第33話 さみしさの果てに ◆【1688年12月27日】



江戸時代――元禄げんろく元年。



村が寝静まった深夜一時。


植林業を三代にわたって営む桧山創一ひやまそういちの自宅。


静けさの中、主人が一人寝室で厚手の布団にくるまりながら寂寞せきばくの幾夜を過ごしていた。


妻に先立たれてから三年。

桧山ひやまは今年で四十二歳の厄年やくどしを迎えていた。


簡素な木造作りの一角が老朽化で腐食して穴が空いている。


隙間風が所々入り込んでくるのを雑巾や荒布で押さ凌いでいた。


家の補修にも手が入れられず、心に力が入らない。


そんな心の穴に一筋の闖入者ちんにゅうしゃが入り込もうとしていた。


それは細い手をしていた。緑色のよくしなる妖手ようしゅ


自在に操られる形状で、桧山ひやまの寝室へと忍び込む。


カーテンもない窓に青白い下弦の月が怪しく照らす中、穴から巨樹の根の先でありながら手の器用さで伸ばして男の寝姿をみとめた。


女の髪の毛ほどに細くなった先端。


妖力をまとったその繊維質に一度触れれば、刃に切られたような痛みから出血を伴う。

背後から桧山ひやまにつながることでその生命力を奪いに今にも襲い掛かろうとしている。


その距離、わずか一尺……


静寂を破る。


「腹が減ったか?」


ビクッと男の寸前で止める。

まさかの反応に戸惑う。


桧山ひやまおもむろに身を起こす。


緑色の生物はすぐにでも逃げ出すこともできたが、なぜかその場から動けなかった。


寝巻き姿のまま桧山ひやまは目の前の現実を直視する。


近年、村人たちがおかしな出来事に遭遇している噂を耳にしてきた。


衣服を貫かれ、身体に出血痕を残しながらも先刻より若々しさに溢れ、精力がみなぎり果ては絶倫ぜつりんを覚えるという。


その主犯とおぼしき存在を見たものはいない。


わしはもう失うものはない。それにもう宿痾しゅくあに侵され長く生きられない身だ。丁度よかろう。喰らうがいい」


桧山ひやまは右手を差し出した。


一瞬ひるんだ緑の先端。

ややあって、先程より緩やかな仕草で男の右手に触れる。


触れた瞬間、男の表皮がじじっと熱に切られ熱い液体が手首から腕を伝い、寝具を染め始める。


桧山ひやまは顔をゆがめることなく緑の根を見つめる。

流血にも関わらずそれをしょくそうとはしない。


「どうした? 喰わんのか?」


根尖こんせんはその刃を退け丸みを帯びていく。

男はそのわずかな変化を見逃さなかった。


男の手が先端を握る。

出血は止まり、これ以上流れることもなかった。


「そうか――お前さんも寂しいのだな……」


目の前の生物は驚いたように見返すような動きを見せる。


「職業病かな、緑に触れればその状態が何となくだがわかるのだ。お前さんはずっと独りだった。それで寂しくなり、人里へ降りてきた……違うか?」


持つ手が少し震えたのを感じとる。

月明かりが寂寥せきりょうに映える。


「お前さんはあの丘のくすのきの御神木様だな、わかるぞ。この形状、硬さ、くすのきの木の根に近いな。それにこのうれい……」


くすのきの根はじっと動かない。

桧山ひやまを正面から見据えているようだ。


「寂しくなったらまた来なさい。血が欲しいのだろう?」


根はゆっくりとうなづく。


「私の血液を小瓶に詰めておく。時間が経てば固まってしまうが悪くは思わんでくれ」


男はそう言って薬を入れておいた小さな瓶を手に取り、枕元の冷床に底を当ててコトリと鳴らした。


「壁の穴はあけたままにしておく。必要ならそこから入りなさい」


握った先が少し熱く濡れた気がした。

透明な液のように見えたそれは、感情の色が込められている。


桧山ひやまは口元をほころばせながら枕に頭を沈めて天井を暗くした。

 


それから数日の刻が流れた。



桧山ひやまは寝る前に欠かさず自身の指先を熱したナイフで傷をつけ、流れるしたたりをガラス製の小瓶に注いだ。


ふたをせず、そのまま床に入り隙間風に身体を縮ませる。

男は月を見ることもなく眠りについた。

 


翌朝――



男は目覚めるとまず床上の小瓶に目が留まった。

 

一筋の赤も残されていない中身。

綺麗に空っぽになっている。


明くる日も明くる日も桧山ひやまと緑のやり取りが続いた。

幾度となくそのうごめく取り巻きは桧山ひやまの生命を奪うことなく、ただそのつながりを求めてくるようになった。


隙間風が塞がれる度、男の部屋を自然に温めていく。


桧山ひやまは抵抗しなかった。

抵抗するどころか、むしろ与える量は日を追うごとに増していった。


毎日の小さな献血。

貧血を心配したが杞憂きゆうであった。


桧山ひやまは内心感じとる。

この習慣を取り入れてから身体の調子がなぜかすこぶる良好なのだ。


それは身体だけではなく、精神面でも効果が現れ始めた。


最初は小さな変化だった。

流血するたびに身体中の毒素が抜けていく感覚。


傷の塞がりも秒をもって改善し、内側から宿っていく英気。


気力は充実し、前進的な気鋭が顕著に現れ始めた。


家の補修も庭の手入れも、そしてしばらく疎遠だった林業の仲間たちへの社会性にまで及んだ。


こんなことは初めてだ。


あの緑との接触がこれらの変化の始まりだったと思える。



御霊験ごれいげんか……まさかな……



「おぉっ 桧山ひやまの旦那ぁ! 最近元気そうだなぁ! どうだ? 今晩一杯やっていくかぁ?」


林業の仲間の若造が快活に声を掛けてきた。

丁度庭でまきを割っているところだった。

 

