第19話 ノーネーム
== 1ヶ月半後 ==
――軍港。
繫留中の超大型艦『ノーネーム』。
セラの目の前に、街がすっぽり収まりそうなほど、大きな戦艦が鎮座している。
それは彼女の練習艦として貸し出されたものであり、型式としてはロイヤルスカーレットの同系で1世代前のものだが、十分な戦力を保持していた。
元々はクレンの予備艦として扱われていて、塗装や命名が行われていないことから、暫定的に『ノーネーム』と呼称されていたようだ。
よって、艦体は実戦仕様のツヤツヤ感はあるものの、無着色状態のグレー。
名前にふさわしい得体の知れなさを醸し出している。
目の前で物資の搬入や人々の話し合いが忙しそうに展開される中、セラは興味深くそれを眺めていた。
傍には、リオゥネを収容した制霊球がぷかぷかと浮いている。
「リオゥネ。私にあんな大きな戦艦を、動かせると思う?」
問いかけても、返事はない。
これがヘィスンなら、可否を提示するのかもしれないが、白翼制霊にはそれができない。
セラは小さい頃からリオゥネと一緒だ。
何度こうやって、話しかけたかわからない。
制霊としての能力では絶対、ヘィスンにかなう事はないとしても、やはり愛着があるのはリオゥネの方になる。
セラがリオゥネの制霊球に手をかざして遊んでいると、背後に人の気配を感じた。
――振り返ると、クレンがいる。
「今日は私が、指導と副艦母を兼任するわ。
よろしくね。基本、何もしないけど」
彼女はセラが下手をうった時の保険、および休憩時の交代要員を担うために呼ばれ、副艦母として乗艦する予定だ。
戦場に、主力艦であるクレンのロイヤルスカーレットが不在というのは、軍にとっては不安要素になる。
しかしそれでも、育成後のセラが同レベルの戦力として加われるのであれば、仕方のない投資である。
幸い、帝国はソリッドスケールの一件以来、守りの姿勢に徹している。
得体の知れないヘィスンの力を、大変に恐れているようだ。
今回の件、味方の軍人にも様々な立場の人間がいて、新米天師の受け入れ方もそれぞれ違う。
現状、まだ何も戦果をあげていないセラのような学生には、厳しい目を向ける者も多い。
加えて、空軍のエースであるクレンが副艦母に就くという異例の事態に、微妙な空気が流れていた。
天空教徒が激しくセラを祭り上げるのとは反対に、根っからの軍人にはどうもウケが悪い。
この軍港でも様々な意見が飛び交い、軽く言い合いになる場面が見られた。
もちろんセラは自覚しているし、クレンも両者が円滑に歩み寄れる方法を模索している。
「姉さん、わざわざ来てもらってすみません」
セラは頭を深く下げる。
他者の反応があまり良くないのもあって、クレンに副艦母を頼んだ事に恐縮している様子だ。
申し訳なさそうにかしこまる彼女を見ながら、クレンは手をヒラヒラさせつつなだめた。
「かわいいセラのためだと思えば、多少の無理は問題にならないわ。
それに、このクラスの戦艦の副艦母は、簡単に見つかるものじゃない。
たいていの艦母は翔力が足りないはずだもの」
明るく穏やかに接してくれる彼女に感謝しながら、セラは少し調子を取り戻し、言う。
「心強いです。
私は何でも言うことを聞く操り人形と化すので、あれこれ命令してください」
けっこう他力本願な話だ。
ミスや他人への迷惑を恐れているのだろう。
だが、艦母に初挑戦する者が、弱気になるのも無理はない。
とくにこのような最大規模の戦艦であれば、乗組員の数だって膨大になる。
ノーネームの運用は通常1万人ほど、今回のような訓練でさえ最低2千人は必要だ。
正直、今のセラには荷が重い。
そんな負のオーラを感じ取り、クレンは口を開いた。
「さっきも言ったでしょ。
今日は見守り人形と化すから、私に頼らず全部自力でやってみせて。
