35. 廃棄王女、小さな灯火を拾う

 ――ルッツ・ヤウロ伯爵


 シャノンの情報から、ロオカの中道派の中で目をつけていた貴族です。


「これはこれはヤウロ伯爵様、私はカザリアの第二王女メディアと申します」

「遠国よりはるばるよう来られましたな。こたびのロオカへの輿入れ、メディア王女殿下には言祝ぎ申し上げます」

「これはご丁寧にありがとう存じます」


 ロオカに来てから、初めて貴族から常識的な対応を受けたような気がします。


「ご存知のこととは思われますが、私は敵の多い身です」


 と言うより、ここ王都では敵しかいません。はっきり言って孤立無縁状態です。


「このような場で私に話しかければ、王都の貴族から良く思われないですよ?」

「はっはっは、私は北西部を所領とする田舎貴族です」


 私が探りを入れれば、ヤウロ伯爵はまったく意に返さず大笑なさいました。


「ご懸念けねんには及びません」


 今さら王都の木端どもを気にする必要もないと、ヤウロ伯爵は私に優しい目を向ける。気宇の大きな方ですね。どうやら人物はいるところにはいるものです。


 話していて分かります。ヤウロ伯爵はロオカにおける貴族の良心。心ある貴族になら、それを理解しているでしょう。


 だから、ヤウロ伯爵と知己ちきを得て好印象を持たれる必要があります。


「それより、私のような枯れた老人が相手でよろしいので? あなたのように若く美しい姫君には退屈かもしれません」

「私はまだ右も左も分からぬ若輩の身なれば、是非に伯爵のご指導をお受けしたいものです」


 私がにっこり笑って応じれば、一瞬だけヤウロ伯爵は値踏みするような目をしました。が、すぐに破顔されました。


「失礼、アルバート殿下にエスコートされてきたあなたを見損なっていたようです」


 私もまだまだのようだとヤウロ伯爵が笑う。ギルス殿下以外の男性にエスコートされた私を噂の悪女だと思われたのでしょう。


「ですが、先ほどの騒動で理解しました。我が国があなたに無礼を働いたようで、なんと申し上げればよいか。まったく恥じ入るばかりです」

「無礼は無礼を働いた者の責。伯爵が気に病む必要はございません」

「デュマンの奴も昔はあんな分からず屋ではなかったのですが……」

「ヤウロ伯爵はデュマン卿のご友人なのですか?」

「ええ……」


 アル様に連れられデュマン卿が出て行った方向に、ヤウロ伯爵がちらりと顔を向けられました。その横顔が何だか少し寂しそうです。


「ですが、今回の件で奴との関係を少し見直さねばなりませんな」

「デュマン卿はどうして私を目の敵にされるのでしょう?」

「殿下ではなく、カザリアを恨んでいるのですよ」

「カザリアを……そうですか……」


 長年、ロオカで骨身を惜しまず宰相職を務めてこられた方です。きっと、我が国に煮え湯を飲まされたことは、一度や二度ではないでしょう。


「デュマン卿のお気持ちはお察しします。ですが、デュマン卿の私怨しえんは国政を預かる首長としては問題です」


 デュマン卿の動機を理解できても、無条件で全てを水に流すつもりはありません。私の心情や立場の問題ではなく、私が折れれば東方諸国全体に不利益をもたらすのですから。


「私とて婚約者を奪われ、ロオカへと追いやられたのですから。しかし、それを嘆いている状況ではないのです。今は個人の感情を殺してでも、帝国に対抗しなければならないのですから」


 少し熱くなりすぎたでしょうか?


 ヤウロ伯爵がふっと笑われました。心の内を曝け出す私を若いと思われたのかもしれません。


「失礼ですが、王女殿下はお幾つであられますか?」

「今年で十九になりましたが……それが何か?」


 ヤウロ伯爵はスッと目を細め嘆息されました――どうかなさったのでしょうか?


「その若さでずいぶん大成なさっておいでだ」

「私などまだまだです」

「いやいや、無駄に歳だけ重ねた我が国の貴族どもに、殿下の爪の垢を煎じて飲ませたいものです」


 情け無い限りです、とヤウロ伯爵は愁眉しゅうびに沈む。


「どこの国にも経験を糧にできない者はいるものです」

「殿下もカザリアで苦労させられた口ですか」


 苦笑いするヤウロ伯爵に、私はクスッと悪戯っぽく笑う。


「そうでなければ、私が婚約者を捨てロオカへ嫁ぐこともありませんでした」

「はは、それもそうですな」


 ヤウロ伯爵の笑顔から全ての壁が取り払われたように感じます。どうやら私は合格したようですね。


「王女殿下には是非、引き合わせたい者達がおりますが、会ってやってくださいますか?」

「ヤウロ伯爵のご紹介とあらば、お会いするにやぶさかではございません」


 ヤウロ伯爵は頷くと、こちらを窺い見ていた小さな集団の一つを手招きなさいました。彼らはパーティーの間、周囲に迎合せず私をじっと観察していた貴族達。


 そして、彼らこそ私がロオカで頼むべき国士と目していた人達です。


「メディア王女殿下に言祝ぎ申し上げます」


 彼らは中道派の面々。それが私に一礼した瞬間、その立場は鮮明となる。それは周囲を敵に回すことと同義です。その覚悟を彼らは示してくれた。


「私はカザリアの王女です……」


 その宣言にも彼らは何も言わず私の次の言葉を待っている。軽々な人物ではないと、このことだけでもわかります。


「ですがロオカに嫁した以上、この国は私が守るべき地であり、そこに住まう民草もまた私の庇護すべき臣民です」


 きっと彼らは今のロオカを憂い、しかし少数の力無い自分達ではどうすることもできずに、鬱憤うっぷんを抱えていたのでしょう。


 ロオカには帝国の脅威が迫り、カザリアの圧力に晒され、その命運は風前の灯火。もはや、一刻の猶予もありません。


「しかし、その決意はあっても、私はロオカへ訪れ日も浅く、とても心細くありました」


 彼らは身命を賭して私へ恭順を示した。その決意に私は報いなければならない。


「ですが、国を想う皆様とお会いできて安堵に胸を撫で下ろしました」


 きっと、私の言葉の意味を彼らなら理解できるでしょう。


「ロオカの未来には東方より昇る陽の光が差すでしょう」

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