第23話 海潮と青鹿

 青鹿は狸親父と別れた後、駅前で蕎麦を手繰った。そして、人知れず猫の姿に戻ると鳴子の駅前から虱潰しに姫を探した。意外にも鳴子には猫が少なく、自分の強みを上手く活かせなかった。やがて日が傾く少し前の頃合いになると、一匹の狸――が化けた男に湯神神社に行くように言われた。


 湯神神社とは、温泉街にあって然るべくある温泉の神を祀る神社である。駅前にあった町の案内図によると、鳴子の坂を上って行った先にあるそうな。


 坂の天辺にあった公衆浴場のすぐ隣に、参道と思しき石階段があり、恐らくは硫黄に侵されぬよう作られた石の鳥居が見えた。階段を登る途中には、その浴場の源泉がくみ上げられており、何段もかけてお湯を落とすことにより温度を下げていた。もう、仙台に戻っても鼻は利かなくなっているかもしれないと、青鹿は思った。


「羽角さん、猫ってアイツじゃないですか?」

「おお、アレだアレだ」


 階段を上がり切った先は駐車場になるくらいに開けており、既に何匹かの狸が集まっているのが見て取れた。階段と社の丁度真ん中に使われぬようにブルーシートが被さった土俵があった。狸たちはそこの前に集合していた。


 青鹿は人目がない事を確認すると人間に化けた。そして全員に見えるように、軽く会釈するとその輪に加わった。


「見つかったよ」

「良かった、ボヤ騒ぎにならなくて」

「そっちの心配か」


 他の狸たちも失笑していた。


「それで? 連中はどこに?」

「『三の丸』って旅館に泊まっているらしい。住所の上じゃ鳴子だが、ほとんど山形に差し掛かってる県境にある宿だ。ここじゃ見つからない訳だな。ホレ、これが地図だ」

「こいつはどうも」


 渡された地図を見て青鹿は愕然とする。直線で考えるだけでも想像していた三倍の距離があり、実際にそこに続く道は曲がりくねった山道だった。


「ここからだと距離がありますねぇ」

「バスは通ってねえ。電車はあったんだが、確か今朝方に事故があってな、運転を見合わせてると言っていた」

「そういや、来るときもそんなアナウンスをしてたような」


 元々いきなりの旅で満足な旅費もない。青鹿はいよいよ覚悟を決めた。


「歩いていくか」

「気を付けてな。もし困ったら向こうにいる狸に声を掛けてみろ。湯の神の羽角うかくって名前を出せば、力を貸してくれるはずだ」

「分かりました。何から何まですみません」

「今度はゆっくりと湯に浸かりに来なよ」


 その時は、ほでなす全員を連れてきますよ――と約束して青鹿は一路、三の丸旅館を目指す。狸たちも湯神神社も見えなくなると、また猫の姿に戻った。日差しが弱くなって良かったと心底思う。


 地図は覚えたが、念のため器用に畳んで尻尾に巻き付けた。


「日が傾いてくれたのが唯一の救いかなぁ」


 青鹿は化け術が苦手な自分を久しぶりに恨んだ。例えば鳥にでも化けられたら少しは勝手が違うものの、生憎と猫族は幻術と違い、己の姿かたちを変えるのは苦手である。飛んでいく鳥は見せられても、肝心の自分は地面にいるままになる。最近では幻術は使えるが人間すら化けられない猫族も出てきて、ちょっとした問題になっている。


 まあ、愚痴っていても仕方がない。


 青鹿は二本足の、その倍の数の足で走れるだけでもマシだと自分を鼓舞させた。


 それから凡そ二時間が経った。


 山が近いせいで陽が見えなくなるのが早かった。空はまだ薄暮であるが、件の旅館に着いた頃には街灯が灯り、山中の虫たちが賑やかになっていた。


「ここか」


 地図が正確で、旅館が難なく見つかったのがせめてもの救いであった。正面玄関は透明な自動ドアだったので、中の様子を探るのに苦労はしなかった。ご丁寧に来泊中の団体名が玄関に出ていた。


