赤い傘と同級生の女の子
長船 改
赤い傘と同級生の女の子
あの子の名前は濱口雪絵といった。転校生だった。名前の通り、雪のように白い肌をした女の子だった。
濱口とは特別仲が良かったわけじゃない。僕は運動が大好きだったし、休み時間は教室の中、昼休みは校庭と、いっつも走り回っていた。濱口はそんな僕とは反対におとなしい女の子で、よく図書室で本を読んでいた。
僕たちは帰る方向が同じだった。
でも、一緒に帰るのは雨の時だけだった。
なぜかって?
それは、僕は晴れの日は、いつも全力ダッシュで家に帰ってたから。
そして雨の日は、傘を持ってくるのを忘れちゃうから。学校に持って行っても失くしちゃうから。
それでどうしようかなあって下駄箱のところから外を見ていると、決まって濱口がやってきて「また傘忘れたんでしょ。一緒に帰ろ?」って言って、傘に入れてくれた。赤い色がとても鮮やかな、折り畳み傘だった。
クラスのやつらは、それを見てよく冷やかしてきた。「やーい、太一、濱口ー。お前らさてはデキてんだろー」って。
デキてんだろの意味は分からなかったけど、なぜかその言葉を聞くと無性に恥ずかしかった。しかも隣を見ると、濱口がまっ白なほっぺたを赤くしていて、それでまた僕は変にドキドキしてしまった。
それでも、雨の日はいつもふたりで一緒に帰ってた。
そんな、ある日のことだった。
「突然ですが、濱口雪絵さんが今週の土曜日で転校することになりました。」
担任の先生がそう言ったのは2学期に入ってすぐの頃だった。2年生の時に濱口が転校してきて、まだ1年ぐらいしか経っていない。
後で知ったことだけど、濱口は転勤族というやつらしく、もう何度も転校を繰り返してきたらしい。そしてまた、今度も。
でも、僕はそのことについて別に何も思わなかった。「転校するのかぁ」っていう感想が、ただ音になって頭の中で響いただけだった。それがどういうことなのか……ぜんぜん分かっていなかった。
土曜日に、教室で濱口のお別れ会があった。
みんなで寄せ書きを書いて渡した。女子たちは寄せ書きとは別に、いろいろと手紙とかを渡していた。
僕は文房具セットをプレゼントした。濱口は「誕生日プレゼントみたい。」って笑って、「でも、嬉しい。ありがとう。」ってちょっと泣きながら言ってくれた。
そして帰りの時間。
いつものように全力ダッシュで帰ろうと思って下駄箱で準備運動していると、なぜか濱口がやって来た。お別れ会の後、お母さんが迎えに来て先に帰ったはずなのに。
「え?なんで?帰ったんじゃなかったの?」って僕が聞くと、濱口は「これ、あげる。雨の日に使ってね。失くしたらダメだよ。」って言って、僕にあの赤い折り畳み傘を押し付けてきた。そして僕がなにか言うより早く、濱口は職員玄関の方に走り去ってしまった。
それが、僕と濱口の最後の会話だった。
次の月曜日から、またいつもと変わらない毎日が始まった。まるでクラスに濱口という名前の女の子なんて最初からいなかったみたいに。そして僕はいつものようにあちこち走り回って、いつものように全力ダッシュで家に帰った。雨は降らなかった。毎日毎日、晴れ続きだった。
それから1週間が過ぎ、2週間が過ぎた。僕は今日も走り回っていた。
学校に行って、勉強して、先生に怒られて、給食を食べて、お昼休みには校庭を走り回った。
でも、雨は突然やって来た。5時間目の途中でなんだか空がどんよりしてきたなぁと思ったら、次の瞬間にはもう降り出していた。雨は下校時間になっても弱まらなかった。
クラスのみんなが「天気予報信じて正解だった!」って口々に言いながら下校していく。
当然、僕は傘なんて持ってきていない。
それで誰もいなくなった下駄箱のところで途方に暮れていると、ふと濱口の言葉を思い出した。
『これ、あげる。雨の日に使ってね。失くしたらダメだよ。』
僕はランドセルを下して開けてみることにした。教科書やノートを何冊か取り出して、覗き込む。すると、底の方であの赤い折り畳み傘が横たわっていた。
おそるおそる、折り畳み傘を取り出してみる。なんだか触っちゃいけないもののような気がして、気まずい気持ちになる。
折り畳み傘を開くのはこれが初めてだった。もちろん開け方なんて分からない。僕は、濱口がやっていたのを思い出しながら折り畳み傘と格闘した。
ようやく傘を開くことが出来た時、僕はホッとするのと同時に、ちょっとだけ寂しい気持ちになった。雨の日の帰りだというのに、濱口はもういない。
「うっわー、お前、赤い傘なんてさしてやんのー。」
とぼとぼと歩いていると、歩道の反対側からクラスのやつらが大声で冷やかしてきた。濱口と一緒に帰ってる時にいつも冷やかしてきたやつらだ。
あいつらは、この傘が濱口のものだってことを覚えていないんだろう。もしかしたら濱口自身のことも……。
でも、それは僕も同じだった。僕だって、ついさっきまで濱口のことを忘れてた。それが悲しくて、悔しくて、情けなくって。
僕はいたたまれなくなって、小走りでその場から逃げ出した。後ろの方から、あいつらのげらげら笑う声がした。
あいつらの姿が見えなくなるまで走ってから、僕はまた、とぼとぼと歩き始めた。
なんだか雨が弱まってきたような気がする。さっきまで傘をバシバシと叩いていた雨音も小さくなっていた。
すると、頭の上の方で、なにかカサカサと音がするのが聞こえてきた。
なんだろう?と思って立ち止まって見てみると、傘の骨の集まっているところに、なんだか細長い紙のようなものが結びつけてあるのに気が付いた。
僕はそれを、傘を持ってない方の手でいじってみた。結び目はあっさりとほどけた。
傘を肩にかけて、紙を濡らさないよう気を付けながら広げてみる。
それは、お正月に引くおみくじくらいのサイズの手紙だった。
手紙には、こう書かれてあった。
「ありがとう。いつもいっしょに帰ってくれてうれしかったよ。元気な太一君へ。濱口雪絵」
僕は、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。まさかこんな手紙があったなんて、今の今まで気づかなかった。
たぶん、濱口は急いでこの手紙を書いてくれたんだと思う。だって、「元気な」ってところだけ消しゴムが掛かって、汚れてるのが分かったから。
僕は、手紙を丁寧に折りたたんでポケットに突っ込んだ。家に帰ったら、勉強机の引き出しに大事にしまうつもりだ。
傘を握りなおし、ゆっくりと歩き始める。濱口と一緒に帰ってた時間を思い出しながら。
……ふと、僕はこの傘を握っているのが濱口ではなく、自分だということに気がついた。そして、この傘のスペースが、ひとりだとこんなに広いんだってことに気がついて、濱口が転校していった事実をようやく理解して、一緒に歩いて帰ることはもうないんだってことに悲しくなって……。
そして僕は、たぶん濱口と特別に仲が良かったんだって、いまさら気がついた。
「……っ……うっ……。」
僕は傘の位置を少しだけ前に落とした。誰にも顔を見られないように。
『また傘忘れたんでしょ。一緒に帰ろ?』
記憶の中の濱口雪絵が、にっこりと笑った。
赤い傘と同級生の女の子 長船 改 @kai_osafune
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