すずなり

刹那

第1話 煉獄 ◆ 【2025年 元日】





まるで生き地獄ではないか。


我が同胞どうほう無垢むくなる大気よ、何をしている。

雨雲を呼べ。豪雨を降らせ。まだ間に合う。

私の身をがす業火ごうかしずめるのだ。



「これで終わりだ! 人喰ひとくい神め!」



誰もいないてつく真夜中に狂人の男が一人。

その手には目的をたがえた燃え盛る松明たいまつが握られていた。 


バチバチと細胞が、組織が、無惨に弾け飛ぶようにぜる焔音えんおん

呼吸はおろか、五感のすべてが焼き尽くされていく。


人口わずか五千の樹恵村じゅけいむらに現存するいわくつきの御神木ごしんぼく

霊験れいげんあらたかな神の宿る木としてあがめられてきた村の象徴的存在。

小高い丘の上に位置する神社の境内けいだい。その中心部に屹立きつりつしている一際大きな巨樹きょじゅ


そこへ樹齢三千年にして初めて火が放たれたのだ。


連綿と続く幾星霜いくせいそうに刻まれた一矢いちや狂炎きょうえん


人生に絶望した男による凶行きょうこう

恍惚こうこつに震える口角を踊らせる。


「どうだ、奈落の底へ突き落とされた気分だろう?」


地中深くへと張り巡らされている大いなる深根しんこん

焼身しょうしんの運命を受け入れるにははなはだ無防備だ。


キュェェェェェ!!!


絶命にあらが咆吼ほうこう


炎熱によって感情のしずくは生まれた瞬間に蒸散じょうさんし、恐怖と悲嘆のけ口さえ与えられない。


動けない身体。

足元から嘲笑あざわらうように灼熱しゃくねつの炎が立ち昇っていく。


直径にして約十メートルに及ぶ巨樹きょじゅ

数千年を超える生命力は神仏として崇拝され、古くから神社の一角にその身を根付かせてきた経緯がある。


広くあまねく人々は長きにわたり、私を孤高たる存在として代々崇め、伝承されてこられた。


それがたった一夜にして滅ぶというのか……?


眼下がんかには――火を放ち終えてえつる男のしたり顔。


哄笑こうしょうに交じる狂気に反吐へどが出る。


人間のあぶらを宿した巨躯きょく

地底に跋扈ばっこする我が樹底じゅてい端々すみずみまで、地獄の烟火えんかを宿し、辺り一面火の海を招こうではないか。


ともすれば、先程の下人も地獄の炎で取り囲み、運命をともに出来ようというもの。

業火ごうかは根を介して寺院を丸ごと飲み込んでいく。


男はその身をがしながら息絶え絶えと成り行くことだろう。


ちたものだ――

下等生物といえど道連れの精神など、名誉の毀損きそん未来永劫みらいえいごうとしてまぬかれまい。


炎の楽園は目前だというのに、この沸き起こるようにぬぐえない寂寥感せきりょうかんは何だろう。


さかきよ――私は無に帰するのか……


過去が、今が、未来が、絶望の色に燃えていく。


死は魂を天へと仰がせる。


肉体を離れ、立ち昇る赤い魂。

その瞳は眼下にその無惨な巨躯きょくの姿をみとめる。


迫り来る絶対の死。

生涯愛する者の名を叫ぶ。



さかき――‼︎



その時だった。



シュルリリリララララララララ……



境内の外から無数のすずなりが一斉に立ち昇った。

果実のような神楽鈴かぐらすずの群がり。


邪気を払い、開運へと向かう振動。

同心円上からこちらへと向かい収束していく。


同時に地中でうごめきながら躍動し、急速に伸びる確かな根の鳴動を感じ取る。

その精悍せいかん瑞々みずみずしい生なる根尖こんせん


如何いかなる硬質な地層をものともせず、先端が私の根に愛おしいまでに巻きついていく。


差し伸べられた手のように、つながれた慈愛じあいに満ちていく。


距離にして半径約百メートルはあろうか。

百六十八本のさかきの木は神木を取り囲むように円周上に存在する、いわば守り神。

其々それぞれみきに鈴が赤い糸でくくり付けられている。


地中を介した根と根の協調。

すべてのさかきから英気を与えられていく。


そして、すべてのさかきの木はしぼり取られたように枯れていく。


 

さかき――



力がみなぎる。

幹が再生していく。

今まで以上に巡る血潮ちしおを全身全霊で受け止めていく。


その身に宿した新たな力は怪異たる膂力りょりょくとなり、強靭きょうじんと化した刃根はこんはうねりながら建物の基礎を貫き破壊する。


しなる枝葉は鉤爪状かぎづめじょうに変形し、標的の男の胴体を鷲掴わしづかみにした。


「ひいいいいっ!!!」


一握りすれば容易たやす肋骨ろっこつを含めた背骨ごと、臓物諸共ぞうもつもろともひねつぶせる。


だが、それでは私の腹の虫がおさまらない。


宙吊りの状態で品定めの脅威にさらしてみる。


男は醜穢しゅうあい汚泥おでいき散らすように失禁した。


巨樹の肉体を離れた赤い魂は、一本のさかきから立ち昇る青い魂をみとめる。


青の魂言こんげんが空間を震わせる。


――すべてのさかきの木から最後となる養分を供給した。貴様が本当に神であるならば――見事、生き延びて見せよ。



寺院はえぐられた地盤に安定をくじかれ、崩壊の一途いっと辿たどる。

赤く猛る巨樹のみき

怪異たる変貌へんぼうみきの頂点に虚無きょむの入口を解放する。

臓物ぞうもつのリズミカルな収縮運動を思わせる醜悪しゅうあく食人木しょくじんぼく

収まり切らない樹液がよだれのようにあふれ出す。


――らうのか?


「や、やめろ!!」

 

男を頭からごぶりと丸呑まるのみにしていく。


「うぎゃあああああ!!!」

 

消化液の粘液ねんえきからませる。


ずるずるとふしくれ立った痩身そうしん蠕動運動ぜんどううんどうのうねりに任せて咀嚼そしゃくし、ぎゅぶぎゅぶと耳朶じだに沈む不快な怪音かいおんを響かせた。


「ひでぶぎゅぐぇえ」


――おぞましい……我が魂はこの木を離れ遠い生命体へとつながれていこう。そうだ、人間がいい。もう、神木に傷をつけることなど断じてないよう、代々にわたり言い伝えねば……


青い魂はさかきの場所から神木の炎へと近づく。


赫々かっかくたる灼炎しゃくえんが天へとうずを巻き起こしている。


火災旋風がひび割れた樹皮を巻き上げ、怨嗟えんさ欠片かけらを鋭利に巻き放っている。


完全に霧散むさんした神木を焦がす火の粉。

おさまらない業火にほろんでいく境内。


赤と青の魂は音もなく同じ高さへと浮き沈みを繰り返す。

手を伸ばせば届く距離。

互いの思念は相通ずることなく、その存在を内なる瞳で未来の定めを感じ合う。


男は完全に神木の体内に取り込まれた。


不気味に振動する噯気ゲップとどろかせてえつる。


離れて昇る霊魂れいこんめ上げながら神木が初めて言としての思念を発す。


『赤き魂……それで逃れたつもりか? お前も私の一部。魂を解放したところで未来永劫みらいえいごう、この運命からは逃げられないぞ。グブブブブブ……』


 

 ハッ――



じっとりとした脂汗が胸の間を通り過ぎていく。

わずかに振動している鼓膜の線維せんい

先程の不快な残響がぬぐえない。


隣を見遣れば夫が優しい寝顔で私の手をつないで眠っている。

あの時に繋がってくれた感覚に似て――

 

その間には愛娘のコウ


川の字の真ん中。

確かな身体の線を寝息で小さく揺らしている。


 

夢だったのか――



「大丈夫? うなされてたぞ。またあの夢を見たのか?」


ちりん……と不意に小さな鈴の音が聞こえた気がした。


しゃがれた声だが、耳ではなく胸に聞こえた。

夫は寝ぼけまなこをこちらは向けるが、眼には月のような光を宿していた。


首元のチョーカーには小さな鈴が一つ、夫が動くたびにそれは控えめに鳴く。


「うん、また見たの。あの夢を……」

 

「そうか……」


その意味するところを深追いせずに、今年五歳を迎える愛娘に視線を落とす。


可愛らしい寝顔にひとときの安息を感じ取る。

端正な目鼻立ちは母親似だ。

 

「この子にはどうか私たちの記憶を受け継がせたくないな」


因果いんがな血だ――


「この夢から逃れるすべはないのかしら」


生憎あいにく……

 

「僕も時々同じ夢を見る。同床同夢どうしょうどうむ……同床異夢どうしょういむ……いずれにしても僕たちに遠い前世の記憶があるのかな」


「あなた……」


夜明け前の青白いカーテンが冷たい眼差しで見下ろしてくる。


「僕には君を裏切った許されない過去がある。せめて、コウのためにも、君のためにも――」


「それ以上はいいわ。もう過ぎたことよ。さぁ寝ましょう」


珠鈴ミレイ――」


夫が過去の過ちにさいなまれているのを感じる。

飼い犬のように首元につけた鈴もそうだ。


でも、コウさえ幸せであれば、私の不完全な幸せなど笑って帳消しにして仕舞えばそれでいい。


私たちは夫婦という絆のもと、太古より受け継がれし呪われた記憶にさいなむ、稀代きだい末裔まつえいだ。




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ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。


要所要所で以下の解説が入ります。ご参考くださいませ。

物語進行に伴い ????? が明かされて参ります。

最終話にてすべての年表が埋まり完成いたします。



◆ すずなり年表Tips いち ◆



【紀元前975年】

御神木のくすのきが生を受ける


【1688年】

江戸時代 元禄元年


?????


【1732年】

江戸時代 享保きょうほう大飢饉だいききんの期間中


2月5日 火曜日 仏滅 : 

下人が御神木へ放火 → 御神木は死ぬ間際に赤い魂を解放

ほぼ同刻、御神木救済のためすべてのさかきが全精力を供与・枯渇 → 青い魂を解放


【2018年】

?????


【2024年】

?????


【2025年】

元日 : 第1話 → さかきの首元にすずなりチョーカー


?????




 



 

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