第29話 頂花 2
*
捕えられた子翼の乳母である侍女とその息子の希直の供述により、昨年の孝俊の毒殺未遂から始まる一連の事件の全容が明らかになった。
毒殺未遂事件は、元々精神が不安定だった尚食の下女に孝俊のありもしない行状を吹き込み、その飲み物に毒を入れさせたものだ。下女は希直により殺害されたのだが、その現場を目撃していたにも関わらず、段明汐の偽証により、下女は自死とされた。
以前から子翼に憧れを抱いていたと言って、明汐は子翼を王とすることへの協力を申し出た。明汐は見返りとして、女官への採用を求めた。その明汐を梅花宮へと送り込んだのは、太子を亡きものにした暁に、貴妃に罪を被せる準備のためだった。
梅花宮の女官の責任者に多額の報酬を与え、明汐の雇用の依頼については口止めをした。
その後、何度か孝俊を亡きものにしようとしたが上手くいかなかった。
ひと月ほど前に城下の怪しげな薬屋から手に入れた珍しい毒も、孝俊に使う機会は得られなかった。そこで孝俊に直接使うことを諦め、狩りの際に乗る馬に使うことを思いついた。確実に成果を得るため、龍武軍の馬でその毒がどのように作用するのかを試した。
そして計画どおり、孝俊の殺害は成し遂げられた。
これらは全て、賢妃の指示で行ったことだった。子翼に心酔する乳母子の希直は特に、賢妃に命じられるまま協力した。
孝俊が落馬により亡くなるとすぐに、御史台の惇卓から接触があった。そのお陰で孝俊の落馬に関する捜査は、賢妃に及ぶことはなかった。
これで子翼が太子となるはずだ。賢妃はそう思っていた。
しかし太子に選ばれたのは慧喬だった。その知らせは、慧喬を太子とする詔書の草稿を目にした賢妃の父親からもたらされた。
賢妃は慧喬が正式に太子として立つ前に亡きものとすることにした。
慧喬は富貴宮で病気療養中ということになっていたが、本当は後宮にいないことは、慧喬の妹の澄季から聞いていた。
暗殺の実行役は禁軍の兵士から希直が適当な人物を選んだ。彼らから人質を取ると、明汐と希直が依頼に赴いた。呉文則が見た玉佩というのは、明汐の梅の花を
慧喬が無傷で戻って来た姿を見ても、賢妃は決して諦めることはなかった。
ついには伶遥を利用して、慧喬に毒入りの茶を飲ませようと考えた。そんなことをすれば伶遥が危険だと侍女は止めようとしたが、賢妃はそれを一蹴した。
毒入りの茶は、梅花宮からの使いで明汐が持ってきたことにした。
暗殺の依頼をさせた後、明汐は桃花宮で軟禁していた。子翼の妃の座を要求するようになり、同僚たちにも、子翼のことを匂わせるような発言をしていたからだ。
まだ使い道があると生かしていたが、明汐が毒入り茶を持ってきたことにすると決めた時に希直に始末させた。水を張った
計画では、明汐の遺体はしばらく見つからないはずだった。しかし狼狽していた侍女が井戸に蓋を戻すのを忘れたため、早々に遺体は見つかってしまった。
なお、惇卓が梅花宮を捜査していた際に見つけた明汐の荷物は、計画の変更に対応させるため惇卓自身がその場で急遽、仕込んだものだった。
賢妃は回復を待って裁かれることになっている。
子翼は臣籍へ下ることを申し出たが、処分保留のまま謹慎中だ。
伶遥はしばらくの間、離宮へ移されることになった。
**
慧喬は泰慈先生の庵近くの岩場に座り、眼下に広がる景色を眺めていた。修行中、毎朝、水を汲みにきた時に朝陽が登るのを見た場所だ。
山々の緑は最後に見た時と大して変わっていないが、自分の置かれた状況は随分変わってしまった。
そう思うと、自然に溜息が漏れた。
「心高」
声をかけられて振り返ると、文承がやってくるところだった。
「ああ、そうか。もう太子殿下と呼ばないといけないのか」
あんな騒動があったにも拘らず、冊立式は予定どおりに行われ、慧喬は正式に太子となった。それを揶揄するように言った文承に、慧喬が嫌そうな顔を向ける。
「……殿下はやめてくれ。文承殿に言われると気色悪い」
「相変わらず失礼な奴だな」
文承が鼻に皺を寄せて文句を言った。
太子となっても変わらない文承の態度に、慧喬の気持ちが解れる。
「何だ? 話って」
言いながら文承が慧喬の隣に座る。
「あの後、村はどうなった?」
「ああ。雪花病はとりあえず収まった。だが念のため、陳婆さんにも薬の作り方は教えてきた。発生源の泉も定期的に観察するようにしてもらってきたぞ」
「そうか。ありがとう」
「いや。……おおそうだ。あの子……明玉がお前にくれぐれもよろしくって」
「彼女も村に帰ったんだな」
「すっかり良くなったから、陳婆さんに追加の薬草を届けがてら送って行った」
そうか、と慧喬が呟くと、文承が後方に控えている朱全をちらりと見て聞いた。
「そう言えば、孟起殿はどうした」
「墨国に行った」
そっけなく言った慧喬に、文承が意外そうに目を丸くする。
「そうなのか。てっきりそのままお前のとこにいると思ったのに」
「そうして欲しかったんだが、どうしてもやらないといけないことがあるそうだ」
「そうか。……それは残念だったな」
「……まあ……帰ってくるとは言っていたから」
慧喬がぽつりと言った。
冊立式を待たず、孟起は姿を消した。
”応援してるから”
その一文だけを残して。
黙ってしまった慧喬の横顔をちらりと見ると、文承が空いてしまった
「しかし……お前が紅国の太子になるとはな」
「全くだ」
「他にも王にお子はいるだろうに」
「……そうだな……」
慧喬の琥珀色の瞳に微かに暗い翳が差した。
**
「ご苦労。疲れただろう」
冊立式が終わり、慧喬は王の執務室に呼ばれた。執務机の前に立つ慧喬を王が珍しく労う。
「いえ」
慧喬が短く応えると、王が慧喬をじっと見つめ、机の上で手を組んだ。
「お前に話しておかなければならないことがある」
室内には王と慧喬の二人だけだった。護衛も席を外している。
極秘の話なのだろう、と慧喬が姿勢を正すと、王が重々しく切り出した。
「三清の加護のことは知っているな」
紅国の人間にとっては子どもでも知っていることだ。それを今更確認され、慧喬は身構えた。
「……王は三清から加護を賜り、紅国を治めます」
王を窺いながら言葉を選び、あえて短く答えた。
三清とは元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊の三神である。太祖がこの三神の加護を得て以来、現在まで芳氏が永く紅国を治めている。
「そうだ。……だが、正確には違う。三清が王を選ぶのだ」
返ってきた王の言葉に慧喬が眉を顰める。
「……どういう意味ですか?」
「文字通りの意味だ」
「王になった者に三清が加護を与えてくださるのではないのですか」
慧喬が言うと、王はゆっくりと首を振った。
「逆だ。三清が紅国を治めるべき者を太子として選び、それが王となるのだ」
「太子を選ぶ……」と呟くと、慧喬は改めて問うように王を見た。
「……では、私は三清に選ばれ太子となった、ということですか」
「そうだ」
「全く私には選ばれたという自覚はないのですが」
「本人には何の報せもない。報せは王にもたらされる」
「報せ、ですか?」
王が、そうだ、と頷く。
「紅国王の最も重要な責務の一つが、後継を決めることだ。それは王しか担うことができない。何故なら、三清が後継を選び、それを王にのみ報せるからだ。後継の選定が王の専権事項となっている所以はそこにある」
「……報せというのはどういうものですか?」
不審な顔で聞く慧喬に王が答える。
「形式や時期は決まっていないようだ。生まれた時に瑞兆が現れた、という派手なものもあったようだが、多くは夢で示される。しかし、その夢というのも、はっきり名を告げるような解り易いものではないから、王はそれが誰を示しているのか正しく読み取る必要がある」
後継選定の仕組みがそのようなものだとは思いもよらなかった。
しかしふと、後継とすると王に告げられた時のことが脳裏によみがえる。だから王は、慧喬でなければならない、と言ったのだ。
「このことは王と太子のみの秘匿事項だ。何らかの兆候により後継を決めるということが知られれば、様々な形で干渉しようとする者が出てくるだろう。そうなると、正しい選定の妨げになる。それを防ぐため、王が三清から報せを受けるということを他に漏らしてはならない」
そうですか、と小さく応えながら、慧喬が言った。
「……歴代の王に暗君がいなかったは、三清により選ばれた者だったからなのですね……」
「……まあ、そうだな」
王は何故か苦笑いをして相槌を打つと、自嘲ぎみに続けた。
「……だが、王も人だ。中には道を外しかけた王もいた。しかしそういった王は、道を誤り始めると……後世に暗君と呼ばれるようなことになる前に、命を落としている。……不思議なことにな」
付け加えられた言葉の意味を理解し、慧喬の背筋をひやりとしたものが伝った。
紅国の王になるというのはそういうことなのだ。重責を背負わせる器として三清が選ぶのだ。
「……では……兄上のことは……本当に惜しいことでしたね……」
孝俊が太子になったということは、三清が孝俊を選んだということだ。それなのに王になる前に亡くなるとは、神々も落胆したことだろう。
そこまで考えて、ふと疑問が湧いた。
「……兄上が亡くなってすぐに私を後継にお決めになったということは、随分急いで三清からの報せがあったのですね」
慧喬の言葉に、王は苦いものを口にしたように顔をしかめた。
「……いや……孝俊は私が誤ったのだ」
「それは……一体どういう……」
珍しく歯切れの悪い父王の言い方が理解できず、慧喬が眉を顰める。
「孝俊は三清がお選びになったわけではなかったのだ」
どくんと大きく鼓動が打った。それを押さえるように胸に手を当てて慧喬が聞いた。
「しかし、父上に”報せ”があったのでしょう?」
「……先程も言ったが、報せは曖昧なものである事が多い。……私がその解釈を誤ったのだ」
王が深い溝を刻んだ眉間に組んだ手を当て、掠れた声で言った。
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