第32話『あの日見た虹 エピローグ』

【エピローグ】


 えーと。ゆりかもめに乗り換える方って言ってたからこの出口?あっ、あのエスカレーターか。

 上りエスカレーターを降りると円形の広場に出た。お店も円を囲むように並んでいて、天井はドーナツのように真ん中だけ穴が空いた形になっている。穴からは真っ青な空が見える。

 広場には白いテーブルセットがいくつか置いてあって、その一つに薄紫色のワンピースを着た女性が座ってくつろいでいる。

 あれだ。肩までの茶髪にゆるふわウェーブ。背格好といい間違いない。女性に背後から近づいて、私が出すことのできる一番低い声で話し掛ける。

「マダム。お待ち合わせですか?」

 女性はイタズラが見つかった子供みたいにビクッとして、恐る恐るこちらに振り返った。

「なあんだ。有希じゃない。びっくりしたー」

「リナチー久し振り。何年振り?」

「杏花の結婚式以来だから、三年振り」

「そっかあ、それは?」

「カスタードパイ。セントラルパーク近くの有名店で買ったの。飛行機に乗り遅れるかと思った。有希のは?お酒?」

「うん。お仕事でドイツに行った時に買ったドイツワイン。あんまりドイツワインって聞かないから、極めてみようかと思って。これはシュタインベルガー。ちょうど飲みごろだから持ってきたの」

「確かにドイツワインってあんまり聞かないね。よし、じゃあ行こうか」

「場所分かる?」

「これ」

 リナチーはスマホのマップアプリを使っている。

 リナチーは5年前にプロゲーマーと結婚した。アメリカのニューヨークのe-sportsチームに所属しているので、リナチーもニューヨークに住んでいる。詳しくは教えてくれないけど、旦那さんの年収は日本円で数千万円らしいので、いわゆるセレブ。子供は4歳の女の子が一人。

 ゆりかもめの高架を見上げながら、それに沿って歩く。

「こっちみたい」

 公園に入った。新品に近い遊具でたくさんの子供たちが遊んでいる。付き添いのお母さんたちは、いくつかのグループを作って立ち話をしている。お母さんの足にコアラのようにしがみついている子供もいる。

 前方に大きな運河が見えてきた。両岸がコンクリートできっちり固められたまっすぐな運河で、人工的な感じがする。においもないし、プールみたいに見えるけど、釣りをしている人がいるので魚が棲んでいるみたい。

 運河に沿って歩く。規則的に並んだ木、ベンチ、ゴミも汚れも全くないコンクリートの地面から、仮想空間に来たような印象を受ける。運河の向こう岸には大きな学校と病院が見える。こちら側にはコンビニとオープンテラスのカフェがあって、くつろいでいる人が数人見受けられる。

「こっち」

 木々が増えてきた。上だけ見ると森のように見えるけど、地面はきちんと整地されてレンガ風のタイルが敷き詰められている。所々に照明が埋め込まれていて、下草は生えていない。清潔感が強調されていて、やっぱりどこか作り物の印象を受ける。この街に住む人のための自然じゃない自然って感じ。

「ここみたいだよ」

「ええ?これ何階建て?いわゆるタワマンよね」

「こんなところに住んでいるミオタンとカレンは、ザ・セレブだね」

「ニューヨークのセレブがそれ言う?しかもそれ私の台詞」

 大きな自動ドアが開いて、エントランスに入る。インターフォンと自動ドアがある。

「えーと、1502」

 呼出音が鳴る。

「はーい」

「有希でーす」

「はーい、どうぞー」

 自動ドアが開いて中へと進む。警備員さんが立っている。リノリウムでもタイルでもない、磨き上げられた黒い石でできた壁と床。継ぎ目が見当たらないので、巨大な墓石の中を歩いている感じがする。壁の一面が透明になったみたいな巨大な一枚ガラスの向こうには、さっきの緑が見える。ガラスの手前には透き通った水が流れている。

 すごい。ホテルでもこんな立派なところは見たことない。ここってもちろん分譲よね。いくらするのかしら。

 水音以外には、コツコツと響く足音しか聴こえない。エレベータールームにまた自動ドアがあって、インターフォンがある。1502を押すと今度は返事もなくドアが開いた。エレベーターは全部で6台。リナチーが上のボタンを押した。

 それぞれのエレベーターの横にはモニターが付いていて、エレベーターの中の様子が見られるようになっている。誰も乗っていないエレベーターが到着して、乗り込んで15階のボタンを押す。なるほど。24階建てか。

 15階の内廊下は壁とドアが全く同じ色と質感で、区別がつかない。ホテルみたいな案内板もないから、どちらへ行けばいいのか迷う。迷路みたい。1516。あれ?こっちじゃない。2、3分うろうろしてやっと1502号室を発見した。ドアの横のチャイムを鳴らす。

「いらっしゃーい。有希もリナチーも元気そう」

「カレンも。はい、これお土産」

「うん。みんな来てるよ。入って入って」

「お邪魔しまーす」

 ふかふかのスリッパを出されて恐縮する。部屋の中も、外といっしょで壁なのかドアなのか分からないから、案内されないと迷いそう。

 カレンはニジドリ卒業後すぐにカメラマンと結婚して、このマンションに住んでいる。6歳の凌くんと4歳の瑠璃ちゃん、二児のママだけど女優も続けている。大河ドラマにも出たりして大物女優。舞台にも出ていて、次の舞台は天王州の天の河劇場。ギターや作詞作曲も続けていて、他のアーティストに楽曲提供とかもしている。

「来た来た」

「ユリポンありがとう。後は私がやるね」

 部屋に入ると、左手にすぐキッチンがある。カレンはアルミホイルの落し蓋をした大きな鉄鍋の様子を見ている。

「これはパエリア?」

「そう。ユリポンちのお米と、豊洲市場のシーフードで作ってるの。そうそう聞いて。アオイ様ったら、パエリアにクサヤを入れようって言うのよ」

「昔もそんなこと言ってたね」

 ユリポンはオーブンの様子を見ている。バゲットに何かのせて焼いている。カナッペかな。

 ユリポンは実家に帰っていたんだけど、妹のゆかちゃんの結婚式で東京に出てきた時に、渋谷のスクランブルで偶然再会した彼と結婚。三人の見分けがついて、実家に婿養子に入ってくれる素敵なお相手、というか、私たちもよく知ってる人。力持ちのあの人。子供は4歳の双子の男の子と女の子。ユリポンのところで作っているお米は、国内最大手の航空会社の機内食で使われている高級米の『ユメピリカ』

 シンクの横のまな板で杏花ちゃんが何かを切っている。三人も立てるなんて広いキッチン。

「杏花ちゃん、それは?」

「杏花ちゃんお手製のミートローフ。自信作だよ」

 杏花ちゃんは保育士の資格を取って保母さんをしていたんだけど、お母さんの病気が再発してお仕事を辞めた。それまで通っていた病院から、もっと大きな病院へ転院した時に、そこで働く放射線技師と運命の再会。これまた私たちもよく知ってる人。今でも洋服をくれて、物を大事にしないと怒るみたい。子供は2歳の男の子が一人。

「カレン。これどうしたらいい?」

「リビングのテーブルに置いて、適当にしてて」

「うん、分かった」

 私とリナチーはリビングへ移動した。ベージュの毛足の長いカーペットの上に白い大きなローテーブルがあって、上に何か置いてある。にごり酒はユリポンが持ってきたのかな。あっ、この水色の袋は。

 リビングの奥でミオタンがしゃがみ込んでいる。「ねえ、このTOPSの袋はミオタンの?チョコレートケーキ?」

「そうだよ」

「もう本物の七夕も過ぎてない?」

「今はホワイトデーじゃなくても買ってきてくれるの」

「えっ?今も?チョコケーキくれる行事って今年で何年目?」

「17年目。結婚してからは毎月だけどね」

「あー、だからミオタン太ったのかー」

あー、リナチーそれは。

「ええ?嘘!やだあ」

 ミオタンも予想通り卒業後すぐに結婚。馴れ初めを聞いたらなんと両思い歴10年でのゴールイン。またまた私たちもよく知っている人。子供は6歳の秀くんと4歳の琴美ちゃん。秀くんは本当は鷲くんにしたかったみたい。理由を聞いたら「夏の大三角形」と言っていた。このマンションの12階に住んでいて、家族構成がカレンと全く同じなので、家族ぐるみでお付き合いしているみたい。今日は旦那さんたちが子供たちを連れてお出かけ中。ミオタンがレギュラーのラジオ番組はずっと続いていて、出版した本とともに人気がある。

 ミオタンがケージに指を入れて子猫たちと遊んでいる。白い子猫と黒い子猫、どちらも赤い首輪をつけている。

「かわいいね、名前は?」

「えーと、黒い方がネガで白い方がポジかな。ねえカレン合ってるー?」

「合ってるよー」

 ケージの横には、カレンと旦那さまと子供たちの写真が飾ってある。ザ・家族って感じ。その横でアオイ様が、琥珀色の液体と氷の入ったグラスを持って、大きな窓から外を眺めている。たぶんジーンズはリーバイスのビンテージ、Tシャツもまた10万とかするやつだと思う。

「アオイ様、今日はビールじゃないんだ」

「ビールはお腹にたまって量が飲めないから、最近はこれ。飲んでみて」

「わっ!甘い。お酒?うわっ、強いね。何これ?」

「ハチミツ入りのジャックダニエル」

「何見てるの?」

「ここから豊洲ピットが見えるんだよ。ほらあそこ。まだ出たことないなって思って」

 アオイ様は、リナチーの結婚でプリズムが解散したので、今はフリーのミュージシャン。結婚はしていないけど、4歳の女の子を育てるシングルマザー。二年前に人気デュオに楽曲提供した『終末のムジカ』がセールス、ストリーミング、動画配信、カラオケなど全ての指標で1位になってビルボードの1位に、セルフカバーした同じ曲が2位になった。全く同じ曲がワンツーフィニッシュするという、ビルボード始まって以来の前人未到の偉業みたい。


「はーい、お待たせー。準備できたよー」

 カレンとリナチーと私はワイン、ユリポンとミオタンはにごり酒、アオイ様はジャックダニエル、杏花ちゃんはペットボトルのほうじ茶ラテ。杏花ちゃんに「お酒飲まないの?」と聞いたら、「その理由は後ほど」って言われた。

「はい、じゃあ久し振りの再会に乾杯ー」

 三つのグループに分かれておしゃべり。

 リナチーとユリポンがしゃべっている。

「今は日本のテレビ番組もネットで観られるし、買い物もネットでできるから、外に出なくても生きていけるの。翻訳アプリとかもあるから、英語は日常会話くらい。日本にいるのと変わらないよ」

「じゃあ田舎のうちといっしょだね」

「ところが物価がね、ニューヨークだとラーメン一杯3000円以上するの」

「ひょえーー」

 カレンとアオイ様がしゃべって、ミオタンが『ネタ帳』って書かれたノートに色々とメモしている。

「この間、ジェイコブ・コリアー作曲でディジー・マカルパインが歌ってる曲演ってみたんだよね」

「ああ、ジョン・メイヤーのやつ?」

「そう、無理だった」

「あたしたちはトライセラトップスの『ラズベリー』を演ってみたら、全然ピッチが合わなくて。カレンなんでか分かる?」

「ああ、あれはテープで録音してテープスピードでピッチを変えてるの」

「なるほどね」

「…………なの?」

 えっ?

「だから有希は最近どうなのって」

「ああ、ごめん。実は……」

「えっ?ちょっとみんな!ビッグニュース!元アイドル折原有希電撃結婚!」

「ええ!マジで?」

「相手は?どんな人?」

「お相手の職業は?」

 杏花ちゃんがペットボトルをマイク代わりにして聞いてくる。もう、さっき言ったじゃない。

「プロの格闘家」

「お付き合いのきっかけは?」

「お付き合い……してません」

「えっ?どういうこと?」

「アイドルを引退したその日の夜にうちに来て……プロポーズされたの」

「えーー」

「きゃあー」

「プロポーズはなんて言われたんですか?」

 ええ?それも言うの?

「……俺を有希の白馬の王子様にしてほしい。結婚してくれって」

「きゃああ」

「ひゃあー、ヤバい。こっちが照れる」

「ユキはオッケーしたんだ」

「うん、幼なじみでよく知ってるから、この人ならいいかなって。私30だし、これから新しい出会い探すのも大変だから」

「こうしてお姫様は王子様と幸せになりました、めでたしめでたし」

「じゃああとはアオイ様だね。どうなの最近」

 良かった。矛先が変わった。それは私も気になる。

「今いっしょにやってるギタリストがすごく尊敬できる人でさ。尊敬が敬愛になって、今は愛情になり始めたところ、かな」

「じゃあその内結婚するの?」

「うん、うちの娘が物心つく前に結婚した方がいいかなって。今はじいじ、ばあばでいいけど、大きくなると父親が必要かなって。はい、あたしの話は終わり。他はなんかないの?」

「じゃあ私から最新ニュース!えー、この中にいます」

 杏花ちゃんがお腹を指さしている。

「おめでたってこと?」

「おー、二人目」

「男?女?」

「まだわかんないよぉ。一昨日分かって、昨日旦那に報告したばっかりなんだから」

 だからお酒飲まなかったのか。

「安定期に入るまでムリしちゃダメなんじゃない?」

「二人目だからその辺は大丈夫」

「あたしトイレ。カレン、トイレ借りるね」

「うん、キッチンの横通って、左の突き当たりだから」

 リナチーとユリポンが、杏花ちゃんの子供の名前の候補を聞いている。

「ねえ、ミオタン」

「なあに?」

「琴美ちゃんって水泳習ってるでしょ?どう?」

「うん、琴美はちょっと体が弱かったんだけど、体力ついて良くなってきたよ」

「瑠璃はリトミック体操を習わせようかと思って。この間見に行ってきたの。私立の小学校を受験させようかなって。親の面接も大事なんだけど、子供の運動能力も見られるみたい」

「じゃあ琴美も考えてみようかな、いっしょの方がいいよね」

「そうだね。あっ、みんなそろそろお菓子食べる?私、紅茶入れるね」

 アオイ様が戻ってきた。

「そうそう、リナチー。ワンダーってどういう意味なの?」

「aの方?oの方?」

「aの方」

「『ぶらつく』とか『さまよう』って意味だよ」

「なるほどね、東京をさまよう、か。」

「何それ?」

「うちのが作ってる新曲が、I wander in Tokyoってタイトルなんだ」

「はい、紅茶。レモンやミルクとお砂糖は各自で」

 ちゃんとしたティーセット。マイセンかな?さすがセレブ。

「どうする?サブスクでも観る?」

「あっ、それならさ」

 アオイ様が、持ってきたボディーバッグを探っている。

「これ観ようよ」

 青い色のDVD。あっ、それなら私も持って来てる。確かバッグに入れたはず。あった。

「これ、あっ!」

 みんな自分の担当カラーだった色のDVDを手に持っている。あれ?カレンは?

「誰かがそう言うだろうと思って、もうデッキにセットしてあるの。実は昨日繰り返しで観ちゃった」

 カレンがリモコンの再生ボタンを押す。

 この世に七枚しか存在しないスペシャルDVD。この七枚にだけファイナルナンバーと終了後の楽屋の様子が収録されている。


「本当あの頃楽しかったね」

「私たち輝いてたね」

「ただいまー」

「あれ?帰ってきた」

 カレンが玄関へ行く。

「やだあ、びしょびしょじゃない」

 旦那さんと凌くんと瑠璃ちゃんがバスタオルを被ってリビングに現れた。

「急に雨が降ってきたんだ。ああ、みなさんいらっしゃい」

「お邪魔してます」

「ああ、本当だ。天気雨だよ」

 カレンが瑠璃ちゃんの髪の毛を拭いてあげている。

「ねえ、ママ」

「なあに?」

「ルリ、雨がやんだら『にじ』見れる?」

 虹は必ず見られるわけじゃない。人生でも数える程しか見られない。でもそれを子供に言うのはかわいそう。カレンは何て答えるんだろう。

「瑠璃は虹見たことあったっけ?」

「ううん、ない。コトミちゃんがね、見たんだって。すごく大きくてきれいで、たのしくなるっていってた」

 あ、DVDがリピート再生になっている。

「そうだね、瑠璃も見られるといいね」

「あっ!ママのおうた」

 すごいすごい。瑠璃ちゃんのダンス、完コピ。

「ルリたいそうやる。ママみたいにアイドルになりたい」


【????】

『きっとなれるよ。頑張ってね』

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