常に自分で考えて実行するのが艦母よ」
あくまでも自主性を尊重する考えである。
「姉さんに見守り人形になられたら、私を操ってくれる人がいなくなりますね。
じゃあ、頑張って四苦八苦右往左往しようと思います」
覚悟を決めるセラ。
苦笑しながら、クレンは彼女の頭に手を乗せる。
それから、さわさわ撫で、優しく慰めた。
「そのための実戦訓練だからね。
好きなだけ迷って、失敗するといいわ。
まあ、こんな巨大戦艦。そうそう落ちることはないから安心しなさい」
――ノーネーム艦橋。
セラの前に、艦橋要員が並ぶ。
通信士、砲槍術長、航空分析官がちゃんと揃っていた。
軽い挨拶の後、ダットが気を遣って話しかけてきた。
「艦母様のお出ましや。
セラちゃん、見た感じ緊張しとるな」
彼の言葉は正しい。
「デビュー戦としては、舞台が立派すぎますね。
同時に、母さんは大きなものを背負って、戦っていたのだと実感しました」
セラの言動はいつもと違い、抑制されているように見える。
港で待機する大勢の乗組員を見て、その人々の命を預かる自分の立場にプレッシャーを感じたようだ。
同じ艦母になってこそ、母の偉大さを改めて思い知らされてしまう。
「ワイらちゃんとサポートするさかい、楽にいこうや」
ダットは励ます。
最初から完璧にこなせる人間は少ない。
大人でも難しいのに、まだ少女のセラにはもっと厳しい状況だ。
彼は過去に似たような兵士をよく見てきた。
気負いは良くない。
ダットの次に、エマトゥラが近寄ってくる。
「あたしも協力させてもらうから、大船に乗った気でいてよ。
ブランクはあったけど、今ではちゃんと取り戻せてるからさ」
くだけた物腰だ。
初対面の時とは違い、一緒に訓練を受ける中で、彼女と気楽に話せるようになった。
元々の性格は人当たりが良いらしい。
「頼りにしてます」
セラの本心である。
エマトゥラは謙遜した物言いだが、その技術は洗練されている。
他の艦橋要員からの評価も凄く高い。
話しながら、彼女はエマトゥラの私物に気が付いた。
ふと、視線を向けた先に、鳥カゴがあったのだ。
「あ。鳥さんだ。
凄く可愛い!」
青色の可愛らしい鳥。
飛べば、空の景色に溶けてしまいそうである。
エマトゥラは、少し申し訳なさそうに説明する。
「家で飼ってるんだけど、置いてくるわけにもいかなくってね……。
一人暮らしだと、留守にしたら世話する人がいなくなっちゃうんだ。
なるべく自分の船室に置くようにするから、許可してくれないかな?」
不安げな彼女に対し、セラは即答でOKを出す。
「もちろん、いいですよ。
私も見たいので、艦橋にも連れてきてほしいです」
正直、この鳥をとても気に入っていた。
自分と同じ見た目をしているからだ。
セラはカゴの前にしゃがんで、まじまじと観察する。
「わかった。
セラちゃんも、この子に構ってあげてよ」
エマトゥラは嬉しそうに言った。
――。
ひとしきり鳥と戯れた後、セラはシンハの元へ移動した。
彼は艦橋の隅を見ながら、緊張している様子だった。
ある意味、初任務のセラよりもヒリついた雰囲気である。
その視線の先には。
――クレンがいる。
彼の元上司だ。
シンハはセラに気付くと向き直った。
「ノーネームはロイヤルスカーレットの姉妹艦だ。
だから、俺は詳しい。
何でも聞いてくれて構わない」
冷や汗を流しながらの会話。
気になってセラは聞いた。
「……やっぱり、クレン姉さんがいると、気になりますか?」
彼は頭をかきながら、困り顔で答える。
「――まぁな。
自分の仕事ぶりが、チェックされてる気分だ」
セラはシンハの心情を理解した。
その上で、解決策を模索する。
「……ちょっと、待っててくださいね」
彼女はそう言い残し、場を離れた。
