第2話
鏡としての私に、いったいいつから意識が芽生えていたのか。
自分でもその日のことはもう思い出せないのに、小さなサイラスの存在に気づいた日のことはよく覚えている。その頃のサイラスは、壁掛けの私のすぐそばまで来ると身長が足りなくて映り込まないくらい、小さかった。
蒼氷色の髪に、同色の瞳。色味の薄い白い肌に、天使か人形かと言われるような端正な面差し。
当時すでに老齢であった魔術の師匠ダリルのもと、日夜修行に励んでいたサイラスは、めきめきと実力を伸ばしていた。
研究室の壁にかけられていた私は、その様子を微笑ましく見守っていた。
やがて、ダリルが亡くなった。
すっかり身長が伸びて、見た目は大人に近づきつつあったサイラスも、そのときはまだ十代はじめ。
葬儀を終えたあと、ろくに食べることもせず、ただたださめざめと泣き暮らしていた。お目付け役を失ったこともあり、生活リズムは大いに狂い、命すらも危うかった。
“あなたまで死んでしまいますよ! まずはごはんを食べましょう!”
私はサイラスを体に映し込みつつ念じ続けていた。
その思いの強さが、サイラスの底知れぬ魔術感知能力に引っかかったらしく。
「……いまのは、君か……? 俺のことを、心配してくれている?」
見る影もなくやつれた着の身着のまま、おぼつかない足取りで私の元まで歩み寄ってきたサイラスは、私の体(※鏡面)に指先で触れた。
“はい、私ですよ!!”
「ああ……。俺にはまだ、こんなにも心配してくれる君がいたんだな……」
サイラスは私のつるぴかで冷たい肌(※鏡面)にすがりながら、きらきらとした綺麗な涙を零してむせび泣いた。
傍から見るとその光景は、サイラスが鏡に映った自分自身に語りかけ、抱きつき、泣いているという、曰く言い難い場面であったのは間違いない。お師匠様を失った悲しみで、少し動転してしまったのでは――同居人なり、部屋まで上がり込んでくる親切な隣人がいたらそう考えたことであろう。
しかし、館の奥まった研究室まで他人が足を踏み入れることは、まずなかった。
よって、サイラスが自分の姿の映った鏡に話しかけたり、ときには笑いかけたりしている姿は誰にも目撃されることなくその後十年の長きに渡って続いたのである。
私は声を出すことはできなかったけれど、心はいつもサイラスと通じていると感じていた。
“サイラス、今日も素敵ですね”
「ああ、君はなんて可愛いんだ。君なしには立ち直れなかったし、この先君なしに生きていくなんて考えられない」
私が一言何か言えば、サイラスは挨拶代わりのように愛の言葉を雨あられと降らせてくる。
のみならず、ある晩、思い詰めたような表情をしたサイラスは「本当に、君がいてくれたから、今日まで俺は」と言いながら私に唇を寄せてきた。私達は、その日はじめての口づけを交わし、関係性をまた一歩進めたのだ。
傍から見るとその光景は、サイラスが鏡に映った自分自身を愛のことばでかき口説き、あろうことか自分自身に口づけを――(以下略)
研究室が煮えたぎるほどの高温に包まれる研究をしていたある日、サイラスは「暑くて服など着ていられない」と言いながらローブを脱ぎ捨て、その下に身に着けていた袖なしの下着まで両腕でまくりあげて脱ぎ捨てた。普段研究にばかりかまけているように見えていたサイラスだけど、重い実験器具を運んだりと肉体を酷使することもあるせいか、ほっそりとした体は意外なほど筋肉質に引き締まっていた。
その裸体を晒してから、ハッと気づいたように私を振り返り「ごめん……! 暑くて頭ぼーっとしていたから、こんな。すぐに服を着るから。うわ、俺何やって」と焦って足元に散らばった服をかき集めつつ私に視線を流してきた。羞恥と熱気のせいか、目元から頬、耳や首までもが朱に染まっていた。
傍から見るとその光景は、サイラスが鏡に映った自分自身の裸を発見し、顔を赤らめながらも横目でチラ見をしている――(以下略)
十年、本当にいろいろありました。
そうやって少しずつ関係性を深め続けた私たちの日々は、私が砕け散ったところで終わってしまった。
“さようならサイラス……。また会える日まで”
終わった、はずだったのに。
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