庭にて咲く
@Kasasagi7777
あの花は美しく
裏の庭の桜が散る頃、姉様に許嫁ができた。名家の七条家のご子息様だと父様は言う。これは政略結婚。絶対にそう、だって姉様はその人のこと愛していないんだもの。姉様は私のことを愛しているの。約束したからね、一生一緒って。私と姉様は情人のように愛し合う運命にあるの。それは覆らない。机に手を伸ばし、瓶に詰められた金平糖をひとつ取り出す。姉様からもらったそれを口に入れ、ころころと口の中で転がした。甘いはずなのに心なしか苦く感じる。姉様を本当に幸せにできるのは私だけなのに·····
姉様にもらった沢山の金平糖。きらきらしててとても綺麗でとても可哀想。だって瓶に詰めて息苦しそうだから。出して出してと囃し立てても檻に捕われたまま。だから私は口の中で溶かしてあげるの。ねぇ、姉様辛いでしょ?悲しいでしょ?嫌なんでしょ、結婚。私から離れるのは耐え難い苦痛なんだよね。私、わかってるよ。舌の上に金平糖を乗せ、弄ぶ。あぁ、可哀想な姉様。ごめんなさい姉様。そうして私は金平糖を噛み砕いた。甘い·····
母様が亡くなったあの日、私たちはお互い抱き合い悲しみにくれていた。私たちに興味のない父様と違い、私たちにいつも優しく接してくれた母様。亡くなってしまったときは悲しかったし辛くもあった。父様が変わりに死んでしまえばよかったんだ、何度そう思ったことだろう。そんなふうに私がどんなに胸が締め付けられるような思いを抱こうと、いつもは泣き虫な姉様は涙を決して流さなかった。それどころか私に笑顔を向けてくれたの。大丈夫と何度も囁いてくれたの。それでも、悲しかった。ふと、姉様も私を置いてどこか行ってしまうような気がして。もうこれ以上私の大切な人を失うのは嫌だった。だから、約束したの。
「姉様、私と一緒にいて。置いていかないで·····そばにいて·····!!」
「文子·····うん·····置いていかないよ·····」
「姉様·····約束だからね、絶対ね·····!!」
姉様は薄く微笑んでくれた。まるで桜みたいに。それはとても綺麗だった。
その二日後、彼を見かけた。あの桜の咲く庭で。私はその時、あの男──七条直哉が嫌いになった。だって、姉様を泣かせたのだから。母様が亡くなっても泣かなかった姉様の花弁を彼は散らしたのだ。それは許せなかったし、怖くもあった。
姉様はあの男の横で蹲っていた。遠くから見ていたからよく聞こえなかったけど、姉様の泣きじゃくる声はこびりつくように今でも耳から離れない。絶対にあの男が泣かせたのだ。何をしたのだろう。嫌味でも吐いたのか、頬を殴ったのか、服でも汚したのか。もうぐちゃぐちゃになりそうだった。視線は自然と下へと向く。ねえさま·····なにもできないわたしをゆるして·····でも、いつか·····わたしはわるいこです·····こわい、こわい、こわい。あの男は姉様に母様の死よりも恐ろしいものを感じさせたのだ。泣かせるためにはそうする他ない。一体、姉様がなにをしたというのだ。全身に鳥肌が立つ。私は立ってられなくなり、ついには蹲ってしまった。次は私なのかもしれない。いや、やめて、ねえさまをわたしからとらないで·····!
