第32話 祭りの夜

 作戦決行の日がやってきた。

 

 18時半。

 陸は大部屋で夕飯を食べ、平静を装って空のお膳を桜井さんに渡した後、トイレに行く振りをしてトイレの個室でたすきに借りた私服に着替え、そのまま素早くエレベーターに乗ってバーの裏手までやってきた。


 今日はお祭りなのでバーの店舗はお休みで、マスターは広場で屋台を出しているらしい。

 いつもと違って看板が出ていないノンアルコールバーの裏手に陸が着くと、先に来ていた襷と理人が振り返った。2人とも今日は患者衣ではなく私服姿だ。今日は人目につきにくいこの場所に4人で集合する約束だった。

 

 理人については体調が心配だったが、今度こそどうしても行きたいと本人が譲らなかったので、AEDの未来版のような小型の機械を持ってきた。理人の私物らしい。いざという時は陸と襷がこの機械を使って時間稼ぎをしながら、救急フローライドを呼ぶ手筈てはずになっている。

 

 18時40分。

 3人の前に、スポーティーなキャップに前髪以外をすべて入れた美澄みすみが現れた。チャコールグレーのタイトなTシャツと細身のジーンズが、美澄の曲線的なプロポーションを薄く包んでいて、思わず目を奪われた。


 すると美澄が急に自分を見据えたので、陸は露骨に動揺したが、美澄はジーンズのポケットから紐のついた小さなプラスチックタグを2つ取り出しただけだった。

 

「これでいい? 入場タグ」


 美澄は2つのタグのうち1つを陸に差し出し、もう1つを自分用としてポケットに再度しまった。

 そしてキャップを外して首を振り、さらりと出てきた黒髪を手ぐしで整える。入場タグの列に2回並ぶために、2回目は帽子で変装したらしい。面会を装ってセンターに入ってきた時といい、なんだかんだ肝の据わっている子だ。 

 

 夏の夕空は薄青く褪せてきてはいたが、まだわずかに明るさを残している。


 広場にはもう屋台が出ているらしく、太鼓や笛の音が弾むように響いている。ゲート一般解放の開始時間を過ぎて、外からもぞろぞろと一般客が入場してきていたが、陸たちは人混みを背にして、足早に人の少ない北側ゲートへ向かう。


 ゲートの建物に入り、陸が認証機のポートに入場タグをかざすと、ゲートの扉はあっけないほど簡単に開いた。


 本当にここを抜け出すんだ。開け放たれた扉から外の湿った空気が入ってくる。陸は覚悟を決めて足を踏み出した。

 

「かずさんの家は、ここから2つ先のマンションだよ。歩きでも5分と掛からないと思う」

 

 そういえばいつの間にか美澄は敬語からタメ口になっていた。彼女は高1なので一番年下だが、特に同じ高校でもないので3人のことは先輩というより友達感覚なのかもしれない。

 

 日は急速に暮れてきていた。立ち並ぶビルの黒いシルエットの隙間から、藍色が徐々に深くなっていく空が垣間見える。ゲートの外では街灯の白い明かりがぽつぽつと一定間隔でともりはじめていた。


 見渡してはみたが、このあたりは黒い円柱形のビルばかりのようだ。おそらく瓜生さんが住んでいるのは、陸の知っているような形状のマンションではないのだろう。

 

 幸い瓜生うりゅうさんの家はかなり近いらしく、フローライドは使わず生ぬるい夏の夜風の中を美澄の先導で歩いていく。今のところ怖いくらいに順調だ。

 

「ここだよ」

 

 美澄がずんぐりと低い円柱形の建物の前に立ち止まる。黒い壁面には等間隔に窓があり、壁面が一部ガラス貼りになっている部分がエントランスのようだ。これが未来のマンションか。

 

 エントランスを抜けると、円柱形の建物の真ん中はくりぬいたように吹き抜けになっていた。吹き抜けの底部分は庭園のように植物が植えられている。


 空はさらに暗くなり、月の存在感が増してきていた。


 吹き抜けに沿って建物の内周に円を描くように外廊下があり、そこを歩くとそれぞれの住居のドアがいくつも並んでいる。そんな回廊が5階層あるようだ。一体どれくらいの人数が住める集合住宅なのだろう。

 

 4人はエレベーターで4階に向かい、ひとつの玄関ドアを囲むように立つ。表札には「瓜生」と書かれている。

 

 陸は他の3人を見回し、息を深く吸い込んでから、インターホンのボタンを押した。果たして上手くいくだろうか。

 ポーン、と軽やかな電子音がドアの内側で響いた。カメラに写りやすいであろう位置に立って、瓜生さんがインターホンに出るのを待つ。緊張のせいか、背中を汗が伝うのが分かった。

 

『……えっ!!』

 

 インターホンから女性が驚く声がした。バタバタと足音が近付いてきて、玄関ドアが荒々しく開いた。

 

「柊?! どうして!」

 

 想定外だった。陸がまだ何も話していないのに、瓜生さんらしき女性は裸足で玄関から飛び出してきた。

 予測以上に作戦が上手くいきすぎて、罪悪感が陸の胸を締め付ける。

 

「……すみません。僕はしゅうではありません」

 

 理人と美澄が驚いている気配を背中に感じる。事前の計画では、瓜生さんが玄関を出てきたら理人に交代し、陸は喋らないことになっていた。

 しかし、気付いた時には陸は自分で話していた。結果的に騙して外まで出させることになってしまった以上は、ここからは嘘なくまっすぐ向き合いたいと思ったからだ。

 

「信じられないかもしれませんが……僕は、100年前からタイムマシンで来た陸といいます。僕と、そこにいる理人さんは、柊さんの親戚である可能性があります。少しお話をさせていただけませんか」

 

 瓜生さんは、40代前半ほどに見えた。やや背が高くスラリとした身体に、肩ほどまでの焦げ茶色の髪。上品でシックな服装に、銀色のペンダント。見た目からも普段は落ち着いた人物なのだろうと感じられるが、今は裸足だ。

 

 瓜生さんは涼しげな目を大きく見開き、陸を上から下まで見る。タイムマシンの存在は一般にも公表されているはずだが、果たして信じてもらえるだろうか。

 

「……」

 

 瓜生さんの顔が月に照らされている。彼女は陸の目を見つめ、落ち着いた声で言った。

 

「……上穂木かみほぎ 陸さんね。まさかあなたに会える日が来るとは思わなかったわ」

 

 陸は目を見開いた。

 陸は名字を名乗っていない。しかし、彼女はその名を口にしたからだ。

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