第12話 蕾 2
*
翌朝早く、慧喬は後宮を抜け出して宗正卿を訪ねた。
昨日、別れ際に調べて欲しいと頼んでおいたことの答えを聞くためだ。
執務時間よりも随分と早いが、宗正卿はすでに執務室で待っていた。
「無理を言ってすみません。叔父上。どうでしたか?」
慧喬が部屋へ入るなり聞くと、宗正卿は目を通していた書類を置き、「いましたよ」と言って執務机から立ち上がった。そして、その前に置いてある卓にかけるように慧喬を促した。
慧喬が座ると、宗正卿もその向かい側に座り、続きを話し始めた。
「二人とも、大尉統括の禁軍の兵士でした。所属はそれぞれ異なりますが」
宗正卿に確認を頼んだのは、慧喬の命を狙った二人の兵士のことだ。捕えた男は呉文則と自らの名前を白状した。護衛と相討ちになった男の名前も聞き出した。胡子顔というらしい。
詳細は伏せたまま、この二人が本当に禁軍に所属しているのか宗正卿に確認を頼んだのだ。
紅国の禁軍には、王直轄の軍と三公の一人で軍事を統括する大尉の管轄の軍の二種類がある。王直轄の軍は全て貴族家の出身者で構成されるが、大尉管轄の軍は平民からの応募者もいる。
「ただ、二人とも無断で勤めを休んでいました。呉文則は宿衛の時間になっても来ないので同僚が家を訪ねたところ、そこで母親が亡くなっているのが見つかったということでした。母親と二人暮らしだったようです。それで、結局文則の所在は分からず、親類が葬式を出したそうです」
「死因は何ですか?」
「呉文則の母親は病死だそうです」
「病死?」
思わず聞き返す。
「ええ。もともと心臓が弱かったようです。特に外傷も争った形跡もなかったことから、突然の発作だろうと」
文則は母親を質に取られたと言っていた。それが突然病死するなど、そんな偶然があるだろうか。
慧喬が不快げに眉間に溝を刻むと、宗正卿がその眉間を見ながら続けた。
「それから、もう一人の方、胡子顔も無断欠勤で居処が確認できなかったところに、許嫁の死体が城外の水路で見つかったということで、調査していた金吾衛が詰所に事情を聞きにきたそうです。当人とは未だに連絡が取れていないということでした」
「……許嫁の死因は」
「溺死だそうです。着衣の乱れがあったこともあり、何者かと争って水に落ちたのだろうということでした。胡子顔の行方が知れないことから、子顔が疑われているようです」
慧喬が目線を伏せたまま聞く。
「それは……二人が亡くなったのはいつ頃……孝俊殿下が亡くなってすぐの頃ですか」
「ええ。ちょうどその頃だそうです」
視線を卓の上に置いたままで慧喬が黙り込む。
文則が母親を人質にとられたように、子顔も大切な人を盾にされたと考えるのが自然だ。子顔の場合はそれが許嫁なのだろう。
その人質に取られていたはずの二人共が死んだ。偶然などではなく、慧喬の殺害を依頼した人物の仕業だと考えざるを得ない。
時期から考えて、依頼人は文則らを送り出した後、直ぐに人質を始末したということになる。つまり初めから人質を返すつもりはなかったのだ。恐らく慧喬を仕留めて文則らが帰ってきても、用が済んだ彼らを生かしておくつもりもなかっただろう。
人質を始末した方法も、ただ単純に殺害するだけではなく、それぞれに偽装を施している。
もしかしたらと思ってはいたが、想像以上に狡猾で容赦のないやり方だ。
怒気を含んだ目で卓を睨む慧喬を、宗正卿が見つめた。
「……どうしてこの二人のことをご存知だったのですか?」
問いかけられて慧喬が顔を上げると、宗正卿の探るような目と出会った。
当然の反応だ。
しかし申し訳ないとは思うが、今、慧喬にその疑問に答えるつもりはない。
「それは……まだ言えません。もう少し待ってください」
「何か面倒なことに関わっておられるのでしたら、承服いたしかねます」
宗正卿はそう言って琥珀色の瞳をじっと見つめたが、変心させることができないのを見てとると小さく溜息を吐いた。
「くれぐれも気をつけてください」
慧喬はそれに頷くと、調べてくれたことへの礼を言って席を立った。
*
富貴宮に帰ると、朝餉の準備が整っていた。
卓には母親の梁氏と妹の澄季が既に着いていた。
「おはようございます」
「おはよう、慧喬」
慧喬が声をかけると、梁氏が応えた。
昨夜顔を合わせなかった澄季は、慧喬を見てその形の良い大きな目をさらに大きくした。
「え? 姉上? 帰ってたの?」
「ああ。ただいま」
澄季は慧喬よりも四つ下の妹で、まだ十とは思えないほどその美しさは群を抜いていた。極上の真珠のような頬に、すうっと通った鼻梁は高すぎず、繊細で高貴な印象を与える。その下にある上向きの口角の形の良い唇は紅を引いているわけではないのに淡く色付き、色白の肌をさらに輝かせて見せていた。慧喬よりも赤みがかった琥珀色の瞳は、少し上がり気味の絶妙な形で長い睫毛に縁取られている。