あの時は動転していて訳の分からないことも考えたりもしていた。今考えれば、姉様が取られるなんて有り得るはずがないし、私が狙われるいわれもない。一生一緒だと誓い合ったのだし、あの男は私に一切関係ないはずだ。だけど、婚約となると話は別になる。たとえ、精神は姉様と離れないとしても結婚してしまえば、身体は確実に離れ離れになってしまう。なにより、あの男との縁ができてしまう。嫌だ。絶対に嫌だ。
廊下を歩く。みしみしと劣化を感じられる音が鳴る。庭を見れば桜の木は花を完全に落とし、若葉を芽生えさせていた。姉様はついに明日、結婚式を執り行うこととなった。私にはどうすることも出来ない。姉様がどんなに私と離れ離れになることを苦痛に思おうが、どんなに私のことを愛そうがこの現実は変わらない。呆然とした気持ちで庭を眺めていたら、姉様とあの男が2人向き合っている様子が伺えた。あぁ、ごめんなさい。姉様ごめんなさい。·····あっ。もう一度見るとそこにはあの男と口付けを交わしている姉様がいた。目の前が真っ暗になる。なんで拒まないの?違う·····拒めないんだ·····!気がついたら手には母様から貰った匕首があった。そうして、得心する。そうだよね、母様。姉様を救えるのは私だけだよね。今まで逃げてばかりでごめんね。私、今度は頑張るから褒めてね?
匕首を持ち直し、あの男に近づく。姉様は私に気づいたようで頬を赤らめ、顔の前で何度か手を交差させた。男もこちらを向き、瞠目した。
「ふ、文子·····いたのね·····あ、あのね、この人は───」
知ってる。もう知ってるよ、姉様。ずぶりと深く刺さった。男の痛みに呻く声、顰められた顔、溢れる赤黒い液体、その全てが強く印象づけられた。私の乾いた笑いが悲鳴にかき消される。男は倒れ伏し、その傍らに姉様が駆け寄った。やめて、そんな男に触れないで。姉様が汚れちゃう!汚い汚い汚い汚い……嫌悪感のあまり駆け寄る姉様を突き飛ばしてしまった。
「っあ⁉︎いやぁ、直哉さん·····!!!!!な、なおやさ·····」
だんだん男の脈が弱っていくのを感じる。ざまあみろ、姉様に近づいた罰だ。でも、なんだか釈然としない。なんで姉様は私に笑顔を向けてくれないの?私は姉様をその男から救ったんだよ?解放したんだよ?瓶の中から出してあげたのになんでそんなに怒っているの?私は姉様の手を取り、笑いかけた。
「姉様、嬉しいでしょ。ねえ、笑ってよ。すごいね、文子は優しい子だねって昔みたいに頭を撫でて褒めてよ。なんでしてくれないの?ねえ─」
「ふざけないで、文子!!!!!!」
痛い。姉様の絶叫と乾いた音が響き渡る。痛いよ?何が駄目だったの?全部全部姉様のためだったのに·····!?そうか、この手が汚いからか·····!血で汚れた手をハンカチーフで拭う。拭っても拭っても手の汚れは一向に落ちない。なんでなんでなんで·····もう訳が分からない。声はかすれていたと思う。
「ね、姉様は私のことを愛しているんだよね?」
「·····大嫌いよ。もう文子の顔も見たくない。私に·····直哉さんに近づかないで!!!」
何かが崩れていくような気がした。足元にあったはずのそれは今や形も感じられない。世界がわまっている。そのあまりの気持ち悪さに吐瀉物が出てしまいそうだ。視界はだんだん色を失い、ぼやけてくる。はあはあと過多な呼吸の音が聞こえる。ふと、金平糖の甘さを思い出した。本当に、気持ち悪い。
『拝啓、直哉様
鶯の麗らかな鳴き声とともに桜の花も咲き始めましたね。そろそろ暖かくなるからといって昼寝ばかりするのは駄目ですよ!そういえば、直哉さんに選んで頂いたあの綺麗なお星様みないなお菓子、すごく文子が気に入ってくれました!千代子はとでも嬉しいです。ねぇ直哉さん、この間私に想いを告げてくださいましたよね。実は私もあなたのことをお慕い申しておりました。母が亡くなった時、桜の咲く庭でひとり泣いていた私の背を優しく撫でていただいたその優しく温かい手、かけていただいたお言葉、その全てが全て愛おしいのです。あのとき、文子にすら頼れなかった私を支えてくださったあなたがいたからこそ、私は今ここにいるのです。大丈夫ですよ、きっと父様と私と文子と直哉さんの4人なら幸せな生活を送れると思います。愛しています。
一月後、あの桜の木の下で会いましょう。
敬具、千代子 』
庭にて咲く @Kasasagi7777
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