第21話 萩、燻る

 八月六日。


 小生は相も変わらず風梨家の離れに軟禁されていた。


 閉じ込められた座敷は最初に捕まった時と同じように、床の間はなく四方が襖に囲まれている。ひょっとしたら、この部屋自体が幻覚なのかも知れない。


 軟禁の名目を保つためか、手足の拘束は解かれ、食事も出されていたものの小生は疲労しきっていた。


 あれから幾度となく脱出を試みた。しかし鶴子の宣言通り、多勢に無勢の劣勢を覆すことはできなかった。化けていれば否応なしに消耗するが、富沢家の狸たちは入れ替わり立ち替わりに交代していき、小生はジリ貧だった。


 小生は来るかどうかも分からない好機のために力を蓄えることにした。眠りは浅く、急に一匹だけになったせいか、いつか八木山家にいた頃に感じていた不安感や孤独感が滲み出た様な夢を見た―――。


 小生は八木山家の跡取りとして、八木山藤十郎と菫の間に生まれた。けれども蝶よ花よと育てられた記憶はない、寧ろ仲間にも親にすら疎まれていたように感じる。それは年を追うごとに強く感じられた。


 理由は分かっている。


 小生が一匹だけで化けられるから。


 つまりは嫉妬だ。


 少なくとも二匹で息を合わせなければ化けられない貂族は、言ってしまえば自分の化け術に自由がない。片棒を片ぐ奴が首を振れば、化け術は上手く成功しないのだ。他の化獣であれば諦めもつくだろうが、同族の小生がいとも容易く行うそれはさぞかし眩しく映ったであろう。


 一年ほど前、ちょっとした口論の末に小生は仲間の一匹に言葉を売ったのだ。


「一匹だけじゃ化けられない癖に生意気な事を言うな」


 すると代金とばかりに買い言葉が返ってきた。


「お前こそ、一匹だけで術をひけらかすな。貂の癖に狼気取りか」

「誰に向かって口を聞いていやがる」

「痛いところを突かれたら親父の名前を出すのか? それが一匹だけで何でもできるって言ってた奴のやることか」


 まさに急所を突かれた小生は反論もできずに思い切り噛みついた。


 その喧嘩は瞬く間に広がっては方々に頭を下げさせられた。何で自分よりもできない奴らに頭を下げなければならないのか。悔しくて悔しくてたまらなかった。


 粗方に頭を下げて帰ってきた時、親父は言った。


「一匹だけで何でもできると思うな」


 何でだよ。できるているじゃないか。一匹だけで化けられるじゃないか。親父だっておふくろだって、貂族で一匹だけで化け術を使えるのは自分だけじゃないか。




「いいさ。こんなところにいるから術が腐るんだ。一匹だけで生きて見せるさ。一匹だけで何でもやって見せるさ」



 それが今のところ、親父と最後に交わした会話だった。

 

 今、小生を覆っている孤独や不安は後々に芽生えた感情だ。


 茂ヶ崎の住処にいた時に最も感じていたのは疎外感だった。仲間意識がこりてんみょうの中で一番と言われる貂族の中で感じる疎外感を誰が理解してくれよう。小生が一匹だけで化けられることに憧れる感情を共有できないのと同じく、誰も一匹だけの疎外感など共感してはくれなかった。


 だから、ほでなすの会の連中とは話が出来るだけで嬉しかった。あいつらは一匹だけで術を使うのが常で、その意味では小生と同じだった。そして、それぞれが家から疎まれ、つまはじきにされていたのだ。自分と似た様な奴が沢山いるというのが分かった時の一種の安心感は、生まれて初めての感覚だった。家出が軽々しく行えたのは、ほでなすの会があったからであろうとつくづく思う。


 家を出る時に勝手気ままに、自分の為だけに生きようと決めたのだ。


 弱い奴やできない奴に合わせてやる必要などないではないか。


 なのに何故小生はここまで、疲れ切っているのだろうか。


 そう思った途端、一人の男が夢の中に出てきた。


 これは、あの日の夜だ。


 当てどなく歩いていた道で油断して自動車に撥ねれられた。車のライトに照らされた後、目に移った風景は見慣れぬ建物の中だった。気絶したままの振りをして耳を済ましていたら、聞こえてくる話しぶりで動物病院であることはすぐに分かった。


 何やら説明を受けた男は、小生を引き取ると自分のアパートへ戻っていった。


 部屋につくと男はどこかに電話を掛けた。小生はそれを段ボールとクッションで雑に作られたベットの中で聞いていた。それはつい散財してしまったといい訳をして、親に金の無心をしている電話だった。今と同じく夏休みで家に籠っていた男は、親から金を送ってもらうまでの二日間、何も食べはしなかった。小生の治療費を出したから、というのが分からない程の馬鹿ではない。


 人間でない小生のために、食べるものも食べずにいるこの男は一体何者なのかと、疑問に思った。同時にお礼を言いたくもなった。


 決して軽口ではなく、心の底から礼を言いたいと思ったのはアレが初めての事だった。


 貂の姿のまま口をきいた方が驚くだろうか、それとも見知らぬ顔とは言え人間に化けた方がいいだろうかと迷った末、小生は人間に化けることにした。ところが、男は小生の予想以上に混乱したため、化獣やこりてんみょうの事を説明するだけで話が終わってしまった。その時は結局、礼を言いそびれた。


 それからも礼を言おうと男の家に足繁く通っていたのだが、その都度言いそびれ、今に至る。そして小生が部屋に行く度、男は腹は減っていないかと食事を出してくれた。尤も九分九厘が南瓜料理だったのだが。


 小生の頭の中には、二日間何も食べないで耐えていたあの男の姿が未だに残っているのだった。


 優しい人間は知っているし、そうでない人間も知っている。特別な事でない。小生も訳も無く誰かに優しくすることは多からずある。だが、自分が何かを耐えてまで誰かに何かをしたことは記憶にない。我慢を知らないという意味ではない。例えば、男と出会う前の小生は男と同じ事をしなかったであろうと思う。今現在であっても、空腹の自分が誰かにエサをやる姿を想像できない。


 昔、ほでなすの会にいる色々と聡い猫に、これは一体なんであるのかをそれとなく聞いたことがあった。


 普通の人間はそれを親切と言う、捻くれた人間なら偽善、気取った人間なら愛、斜に構えた人間であったなら自己犠牲と言うものだと教えてくれた。それに対して小生は、分かったような返事をしてその話は終わった―――けれども、今でも引っかかっている。


 再び男の顔がちらついた。


 そうだ。


 男が女にフラれるのなら、それはそれで構わない。


 全ての事情を知って、大人しく身を引くのならそれでも構わない。



 だが、誰かの勝手な都合だけで何も知らされず、自分の恋の終わりだけを無情に告げられるというのだけは許せない。



 小生は心中の燻りを悟られぬように、そっと焚き付けた。だがそれが燃え上がることはなかった。


 不意に部屋に掛けられていた化け術が解けた。そして、周囲の狸の気配が収まると正面の襖が開いたのだった。

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