第1話 子平町のカボチャ男
仙台駅よりやや北西に子平町という小さな町がある。
そこに所縁がある者かどうか、見分ける術が一つある。町名を「しへいちょう」と呼称する輩はモグリと言っていい。正しくは「しへいまち」と読む。
曹洞宗金台山竜雲院に葬られている寛政の三大奇人が一人、林子平に因み名が付いた。
名物らしいものと言えば、町名を冠した「子平まんじゅう」という菓子があるのだが、それ以外は特に変哲も何もない。家があり学校があり、ぽつぽつと個人の商店が立つ、ただの住宅地である。
小生こと
件の寺院には林子平の他、鴉組で知られる細谷直英や、昭和を代表する作曲家である万城目正の墓もあり、学武音才にご利益を求め訪れる参拝客も多いという。
けれども、小生がそこを目指すのはそんなご利益の為ではない。貂である小生には、学問も武芸も音才も授かったところで全くの無用の長物であるし、そもそも神仏ならいざ知らず、人間の墓から授かれるものなど高が知れていると思えてならない。
寺院の門にまで辿り着きそれを正面に見ると左にはマンション、右には寺の参拝者用の駐車場があるだけで一見では行き止まりと思う者が多い。だが実は、奥に自転車の一台くらいなら通れる細道があるのだ。
そこを通り、寺の裏手に抜ける。裏にはアパートが一軒建っており、そこに一人の大学生が住んでいる。
彼の名は
小生の命の恩人であり、まあ、友人と言ってもいいかと思っている程の人物である。
二階に上がる階段の途中でチラリとボロアパートの駐輪場を見る。海潮が出掛ける時はスクーター移動が主になるから、置いてあるスクーターを確認してホッとする。事前に連絡をすることは皆無だから、肩透かしを食らう事が少なからずあった。
呼び鈴が壊れているので、代わりにドアを五回ノックする。家主はこれで来訪者を身内かどうかを区別している。尤も大概の知人は携帯電話等を用いて連絡を取っているので、これは小生専用のやり方と言って差し支えは無い。
一つ間を置いて待ってみても反応がなかった。更にもう五回戸を叩く。すると中から気配が伝わって来た。
「よう」
ドアが開くや否や、碌に顔も見ないで声を飛ばす。
「また来たのか」
ため息交じりの家主は夏によろしく涼しげな浴衣を着ていた。小生のせいか、暑さのせいかは分からぬが気怠そうである。
「お腹が空いたもんで」
「ウチは定食屋じゃないぞ。まったく」
ブツクサ文句を言うのはいつも通り。そして結局は部屋に上げてくれるのもいつも通りである。
1Kの部屋は流しが空の酒瓶や缶で散らかってはいるが、その他は男やもめにしては片付いている。以前はゴミも私物も味噌糞一緒のような部屋であったが、とある事件をきっかけに小奇麗にするようになっている。
勉強か調べ物でもしていたのか、部屋の中央に置かれているテーブルとその周りには本が乱雑に置かれていた。
海潮が大学で何を専攻しているのかを小生は知らない。然したる興味もない。けれども、彼が大学で所属している珍妙なサークルには頗る興味を持っていた。本の表紙を見る限り、そちらの分野の本を読んでいたようだ。
キッチンを正面に卓を挟み、窓を背にして座るのがこの部屋での小生のポジションだ。この時期は日光が容赦ないので考えものだが、幸い今日は外からの風が遠慮することがないので涼しかった。
脇に散らばっている書籍の類を退けながら、適当に積み上げていると海潮が料理の一皿と麦茶を持ってきた。
「ホレ。これしかない」
「やっぱりこれか」
味があるのか無いのか分からない平皿に雑に盛られた冬至南瓜が出てきた。
この夏月海潮と言う男は南瓜があれば生きていけると自他共に思っている程の南瓜好きな男で、ジャック・オ・ランタンなどというあだ名が付いている。
ジャック・オ・ランタンとはハロウィンで活躍する有名なお化けであり、日本では南瓜を顔の形にくり抜いた照明器具として知れ渡っている。そんなものだからこのアパートの一室も、海潮を知っている連中は当人が怒らないのを良いことに皆こぞってハロウィン・ハウスと呼んでからかう。
だから今の軽口もこちらとしては普段のやり取りとして、一つの愛嬌のつもりで言ったのだが向こうは不服だと思ったようで、
「文句あるか」と返してきた。
「いやいや、ハロウィン・ハウスに来て、南瓜じゃないもんが出てきたら戸惑うところだ。しかし好きだね」
「悪いかよ」
「悪くはないさ。けど、夏の真っ盛りに冬至南瓜って」
「冬の料理を夏に食べてはいけないなんて規則はないだろ。栄養が取れればいい。美味しければ尚いい」
「それはそうだ」
小生は好き嫌いらしいものは一切なく、むしろ南瓜は好きな部類だ。只でさえ甘みのある南瓜に、小豆が入って更に甘くなるのも大好きである。
腹も空いていたので、遠慮なくがっつくように食べていた。
「食ったら帰れよ。今日は遊んでやれん」
「出かけるのか?」
南瓜独特のもたもたした食感と、小豆の咽るような甘さで乾いた喉を麦茶で潤してから返事をした。
ふと目をやると、海潮は流しの片付けをしていた。
「付いて行っても構わないだろ」
我ながら器用に頬張りつつ、尋ねてみる。
「構わんが、飯は奢らないからな」
「つれないなぁ」
「一人暮らしの貧乏苦学生に飯をたかるな、人でなしめ」
実に的確な見解だったので、
「確かに、人ではないな」と妥当な返事をしてみる。すると、
「それもそうだな」と、ごもっともな答えが帰って来た。
慣れた口合いで喋っていると、壁時計から十一時の鐘が聞こえた。そして合わせたかのように、流しの片付けを終えた海潮が部屋に戻ってきた。
「ところで大学は? さぼりか?」
「人聞きの悪いことを言うな。夏休みだよ」
朝夕、春夏秋冬くらいは気にもするが、元来、小生ら狐狸貂猫は時間などにはさして拘らない。特に曜日感覚というものは、頑張って覚えていてもいつのまにかトチ狂っていることが儘ある。海潮と知り合ってからは多少努力をしているつもりだが、どうやら本当につもりらしい。
「ああ、そう言えばそうか。いいな、夏休みは」
「年がら年中休みのド畜生がどの口で言う」
「小豆塗れの口で言う」
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