その後、クレンの元へ赴く。
少し会話をし、今度は2人一緒にシンハのいる所へ戻って来た。
怪訝そうな顔をする彼に対し、クレンは余裕のある態度で接する。
「お久しぶりです、シンハさん。
私があなたの実力を疑う事など、決してありません。
むしろ、それを見込んでセラへの助力をお願いしたのです。
この度の訓練で、私がサポートするのは艦母の軍務だけです」
彼女は自分の立場を説明した後、さらに述べる。
「――それに、現状。
ここの艦橋要員は、ロイヤルスカーレットと、同等以上の能力があると感じています。
私が口を出すまでもありません」
「高い評価をいただき、恐縮です」
返事をするシンハの態度は、いつもの自信のあるものへと変化していた。
彼の緊張が解け、セラも安堵する。
――――――。
出撃準備が進む頃。
セラは戦艦のシステム起動を試みる。
起動と言っても、ボタンを押したりする行為ではなく、制霊を艦母席に組み込み、鍵となる制剣をスリットに刺す作業だ。
ただ、1つ問題がある。
艦橋要員に、ヘィスンを公開しなければならない。
他の制霊を支配する方法では、虹翼制霊の能力がほとんど発揮できないからだ。
表向き、セラの制霊はリオゥネという事になっている。
それは軍でも学校でも同じである。
周囲の人々はみんな、そう認識していた。
艦橋要員もおそらく、リオゥネがシステムに組み込まれると思っているだろう。
セラの傍に浮いている制霊球を見れば一目瞭然だ。
しかし、リオゥネの本当の役目は影武者のようなもの。
「皆さんに、お話ししなければならない事があります」
艦橋要員が注目する。
ダットとクレンだけは事情がわかるため、ついに来たか、という反応をみせた。
「……軍の最高機密です。
これを知る人物は、ほとんどいません。
将軍クラス以上の階級にしか、伝わっていない情報です」
セラは、艦母席に設置されている透明で小型のケースに近寄った。
戦艦システムと、制霊を繋ぐための装置だ。
それには、制霊が出入りするための小さな扉が付いており、彼女は指でつまむと静かに開いた。
「――ヘィスン」
セラは呼ぶ。
シンハとエマトゥラは異変に気付いた。
訓練では、その場所にリオゥネが配置されていたはずだ、と。
この2人には初公開であるため、反応が新鮮なのは当然である。
透明な容器の中。
虹色の綺麗な粒子が吹き込んだ。
次の瞬間、2人は見たこともない、不思議で神々しい制霊を目撃する。
白でも銀でもない、虹色の粒翼を持つ個体。
無表情ではなく、笑みをたたえている。
しばらく絶句し、目が釘付けになった。
「……これが、ソリッドスケールで敵軍を敗走させた原因か」
シンハは停止していた呼気とともに、言葉を吐き出す。
彼がずっと抱いていた、疑問に対する答えが示された。
晴れやかな気分に包まれ、ようやく自分の中で、納得する事ができたようだ。
一方、エマトゥラの方も、驚きが隠せない。
「もしかして、リゼ様が最強だったのも、この制霊のせいってワケ?」
英雄の娘が所有する、桁外れに上級の雰囲気をまとう制霊。
リゼが叩き出した異常な戦果と、結びつけてしまうのも仕方がない。
彼女の疑問に、リゼの元艦橋要員であるダットが答える。
「エマトゥラちゃん、キミの推測は正しいで。
その最上位制霊は、リゼはんが使うとった個体と同一のものや」
それを聞いて、エマトゥラは大きな期待感を持ち始めた。
「へぇ~。実に、頼もしいじゃないの。
この子の実力が早く見たいなぁ」
ヘィスンが注目を集める中。
「というわけで、このヘィスンのことは絶対に秘密です。
口が裂けても、口外しないでくださいね」
セラは厳重に念を押す。
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