と群のみんなのいる海面近くまで上って行った。そしてじじ様にさっき捕まえたさんご珠を返した。


 しばらくして競技に出た子達全員がじじ様のもとに集まると、じじ様はぐるりと群のみんなを見渡し、最後にぼくを見た。


「子供の部・優勝者——真珠!」

 そう言うとじじ様はさっきまできびしい顔だったのをにっこりさせて、ぼくにさっきのさんご珠の入った貝の台座を手渡した。


 ぼくはもっとうれしくなって、「ありがとうございます」を言って、すぐにぼくの『宝穴』へ向かった。とっても急いだものだから、周りから「おめでとう」とか「よくやった」とか言われても止まらないで応えた。


 . ゜ °  。  。 O   O  ○       


 ぼくは宝穴のある岩山に着いて、目立たないように置いてある重り石を探した。

 宝穴はぼく達人魚の群からちょっと離れた岩にあって、ぼくの秘密の物が誰かに盗られたり海流で流されないように重りの石が置いてある。


 重り石を見つけてどかして、作りかけの首飾りを取り出した。首飾りは一組のホタテ貝のかたっぽの貝殻に丸い穴を開けて、貝殻のくびれた所を細昆布のひもでしばって作った。


 ぼくは結んであったひもをといて、さんご珠を貝の内側から穴にはめた。そうして貝殻を生きているホタテ貝みたいに合わせて、もう一度ひもでしばって首飾りを完成させた。さんご珠は思った通りの大きさでぴったり穴にはまって、動いて傷ついたり、なくなっちゃうことはなさそうだ。


 ちゃんと作れて一安心したら、作ってる時には気付かなかったけど、左の手の甲から血が出ているのに気が付いた。甲の真ん中に真横に切ったような傷ができていた。でもあんまり痛くないからちょっとなめて、あとは放っておくことにした。たぶんサンゴ捕りで誰かにひっかかれたんだと思う。


 首飾りを持ってお母さんを探しに行った。お母さん、今日は見張り当番だから、見張りがいそうな所を探す。


 群からちょっと離れた巨大昆布の林でお母さんは見つかった。お母さんは遠くから見てもすっごくきれいだから、すぐ分かる! 真っ黒な長い髪に、光の具合でピンクに見える白いうろこ。お母さんとぼくは似てる似てるってよく言われるけど、お母さんのほうがずっときれいだ。ぼくも髪の毛を伸ばせば、もっと格好よくなるのかな?


「おかーさーん! ぼく一番取れたよー」

 ぼくはそう言いながらお母さんのいる所まで急いで泳いで行った。


 お母さんはぼくに気付くと『ここにおいで』って言ってるみたいに両手を広げた。ぼくは速さを変えないでそのままお母さんの両手に抱きついた。


「すごいねー偉い偉い!」

 お母さんはぼくの頭をなでながらそう言った。


「頑張ったねー。実はね、お母さん、昆布さんにちょっと見張り代わってもらって、真珠の活躍見てたのよー」

 お母さんはそう言いながらウィンクした。


「ぼく速かった? 格好よかった?」


「うん、速くて格好よかった。お母さん、真珠もこんなに大きくなったんだなーって、感動しちゃった」


 ぼくはうれしくて、でもちょっと恥ずかしくて、手を離れてお母さんの回りをぐるぐる泳いだ。


「こらこら真珠っ。お母さん今見張り中なんだから」

 そういうとお母さんは、ぼくを後ろから捕まえた。


 ぼくは「ひひっ!」と笑って泳ぐのを止め、お母さんの手にぶら下がった。


「あれ真珠? 頭の後ろ、どこかにぶつけちゃったの?」

 お母さんはそう言うと、そこを手で触ろうとした。


 それでやっと、ぼくは何でお母さんに会いに来たのか思い出した!

 ぼくは、お母さんが頭に触るのより速く手をすりぬけた。そして頭に巻いて髪の毛の中に隠しておいた首飾りを取り出した。

「お母さん! 誕生日おめでと!」


 そう言ってぼくは首飾りをかけてあげた。お母さんは絶対首飾りを好きになると思って、得意になってお母さんを見上げた。


 でもお母さん、はじめはきょとんとして首飾りを見てたけれど、しばらくしてとっても悲しそうな顔をした。


「何で悲しいの? 違うのがよかったの?」ぼくは不安になってそう聞いた。


 お母さんは目をつむり、眉毛を寄せて、何かを我慢しているように見えた。

そして目を開けると、

「違うのよ真珠。お母さん、すごく嬉しい」と言った。


「でもっ、悲しそうだよ」ぼくは泣きそうになるのをがまんして言った。


「悲しいのは真珠のせいじゃないのよ。お母さん、首飾り、とても嬉しい」


「じゃあなんで悲しいの? なんで『嬉しい』より『悲しい』なの?」

 お母さんはじっとぼくの目を見て、それからぼくの頭をぎゅっとして、話し始めた。


「真珠、お母さん、これを見て、昔お父さんがくれた首飾りのこと思い出しちゃったの・・・」

 お母さんの顔は見えないけど、声がふるえて泣いてるみたいだ。


「……それでお父さんのこと考えたら、ちょっと悲しくなっちゃったの」

 そう言うとお母さんはぼくの頭から手をはずし、今度は肩においた。そしてぼくの顔をのぞきこみ、ちょっとこわばった顔でにこっとした。


「でもちょっとだから大丈夫! もう『嬉しい』よ。

 そろそろお祭りに戻っておいしい物食べてきたら? 真珠は主役の一人なんだから、ふらふらしてちゃ駄目だよ!」

 そう言うと肩をつかんだままぼくの体を反対向きにして、ちょんと背中を押した。


 ぼくは何て言ったらいいか分からなくて、お母さんに言われた通りお祭りに戻ろうと泳ぎ出した。しばらくしてお母さんの方をふり返ると、お母さんはまだこっちを見ていて、ぼくは思いっきり手をふってバイバイした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月3日 06:11
2024年12月4日 06:11
2024年12月5日 06:11

熱帯人魚 こばやし あき @KOBAYASHI_Aki_4183

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画