「伝統芸能研究会御一行ってのがそうだろうなぁ」


 情報通りに一団らしき名前があり、青鹿は心底ホッとした。これ以上探し回る気力は生まれそうにない。


「さて、そろそろ夕飯時だけど」


 青鹿はその旅館の裏手に回った。塀を伝って比較的簡単に裏に行くことが出来た。いい塩梅の高さに窓が付いており、目論見通り食事用の大広間を見通せた。


 やがて家族連れが一組、カップルが一組、浴衣に身をくるみ広間に履いてきた。手付かずのお膳がまだ六つ固まっており、恐らくあれがサークルの連中の分であろうと当たりを付けた。


「あー猫ちゃんだ。ママ、猫だよ」


 家族連れの中にいた小さな女の子に気が付かれた。青鹿は向こうから見えないように気を配ろうとしたが、よくよく考えれば、別に身を隠すような疚しい事をしに来たのではないので、そのまま居つくことにした。しかし、女の子が気を引こうと持ってきた焼き魚の誘惑と戦うのは大きな誤算であった。


 だがしばらく待った後、期待していた席にはよく分からない一団が座ってしまった。若い人間もいるが、年食った方が多い。浴衣の着方が様になっていたので、和装を生業にしている人なのかもしれないと勝手に想像した。


 期待が外れた青鹿はまた一計を案じることにした。恐らくサークルの連中は、どこかに出掛けていて現在不在なのであろう事は分かった。雁ノ丞のメモには旅行は明日が終日であると書いてあった。自分が取れる選択肢を一つ一つ潰していくと、ようやく考えがまとまった。


「ここに泊まっていることは確かなんだから後は―――寝て待つだけだな」


 青鹿は再び玄関先に周ると、駐車場に停まっていた車のボンネットに乗って体を丸くした。これほどまで寝ないで過ごした一日は久方ぶりだと、すぐさま眠りに落ちた。辺りは日中に比べ、大分涼しくなっていた。


 ◇


 がやがやと賑やかな気配に目が覚めた。眠りは浅く、多分あれから三十分と経っていないと体感で憶測する。目を開けずとも前に人が立ち止まったのが気配で分かる。


「海潮、どうした?」

「猫がいる」


 海潮、という名前に反応し、顔を上げた。甚平に身を包んだ男が青鹿をじっと見ていた。


 湿気は残るものの、いつの間にか気温が落ちてきており、青鹿は一つくしゃみをした。


「どこどこ? お、本当だ。旅館の猫かな」

「首輪がないから、違うんじゃないか」

「海潮?」

「いや、何となく普通の猫と違うような」


 普段、狐狸貂猫を見慣れているせいか、青鹿を一目見て化獣と感覚的に分かっているようだった。


 青鹿は車から降りると、海潮とその友達と思しき男の足元にすり寄った。猫撫で声は人の警戒を解くのによく使う手だ。狐狸貂猫の中で、最も人間に近くにいるというのを猫族は頻繁に利用する。


「お、こっちきた。懐っこいなコイツ」


 名も知らない男に頭を撫でられたが、肝心の海潮は荷物を持って旅館の中に入って行ってしまった。荷物の一つも引っ掛けて海潮を二人きりで話をしようかと思っていたのだが、失敗した。なるたけ関係のない人間には正体を明かさず、また怪しまれずに事を進めたいのが本音だ。


 続々とサークル仲間らしき団体が戻ってきて、海潮を含め全部で七人が玄関をくぐった。ただ見ていた中に姫の姿がなく、いつの間にか見過ごしてしまった様だった。


 研究会一同は二階の部屋に戻ると早速酒盛りを始めたようだった。


 青鹿は屋根伝いに二階に上がって、海潮が一人きりになるのを待った。もし月が山の頂上を過ぎてもその機会が訪れなかったら、人に化けフロントで呼び出してもらうのも仕方なしと考えていた。


 大学生たちの盛声は部屋の外にまで漏れ聞こえてきた。


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