「あぁ、そうだな。だが、寝る前に家でやることがあるからな。零時には帰るぞ」


「まぁ、そりゃあ構わねぇさ。前から言っていたアレを植える算段はついたのか?」


「あぁ。一時は諦めていたが踏ん切りがついた。どうか力を貸して欲しい」

 

「お安いご用だぜ、旦那。俺ぁ嬉しい限りだ。この機を逃しちゃあ一生後悔するところだったぜ」

 

その若造は多くの同業者に慕われている人望の厚い男だった。筋骨は程よく隆起し、黒く焼けた健康的な肌には汗がよく似合う精悍せいかんな英姿であった。


桧山ひやまが活力を取り戻してから一月が経とうとする頃。

五十を超える同志を集めるほどまでその規模は拡大した。


最大の理由は夜間、村人への神木による求血きゅうけつが一斉に止んだことだ。

桧山ひやまが毎晩のように甲斐甲斐かいがいしく奉血ほうけつを始めてから、声を揃えるように村人から言伝が広まっていったのだ。


御神木の根による窃取せっしゅ桧山ひやまの献身によって顕著に抑えられている。


彼はこの村の守り神だ。

また、唯一あの御神木と意志を通わせられる人間。


きっと何かこの先の行く末に向けて、私たち村人に光明を見出してくれるだろう。


その期待も相待って、これから一大事業が始まろうとしていた。


それは、御神木であるくすのきふもとに縁起の良いとされる百六十八本のさかきの木を植林することだった。


これによりくすのきである御神木をあがめ、たてまつり、長きに亘り抱き続けてきた寂寥感せきりょうかん払拭ふっしょくする。


巨樹から半径百メートルの円周上に等間隔で苗木を植えていった。


約一年の月日を費やしたが、その間も、村人への夜間浸潤しんじゅんは見られなかった。


ようやく平安が訪れた時代。


さかきの木も順調に根を張り、丈を伸ばし成長したあかつき其々それぞれの幹に神を呼ぶ神楽鈴かぐらすずを赤いひもくくり付けた。


これは魔物や邪気を払い、神を呼び寄せる神聖な鈴である。


桧山ひやまは孫の代までこの鈴の役割を語り継いだ。


「御神木様は私たちに若返りの力と英気、気概きがいを授けられた。

霊験灼れいげんあらたかとしての神の存在を後世に残し言い伝えるのだ。決して絶やしてはならぬ」


「れいげんあらたかって、なぁに?」

孫の一人はその聞き慣れない言葉の響きを聞き返す。


「れいげん……あらたかっていうのはね、ご利益りやくがあるっていうことだよ」


桧山から最後に滲み出たにっこりとした言葉に「そうなんだぁ」と孫たちは嬉々ききとして反応を示す。


桧山ひやまはそれを見届けると、静かに瞳を閉じた。


外の空気に光が舞い降りる。


桧山ひやまは皆にその生涯を捧げ、囲まれるように天にされた。


そして彼の献身はさかきの木々に脈々と受け継がれていく。


神楽鈴かぐらすずの鳴りにたくして。

村と神木の共存と安寧あんねいを願って。




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◆ すずなり年表Tips しつ ◆



【紀元前975年】

御神木のくすのきが生を受ける


【1688年】江戸時代 元禄元年

12月27日 月曜日 仏滅 → 第33話 桧山に御霊験が与えられる → 榊の木を植える → 神楽鈴の供与


【1732年】

江戸時代 享保きょうほう大飢饉だいききんの期間中


2月5日 火曜日 仏滅 : 

下人が御神木へ放火 → 御神木は死ぬ間際に赤い魂を解放

ほぼ同刻、御神木救済のためすべてのさかきが全精力を供与・枯渇 → 青い魂を解放


【2018年】

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【2024年】

9月 7日(土) : 第2話~第4話

愚者の心霊スポット巡り → 布施・倉田・由貴・美嘉


9月8日(日) : 第14話~第16話 ソレさんスタッフ登頂 → 瀬戸・手塚が行方不明


9月13日(金) : 第5話 寝室の彼岸花

9月14日(土) : 第6話 翌朝の妻の顔 ~ 第13話 地下実験

9月15日(日) : 第17話~第31話 ソレさん登頂 ~ 由貴・美嘉に玲奈合流→火災→美嘉×


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9月20日(金) : 第32話 極秘ルート → 樹洞の猶予・虚無の間


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【2025年】

元日 : 第1話 → さかきの首元にすずなりチョーカー


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