「澄季。久しいな。変わりないか」
一年会わなかった間にまた美しくなっていた澄季に目を細めながら慧喬も卓に着く。
「私は全然。姉上の方こそ、もういいの?」
富貴宮で暮らす澄季に流石に母親の元で病気療養中という名目は通じないので、空気の良い町で静養していると言ってあった。ただ、要らぬ憶測を避けるために、聞かれたら富貴宮にいると答えるようにと言い含めた。
「ああ。心配かけたな」
実の妹に本当のことを知らせていない気まずさを若干感じながら言うと、澄季が慧喬を上目遣いで見た。
「別に心配はしていないわ。だって元気そうだもの」
その目からは、病気療養という名目を信じていないことが伝わってくる。
澄季は、慧喬が本当はどこに行ったのか何度尋ねても、結局真相を教えてもらえなかったことに不満を持っているようだ。
しかし、公主という立場上、慧喬が公に泰慈先生の元へ身を寄せるということになれば、警護の人数も一人二人では済まない。そうなると泰慈先生にも迷惑がかかるし、じっくりと修業することもできない。だから内密にすることにした。
身内とは言え、澄季はまだ子どもだ。どこで口を滑らせるかわからないので、慧喬の本当の居所は知らせなかったのだ。
「姉上ばかりずるい」
滑らかな頬を膨らませる。
内緒で遊びに行っていたに違いない、と慧喬を羨む気持ちを隠さない。
完璧な美貌の中でまだ子どもらしさが残る仕草に慧喬が苦笑する。
「遊んでいたわけではないぞ」
曖昧に答えると、澄季が口を尖らせる。
「私だって大変だったんだから。皆、姉上のことを聞いてくるんだもの。太子殿下の葬儀の時だって、色んな人に姉上は出ないのかって聞かれたのよ」
「そうか。……それは申し訳なかったな」
慧喬が宥めると、澄季はぶつぶつ言いながらも、それ以上文句を言うのを止めた。
それを確認すると、慧喬は二人のやり取りを困ったように見守っていた梁氏に向き直った。
「ところで母上。今日も朝議はありますか?」
後宮でも官吏たちと同じように、毎朝、妃達が一堂に会して後宮に関わることの協議や、連絡事項の伝達などが行われる。
「ええ。いつもどおりよ」
「他の方々もいらっしゃいますよね」
「三人ともいらっしゃるはずよ。それがどうしたの?」
突然の慧喬の問いに梁氏が首を傾げる。
「私の体調が回復したとみなさんに報告したいのですが」
「あら……そう……。もうあちらには戻らなくていいの?」
澄季を気にするようにちらりと見ながら梁氏が言う。
「……ええ。父上からは戻ることを禁じられました」
「そうなのね」
白い指を口元に当てて呟いた梁氏は、緊張が緩んだように一度、息を吐いた。
「……貴女にとっては不満だと思うけど……でも、ごめんなさい、貴女が帰ってきてくれるの、私は嬉しいわ」
そう言って遠慮がちに微笑んだ。慧喬が帰ってきて初めて見る笑顔だ。
孝俊のこともあったし、目の届かないところにいる慧喬のことが心配だったのだろう。
その微笑みは単純に、我が子が手元に帰ってくることへの安堵の表情だった。それ以上の思惑は含まれていない。
まだ後継の話は公にはしていないと王が言っていたが、王妃すらも知らされていないことがその様子から察せられた。
慧喬が狙われた理由が後継に選ばれたことであるとすれば、狙った人物は、王が慧喬を後継と決めたことをすぐに知る立場にあるということだ。
そう慧喬が考えていると、幾分明るくなった梁氏の声が言った。
「じゃあ、私から皆に知らせておくわね」
それに対して慧喬が、いえ、と首を振った。
「私が直接ご報告したいのです」
「どうしたの? 珍しいわね」
「きっと皆様、ご心配くださったでしょうから、直接私からご挨拶をしたいのです」
慧喬は心にもない言い訳を口にした。
もちろん、そんな理由ではない。
慧喬が無事な姿を現した時の側妃たちの反応が見たいのだ。
もし側妃のうちの誰かが文則らを差し向けたのであれば、慧喬の無事な姿を晒すことは人質の命を危うくするため慎重を要する。しかし既に人質は殺されてしまっていた。
となるともう遠慮なく慧喬の無事を知らせることができる。
どうせならそれを知った時の反応を直接確認しておきたい。朝議の場ならば一度にそれが叶う。
「そう。……そうね。わかったわ。では、貴女からご挨拶しなさい。皆さんにも安心してもらいましょう」
そのような思惑があるとは気付かず、慧喬の配慮の言葉に感動すら覚えた人の好い王妃は、快く朝議への出席を許可した。
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