第19話 地獄の噴水
己のプライドと未来を賭けた今回のライブ配信。
スマートフォンをスカイパで
頭部にはガスマスクを施し、左腰に護身用のバタフライナイフを忍ばせる。
英一のその用意周到ぶりは、前回の行方不明者となったスタッフ二名から得られた情報を
ガスマスクで不快な臭いを断ち、少しでも恐怖から己を遠ざけようと警告する心のマージン。
彼の精神的な
ドローンを早くも打ち上げ、手元にはコントローラーを握りしめる。
自身の頭部から五から十メートル程の高さを行き来させて調節するのは慣れた操作だ。
今回代理の配信者で右腕を務める
ドローンからのビデオ映像――
『ソレさん。ヤバくなったらすぐに退避してくださいね。すでに相当怖いんですが、命には変えられないので……』
無責任とも取れるその言葉尻に英一は舌打ちを噛み抑えた。
ただ配信する側の気楽さと言ったら何だ。
今まで自分が座り続けていた絶対の椅子を譲った今、立場が百八十度暗転した窮地に立たされているのは言うまでもない。
しかし、彼は黙って耐えた。
瀬戸と手塚を失った今、俺にできることは、せいぜいこれくらい。
彼は決死の覚悟でここにいる。
彼にとって瀬戸や手塚からの情報は非常にありがたいものであった。
――絶対に車で現地に乗り入れないでください。
瀬戸の声が今でも鼓膜に反響してくる。
車で山頂を目指す
道中、
幹よりも部分的に太くなっている奇怪な枝――絡め取られ、宙吊り状態の軽自動車が目に余る。
日常では見慣れない車の裏側からは、
その視線の先――地面に垂直に埋まっている軽トラック。
運転席が完全に土中に飲み込まれ、地表面から顔を出す無惨な荷台部分と後輪とが降参の意志としての墓標を思わせる。
「
「見えますよ。正直、想像以上にヤバくないっすか? よくこんなクレイジーなスポットに入ろうと思いましたね」
このサイトへアクセスする同時接続数が増え始める。
英一には耳が痛かった。
こんな場所なんて死んでも入りたくなかった。
でもこうなってしまった以上、手を
無情にも流れる時間が、そのように想起させるのだ。
「みんな笑ってくれよ。これが、俺の生き様でっせ」
「何カッコつけてんすか、死んだらすべてお終いっすよ。絶対に生きて帰ってきてくださいよ。マジでお願いします」
じゃあお前も一緒に来いよって心底毒づいた。
今回のために
結果は残酷で、事あるごとにやんわり断られ、今日に至る。
今、思い返せば、自分には心から信頼できる親友がいないことに気付かされる。
寂しくもあったし、自身の行動や考え方に思いを馳せば、当然のことのように思える。
本来、人間は自分が一番可愛い存在なのだ。
瀬戸や手塚も彼の手となり足となり、これまで多大な労力を捧げてきたが、彼らに真っ当な労いをかけてきただろうか。
誰かのために生き、命を賭けるなんて考えられない。
未婚ゆえの考えなのか、彼は命を燃やすような恋愛をこれまで経験したことがない。
きっと人生経験の乏しさが、彼の人生観を早期に決定づけ、人の価値観を自分本位で見定めてしまう。
そんな無意識的で精神的な
これまでに何度か現地入りして様々な配信を経験したが、今回だけは同行して欲しかった。
どうにもならない心の隔たり。
一時の感傷に浸っていた、その時だった。
――大地が音もなく
「だ、誰だ⁉︎」
思わず暗闇に向かって叫んでいた。
地中に何かいるのか?
明らかに不自然な樹木の林立とその根の行先が測りし得ない。
――鈴だ。しかし、なぜこんなところに?
鈴は古くから、魔除けや獣除けとして用いられてきた歴史がある。
敵を追い払い、味方や縁起の良いものを呼び寄せる不思議な力が鈴の音にあると信じられてきた。
そう、神に呼び掛けお招きする役割も担うほどに。
その先三十メートル前方に頂上付近の平地帯が見えた。
ふいに鈴が鳴り始める。
風は吹いていない。
鈴だけが自ら揺れ動いている。
あいつらの言っていたのは、この鈴のことだったのか。
もちろんガスマスクには防音加工など成されていない。
――シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……
鳴りの直撃を受ける。
英一は音の恐怖に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。
頂上には大きな巨樹。
もう少しで登頂を果たせると思った、その時だった――
左右両サイドの土の表面が突如ゆらぎ出した。
波及する水面のように、同心円上に波打つ中心が至る所に現れ始めたのだ。
そこに小さな穴が深淵を覗かせると、大小様々な大きさの黒円へと変貌する。
まるで収縮と弛緩とを繰り返す蠕動運動。
人体で言えば、栄養分や水分を輸送する小腸や大腸に相当するのだろうか。
穴から何か吐き出されるように、穴の径は目まぐるしく変化する。
「ひいいっ!!」
この世のものとは思えない不気味な光景。
穴という穴から、生暖かい濃密な蒸気が、赤みを伴って吐き出されていく。
ある程度の
微細な塊を含んだ
「うわっ! うわあぁぁぁっ!!」
『だ、大丈夫ですか? な、何か降ってきたように見えましたが……』
思わず目の前の赤を手で払う。
拭いきれない鮮烈な脅威が、彼の精神限界へと一気に詰めてくる。
燃えるような体液――
鼻を貫く鉄の臭い。
恐怖は
『ウソだろ、おい。こんなことって……み、みなさん、見えますか? 目の前の惨状を。こ、これは夢ではありません。現実です。実際に現場で起きているんです。とても信じられませんが、現地でソレさんが恐怖と戦っています。彼を、勇敢なソレさんを応援してください!』
同接数が跳ね上がる。すでに十万を超えた。
一気にネット民がざわめき立つ。
ことの重大性を肌で感じたのだろう。さらにその数値は勢いを増していく。
ガスマスクだけでは不十分だった。
首元からジワリとマスクの内側へとヒタヒタと忍び寄る臭気。
悪臭対策で講じた対策も万全を期さねば、この先はない。
英一は改めて己の愚行を呪った。
ここは地獄の噴水――
辺り一帯には赤い雨が、不快な
極限状態に陥りつつある彼は、孤独という紅に染まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます