第23話 養花 8
慧喬は賢妃の侍女を連れて梅花宮へと向かった。
程なく梅花宮に着いたが、何やら常ならぬ雰囲気が漂っている。
訝しみながら門をくぐると、後宮には通常入ることがないはずの武官の姿があった。正殿前の庭を突っ切って奥へ行こうとしている。
「何かあったのか」
慧喬の声に振り向いた顔は険しいものだったが、慧喬を見て慌てて拱手した。
「実は……ここで遺体が見つかりまして」
ひやりとこめかみが冷たくなり、嫌な汗が背中を伝う。
「……誰の」
「女官のようです」
「どこで見つかったって?」
「古井戸の中からです」
そう言った兵士の視線が正殿脇の建物の方へ向けられる。
「こっちか」
慧喬は兵士を追い越して視線の方向へと急いだ。
庭を横切り、建物の角を曲がると、何かを囲む数人の兵士と御史台の職員、それを不安げな顔で遠巻きに見ている女官たちの姿があった。
彼らの視線の先には筵に挟まれたモノが横たわっている。
「これは殿下。どうしてこちらに?」
慧喬に気付いた御史台の職員が進み出た。三十代後半ほどの真面目そうな印象の男だ。
「其方は?」
「申し遅れました。侍御史の
改めて几帳面に拱手する。
侍御史は御史台の副官相当の官だ。この件を調査に来たのだろう。
「……岳侍御史か。いや、梅花宮にはたまたま用事があって来たんだが……遺体が見つかったと聞いて。遺体はここの女官か」
慧喬が筵の盛り上がりへ視線を遣ると、惇卓の顔が厳しいものになる。
「恐らく……」
惇卓の返事半ばで、慧喬は遺体らしきものへと歩み寄る。
「殿下……」
惇卓が慌てて止めようとしたが、慧喬は構わず筵の傍に片膝をついた。
敷かれた筵のあたりはじんわりと濡れている。筵で覆われた
「見ても良いか」
「え……」
慧喬が聞くと惇卓が固まった。
「まずいか」
「いえ……それは……かまいません……が……しかし……」
明らかに狼狽した顔は、止めた方がいい、と言っている。しかし慧喬は、躊躇なく頭の方から筵をめくった。
現れたものに思わず慧喬の眉根が寄る。
「……誰かわかったのか?」
心配そうに慧喬の様子を覗っていた惇卓に、横たわる遺体へ目を走らせながら聞く。
「……段明汐という梅花宮の女官ではないかと……」
先日、行方不明になっていると葉珠から聞いた女官だ。
すると、少し離れたところで見ていた賢妃の侍女が、悲鳴に近い声を上げた。
「慧喬様……! その女官です!」
振り返ると、賢妃の侍女が青い顔で震えている。慧喬はその侍女を手招きした。
侍女は怯えた顔で首をふるふると振ったが、慧喬が再び手招きをすると、のろのろとやってきた。
「……間違いないのか」
侍女を見上げながら慧喬が筵の端を持ち上げて聞くと、侍女はちらりとだけそれに目を遣って慌てて顔を背けた。
「はい。……間違いありません……」
慧喬は侍女をじっと見ると、そうか、と言って筵を元に戻した。
「……あの……殿下……この女官が何か……?」
訝しげに惇卓が聞く。
「ある女官を探しに来たんだが……どうもこの者らしいんだ」
「ご用件は何か伺ってもよろしいですか?」
「いや、少し聞きたいことがあっただけなんだが……」
曖昧に答えると、慧喬は立ち上がって塀に近い位置にある井戸を見ながら逆に尋ねた。
「遺体はあの井戸で見つかったのか」
「あ、はい」
「古井戸と聞いたがまだ水はあるんだな」
「はい。使わなくなったのは、水質が悪くなったからだそうです」
「使わない井戸なのによく見つかったな」
慧喬が言うと、惇卓が井戸に立てかけてある板を指さした。
「普段はあの板で蓋をしてあるそうです。しかし、その板が除けられていたので不審に思って見にいったところ、井戸の枠に衣の切れ端が引っかかっていたと。中に何かが落ちているようだと連絡がありまして、引き上げてみたところ、人だったというわけです」
「なるほど……」
慧喬は井戸まで行って中を覗き込んだ。井戸の枠には、遺体が来ている襦と同じ布の切れ端が引っかかったままだ。
「死亡した時刻はわかるか」
「まだわかりませんが……恐らく……状態からして一日ほどではないかと」
一昨日、桃花宮に茶葉を持ってきたという者がこの女官で間違いなければ、茶葉を持ってきた後に死亡したということになる。
「遺体が段明汐だと判断した理由は?」
「首の後ろに大きなほくろがあることが決め手に。他の女官たちからの証言です」
ふむ、と慧喬が遠巻きにこちらを覗っている女官たちをちらりと見る。
「段明汐という女官は、数日前から行方不明だったとと聞いていたが……」
「よくご存知で……。それについては私も先ほど聞きました」
「届出は出てなかったのか」
「確認しましたが出ていません」
「このことは貴妃様には知らせたのか?」
「女官の身元についてはまだです。先ほど、遺体が見つかったことはお知らせしたのですが、お身体の加減があまりよろしくないようで、話しているうちに気分が悪くなられまして、今はお休みになっています」
「そうか」
慧喬は少し考えると、遠巻きに見ていた梅花宮の女官たちの方へと近付いて行った。
不安そうに一歩下がった女官たちを見回す。
「すまないが教えてくれないか」
女官たちが困惑しながらも頷いたのを確認して聞いた。
「段明汐という女官を最後に見たのはいつだろう」
「十日以上前だと思います」
一番前にいた大柄な女官が答えると、他の女官もそれぞれに頷く。
「ここ数日のうちに、それっぽい人物をちらとでも見ていないか」
慧喬の言葉に、見た? と女官同士囁きあうが、申し出る者はいない。
「しばらく姿を見なくなっていて……どうしてこんなことになったのか……私たちにもさっぱりわからないんです……」
困惑したように言う女官に慧喬が更に聞く。
「行方がわからなくなる前、何かいつもと違ったところはなかったか」
しかし、女官たちは眉を顰めて顔を見合わせるばかりだ。
「では段明汐と親しかった者は?」
「……明汐と親しかった者はいないんです」
最初に慧喬に答えた大柄な女官が気まずそうに言う。
「段明汐という女官は、昨年、梅花宮に来たと聞いたが、あまり馴染んでいなかったのか」
「……一人でいることが多くて……あまり私たちとは一緒にいませんでした。時々勝手にいなくなってしまうし……」
「勝手にいなくなる?」
「あ、いえ……」
しまったというように口をつぐむ。
「亡くなった者のことをあれこれ言うのは気が進まないだろうが、教えてくれないか」
慧喬が言うと、他の女官たちに同意を求めるように目配せをし、おずおずと口を開いた。
「……時々姿が見えなくて。でもどこに行ってたのか聞いても、鼻で笑うだけでちゃんと答えてくれませんでした。……そんなふうですから……あまり……」
「あまり踏み込んだ話はしなかったということか」
他の女官たちも頷く。
「親しい男がいると話していたと聞いたが」
慧喬が葉珠から聞いたことを口にすると、女官たちは再び顔を見合わせていたが、先ほどからの大柄な女官が返事をくれた。
「……時々自慢はしていました」
「自慢?」
「……あ、ええと、あの、身分のある方のようで……もうすぐその方の妻になるんだって言っていました」
「どこの者か聞いてないか?」
「聞いてみたのですけど、今は言えないからと……」
「明汐がいなくなった時も、最初はまたどこかでさぼってるのかしらと話してたんですけど、一晩明けても帰ってこないし、いつの間にか荷物も無くなっていたし、その方と一緒に出て行ったのかもって」
別の女官が口を挟む。
慧喬が、そうか、と顎に手を当てて考え込む。すると、
「いつまでかかっているの?」
険のある声が聞こえてきた。
現れたのは侍女に支えられた貴妃だ。寝込んでいると聞いていたとおり、顔色は良くない。紅だけさし直したのか、唇だけが赤い。
「申し訳ありません。まだ確認したいことがありますので」
惇卓が走り寄って頭を下げる。
「何をいつまでもぐずぐずと調べると言うの?」
不機嫌を全面に出して詰る。そして人だかりの中心に慧喬がいることに気付き、あからさまに顔をしかめた。
「お邪魔をしております」
慧喬も貴妃の元へ向かうとじろりと一瞥し、冷たい声で出迎えた。
「慧喬殿下が何のご用でいらしたの?」
「こちらの女官に用があって来たのですが、この騒ぎに行きあいまして」
慧喬が構わず言うと、貴妃は更に顔を険しくする。
「全く……迷惑な話だわ」
「亡くなった者のことは聞きましたか?」
「知らないわよ。そんなの」
「段明汐という者だそうです。ここで働いていた者だそうですよ?」
貴妃の白い顔を真っ直ぐに見つめながら言う。
「いちいち覚えていないわ」
「では、その段明汐という者が行方不明になっていたということもご存知ないのですか?」
「知らないわね」
苛々とした口調で突っぱねる。
「宮女の一人や二人、居なくなったって大したことではないわ。よくあることでしょう」
慧喬はその貴妃の言葉を聞き流し、話を変えた。
「ところで、昨日、桃花宮に茶葉をお送りになりましたか?」
「しないわよ。そんなこと」
貴妃がこれも即座に否定する。
「私が太子に決まったから、ご自身と同じように気を落とされている賢妃様をお慰めになるつもりで、と伺いましたが」
慧喬がしれっと神経を逆撫でしてみると、貴妃の顔が強張る。
「どういうつもりで言っているか知らないけれど、知らないものは知らないわ」
身体を支えている侍女の腕を貴妃がぎゅっと握る。
「その亡くなった女官が、桃花宮に茶葉を持って行ったという証言があるんです」
「知らないと言っているでしょう!」
癇癪を起こして高くなった声に、周りの女官たちがびくりと肩をすくめる。
そんなぴりぴりとした空気の中、一歩下がったところではらはらしながら見ていた惇卓へ、兵士が慌てて走り寄って来た。
「どうした」
振り向いた惇卓に兵士が耳打ちをする。
「確かなんだな」
惇卓が兵士に念を押し、眉間に皺を寄せて貴妃をちらりと見る。
「何なの?」
貴妃が不機嫌に聞くと、惇卓はしばし面を伏せて悩む様子を見せたが、意を決したように顔を上げた。
「貴妃様……」
「何よ」
「……亡くなった女官のものと思われる荷物が物置の中にあったようです。……それについて、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」
惇卓が険しい顔で言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます