[短編・完結]お人形の嫌がらせ[百合]
ばやし せいず
第1話
地べたに勢いよく尻もちをつく。
同時に、相手の剣先に喉元をとらえられてしまった。
――殺される。
ヴィヴィの胸のあたりが、大砲を放ったかのようにどんと鳴った。
弾きとばされてしまった剣を拾いに行くどころか、立ち上がることすら許されない彼女は相手を見上げた。己を仕留めようとしている男を。
彼は
できないが、きっと無表情だ。
涼しい顔で、この男まさりの、そして無様な小娘を見下ろしているに違いない。
マルクという男はそういう人間だ。
間抜けな姿のまま動けないヴィヴィは、強まっていく自分の鼓動にただ耳を澄ませた。
己を支配しようとしているこの感情は一体何だろう?
恐怖などではない。それだけは確かだ。怯えるのではなく、むしろ興奮していた。剣では誰にも負けたことの無かった自分を打ちのめす相手を見つけられたという喜びで。
――ぼくが
ぴいぴい泣きじゃくり命乞いする己の姿を思い浮かべてみた。
間抜けな自分の幻影につい笑いそうになる。しかしぐっと堪えた。
今は稽古中だ。
道楽の時間ではない。
殺されることはないが、真剣な時間だ。
剣先がすっとどかされる。
青年マルクは――ヴィヴィの師匠は――剣をしまい兜も取った。予想通り真顔が現れる。十九という年齢にしてはやや幼い顔だが、精悍で整っていた。頬は薔薇色に染まり、肌の上で汗が光っている。
額に張り付く黒い髪を梳かす前に、彼は右手を差し出してきた。紳士的な行為で、ふつうの乙女ならうっとりするのかもしれないが、男として扱ってほしいヴィヴィの癪に障る。
「自分で立ち上がれますよ、マルク先生」
ヴィヴィは師匠に宣言した通り、鎧を纏ったまま自力で立ち上がってみせた。振り落とされた剣を拾い兜を取る。金色の長い髪をまとめ直すと、自分より頭一つ分以上背の高いマルクに向き直った。
彼と自分との年の差は三つ。あと三年で彼ほどに身長を伸ばしてもらえないだろうか、神よ。
過酷な稽古のせいで湯気の立ちそうな頭から邪念を払い、顔を引き締める。
「もう一度お手合わせを願います!」
今しがたの稽古では一瞬だけ……、本当に一瞬だけ、こちらの優勢になった。
ヴィヴィだって弱いわけではない。年の離れた兄たちをこてんぱんに叩きのめすほどの実力はある。
しかしマルクとの稽古中に優勢に立つことは初めてだった。
手応えを感じていた。ここで終わりにしたくない。
「……」
マルクが何か言いかけたと同時に、「だめですよ、ヴィヴィアンヌ様!」と遠くの侍女たちが抗議する。
「そろそろお支度をしないと!」
「クリスティーナ様のお茶会に遅れてしまいますわ!」
仕事をするふりをしながら屋外稽古場を見渡せる回廊にて稽古の見学していた侍女三人が叫んだ。彼女たちの声が澄んだ青空にお行儀悪く響き渡る。
(お茶会、か)
午後の予定を思い出し、顔をしかめた。「お茶会」は、彼女がこの世で二番嫌いな言葉だった。一番嫌いな言葉は、「クリスティーナ様」。狐のような顔の性悪第三王女様。
「今日はここまでですね」
マルクは小さくため息をついた。
「王女様とのお茶会、楽しんできてください」
「先生もいかがです? とーっても楽しいですよ。
「私は招待されていません」
「ぼくから王女様に提案しておきます」
「遠慮します。彼女の男嫌いは近衛兵たちの間でも有名ですから。私が参加しても機嫌を損ねるだけです」
マルクは淡々と言って立ち去ろうとする。ヴィヴィは回廊へは向かわず彼の背を負った。
「先生がお茶会にいらしたら、王女様はともかく侍女たちは大喜びです」
「侍女たちが? どうして」
「近衛兵随一の美男子がお茶会に来ると聞いたらみんな色めき立ちます。今だってほら、先生を気にしている」
マルクは歩みを止めはしなかったが、ちらりと回廊を振り返った。彼の目線の先にはまだ仕事を怠けている侍女たちがいる。
「ヴィヴィアンヌ様を見ているのですよ」
マルクは弟子の言葉を信じていないようだった。
「では、先生。試しに侍女たちに手を振ってみてください」
「手を?」
「手の振り方も知りませんか。こうです」
ヴィヴィは右手を高く上げ、手のひらをひらひらさせた。年頃のレディらしからぬ所作だが、
「きゃあーっ! ヴィヴィアンヌ様!」
黄色い声が上がった。
それを聞いたマルクが「やはり」と言いたげにため息をつく。
「あなたにお熱なのではないですか」
「次は先生の番です」
「……」
「ほら早く!」
促され、マルクは眉根を寄せつつ胸の前で軽く手を振った。
「きゃああーっ!」
ヴィヴィはにやりと笑い、あっけに取られている師匠の前に回り込んだ。
「では、一緒に!」
強引にマルクの手首を取り、一緒に腕を上げる。
耳をつんざくような侍女たちの歓声が上がった。
「どうやら私たち人気者みたいです」
マルクを見上げる。稽古後の彼の頬の赤みがさらに増したように見えた。
――見てくれは良いけど中身はまるでダメ。
ヴィヴィはマルクの手を下ろしてやった。
「失礼します」
逃げるように去っていくマルクの背中を見送りながら、内心で深くため息をつく。
彼に花嫁候補がいるのかどうかまでは知らないし知りたくもないが、きっとお相手は退屈な結婚生活を送るに違いない。
――でも、剣の腕前だけは確か……。
自分の喉を指先で触る。
ここを正確に狙ってきた剣先の鋭さを思い出した。身体がぶるっと震え、ヴィヴィの頬も染まっていく。
――いっそのことあの剣で殺されたかった。
殺されたいなんて、不信心な考えをした自分に戸惑う。しかし、命を差し出したいと思うほどに彼は強い。
外見と剣の腕以外は冴えないが、弟子が女だからといって手加減しないところだけは、好感が持てる。
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